マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった   作:あんだるしあ(活動終了)

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 お菓子作りはいい文明。異論は認めぬ。


ロンドン6

 ジキル氏のアパルトメントの部屋に戻ると、わたしたちを一番に迎えたのは、意外にもアンデルセンさんだった。

 

「よく帰って来たと言っておこう。ヤードの警官たちについては残念だったな。少しは休んでおけ。聞けば、こちらへ来てから休みなしなんだろう? 根を詰めても良いモノが仕上がるとは限らない。執筆であれ聖杯探索であれ、適度な休息が必要だ」

 

 アンデルセンさんのご厚意は有難い。でも、状況は予断を許さない。メフィストフェレス、魔本、切り裂きジャックと連続して異変が起きたからには、また次の異変が起きて飛び出すかもしれない。コンディションは切り替えられない。

 

「バカめ。貴様もワーカーホリックか。荷物の重さを忘れられないとはな。では退屈しのぎに一つ語ってやろう。俺やナーサリー・ライムがどうやって現界したのかを」

 

 アンデルセンさんがソファーの一つに腰を下ろした。一度失言をしたわたしとしては、言われるがまま粛々と彼の正面ソファーに座るしかなかった。

 

「話す機会がなかったが、俺もナーサリー・ライムも共に魔霧から現界した。マスターの存在もなく、召喚の手順も踏まれずに、な」

 

 ここでモードレッド卿がポンと手を叩いた。

 

「そういや、オレもそんな感じだったな。ジキルはマスターでもないし、召喚の儀式もなかった。気づけば霧の中にいた。何だ? サーヴァントってのは自然に湧くのか?」

《いやいやいや! そんなことは絶対にありえないから! 召喚されず単独顕現するモノがいるなら、それはもうサーヴァントを越えた『何か』だよ》

「――サーヴァントは霧から現界するものではない、か。なら帰結は一つだろうな。霧は聖杯が生み出している。もしくは、霧を生み出す何かが聖杯の影響下にある」

 

 アンデルセンさんの言葉を咀嚼していたわたしに、ジキル氏が差し出した物がある。ソーサーに乗ったティーカップ。中身は香りのよい紅茶。

 わたしは反射でカップを受け取ってしまった。これでわたしはすぐに席を立つことができなくなった。アンデルセンさんの言うように、休息を取るしかない。大人しく座っていよう。うん。

 

「現実の多くには必ず理屈が付くものだ。理屈が通用しないのは恋ぐらいだろうよ。想像力を働かせろ。それで大抵の物事は予想できるし、時には予測へ至る。例えば、そうだな。今この時。どこからともなく食欲を刺激する匂いがする。スコーンかマフィンが焼ける香ばしい匂いだ。しかし外は魔霧が充満していて、とてもそんな匂いがこの部屋に入ってくる余地はない。すると匂いの源はどこか、という疑問が生じる」

「外からではないのでしたら……部屋の中から、でしょうか?」

「部屋の中でそんな匂いがする訳を想像してみろ」

「そりゃあスコーンだかマフィンだかを部屋の中で焼いてるからだろ。簡単だ」

「ふむ。()()?」

 

 わたしはテーブルを囲む面々を見回した。モードレッド卿と、隣の床に座ったフランさん。ジキル氏。アンデルセンさん――

 足りない。――リカは?

 まさかという思いでキッチンのほうへ顔を向けると――

 

「「あ」」

 

 ――まさかのその通り。リカが、スコーンを並べた大皿を持って、フォウさんと一緒に居間に入ったとこだった。

 

「とまあ、こんな具合に、だ。理屈が付いただろう?」

 

 アンデルセンさんは、にやりと笑った。

 し、知ってた。この人、リカがこっそりキッチンでスコーンを焼いてたって絶対知ってた!

 

 リカの顔はみるみる真っ赤に染まってく。このまま何も言わなかったらリカはキッチンに戻って隠れてしまうに違いない。わたしだって長いことあの子の「先輩」をやってきたんだから、分かることだってあるんだからね。

 

「リ、リカっ。それ、わたしたちに作ってくれたの?」

「えと、あ、はい!」

 

 間一髪。引き留め成功。

 

「本当はちゃんとしたお店で買ってきたかったんですけど、霧でどのお店も閉まってましたから。ジキルさんに材料分けてもらって、焼いてみたんです。スコーン。アンデルセンさん、あたしたちがヤードに行く前に、お土産はスコーンがいいって、言ってた、から………………………なんか、ごめんなさい」

 

 謝ることなんて一つもない。律儀? まめ? ええい、とにかくわたしの後輩がすばらしくて言葉にならない! 先輩は我が事のように嬉しいです!

 

 わたしはソファーを立ってリカの前まで行った。

 

「ありがとう、リカ。みんなで頂くからね」

「ぁ……はいっ」

 

 よかった。リカ、笑ってくれた。

 

 わたしはリカから大皿を受け取って、取って返してテーブルの中心に置いた。並んだスコーンの一つ一つがミニサイズなのは、子供体型のアンデルセンさんへの気遣いでしょうね。

 

 アンデルセンさんがスコーンを一つ取って、一口齧った。

 

「これを食べながら夜のティータイムと洒落込むなら俺はもう口出しせん。ベッドで惰眠を貪ろうが、深夜の哨戒に出ようが、お前たちの好きにしろ」

 

 

 

 

 

 アンデルセンさんの言う所の「夜のティータイム」はそれなりに長く続いた。

 その大きな要因として、アンデルセンさんとモードレッド卿がリカにスコーンのおかわりを注文したことが挙げられる。リカ手作りのスコーン、お二人ともお気に召したようで何よりです。

 

 ただし、モードレッド卿が途中からシードルを持ち出したものだから、危うくお茶会が飲み会に一転する所だった。

 それを阻止する口実として、わたしは夜明け前の哨戒をモードレッド卿に提案した。

 

「あー、そうだな。『P』あたりを押さえて吐かせれば全部解決だ。じゃ、シティエリアを端までぐるっと回ってみるか」

 

 モードレッド卿は足取り軽く部屋を出た。

 わたしたちもモードレッド卿を追って、アパルトメントを出発した。

 

 

 霧の深いロンドンの街は、家々の灯りやガス燈の光と反比例して静まり返っている。魔霧に沈没した都市ではそれが自然なのに、そのちぐはぐさが妙にわたしの胸をざわつかせた。

 

 哨戒中にオートマタと遭遇もしたが、それ以外は特筆すべき異常のない道のりだった。

 

 これでもう何度目か。

 オートマタを斬り捨てたモードレッド卿に、リカが治癒魔術を施している。

 

「お疲れ様でした。休憩されますか?」

「いいって。ただ量が多いだけだ。ヘルタースケルターがいたら話は別だけどな。あいつ強いからな。今回の現界で楽しみながら戦えるのはあいつだけだ」

「わたしたちがヘルタースケルターと遭遇したのは一度きりですが、確かに手ごわい相手でした」

「フォウフォウっ」

《そういえばあちこち移動したが見かけないね。数はそう多くないのかい?》

「んー、言われてみりゃ、アレが大量にいるとこは見たことねえな。せっかくだから今夜あたり出て来ねえかなー」

「あの、それってフラグ……」

 

 しーっ。リカ、それ以上は言わぬが花よ。

 

 

 わたしたちは哨戒を再開した。

 霧から出没するのはオートマタやヘルタースケルターだけでなく、サーヴァントもだ。リカを護るためにも気を引き締めて行こう。

 

 シティの端の路地裏を回っている時だった。

 

 ――魔力による大気の震え。強い存在感を放つ何者かの出現を、わたしは肌で感じ取った。

 それはモードレッド卿も同じだったようで、彼女は手に王剣を実体化した。

 わたしも盾を構えて、リカを背中に庇った。

 

 かくしてわたしたちの前に現れたものは――

 

「さあ、吾輩を召喚せしめたのはどなたか! キャスター、ウィリアム・シェイクスピア、霧の都へ馳せ参じました! と、言いたい所なのですが、これは聖杯戦争による召喚ではない模様。神よ、吾輩が傍観すべき物語は何処にありや?」

「…………ハズレだ。次」

 

 モードレッド卿は王剣を消して路地裏から去ろうとした――が、逃げられなかった。

 

「おお、これは。異様の霧の中にて貴方とこうしてまみえようとは。此度は貴方の物語を紡ぐとしましょう。噂に違わぬ活躍を期待していますよ」

「あー……」

 

 キャスター・シェイクスピアは明らかにモードレッド卿に知り合いへの態度で話している。生前の知り合いはありえないから、うーん、同じ聖杯戦争に召喚されたことがある、とか?

 

「敵ってわけでもなさそうだが。しかし、いよいよそうなると奇妙ではあるよな」

 

 そこはわたしも気になった点だ。メフィストフェレスやジャック・ザ・リッパーとシェイクスピアさんの違いが分からない。どのサーヴァントも魔霧から現界したのに、敵味方に分かれる基準が不明だ。

 

 ふと、モードレッド卿のまとう空気が静電気を帯びたように尖った。

 

「何だよ、夜の見回りは大当たりだったか?」

 

 はい?

 

「おい! 一度逃げ帰った割には度胸があるな!」

「……新たに現界したサーヴァントはそちらに確保されてしまったようですね。残念です」

 

 な……「P」!? いつのまにこんな至近距離に!

 

《そうか! 魔霧から現界したサーヴァントを確保し、自分たちの仲間にしていたんだな。だが、言うほど容易いことではない。英霊を操るなんて、それは聖杯でもなければ不可能だ》

「正解、とまずはお答えしましょう。我々は、我々にとって必要な者がこのロンドンへ現れるのを待ち続けているのです。ですから、魔霧から現界した英霊を順次確保し、魔霧拡大のため働くよう『調整』しています。貴女たちを確保できなかったこと、私には残念でなりません。きっと良い友人になれたでしょう。私たちは。お互いに」

 

 冗談じゃない。切り裂きジャックにあれだけ人を殺させておいて、どのツラ下げて、と言ってやりたい。

 わたしは騙されない。「P」が綺麗なのは外見と言葉の上辺だけ。

 

 モードレッド卿が王剣を再び実体化して、「P」に切っ先を向けた。

 

「今度は逃がさん! 斬り捨てられる前に名乗ってみろ、魔術師!」

「――いいでしょう。今回は移送すべき触媒もない。私は、ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。ここで貴女たちを確保します」




 リカの初期設定の一つをようやく解禁できて作者大満足。
 ズバリ「お菓子作りが得意」です!
 ぐだ子は士郎TSをイメージしたキャラらしいので、これで料理できないわけがない! とずっと思ってたんですよねー。

 追伸。スコーンを約10分で焼く時短レシピは実在します。
 よってリカが短時間で完成させたのは決しておかしなことではないですぞ? よろしいか読者諸賢?

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