マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
セプテム1
体温を確認する。五感を確認する。
客観的にも分かるよう、わたしの名前を口にする。
眠るたびに消えるかもしれないと言われてきた自意識は、今日も、正常に覚醒した。
そっ、と隣ですやすや眠る後輩の顔を覗き込んだ。
――彼女は
「フォウフォウ」
フォウさんが起きて、眠るリカの頬を舐めた。そうするとリカの瞼が震えて、覚醒に向かう。リカが開いた目に一番に映すのは、わたし。
「……先輩、おはよーございます」
「おはよう、リカ。先にシャワー使う?」
「いいえ。先輩、お先にどうぞ。あたしは次に浴びます」
「じゃあ、お先にお湯頂くね。終わったら」
「朝ごはん食べに食堂。ごはんが終わったら、ブリーフィング……でよかったですっけ」
「満点」
「はいっ」
――わたしたちは順に朝のシャワーを浴びて、それぞれに着替えて身繕いを整えてからマイルームを出た。それから食堂で朝食を頂いて、中央管制室に向かった。
わたしとリカ(肩にフォウさんを乗せている)は朝の管制室に出頭した。
管制室では、フランスの任務出発前と同じく、ドクター・ロマンが忙しなくスタッフの指揮を執っている。今回は、ダ・ヴィンチちゃんはいないようだ。
――ドクターによると、次のレイシフト先は1世紀のローマだった。紀元という暦が始まったばかりの、今や名残だけの古き帝国。どんな世界を旅することになるのか想像もつかない。
「人類史の存続はキミたちの双肩に懸かっている。どうか今回も成功させてほしい。……そして、無事に帰ってくるようにね」
締めるべきは締め、親愛の情を示すことも忘れない。それが今のドクター・ロマンだ。以前は掴み所のない主治医さん、という印象だったのが、グランドオーダーが始まってからずいぶん変わった。
「必ずカルデアに帰還します。リカと一緒に」
リカはわたしの目線を受けて、微笑んでわたしと手を繋いだ。十指を絡め合う、いわゆる恋人繋ぎ。やましい意図はありません。
ドクターの号令を受けて、わたしとリカはコフィンにそれぞれ入った。
レイシフトプログラム――スタート。
…………
……
…
今回の転移も無事成功した。
わたしはリカと並んで、雄大な景色を見渡した。
深呼吸した。薫る風が心地よかった。
「ンキュ、ンキュ」
盾の収納スペースから出てきたのは、置いて来たと思ってばかりだったフォウさんだった。フォウさんは一直線にリカの肩に飛び乗った。
「ご、ごめんなさい……あたしです。また付いて来てもらっちゃいました」
「フォウフォウ、ンキュー!」
フォウさんの言わんとする所は分かる。わたしがリカのそばを離れた時でも、フォウさんが付いてると思えば気が楽になる。そういう意味ではフォウさんも戦友だ。
「キュゥ、キュイ」
フォウさんが空を見上げるように言ったので、わたしたちは言われた通りにした。
……フランスと同じだ。光る環が衛星軌道上にあって、空を覆っていた。
前回は「あれは何?」という疑念で済んだけれど、今は、あの光の環にどこか圧倒される、ような、気分というか。
《おや? そこは首都ローマではないのかな?》
「あ、はい。現在地は丘陵地帯です。羊がいないのが惜しまれるほどの」
《あれ、おかしいなあ。転送位置は確かに首都に固定したはずなんだけど。先年に皇太后アグリッピナが毒殺されたとはいえ、今はまだ、晩年のネロ危急の時代ではないし。えーと――そこはアッピア街道のようだ。ローマ布教に際し皇帝ネロによる弾圧で追われた聖ペテロが……》
ふいにリカがきょろきょろと周囲を見回し始めた。フォウさんもだ。
「どうかした?」
「いえ、大したことじゃないんですけど……風に乗って、変わった音が聞こえた……気が、しただけです、はい」
「フォーウ、フォーウ!」
耳を澄ましてみた。――本当だ。わたしにも聞き取れた。
硬い金属がぶつかり合う音。それに、喧騒。複数だ。
近くで集団の戦闘が行われていると推測される。
ドクターがさっき言ったように、このローマ世界は戦乱の時代ではない。起きるはずのない戦争が起きている。ならそれは「異常」に他ならない。
「リカ。音が聞こえるほうへ行ってみましょう」
「はい先輩っ」
「フォウっ」
喧騒と剣戟に辿り着くまでそう時間はかからなかった。
少しだけ高い丘から、わたしたちが見下ろすそれは、間違いなく戦闘だ。片方は大部隊で、もう片方は少数部隊。どちらの部隊も、デザインに差はあるけど、真紅と黄金の旗を掲げている。
「陛下!!」
「余を気にするな、ブルッス! それより、何としても連合帝国の輩に首都の土を踏ませるでないぞ!」
乱戦になっている兵士たちの中で、そこだけはぽっかりと空白地帯。どちらの部隊の兵士も近づこうとしない。当然だ。空白地帯の中で剣と拳を交える二者。真紅のドレスの女性はともかく、あの真紅のマントの男は――!
《マシュ、リカ君、サーヴァントの反応だ!》
「感知しています! ですが、サーヴァントが人間と、しかも特定の個人と執拗に戦うことはありうるのでしょうか!? あの男は他の兵士を全く見ていません!」
《皆無とは言い切れないが、どちらにしろ、生身の人間はサーヴァントに太刀打ちできない! いずれ押し負けるぞ、あの少女!》
わたしは盾を実体化させて、丘を滑り降り―――と、いけない。
「リカ。ここで少し待っててくれる?」
リカは一つ頷いた。
「分かりました。待ってます。気をつけて、くださいね?」
「うん。下の兵士に見つかったらまずいかもしれないから、なるべく姿勢は低くしてね。フォウさん、リカをお願いします」
わたしは今度こそ丘を滑り降りて、横から、ドレスの女性に襲いかかるサーヴァントへ体当たりした。
ドレスの女性が目を大きく丸くした。
「な、何者だ、そなた!?」
「通りすがりの援軍です。お怪我はありませんか?」
女性が答えるより、サーヴァントがむくりと立ち上がるほうが早かった。――あの目。フランスで何度も目にした。竜の魔女に狂化されたサーヴァントたちと同じ。いいえ、もっと純度の高い、「本物」の狂気。このサーヴァントのクラスはきっとバーサーカーだ。
わたしは女性を背にして盾を構えた。
「――我が、愛しき、妹の子、よ」
「っ、伯父上……!」
――え? 今、何て。
《サーヴァントと現地の人間が、血縁!? 同一存在を召喚するより低い確率だぞ!?》
彼女は忸怩を隠しもせず、ジグザグした刀身の長剣をバーサーカーに向けた。わたしの護りに甘んじるつもりはないらしい。
「……いや、いいや。今はあえてこう呼ぼう。いかなる理由かさまよい出て、連合に与する愚か者、カリギュラ!」
「捧げよ、その、命。捧げよ、その、体。 す べ て を ! 捧 げ よ !」
来る! この時代で初のサーヴァント戦だ。敵はバーサーカー、カリギュラ。気を引き締めなさい、わたし。
「……なかなかな姿をした少女よ、余の盾役を命じる。伯父う……あの者は、どういう理屈か、兵たちがいくら斬りつけようと傷一つつけられなかった。ゆえに、だ。よいか? そなたがあの者の猛攻を防ぐ隙に、余がこの
い、いきなり仕切られましてもですね!? って、ああ、すでにあの人は踏み出してしまっている。こうなったらわたしも続くしかない。
カリギュラが獰猛な獣のように爪を立てて女性に襲いかかる、その前に、わたしが女性を追い抜いて、正面から盾をぶつけてカリギュラを弾いた。
女性が真紅の裾を翻して、わたしを跳び越した。
「伯父上! お覚悟! た――あ!」
本当に斬りつけた。カリギュラの脳天から。
でも――浅い。カリギュラは出血すらしていない。見積もって、バールで頭を小突いた程度のダメージか。
わたしは着地した女性の腰に腕を回して、彼女を抱えてカリギュラから距離を空けた。
「な、ぜ……」
カリギュラは殴られた頭を押さえながら、手をこちらに伸ばした。正確にはドレスの女性に。そうだ。カリギュラの光のない目には最初から彼女しか映っていなかった。わたしも、兵士たちも、カリギュラは視界に入れてもいない。ひたすら彼女だけを、求めて。
「なぜ、捧げぬ、なぜ、捧げられぬ……我が、我が、我が……」
カリギュラの輪郭が陽炎のように揺らいで、消失した。