さて、キルヒアイスがカストロプと舌戦を繰り広げ始めた頃まで時は遡る……
「リンチ
「よろしい。大変結構だ」
相変わらずの……それこそ、かつて自分が指揮していた記憶の中の自由惑星同盟の正規軍すらも大きくしのぐ練度の高さに、今はキルヒアイス麾下にあるヴェンリー警備保障の途別編成艦隊を率いるアーサー・リンチは大いに満足を覚えた。
本来はヴェンリー財閥、より細かく言うならヴェンリー警備保障保有の”民間船”なのだから、工作
(人生とは実に奇妙なものだ……)
号令の前に、リンチは少しだけ”ニーズヘッグ”……かつては別の名を持っていただろう同盟の
☆☆☆
敗北した自分は全てを失ったと思った。
ヤンの口から国にも、軍にも、家族にも裏切られたと聞いたときには絶望すら感じた。
だが……
『アーサー、君はここで”終わり”じゃない。まだ”これから”がある以上はね』
そして人生は大きく変転した。
”泣くな、復讐しろ。最高の復讐とは幸せになることだ”
とは同じくヤンが語った言葉だったか?
(なら、きっと俺は上手く復讐できてるのだろうな……)
プライベートでは、ショートカットの髪形がよく似合ううら若き愛らしい妻に、妻との間に恵まれた目の中に入れても痛くない可愛い子供達。
仕事では、率いるのが私設艦隊と聞けばかつて正規艦隊を率いてたと聞けば都落ち感はあるかもしれないが、それが既知宇宙最大の財閥であるヴェンリー家のそれとなれば話が違う。
艦船などの装備から下級兵員に至るまで、ハード/ソフト共に質/量共にかつて自分が率いていたそれを遥かに凌駕しているのだ。
そもそも自分は同盟軍人時代には、ついぞアキレウス級など座上したことなどなかった。
無論、給与一つ見てもかつての比ではない。
”アーサー、私は支払った給料分以上の仕事は求めない主義なのさ”
今の上司はそう語る。
『忠誠なんて物は君の給料には含まれていない。君はただ給料に見合った働きをしてくれればいい』
(つくづく不思議な御仁だ……)
今でこそ
『最近の自由惑星同盟の政治家も軍人も忘れがちだけどね、本質から言うなら同盟軍は”市民軍”なのさ。つまり市民が同じ権利と義務を持つ市民を守るために抽出され作られた組織……だから国家やら正義やら大儀やらを言い出す前に、市民を守ることを最優先せねばならないのさ』
自分がどう返答したかはよく覚えてないが、耳が痛かったのは覚えている。
『なぜだかわかるかい? 単純明快、市民が軍のスポンサーだからさ。理想や幻想を省けばそう言う結果にしかならない。君たちが消耗するトイレットペーパーから軍艦まで、その財源は全て市民の血税だ。ならそのスポンサーの意向に沿うのが、本来のあり方じゃないのかい? 民主主義国家の軍人は、聊か特殊とはいえ所詮は公僕、つまりは公務員だ』
『少なくとも自由惑星同盟における公務員の定義、あるいは理念とは「国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当っては全力を挙げてこれに専念しなければならない」だったはずだね? では、同盟軍が市民に提供できる”公共の利益”とはなんだい?』
それもまた答えに詰まった。
『自由惑星同盟の成り立ちから考えれば、同盟軍に求められる公共の利益とは”圧政を旨とする帝国や暴虐極まる貴族から、力なき市民の命とその財産を守る”ことさ。その本質を考えれば、今の同盟政府も軍もその本質から大きく逸脱しているけどね。それとも手段と目的が逆転してると言ったほうがしっくりくるかな?』
リンチもそれは薄々心のどこかで感じていたことだ。
”同盟軍とは何か?”……入隊のときに同盟憲章に宣誓したが、それが形ばかりの誓いだったことはフェザーンにて奇しくも自分自身で証明してしまった。
『ああ、心配は要らない。アーサー、君が生まれる遥か以前からこの”歪み”は存在していたんだ。むしろ150年も断続的に戦争をし、国家が健全な姿を維持できるほうが異常だろうね。何しろ同盟だけでなく帝国にも”戦争を知らない世代”がいないんだから……この現状を、”戦争の恒常化”を異常と感じられないことこそ、もはやこの上なく異常なんだろう』
ヤンのその時の瞳をリンチは凝視しなくて正解だったろう。
何も底知れぬ深遠の闇を自ら進んで見る必要はない。
『さて、アーサー……君は幸か不幸か、同盟憲章に誓った責務から亡命と同時に開放されたわけだ。なら、君が新たに獲た責務はなんだい?』
☆☆☆
(プロフェッショナルとしての在り方……か)
リンチは気づかずに苦笑していた。
記録を読む限り
まさに”貴族の中の貴族”と言っても間違いはない。
だが……
(だが、同盟軍人だった俺以上に同盟を理解し、把握している……)
その時に感じたのは、そのどこか底冷えするような感覚は「敵に回らなくて良かった」という安堵だろうか?
「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」とは孫子の兵法の中でも有名な一説だが……ヤンはリンチから見ても
本来なら不思議と言う言葉で片付けられるものではないが……リンチは深く考えるのをやめる。
それはもしかしたら生物の持つ本能からの警鐘だったのかもしれない。
我が主はどうしようもない人誑しで、まるで
だが、その人的重力井戸の奥底を覗き込むのは極めて危険……好奇心は猫をも殺すという言葉もあるが、少なくとも相応の不退転な覚悟がいる。
もはや手遅れのような気がしないでもないが……だが、幸いにしてリンチは自分が想像していたよりは長い生涯で、ついぞ”ヤンの本当の深遠”にたどり着くことはなかった。
まあ、ヤン自身が”もう一つの生涯”を誰にも語る気がなさそうなので、今のヤンの同盟を見る鬱屈とした思いの源泉を察することが出来る人間は、キルヒアイスを含めてもいないだろうが。
「では諸君、」
今は目の前の仕事をまずは片付けるとしよう。
「棒給分の働きをはじめようではないか」
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リンチの命令の元、未だカストロプに感知されていない50隻の工作艦はヴェンリー財閥での秘匿名称”宇宙発破”、軍事用語で言えば”指向性ゼッフル粒子発生装置”を作動させた。
ナノマシン・ガイダンスに導かれた大量のゼッフル粒子は、ほどなくカストロプ静止衛星軌道上に並ぶ12基の無人重武装衛星群”アルテミスの首飾り”を飲み込むようにまとわりつきはじめる。
もし粒子を視認することができたのなら、きっとアルテミスの首飾りは環状の濃霧に覆われたように見えただろう。
いや、それどころか細緻な誘導がなされた危険極まりない粒子は、もしかしたら衛星内部までわずかな隙間を見つけ入り込んだのかもしれない。
「リンチ提督、キルヒアイス准将閣下より入電! 爆破要請です!!」
そしてリンチは待ちに待った瞬間のため軽く息を吸い込み、
「発破……!!」
刹那、カストロプの星には紅蓮に染まる灼熱のオービタルリングが出現していた!!
ヤンは人誑し……はっきりわかんだよね(挨拶
原作ラインハルトはリンチの劣等感や絶望、怨嗟に復讐心を煽って”同盟に仕込む毒”として仕立てましたが、この世界のヤンは(前世記憶から引き継いだ申し訳なさがあったことは否定できませんが)、真逆の選択肢を取り”自らの手駒”としたようです。
まあ、金があるからこそできる荒業と言えばそれまでですが(^^
ヤンは前世の反省から、「味方を吟味する」「吟味した上で味方を増やす」という方針のようですよ?