マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
鬱蒼とした登山道をどうにか登りきって、わたしたちはついに、大聖杯のある地下空洞へ繋がる洞窟前に辿り着いた。
オルガマリー所長によると、洞窟というよりは地下工房らしい。半分は天然だが、半分は人工。魔術師が長い年月をかけて造り上げた儀式場。
ふいに、リカの肩に乗っていたフォウさんがふり返り、威嚇態勢を取った。
わたしもリカも、オルガマリー所長とキャスターさんも、後方を顧みた。
――岩の上に男性がひとり立っている。くたびれた赤い外套。色素の薄まった髪、黄鉛色の目。分かる。大橋の下で戦った鎌のランサーと同じ、汚染されたサーヴァントなんだ。
わたしは急いでリカを背にして盾を地面に突き立てた。
キャスターさんが泰然と、わたしたちより前に出た。
「相変わらず聖剣使いを守ってやがんのか、アーチャー」
「つまらん来客を追い返す程度の仕事はするさ」
「要は門番じゃねえか。何からあのセイバーを守ってるか知らねえが――ここらで決着つけようや!」
キャスターさんは不可視の速度で宙にルーン文字をいくつも刻んだ。
文字は炎弾へ。全弾がアーチャーのサーヴァントの足場に的中した。
「今の内に行け!!」
わたしは後ろにいたリカの手を掴んで、洞窟の中へ駆け込んだ。フォウさんも、オルガマリー所長も、もちろん一緒だ。
――奥へと走りながらも、迷いはまだ胸に蟠っている。それでもセイバーのサーヴァントとの戦場に向かって進めたのは、迷いより、リカの前では「先輩」らしく振る舞いたい気持ちが上回ったからだった。
わたしたちが出たのは、本当に「空洞」だった。
あまりにも広く、高い、果てのない空間。
そびえ立つ絶壁の祭壇からは、ほの明るい魔力が煙のように滲み出していた。あれが大聖杯――
「ほう。面白いサーヴァントがいるな」
――また、わたしでない何者かが、わたしの中で愕然とした。
黒く濁った甲冑。色褪せた金髪、蝋のような肌色、黄鉛色の眼。あれほどに燦然としていた騎士王の、穢された姿。あれが
「盾、か」
アーサー王が大聖杯の頂から跳び下りた。わたしと同じ地平に立った。
「構えるがいい。名も知れぬ娘。その護りが真実か――」
――震えてなんかいられない。怖がってなんていられない。わたしはデミだけどサーヴァント。サーヴァントならマスターを守らなければ。
「この剣で確かめてやる」
開戦は、わたしが盾を構えたのとほぼ同時だった。
セイバーが聖剣を持ち上げては振り下ろす。その斬撃が、盾を通して両腕に伝わった。
何て、一撃一撃が、重いの。まるで鉄柱を絶え間なくぶつけられているみたい。
「くあ――!」
しまった。受け流しそびれた。
盾が手から離れて転がった。わたし自身の体も弾き飛ばされて土に叩きつけられた。叩きつけられた衝撃ももちろんだけど、体中が砂利で擦り剥けて痛い。
起き上がれないまま、アーサー王を見上げた。
果たしてわたしなんかが本当に、かの王に勝てるのか――
「先輩ッ!」
悲鳴が聞こえた。リカの呼び声だ。
――立て、マシュ・キリエライト。
負けられない。これ以上みっともないとこ、リカには見せられないし、見せたくない。だってわたしはリカの「先輩」なんだから!
ほとんど這いずるようになりながらも、どうにか盾を掴み直して、立ち上がった。
アーサー王が聖剣を大きく掲げた。
聖剣の刀身に集束する、莫大な闇色の極光。栄光も誉れもないその輝きを見て、わたしでない何者かがわたしの中で嘆いている。
「耐えて、マシュ……!」
分かってます、所長。全力で耐えるつもりです。わたしが踏ん張らないで誰が二人を守るんですか。
「
斬撃なんてものじゃない。圧倒的な質量を持った黒い光の渦が、わたしを呑み込むべく迫ってくる。
盾。そう、この盾を前に。防いで。護って――
重、い……!
さっきまでの斬撃のラッシュが可愛く思えてくる重圧と重厚の、反転極光の束。
いくらこの盾が聖剣の光を通さないとしても、盾を支えるわたしの体が保たない。ああ、もう、意識が――、――――
……温かい?
誰かがわたしを後ろから抱き締めている。他人の体温が背中に広がっていく。
「先輩。すぐ楽にしてあげますからね」
「リカ……?」
蓄積していた全身の擦り傷の痛みが消えていく。立つのがやっとだった足に活力が戻ってくる。体の重さからさえ解き放たれて、感じるのはリカの体温だけ。安心する。パワーをくれる。
――戦える。わたしは、まだ、戦える!
「頼りないとこ見せてごめん。もう大丈夫。――あなたの先輩を、信じて」
「はい……っ」
リカと寄り添っている限り、わたしに敗北の未来は、無い!
盾よ、お願い、開いて。リカを、所長とフォウさんを護るため、
わたしの願いに応えるように、盾を基点に白亜の守護円陣が展開した。
これは壁――城壁? いいえ、この際何でもいい。脆くてもいいから、今はわたしの護りに変わって!
「っはああああああッッ!!」
白亜の壁は黒い極光を反射して、アーサー王へ逆に浴びせられた。
息切れが激しい。酸素が欲しくて二酸化炭素を吐き出したくて、短いスパンで呼吸をくり返した。
「ぁ――」
「リカ!?」
後ろで頽れたリカの体を、わたしはとっさに片手で抱き留めた。
アーサー王が二度目の聖剣解放の態勢に入った。
上等。片腕だろうがこの盾を支えてみせる。もう片方の腕にいるのは、他の誰かならともかくリカなんだ。わたしの後輩、わたしのマスターなんだ。
負けない。絶対負けない――!!
「
『我が魔術は炎の檻。炎のごとき緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める森』
次の瞬間、わたしたちの横を駆け抜けた、空色の人影。
「――よくぞここまで持ち堪えた」
キャスターさんがわたしたちとアーサー王の間に立って、杖を振りかざした。
「倒壊するは、
アーサー王の足元に火が魔方陣となって燃え上がった。
出現したのは、大木でその身を編み上げた巨人。
木の巨人は、足場を崩したアーサー王を片手に掴むと、自らの胴体に当たる部位でもある檻にアーサー王を放り込み、そのまま倒壊。大炎上した。
これが、宝具の真名解放の正しい威力。これが、正しいサーヴァントの実力。
わたしは言葉もなくキャスターさんの背中を見ているしかなかった。
――火と煙が晴れた。
アーサー王は一見して健在だったが、足元から、剣先から、徐々に金の光と化して消滅していっている。
「護る力の勝利か。なるほど。穢れなきあの者らしい――結局私ひとりでは、どう足搔こうと、運命は同じ結末を迎えるというわけか」
「どういう意味だ、そりゃあ。テメエ何を知ってやがる」
「いずれ御身も知ろう。アイルランドの光の御子よ。グランドオーダー――聖杯を巡る戦いは、まだ始まったばかりだということをな」
「おい待て! そりゃどういう――」
キャスターさんに答えるより早く、アーサー王の姿が完全に消失した。
キャスターさんもまたアーサー王のように、指先から光の粒子になって消え始めている。
「ちっ――嬢ちゃん方。あとは任せた。次があるんなら、そん時ゃランサーとして呼んでくれ」
どこまでも悲壮感のない爽やかな別れだった。
――彼ら2騎の消滅をもって、わたしの初めての戦いは、一応の勝利を収めて終わった。