マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
大量出血のように、夥しい生肉が溶けて流れ出した。出血と異なるのは、溶けた肉は一定量で蒸発していく点か。
その肉塊の中から、吐血しながらレフ・ライノールが起き上がった。
「……馬鹿な……たかが英霊ごときに、我ら御柱が退けられるというのか? いや、計算違いだ。そうだ、そうだろうとも。何しろ神殿から離れて久しいのだ。少しばかり壊死が始まっていたのさ。しかし、私も未来焼却の一端を任された男だ。万が一の事態を想定しなかったわけでもない」
レフの手の中に聖杯が現れた。まだ何かしようって言うの!? しつこいです!
「さあ、人類の底を抜いてやろう! 七つの定礎、その一つを完全に破壊してやろう! 我らが王の尊き御言葉の……!」
次の瞬間。
レフの左胸から
背後から何者かがレフを奇襲したのだ。この場この局面でそうする人を、わたしは、荊軻さんしか知らない。
「人の姿に戻ったことが仇になったな。我が宝具は対人。サーヴァントとなった今でも徐夫人の匕首は健在なり。塗り込んだ“毒”も“不死殺し”のままだ」
呆気に取られて動けないわたしたちの眼前で、レフ教授がうつ伏せに倒れた。起き上がる気配はない。
荊軻さんがしゃがんでレフ教授の脈を取った。
荊軻さんは達成感を浮かべて、髪の花飾りを外してレフ・ライノールの亡骸に落とした。
「秦王でなかったのが残念だが、生前成し得なかった化物誅伐だけは叶ったようだ」
小さな物がわたしの足元に転がってきた。わたしはそれを拾った。――聖杯。そうだった。これを回収するためにここまで来たのに。
ふいに、聖杯を持つほうの手を、リカが両手で握った。
「お疲れ様でした。先輩」
リカの言葉と微笑みで――終わったんだ、ってようやく実感した。
――でもそれは同時に寂しいことでもある。
手足が末端から0と1に霊子分解されていく。レイシフトが始まった。再構築された時には、カルデアのコフィンの中だ。口が分解される前に、伝えないと。
「ネロ・クラウディウス皇帝陛下。ローマ帝国の皆さん。至らない所ばかりでしたが、今日まで助けてくださってありがとうございました。心から感謝を。おかげでわたしたちの使命も完遂できました」
「お、お世話に、なりましたっ」
「フォウ!」
ネロさんはひとしきり困惑したが、やがて寂しげに笑んだ。
「……なんとなく、そんな気はしていたのだ。余は勘が鋭いほうだからな。伯父上や神祖たちと同じく、お前たちも消えてゆくのだろうと。――荊軻、そなたもそうか? ブーディカも、呂布やスパルタクスも」
荊軻さんは短く頷きを返した。彼女はわたしたちとは違い、光の微粒子となって体の輪郭を薄めていって――消失した。
「困ったな、これは。正直に言って残念だ。まだ余は何の報奨も与えてはいないというのに。お前たちであれば、きっと、余にとって臣下ではなく、もっと別の――いや、やめておこう。お前たちの行く先にもきっとローマはあろう。例えその名が忘れられていても、ローマが植えた多くの芽が、かたちを変えて続いているだろう」
わたしはふいに、フランスでジャンヌさんとお別れした時の言葉を思い出した。
“全てが虚空の彼方に消え去るとしても。残るものが、きっと―――”
一度発生したモノは、永遠に消えない。か細い糸でも、過去は現在に息づいている。これが――――名残、というものなんですね。
「だから別れは言わぬぞ。礼だけを言おう。――ありがとう。そなたたちの働きに、全霊の感謝と薔薇を!」
『『『インペラトル! インペラトル! インペラトル!』』』
ネロさんの笑顔と兵士の喝采を最後に、意識は意味を失った。
…
……
…………
覚醒する。今回も無事にカルデアに帰って来られた。その安心を噛み締める。
コフィンから起き上がると、ちょうどリカも体を起こした所だった。
リカはわたしと目が合うと、ちょっと困ったように笑った。照れてる。この子はいつまでも初々しいなあ。
「おかえり、二人とも。そしてお疲れ様」
「ただいま帰りました。ドクター」
「た、だいま、です」
「フォウ」
わたしは管制スペースに入ってすぐ、聖杯をドクター・ロマンに渡した。その聖杯は、さらにダ・ヴィンチちゃんが受け取って、保管庫に封印すべく持って行った。
「これで二つ目だ。当初の目的であるレフの追跡も達成できた」
「はい。ですが……彼の目的も意図も何も聞けませんでした」
レフ教授は荊軻さんが殺めた。戦局的には正しい行動だったし、わたしたちがレフ教授を尋問しようとしていたことは彼女に明かしてなかったから、しょうがないことなんだけど。
「ああ。何もかも不明のままだ。けれどまだ五つの特異点は残っている。今のボクらにできることは、一つずつ聖杯を回収し、特異点を修復することだけだ」
「はい。次のオーダーでもベストを尽くします」
「いい返事だ。そんなに時間はあげられないけど、今日はゆっくりと休んでほしい」
では、わたしとリカはマイルームに戻るとしよう。
「えっと。ドクター。その……今回も、サポート、あ、ありがとう、ございました……」
「どういたしまして。――おやすみ。リカ君」
わたしはリカ(肩にフォウさんを乗せている)と並んで、中央管制室を出た。
思い描けば、大輪の薔薇のような彼女の笑顔。
思い馳せるは、風薫る丘。
――あの空と大地を、わたしはずっと忘れない。