マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
冬木1
“ディンドラン”
ずっと呼んでいる。さびしくて、切なくて、ずっとずっと呼んでいるの。
ここは、人理保障機関カルデア。
今日はオルガマリー・アニムスフィア所長直々の指揮の下、特別な任務が行われる。
――ファーストオーダー。人類史に生まれた微細な特異点へレイシフトし、現地である2004年の冬木市を調査し、これを修復する。
参加調査員であるマスター適性者は、わたしも含めて48人という大所帯。
その大事な任務の日に、わたしは体調不良を起こしてしまった。
ブリーフィングは無理でもせめて現地への出発に間に合うように。主治医であるドクター・ロマンの医務室でメディカルチェックを受けて、チーム制服に着替える間も惜しんで急いで中央管制室へ走った。
中央管制室のドアが見えた所で、廊下が大きく揺れて弾んだ。わたしは上手く踏み留まれず、廊下でこけた。
「いたた……警報――?」
起き上がる前、床を這ってくる白い煙にわたしは気づいた。噴煙の匂い。それに、妙に暑い。
わたしは思い切って中央管制室に飛び入った。
愕然と、した。
管制室は無残な有様だ。床が抉れ、天井が剥がれて瓦礫が散乱している。
衝撃で溶液から抜けたコフィンのいくらかはヒビだらけ。
こんなんじゃ、生存者なんて――
「フォウ、フォウ!」
この声は、カルデアではわたしにしか懐いていないモコモコ生物、フォウさんの鳴き声だ。
鳴き声が聞こえたほうへ進むと――少女がいた。
瓦礫に潰されて上半身しか見えない。押し潰されて逃げられないでいる。
わたしはその彼女に駆け寄って、顔をよく見るためにしゃがんで、愕然とした。
「あ、れ? マシュ先輩、だ」
このカルデアで唯一わたしを「先輩」と呼ぶマスター適性者。
「リカさん……」
ぼんやりした表情のリカさんと裏腹に、床に広がる血だまりはどうしようもないデッドラインを告げている。
わたしは手をパーカーの袖で覆って瓦礫を持ち上げようとしたけれど、とても、16歳女子に持ち上がる重さじゃない。早々に息切れしてしまった。
「先、輩。いい、から。にげ、ないと、隔壁、が――、あ」
彼女はカルデアスを見上げたので、わたしも釣られて見上げて、二度目の愕然。
カルデアスが、真っ赤に染まる、なんて。
呆然としている間に、中央管制室の隔壁が無慈悲に閉まった。
「せん、ぱい」
弱々しい声がわたしを呼ぶ。
「なまえよんで、ほしいです。さんづけしないで、よびすてで」
この、子は。
生きているだけでも間もなく消えてしまう灯火を、わたしに名を呼ばれたいなんて、ささやかなお願い事に使った。
その心意気に応えないで、何が「先輩」か。
「リカ。大丈夫、リカ。わたしが付いてる」
こんな空返事しか言えない、無力な先輩を、許して。
せめて最期までそばにいるから。名前を呼び続けるから。リカ、リカ――
目を覚ました場所は、廃墟だった。しかもただの廃墟じゃない。街全体が大火災の真っ只中だ。こんな場所に転移してよく無事で――
はっとした。あの時一緒にいたリカはどうなった?
幸いにもリカはすぐ近くの道路に倒れていた。
安心してリカに手を伸ばして、その腕が普段から見慣れた色をしていないことに違和感を覚えた。
腕だけじゃない。太腿も腹部も背中も肩も。今のわたしは少女用にチューンナップされた甲冑を着ている。右手には、意識するまで気づかなかった、甲冑と同じ色の大盾を握っていた。
“君にあげよう。僕の盾も魂も想いも。だから――”
ああ、そうだった。
10年前。わたしがまだ6歳だった頃。わたしは一つの特殊な施術を受けた。
英霊融合。デミ・サーヴァント実験。
6歳のわたしには目覚めなかった力なのに、何故か今になって目覚めた。
しかもサーヴァントとしての契約のパスは、倒れたリカと繋がっている。確かに感じる。リカはわたしのマスターだ。
「フォウ!!」
っ、殺気!?
霊基が戦い方を知っている。体が自然と動いて、一定方向へ盾を突き出した。
直後、赤く鋭い狙撃が雨あられと振って来て、盾にぶつかった。
事前資料を思い出す。――特異点F、冬木市。2004年。ここでは聖杯戦争と呼ばれる大魔術儀式が執行された。
七騎の英霊を召喚し、魔術師がサーヴァントとして使役して戦い合わせるバトルロワイアル。勝ち残った一組にのみ、万能の願望器・聖杯が与えられる。
この攻撃はサーヴァントによるものだと、わたしの霊基が告げている。この狙撃は、明らかに、わたしではなくマスターのリカが狙いだ。
わたしは攻撃がやんだ隙間を狙って、乱暴にリカの体を肩に担いでビルの陰に隠れた。
ここからどうするか。建物の陰を縫って進むのは簡単かもしれないが、そもそもわたしたちには確固たる目的地がない。どの方向に逃げれば安全かも分からない。
「ぅ……」
「リカ! 目が覚めた? 怪我は大丈夫?」
「マシュ、先輩? あれ、あたし、生きて……」
リカの体を慎重に地面に降ろした。
そう、だ。あんな大怪我をしたはずなのに、リカは無傷だ。制服に血糊一つ付いていない。
フォウさんがリカの膝に飛び乗って、リカの頬にふさふさした毛を擦り寄せた。
「あの、先輩。ここは……? あたし、管制室にいたんじゃ」
「そうね。そこから説明しないとね」
完全に余談だが、わたしの口調はリカに対してのみこういうふうに砕ける。リカが、敬語なしで話してほしい、といつだったか言ったからだ。
「落ち着いて聞いて、リカ。ここはわたしたちがレイシフトする予定だった、2004年の日本の冬木市で……」
「フォフォウ!!」
っ、またあの赤い狙撃!
「ごめんね、リカ! ちょっとだけ待って!」
「え? ――きゃああああ!!」
盾を斜め80度に構えて赤い絨毯爆撃をやり過ごそうとした。
ちらりと見下ろすと、リカは事態に付いて行けてないで、涙目でわたしの背中にしがみついている。
――どこのどいつか知らないが、わたしを「先輩」と呼び慕う女の子を、泣かせた。
ついに、わたしは――キレた。
「わたしの後輩に、手を――出すなあああああ!!」
コンクリートを抉る勢いで盾を突き立てた。盾の面積は見た目より広く、降って来る矢の尽くを防いでみせた。
ようやく矢の雨は止んだ。