さて、赤毛の愛弟子に始まり燻し銀にヒグマ、諜報員に芸術家、猪に双璧コンビとにぎやかになってきたヤンの元帥府だが、もちろんこれだけで収まるわけはなく、
「やあ、エルンスト。誘いに応じてくれて嬉しいよ」
”こくん”
と頷いたのは別の世界線で沈黙提督と名高い、ザ・チェックメイト”エルンスト・フォン・アイゼナッハ”だった。
出会いのいきさつも、この変わり者に似合う一風変わったものだった。
アイゼナッハが輸送艦艦長だった時代、一刻を争うような緊急時において被補給対象の巡航艦に自分の輸送船を併走させ、文字通り宇宙空間で『投げ渡す』という離れ業をやってのけた場面を、たまたまヤンが目撃したからだ。
『口ではなく行動で示すタイプか……うん。コミュニケーションには苦労するかもしれないけど、悪くないね』
これがアイゼナッハを知ったときのヤンの最初の評価だったらしい。
他にもこの二人の繋がりがあるとすれば、”三次元チェス愛好の士”ということだろうか?
実際、時間が合うことが前提だが、この二人はよくネットワーク回線を通じてオンライン対戦をやってるらしい。
無口ではあるが堅実に確実に仕事をこなし、「良い仕事とは、地味で地道な作業の積み重ねから生まれる」ということを良く知っている……あるいは体現してる男だろう。
性格は真面目で温厚、だが投機的な作戦も顔色一つ変えずに執行できる豪胆さもきちんと併せ持つ。
なんとなくその在り方は、主人に従順な大型犬を連想させる。
正面戦力最優先の帝国にしては珍しく、前世の経験から敵味方を問わず情報と
そこからもヤンの沈黙提督に対する高い評価が垣間見えていた。
☆☆☆
無論、来訪はまだ続き……
「君がコルネリアス・ルッツかい? 話は聞いてるよ。妹が世話になったようだね?」
意外といえば意外なことに、この世界においてルッツをヤンに強く推薦したのはアンネローゼだったらしい。
話は例の黒尽くめとの決闘まで遡る。
音と反動がたまらないという理由で火薬式の銃自体は愛用していたアンネローゼだが、流石に先込め式のフリントロック・ガンなんて21世紀でさえも骨董品な代物は範疇外だった。
この年代物のレクチャーを買って出たのが、身分を隠してお忍びで息抜きに通っていた火薬銃オッケーの射撃場で、知己を得たルッツだった。
どうやら別の世界線に比べ大幅に行動の自由があるらしい寵姫は、火薬式銃をこよなく愛する射撃仲間として決闘後もルッツと交流があったようだ。
「あのじゃじゃ馬……いや、
とにこやかに微笑むヤンだったが、ルッツにしてみれば冷や汗ものだった。
実は、貴族と縁のないルッツ、本当に最近までアンネローゼが寵姫だと知らなかったらしい。
そして彼女が何者なのか気づくきっかけになったのが……つい先日、彼女の「庭に射撃場のある邸宅」に招かれたところ……射撃場に合うようなジーンズ&Gジャン姿のアンネローゼと一緒にいたのが、
『よう来たの、若いの。儂のことは気にするでない。ただ火薬式の銃とやらに興味をもった通りすがりのご隠居Fじゃ』
そう快活に笑う、アンネローゼと同じような系統のラフな服装に身を包んだ筋骨隆々とした老人……それが誰だか気づいたルッツは、思わず卒倒しそうになったらしい。
よくよく考えてみれば、この老人……若い頃には市中で金がないのに飲んだくれて、皿洗いさせられたなんて逸話が残っているのだ。
そのすぐそばには、店に入るなり友人の予想外の姿に笑い転げる先々代のヴェンリー子爵家当主がいたりするのだが……
ともかく、この手の行動は年季の入り方が違っていた。
蛇足ながら……銃の撃ち方を覚えた老人は、『なかなか当たらんのが逆に愉快じゃのう。何やら人生のようじゃ』とアンネローゼに負けず劣らずのハッピーなトリガーっぷりを見せ付けたそうな。
ほどなく、神聖にして不可侵な銀河皇帝の装飾品に、火薬式の”黄金の拳銃”が追加されたという噂が流れたらしい。
☆☆☆
そして、ルッツとくれば次は当然……
「”アージュ”、久しぶりだね? 息災なようで何よりだ。その後、奥さんとご子息の具合はどうだい?」
ヤンの言葉に苦笑しながらアージュこと”アウグスト・ザムエル・ワーレン”は、
「ええ。母子ともども元気ですよ。閣下」
ワーレンはヤンに大きな
今から数年前ワーレンは、ヤンが大きな戦いがないときに功績稼ぎに行われる軍務、定期哨戒任務に出た時、副長として同行したことがあった。
ちょうど彼が28歳のときのことだ。
奥さんが身重だと知ったヤンは任務が終わったら残務は他の人間に任せすぐに家へ帰るように伝え、しばらくの有給休暇の申請も取り付けた。
事態が急変したのは、帰港しワーレンが急いで帰宅しようとした直後のこと……妻が突然、産気づいたというのだ。それも危険な状態だったという。
それをそばで聞いていたヤンはすぐに執事のシューマッハへ連絡を入れ、ドクターヘリをワーレン夫人の下へ向かわせるよう手配し、同時に貴族
無論、ワーレンへは直ちに病院へ向かうよう促すのを忘れなかった。
後で話を聞けば、合併症を引き起こしており、もう少し遅れれば危ないところだったらしい。
おまけに赤ん坊は逆子であり、母子共に危険な状態だったが、帝王切開でなんとか無事に出産……という男が経験することのない修羅場だったようだ。
遅くてもアウト、産婦人科医の腕が悪くてもアウト……その両方のアウトを覆したヤンという男に、ワーレンは強い尊敬と感謝を感じると共に、いつかこの大きすぎる借りを返したいとずっと願っていた。
だからこそ、これこそ神々が与えてくれた好機、とワーレンは改めて決意を固めるのだった。
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さて、一回ヤンの元帥府から視線を外してみよう。
場所は惑星オーディンの、ちょうど市街を抜けて郊外へ通じる道路の上だ。
「ファーレンハイト先輩、相乗りさせてもらってすみません」
「いいさミュラー。ちょうど俺も元帥府へ向かうところだったし」
と助手席に座る”ナイトハルト・ミュラー”に優しげに微笑むのは、先のアスターテ会戦の活躍で中将に昇進した”アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト”。
彼がハンドルを握るのは、中々瀟洒なリトラクタブル・ハードトップ・タイプ(幌ではなく閉めると普通の車のようになる硬質素材の開閉屋根があるオープンカー)のスポーツ・クーペ。名は”WMW645SCi”。
中将に昇進して給料が上がったのに気をよくしたのか、珍しく奮発/散財に踏み切り最近買ったばかりの彼の地上における相棒だ。
よほど気に入ってるのか、ハンドルを握るファーレンハイトの横顔はかなり上機嫌そうだ。
ちなみにどこかで聞いたことがあるような会社名WMW(ヴェー・エム・ヴェー)、公式名称は”
歴史は意外に古く、ヤンの四代前……大祖父の時代、ヴェンリー領の領民の大半が中産階級になることを見越し、「領民にも一家に一台の自家用車を!」というコンセプトの自動車、いわゆる”大衆車”を大量生産するために起業された自動車メーカーだ。
そしてヤンの生まれた頃には、少なくともヴェンリー領の領民は一家に一台の自動車があることは当たり前になっている。
企業の理念を忘れぬために未だ大衆車が主力だが、いまやシェアを拡大し大金持ちか貴族しか買わないような車もカタログやショールームに加えていた。
蛇足ながらファーレンハイト、ヤンの配慮でこの車を社員割引&社員向け無金利/無担保ローンでお買い上げだったりする。
この抜け目のなさは、流石食い詰めというところか?
もっとも普通にヤンに頼めば、各屋敷で乗られる機会もなく眠っている車を『好きなの持っていくといい』と軽く貰えそうだが、まだ付き合いの浅いヤンに施しを受けるのはプライド的にも躊躇われたのだろう。
いや、単にヤンが保有してる車が庶民の平均年収の二桁年分が当たり前のアホ高い超高級車ぞろいで、年間維持費を想像したら青くなっただけかもしれないが……
とにもかくにも着任する中では若手二人、この様子だと程なく無事に元帥府に着きそうである。
ファーレンハイト、愉快なお兄ちゃん化計画!(挨拶
1話あたりの新キャラ登場数のタイトルホルダーになりそうな回です(^^
アイゼナッハ、ルッツ、ワーレン……渋い三人ですが、実はしっかりとヴェンリー兄妹に縁があってでござるの巻。
そしてそこそこな高級車に乗ろうと、やっぱりファーレンハイトはファーレンハイト、貧乏性……もとい生活力があるのは変わらない。