Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~ 作:Me No
大変長らくお待たせいたしました。連載再開です。
後の世に聖魔大戦時代と呼ばれ恐れられた時代を私は駆け抜けた。
単騎で長年の種族間戦争を終結させた英雄。
一夜にして国を壊滅の危機に追い込んだ魔王。
国家戦争の際に神の力を行使し、十数万の兵士を虐殺した魔法詠唱者。
あらゆる国の寂れた村を標的とし、狙われた村の住人は例外なく皆殺しにされた旅する虐殺者。
ある国の領土を根城とし、滅ばされた今でも領民から恐れられている鮮血の吸血鬼。
そして――たった一つの魔法で国を一瞬で焦土化した竜王。
突如として個でありながら国の存亡すら揺るがすような桁違いの超越者達が数多出現し、この世界に生きる全ての力無き種族はただ震え上がるしかなかった激動と動乱の時代。
黒の聖者はそんな時代を静かに生きていた。
私が今、ここでこうしているのはあの人のお陰だ。
毎夜、その日に起きた出来事を書き留める習慣など、あの人と出会わなければ身につけようとは思わなかっただろう。
私が持つ日記帳は黒の聖者からの贈り物で決してページが尽きることはない――だけど日記帳の厚さは変わらないという魔法の一品だ。
当時の私は魔法について疎く、あの人が凄い人であるのは分かってはいたが真実では理解出来ていなかった。
あの時、全てを理解していたならば――この世界はどう変わっていただろうか?
一人眠りにつく時に思い出すのは、幸せだったあの日の記憶。
唐突に両親を失い押し潰されそうな不安に苛まれていた自分を抱きしめてくれた優しい両手。
砂糖菓子にたっぷりの蜜を絡ませたような甘い罠でからかっては意地悪い笑みを浮かべる相貌。
私のどうしようもない過ちを静かに問いただした時の冷たい視線。
それら全てが私の心を捕らえて離さず、私があの人の虜になるのに長い時間はかからなかった。
聖魔大戦時代は苛烈な動乱の時代だったが、その反面で知や才、そして美に優れた者達が多く出没した華やかな時代でもある。
私は運の良い事に、後の歴史に語り継がれることになるだろう様々な超越者達との出会いに恵まれた。
当然、天上の美を有する人達を目にする事もあった。
それでも私は未だあの人ほど筆舌に尽くしがたい程の魅力溢れる人物を見たことはなく、この先も見ることはないだろうと確信している。
眠る前のまどろみに揺られながら、私の運命を大きく決定付けることになったあの街での出来事を思い出す。
本当に、あの出来事は――。
◆
「では、エンリ。よろしく頼んだよ」
「はい。任せてください」
エンリは村長の言葉に頷いた。
カルネ村から一番近い都市である城砦都市、エ・ランテル。
村に住む誰かがこの都市に赴くというのはカルネ村にとっては大きなイベントであり、重要な意味があった。
誰かが何がしかの目的で城砦都市に赴く際は村中の用事を頼まれる事になる。
必要な物資の買い付け、新たな移住者の募集の確認等々、単に自分の用事を済ませればそれで終わりというわけにはいかないのだ。
それだけではない。
城塞都市に続く街道は比較的安全とは言え凶暴なモンスターや野盗、野犬や狼に出くわす可能性は零ではなく、その旅路には己の命がかかっている。
運良く城塞都市に着いても、それで安心というわけにもいかない。
街中でも危険はある。
寒村に住む田舎者など都会の犯罪者から見れば良いカモだ。
それ故に村の人間が都市に向かうのは、それなりの事情がある時に限られる。
おいそれと旅を楽しめるほど、この世界は人に優しく出来ていないのだ。
だから、村を離れる際はある種の緊張と覚悟を伴った難しい顔をしてしまうことが常なのだが、今回は違った。
「随分と楽しそうじゃな、エンリ」
「えっ?」
村長はエンリの顔を見て、嬉しそうに言った。
本来なら都市に行くのは村でも腕っ節に自信のある男達の仕事だ。
しかし、惨劇からの復興もままならない現状では、そんな余裕は無い。
長年、自衛という発想を欠いていたカルネ村にとって、今回の事件で武器の必要性を嫌と言うほど感じることになってしまった。
それ故に自らの身を守ることが出来る武器を村の皆が求めている。
それだけでなく悲惨な事件で失ってしまった物資の補給も必要だ。
だからこそ、都市に向かうという危険なおつかいをただの村娘であるエンリに任せたのだ。
残酷な物言いだが、運悪く両親を失ったエモット家は村では最も価値が無い。
今回はエンリ自身が望んだからというのもあるが、仮にエンリが望まなくても城砦都市に向かう役はエンリが選ばれる事になっただろう。
本来なら、村長もその事を心苦しく思っただろうが今は羨ましいくらいだ。
「なんせサエグサ様と一緒だ。自分の家にいるより安全だろう」
貧乏くじでしかない街へのおつかい。
それが現在はカルネ村で今一番就きたい仕事になっていた。
今回の城塞都市へのお使いは村の救世主が同行するのだ。
王国戦士長ですら一目を置く彼女と一緒ならモンスターや野盗など恐れるに値しない。
都市内においても貴族のようにしっかりした見識を持つ彼女といれば、安心して都市を回ることが出来るだろう。
安全が保障されるのであれば、都市へのおつかいは退屈な村の生活に飽きた村人の最大の楽しみと言っても良い。
「御主なら大丈夫だと思うが、くれぐれも失礼のないようにな」
「はい。留守の間、妹のことを宜しく頼みます」
エンリと村長は視線を広場の方に向けた。
そこには村の子供達と一緒に自らと同じくらいの背丈の猫と追いかけっこをするネムの姿があった。
「勿論だとも。だが、村の者の助けなど不要だろう。なんせ、サエグサ様のお知り合いが戻ってくるまで面倒を見てくださるのだから」
二人の視線がネム達から横に移動する。
そこには老紳士と美女が村の大人達に囲まれて談笑しているのが見えた。
「復興の目処が着くまでこちらに滞在し、私達の手伝いをしてくれるそうだ。本当に、あの方には感謝しかないな」
村長の目尻には感動の涙さえ浮かんでくる。
物語でしか知らない本物の貴族がそこにはあった。
民から税を毟り取り、戦争へ駆り立てる現王国とは真逆の在り方に村人達の信頼は更に厚くなり、それは信仰へと変わりつつある。
尼僧服に身を包む彼女は何らかの神を信仰しているのだろう。
サエグサ様が信仰する神なら自分達も信仰する――それは妄信……或いは狂信に近い類の感情だ。
「エンリ。用意は出来た?」
「えっ?」
そんな彼女と村長の後ろから知らない声が聞こえてきた。
二人は後ろを振り返って、驚きの余りに言葉を失う。
そこにいたのは金髪の剣士。
背丈はエンリと同じで剣士にしては線の細い青年だ。
上下共に皮鎧の上から漆黒と真紅の竜鱗を貼り付けたぴっちりとした軽装鎧を纏い、そらにその上に白地に金糸の入ったベスト。
胸地には二人は知らないがアインズ・ウール・ゴウンに所属する者であれば誰もが知る「みかか」を意味するサインが描かれている。
腰に下げた細剣は美術品のような拵えで一目見ただけで名のある名剣だろうと予測がつく。
「ど、どちらさまですか?」
「……?」
男性が小首を傾げ、金髪の髪がサラリと揺れた。
男性にしては少しばかり珍しい長髪は中性的な印象を見る者に与えるだろう。
「へえぇ。私が誰だか分からないの?」
その容姿にあつらえたかのように男性にしては細く、女性にしては低い声でエンリに問いかける。
少しばかり鋭い視線が眼鏡のレンズ越しにエンリを射抜いていた。
「ご、ごめんなさい」
信じられないくらい綺麗な人なのだが、その視線の前に気圧されてしまいエンリは小声になってしまう。
「ふふっ、仕上げは上々といった所かしらね。私よ。私」
「えっ? そ、その声……」
「まさか!」
聞き覚えのある少女の声に村長とエンリは驚愕を露にした。
剣士は自らの髪を掴んで引っ張ると金髪の髪がスルリと抜けて、少し癖のある黒髪が姿を見せた。
「ミカ様?!」
「驚いた? ウィッグを被って、眼鏡をしただけでも印象なんて大きく変わるでしょ?」
二人は悪戯が成功したことに機嫌を良くした救世主にコクコクと頷く。
カルネ村の人間はウィッグなど見たこともなければ存在すら知らない。
知っているのは城塞都市や王都では自分の髪の色を変えてる者がいるらしいという噂くらいだ。
それだけにみかかの手に持つ髪の毛の束を信じられない物でも見たような視線を送っていた。
「その、背も高くなってますけど?」
「ああ。ヒールよ」
エンリの疑問にみかかはズボンの裾をあげることで答える。
地面につくほど延びている裾から竜を素材にして作ったハイヒールが姿を見せた。
防御機能より攻撃機能を重視した造りとなっており、実際腰に下げた剣より攻撃面での性能は高く信頼出来る武器である。
「そんな靴があるんですね」
だが、ヒールなど見たことのないエンリからすれば「随分歩きにくそうな靴だな」という印象が強い。
「さっきの声は別人のようでしたけど、どうやって?」
「ふふん。それはある方のお墨付きを頂いた私の演技よ。見事な少年声でしょう?」
みかかの声が再び先程の声に変わった。
二人はそれを見て「おおっ」と声をあげる。
そもそも他人の声真似をするという発想がないカルネ村の住人にとって、自分の声を変える演技はそれだけで魔法の類に見えてしまう不思議なものだ。
「いやぁ、見事なものですな。ですが何故、サエグサ様は男装などを?」
村長は気になって問いかける。
「あら? だって、私のような美しい女性が街に行けば至る所から声をかけられるでしょう? だからよ」
「ああ、成程。確かにそうでしょうなぁ」
村長は納得がいったとばかりに大きく頷いた。
(うーん。でも、男装をしたらしたで声をかけられるんじゃ? 男の人なら大丈夫なのかな?)
エンリにはまったく縁の無い感覚なので何とも言えなかった。
しかし、女性の姿をしているよりはマシだと言うのは流石に理解出来た。
……理解出来たのだが。
エンリはどうしても気になって、視線をある一点に集中させてしまう。
(ミカ様。あの胸は何処に?)
村の救世主のトレードマークとも言えるのが、あの見た目に反比例した豊満な胸だ。
それが今は露と消え、見事に無くなっていた。
(鎧で締め付けてるのかな? 相当苦しいんだろうな)
それなのに普段と変わらない態度で自分達に接しているのは凄いと思う。
そんなエンリの疑問を他所に、むしろ身軽になったみかかは再びウィッグを被り、一度咳払いをしてから一言。
「では、参りましょうか? 私のお姫様」
「は、はい」
絶世の美少年に転じた村の救世主は自然な動作でエンリの手を取って馬車までエスコートする。
エンリは自分の頬が熱くなるのを感じていた。
村の入り口には幌の無いむき出しの荷馬車が止まっていた。
荷台などは粗雑な作りだが、馬だけがやけに立派でアンバランスさが目立つ。
それもその筈、これはつい先日、村を襲った法国の騎士が乗っていた軍馬だからだ。
「よっと」
救世主の少女、いや今は少年か――それはともかく、軽い口調で呟くと重力を感じさせない軽やかな動きで御者台に飛び乗った。
その軽業師のような動きに感心しつつ、エンリも御者台に乗る。
「忘れ物はない?」
「えっと……」
後ろを向くと荷台を確認する。
薬草の壷とその他の荷物と一緒に一匹の黒猫の姿もあった。
「はい。大丈夫です」
「了解。では、行きましょう」
そして村中の人間に見守られる中、馬車は行く。
目指すは城砦都市エ・ランテルだ。
◆
城砦都市エ・ランテルまでは荷馬車を使って行くことになる。
カルネ村の人間がこの城塞都市に赴く際は朝早くに出立し、その日の内に到着するのが理想だ。
戦う術を持たない村人が草原で夜を明かすのは危険だからである。
だが、それは力を持たぬ村人の場合の話だ。
訓練された騎士の一団を容易に全滅させるような人物がいれば何の恐れもない。
そういう訳で夕日が草原を染め上げる中、ポコポコという音が似合いそうな雰囲気で荷馬車は街道を進んでいた。
昼を過ぎた頃にカルネ村を出立し、とうとうここに至るまでエンリは一言も声を発することはなかった。
いや、正確には出立する前に会話はあった。
「何も心配することは無いわ。例えドラゴンが馬車を襲ったとしても貴方を守ってあげる。だから、貴方はこの旅を楽しみなさい」
それだけ言うと村の皆が恩義を感じる人物は姿を消した。
隣にいる自分のことなど、まるで存在しない物であるかのように彼女の瞳には写らない。
ただ、真剣な顔で周囲を観察していた。
鬼気迫るその表情を前に、とてもではないが声をかけることは出来なかった。
当初は、エンリが苦手とする彼女の側面――冷酷な彼女が顔を出したと思っていた。
だが、横目で何度か盗み見してる内に違和感に気付き、自分のことなど気にも留められてないようなので遠慮なく顔を観察してるうちに理解出来たことがあった。
その顔に余裕はなく視線は忙しなく辺りを彷徨っており、時折見えない何かを探すように遠くを凝視したりする。
すぐに違和感の正体に気がついた。
仮に自分が一人でこの街道を進んでいたら、似たような表情を浮かべていたのではないだろうか。
疑問が一つ氷解すると新たな疑問が沸いてくる。
たとえドラゴンが襲い掛かってきたとしても自分を守り抜くと豪語した女性にしては、あまりにもか弱い姿に見えた。
自分は彼女の凄さを知っている。
どんなに酷い怪我でも一瞬で何も無かったかのように癒した。
まるで魔法のように少女から少年に姿を変えた。
御伽噺のような人語を解する不思議な猫を連れてきた。
だけど、今の彼女はまるで暗がりを歩く子供のように見えるのは気のせいだろうか?
「そこら辺にしておいたらどうかの?」
そんな事を思うエンリの背中に人ではない生き物の声がかけられた。
「そろそろ日も落ちる。うちらはともかくエリリンと馬を休ませたほうが良かろうよ」
「………………そうね」
聞こえているか不安になるくらいの長い沈黙の後、みかかは返事をした。
「ここら辺で野営しましょうか」
「了解した。さて、エリリン。つまらん旅路になってしまってすまんのう。うちらは敵を全力で警戒しとったから話すことも出来なんだ」
「い、いえ!? そんな事ありません!!」
エンリは全力で首を横に振った。
今更ながらに申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。
ただの村娘である自分が何か出来るわけではないのだが、これでは本当にお姫様扱いだ。
「そうよ。私が警戒してたんだからエンリが不安に思うことなんか何もないわ。存分に道中を楽しめたでしょう?」
(う゛っ)
エンリはチラリとみかかの顔色を窺う。
真面目な顔だ――悪戯をする時の意地悪な笑みはそこにはない。
本当に集中して警戒にあたっていたのだろう。
自分がずっと顔を眺めていたことに気付いていないようだった。
「どう? 楽しかった?」
「えっ? えっと……」
「一人で何を楽しめと言うんじゃ? ずっと、横手に平原と森が広がる街道を走ってただけじゃろ」
「この景色を見てみなさいな。素晴らしいじゃない?」
まるで自分の宝物を自慢するように胸を張った。
エンリとシコクは何を言われたのか分からず一度互いの顔を見つめあう。
「何を言い出すかと思えば……ただの自然を宝石のように貴重なものだと感じる特殊な感性なんぞ共感出来るわけなかろう」
「そんな事無いわよ。ねえ?」
くだらないと断じるシコクから、エンリの方に視線を向ける。
自分の感性に共感してくれるのでは、という希望の視線だ。
「エンリはどう? あの遠くの山に行ってみたいと思わない? 目の前にある平原を走ったりしたいでしょ?」
「い、いえ。私には遠くの山も近くの平原も怖いものかな、って」
「怖い?」
みかかはエンリの言ってることが分からず、不思議そうに聞き返した。
「毒蛇がおるかもしれん平原なんぞ、どんだけ綺麗でも悠長に眺める気などせんということじゃろ」
「………………」
シコクの発言にみかかはムスッとした表情を浮かべた。
どうやら共感は得られないようだ。
深刻な大気汚染にさらされ、ガスマスク無しでは外も歩けない世界に住んでいた者から言わせれば、この何気ない風景だけでも感動せずにはいられないのだが……。
だが、その反応も仕方ないのかもしれない。
当たり前の大切さは失わないと気付かないものだ。
「……あっ、そう」
それだけ言うとみかかはエンリとシコクから視線を逸らして馬車を降りた。
「少しの間、周辺警戒を頼むわね」
「頼まれた」
みかかは早足で街道から離れた場所に向かう。
それを見守りながら、エンリはおずおずと黒猫に尋ねた。
「シャーデンさん。私、ミカ様を怒らせちゃったんでしょうか?」
「気にすることなか。うちもエリリンも正直な感想を述べただけじゃろ?」
「うーん」
エンリとシコクはどちらともなく風景に目を向けてみる。
「あの山にかかっとる白いのは雪かのう?」
「そうですね。この季節でも雪があるってことは相当寒いんでしょうね」
「雪が降るほど寒いときは部屋の内に篭るのが吉。よってあの山はどうでもよい」
「そう、ですね」
エンリもその意見には同意する。
開拓村にとって冬の厳しさは命の危機に直結することもある。
そんな山に行った所で何の得もないだろう。
「こっちの平原は毒蛇がおるかは知らんが、確実に虫とかいそうじゃな。走り回れば服に草の汁や匂いもつきそうじゃのう」
「ああ、それはあると思います。ネムもよく虫を捕まえてきたり、服を汚したりするんですよ」
「草の汁を吸った服とか洗濯するの面倒そうじゃの。よって家に篭るのが吉」
「……シャーデンさんって、外に出るの好きじゃなかったりします?」
「御名答」
「………………」
すでに20メートルほど離れた距離にいるが二人の会話は聞こえていた。
みかかは二人の会話に微苦笑を漏らす。
(まぁ、あの子は引きこもりだったからね)
みかかに言わせれば夏から秋と思われるこの季節でも外でウィンタースポーツに興じることが出来るかと思うと心躍る。
元の世界ではアウトドアスポーツ、レジャーの類は特別な室内施設でしか行うことが出来なかったからだ。
特に室内スキー・スノーボードなどは高級娯楽に代表され、一般人には縁の無い代物だ。
一般的にその手のアウトドアスポーツは安価で移動の手間がない体感型で済ませるのが主流である。
みかかが体感型のゲームを始めるきっかけになったのもその辺りが始まりだ。
そして、最終的には社会現象にもなった体感型MMOユグドラシルに手を出すことになる。
(最初は妹の趣味を理解しよう。相手をしてあげよう程度の軽い気持ちだったんだけどな)
当初は一人黙々と遊んでいたのだが、ある事件がきっかけでぶくぶく茶釜と出会ってDMMORPGの面白さを知り、ギルドに加入し、毎日遊ぶようになった。
そして、サービス終了日にログインしたら異世界に転送されるという異常事態に至っている。
物思いに耽るみかかの耳にエンリとシコクの会話がBGMとして聞こえてくる。
「気にすることなか。あの方はちょっと変わり者なんよ」
「……ああ」
(……失礼な)
釈然としないものを感じながら、みかかは目的の場所を見つけ出した。
「街道からは外れていてフラットな平地。これなら大丈夫ね」
みかかは用意していたマジックアイテムを取り出して展開する。
すると一軒のコテージが突如姿を現した。
「ええっ!? い、家が……いつの間に、何処から?!」
遠く離れた馬車からもその様子は確認できた。
エンリはいきなり出現したログハウスに驚愕を露にする。
「《グリーンシークレットハウス/緑の隠れ家》じゃね」
そんなエンリの驚きを他所にシコクはマジックアイテムの名前を明かす。
拠点作成系のマジックアイテムだ。
「お待たせ。エンリ。馬車ごと中に入ってくれる?」
みかかは早足で馬車に戻ると、エンリに指示を出す。
「えっ? 入り口が狭くて馬車は入らないかと」
「そこは心配しなくて大丈夫よ。私は外にいるからエンリの相手はお願いね」
「心得た」
エンリは馬車に合わせるように大きくなるコテージの入り口を見て唖然としながら中に進むのだった。
◆
「うわぁ~~。本当に広くて、天井も高い」
中は広く、エモット家など数件は入りそうな大きさがあった。
コテージで最も大きな一室を宛てがわれたエンリは忙しなく辺りを観察している。
(本当に、ミカ様って……凄い)
人の言葉を話す猫を連れ、魔法で家を出したりするなんて実際目にしても信じられない気持ちで一杯だ。
もう何度も驚かされているが、きっとこれから先も驚かされ続けるのだろう。
今度はどんな魔法を見せてくれるのだろうか?
まるで御伽噺を聞く子供のように楽しみで仕方なかった。
「ほい。エリリン――うちは調理スキルを所持しておらんから湯を入れると出来上がるものしか作れん」
「ありがとうございます」
テーブルに置かれたものは、たっぷりの野菜と肉が浮かぶクリームシチューだ。
色取り取りの野菜に、分厚い肉がこれでもかという位に詰め込まれており、空腹感が強烈に刺激された。
「他にも何か用意しようかの?」
「いえいえ、これだけで十分ですよ!」
それに、こんなごちそうを前にして我慢するのは拷問だ。
「そか。では、遠慮なくどうぞ。おかわりもあるけん」
そこでエンリは自分の分しか用意されていないことに気付いた。
「あの、家からパンを持ってきてるんですけど如何ですか?」
「ふむ。遠慮なく頂こうかの。適当な大きさにちぎってくれるとありがたい」
「分かりました」
エンリはパンをちぎって用意された皿に盛り付ける。
「はい、どうぞ」
「感謝する」
口に合うだろうかと心配になったが杞憂だったようで、それなりのペースでパンは消化されている。
そのことに安心するとエンリも食事を開始した。
「お、美味しいです! シャーデンさんは凄いんですね」
黒猫に料理の腕で負けるのは何となく心にくるものがあるが、素直に白旗を揚げる。
「うん? これは料理人が有する特殊技術で予め作られたものじゃから、うちが作ったわけではないよ?」
「そ、そうなんですか? あの、予め作られたって、どういう?」
「フリーズドライとかいったかの。まぁ、魔法みたいなものじゃと思えば良い」
「へえぇ」
やっぱり魔法は凄い。
後、色々ズルイ。
自分にも魔法は使えないのだろうか?
そんな事を思ってしまう。
(これが空腹が満たされるという感覚か)
エンリは口に合うか心配していたが、そもそもシコクは食物を口にしたのが初めてなので不味いや美味いという感覚がない。
シコクは幽霊――アンデットなので食事を必要としない。
しかし、憑依することで対象の種族的特長を得ることが出来る。
現在、憑依しているのは火車と呼ばれる50レベルのモンスターだ。
魔力系魔法を使用する動物形態と盗賊能力に優れた獣人形態というニ形態を持っている。
(肉のある身体と言うのも存外に悪いものではないの)
最後のパン切れを飲み込み、満腹感を味わうと、シコクはテーブルの上で丸くなる。
視界にはクリームシチューに舌鼓を打つエンリの姿が目に入っていた。
◆
「馳走になった」
「いえいえ。私こそ」
最初は何となくシコクが苦手だったエンリだが、接している内に少し慣れてきた。
たまに不気味な一面が顔を覗かせるが、普段は礼儀正しく不思議な黒猫だ。
「さて、空腹も満たされたし、少しはエリリンの気分も晴れたかの?」
「えっ?」
「正直、期待ハズレで落ち込んだのではないか? ミカ様の言葉を借りるわけではないが道中楽しめると思ってたじゃろ?」
「そ、そんな事は……」
「あるじゃろ? 荷台から御主を見ておったが、愛らしいふくれっ面じゃったのう」
「………………」
エンリは気恥ずかしさから視線を逸らした。
しかし、そんなエンリを見逃してはくれない。
テーブルをトコトコと歩き、俯いているエンリの顔を覗きこんでくる。
「ただでも、うちという邪魔者もおるからのう。二人きりなら誰に憚れることなく存分に甘えられたじゃろうに残念じゃったのう?」
「シャ、シャーデンさん!?」
思わず黒猫を捕まえようと手が動く。
しかし、その手は空を切った。
「すまぬすまぬ。つい、からかってしもうた」
「ううっ~~!!」
エンリは恨みがましげな視線を黒猫に向ける。
こういうところは本当に飼い主に似てるなと思う。
「これは申し訳ないことをした。もし、本気で気分を害したのなら丁重に謝罪させて頂きたい」
深く反省していることが分かる声にエンリは慌てた。
「あの、シャーデンさん」
「うん?」
「……これからする話はミカ様には内緒にしてくれますか?」
この場にはエンリとシコクしかいないが、エンリは気恥ずかしさから自然と小声になった。
「了解した。うちは交わした約定は決して違えぬ。誰にも喋らんゆえに安心してもらいたい」
「そ、それなら言います。シャーデンさんの言ったことは、当たってます」
誰に言われるまでもなく、エンリはこの旅を楽しみにしていた。
姉として、またエモット家の家長としての立場が邪魔していたが――本音を言えば、少しだけ妹が羨ましかったのだ。
それに彼女と接することで初めて知ったことがある。
自分は法律で結婚することを認められた年頃の娘だ。
だが、夢見ることはあっても実感として感じたことはなかった。
抱きしめられた時の柔らかさ、言葉に出来ない何かが心を満たす充足感、安心を与えてくれる優しい手の感触を。
自分で自分を抱きしめても、少しも温かくないし満たされない。
誰かと接することでしか満たされない何かがあることを知ってしまった。
「……そか。うちの読みは当たっちょるのか」
「す、少しですよ? ちょっとだけそうなったらいいなと思っただけで!」
「少し、のう? エリリンの少しはわりと大胆じゃのう」
「そんな事……」
ない、と言いかけてエンリは思わず口を閉じる。
ここで反論しても泥沼になる未来しか見えない。
だとしたら……。
「あの……こ、この話はこれくらいで勘弁して下さい」
エンリは素直に降参の白旗を揚げた。
部屋の中は涼しいというのに今にも汗が出そうなほど火照っている。
「うむ。では、話を変えることにしよか。実は最近困ってることがあるんよ」
「相談ですね! お聞きします」
話題が変わるのは幸いとエンリは話に食いつく。
「うちは勘の良さだけが取り柄なんじゃが、ここ最近精度が悪くての」
「ふんふん」
エンリは真面目な顔でコクコクと頷く。
「ミカ様もかなり期待してくれとるんじゃが、どうにも読みが当たらん。 そういう訳で、ちょいとご機嫌斜めなんよ」
「大変なんですね」
「うむ」
たしかに大変だ。
その八つ当たりで被害を被った可愛そうなジャンガリアンハムスターやトロールがいたりするのだから。
「さて、ここで一つ聞かせて欲しい。仮にカルネ村で何か方針を決める際、エリリン一人だけが皆と違う意見や感想を持ったとしたらどうかのう?」
「うーーん」
「例えばエリリン一人だけが村長の判断に疑問をもっておるとしたら、御主ならどうするかの?」
「……昔の私なら、自分が間違ってると思ったかもしれません」
エンリは真面目に思案してから答えを出した。
「ほう。今は違うと?」
エンリは頷いて続ける。
「参考にならないかもしれませんけど……カルネ村は外敵に対する囲いを設けていないんです」
森の賢王と呼ばれる魔獣の縄張りで開拓村が出来てから百年の間、モンスターに襲われたことはない。
ないから……油断していたのだ。
「多分、平和な状態で囲いを作ろうと意見しても通らなかったと思います。それに意見が通っても、備えを用意する事が出来たかは分かりません。どの開拓村もそうですけど、生活に余裕がないので余計なことは出来ないんです。だけど、それは間違いでした」
「ふむ」
「多くの人が支持するから正しいとか――そういうのではない、と思います」
「集団思考は、合理的な推測や仮説の立案すら妨げ、結果的には組織を存亡の危機にさらす可能性があるという事じゃな」
「え、えっと……難しい言葉を使われてるので良く分かってないんですが多分そういう事だと思います」
「それはそれで難儀な話じゃの」
エンリの目の前で黒猫は項垂れる――どうしたものか、といった感じだ。
「難しい話だと思います。シャーデンさんしか反対される方がいないなら尚更ですよ」
村でも時折多数決を取るときはある。
しかし、圧倒的多数を相手に反対意見を述べるのは思ったより勇気がいる行為だ。
それがよりにもよって一対多数となると胃が痛くなるような事案だろう。
「確かにどっちも大変じゃな」
「どっちもとは、どういう意味ですか?」
「一人で反対意見を述べるのが難しいことは自明の理じゃ。仮にその判断を選んだ挙句に間違いだったなら総叩きを喰らうからの。じゃが、大変なのは圧倒的多数の支持を得た長だって同じじゃろ?」
「そう、でしょうか?」
「皆がその判断に間違いはないと言う――これぞ正に神の采配だと。しかし、神は過ちを犯したりはせんのじゃろうか?」
「神様なら間違わないのかもしれませんね」
余りにスケールの大きい話に、エンリは苦笑を浮かべるしかない。
人間ならまだしも神様となれば話は別だ。
間違いを犯さないからこそ神と呼ばれるのだ。
「左様か。ちなみにエリリンは隠し事についてどう考えとるんかの?」
「……神様の御許に召されるまで自分一人の内に仕舞うべき事はあると思います。それを告げることで他人を不幸にしたりすることは特にそうです。でも、それを自らの内に隠すことで、他人までを不幸にするのであれば別だと思います」
「嘘も同じかの?」
「同じです」
「左様か」
そこで会話は途切れ、食卓を何ともいえない沈黙が支配する。
「……シャーデンさん。もしミカ様に隠し事や嘘をついているなら一緒に謝りに行きましょうか?」
まるで子を諭す母親のように優しい口調でエンリは尋ねた。
「いや……それは酷い誤解じゃ。うちは嘘はつかんよ」
「え! ……そ、そうですよね! シャーデンさんはそんなことしませんよね! 信じてましたよ!」
「……そういう事にしておくかの」
横を向いてわざとらしく笑うエンリを目にしながら、シコクは口元を綻ばせた。
シコクが隠し事について否定してないことに気付いていないようだ。
(……やはり読みは外れておらんかった。うちの能力は健在じゃ。失われたわけでもなければ、狂ってもおらん)
何故か、至高の御方々に関しては的を外すこともあるが――それならそれを踏まえて対処すればいいだけのこと。
(読みきれん物に何らかの法則性があるという所かの? それは御方々を悩ませとる異常事態にも関係してるとみた)
刺さった棘がシコクの心を軋ませる。
自分はみかかの質問に対する解答を提示出来なかった
主人は自分なら答えてくれると期待していたのに、だ。
それが悔しく――そして、どうしようもなく怖かった。
自身の力の有用性をアピール出来なければ、再び封印指定を受ける危険性がある。
封印されるということは『何もしなくていい』という事だ。
それはナザリックに所属するシモベ達にとって最高の恐怖であり、最大の罰だろう。
それだけは何としても避けねばならない。
他の誰にどんな評価をされようが知ったことではないが、造物主に無価値であると判断されるのは許容出来ない。
なら、悠長な様子見などしている場合ではなく、早急に本領を発揮するべきだろう。
「時にエリリン。さっき、うちはパンを馳走になったじゃろ? これは何かお返しせねばならんの。ささやかな願いならタダで叶えちゃるよ?」
「ささやかなお願い、ですか?」
むしろこちらがお礼をしなければいけないくらいだが、この黒猫の申し出は断るより受けたほうがいいだろうと理解したエンリは聞き返す。
「うむ。例えば……少し気になる男の子とお近づきになりたいとかどうじゃろ?」
「……少し気になる男の子?」
ニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべたシコクを見つめ返しながら、エンリは不思議そうに首を傾げた。
「……ううむ。エリリンもお年頃じゃろうに、その反応はまったく心当たりなさそうな感じじゃな」
シコクは呆れ顔で呟いた。
記憶を読んだ限りロクなアプローチもしてないのだから意識出来るわけもない。
「そうですね。村の男性で年の近い人は……」
「すまんかった……ちょっと期待しとったんじゃが、どうやら例えが悪かったようじゃな」
「いえ。でも、驚きました。シャーデンさんもそういう話しに興味があるんですね?」
人語を解するだけはあるとエンリは感心した。
猫の恋物語とは一体、どういう物なのだろう。
エンリも一人の女として大いに興味があった。
「勿論じゃよ。例えば――
「………………はっ?」
その言葉にエンリの思考は真っ白になった。
「うちはこう見えて魔法の扱いに関してはミカ様より遥かに上の使い手での。その中でも呪術というもんが得意でな。人を蛙に変えたり、水に塗れると男になりお湯を被ると元に戻るとか面白い魔法を扱えるんよ?」
「えっ? 男に、なる?」
(もしかして、ミカ様もシャーデンさんに魔法をかけてもらってる?)
真実は、目の前にいるシコクがみかかに男装するように指示しただけだ。
だが、この世界の常識では在り得ない魔法を目撃したエンリは、みかかが魔法で男性に変わったのだと思いこんでしまった。
「望みがあるなら叶えるよ? かぼちゃの馬車が欲しいかえ? 舞踏会に見合うドレスを用立てようか? 王子様との運命を繋ぐガラスの靴は欲しくない?」
「か、からかわないで下さい! シャーデンさん。私なんて――」
「――間違いなく、ただの村娘だの」
いつの間にか黒猫はエンリの肩に乗り、耳元で優しく囁いていた。
さながら魂の契約を迫る悪魔のように。
「ただ、ミカ様にとって特別な存在というだけ。それ位、誰に言われんでも理解しとるじゃろ?」
(……私が、ミカ様にとって、特別な存在?)
エンリは胸元で震えを抑えるように両手を合わせる。
そんな事、ある筈が無い。
いや、そうかもしれないが――そういう意味での特別ではない、筈だ。
「そうかのう?」
本当に勘がいい。
エンリの内なる声を聞き逃すことなく返事を返してくるのだから。
「自分に置き換えて、よく考えて御覧。高潔な英雄なら、御主だけを優遇するかの? 同性の友人なら、あれほど近しい距離で接するかえ?」
「そ、それは……その」
正論だ。
どれだけ否定の言葉を思い浮かべても――まさか、でも、もしかしたら、と言葉が浮かんでくる。
だけど、それも仕方ない事。
今迄、見たこともないほどの美しい者に壊れ物を扱うかのように優しく、恋人のように甘く接されたのだ。
恋を知らない少女が、淡い期待や妄想を夢見るのを誰が責められるだろうか。
(考えすぎると人は臆病になる。どこぞの小僧のように――じゃけど、この娘にはそれがない)
エンリの性格をシコクはよく理解している。
生来の性質なのか、あの事件で目覚めたのか知らないが、彼女は困難や問題を前にしたら飛び込むタイプだ。
そういう人間を思うように動かしたいなら、困難や問題を突きつけてやればいい。
そうすれば、自ずと飛び込んでくる。
後は当人が納得する理由を並べてやればいいだけだ。
「エリリン。ミカ様に好意を持っとる女性は意外に多いんよ?」
「えっ?」
魔法で男性なれるとしても抵抗はあるだろう。
しかし、同じ思いを抱くものがいれば安心感に繋がる。
さっきの話と同じだ。
「特に二人ほど熱烈なアプローチをしとる者がおってな。正直、女としての勝負では分が悪いじゃろうな」
「………………」
「二人はホームでエ・ランテルでのお使いが終わるのを今か今かと待ちわびてる事じゃろう。さて、お使いが終わったら、エリリンが次に会えるのは何時になるかの?」
不安を煽り、対抗心を植えつける。
ここまですれば、この少女なら必ず飛び込んでくる。
ここで何もしないということは、みかかを失うことになるからだ。
状況が悪くなることが分かっているのに放置する選択肢など、今の彼女には選べない。
後は野となれ山となれ、だ。
「まぁ、よく考えて欲しい。うちとしては協力したいところじゃけど、それは流石にささやかなお願いではない。もしも願いを叶えてほしいなら、うちの願い事も叶えておくれ」
「どんな願い事、ですか?」
小さく呟くその言葉は期待と興奮で震えている。
その顔は恋する少女であり、一世一代のギャンブルに挑む者の顔にも見える。
生贄の羊を見つめる瞳でシコクは交換条件を告げた。
「エリリン――御主、ちょいと一大決心して、うちらの所に来んかね?」
シコク「うちは呪術というもんが得意でな。例えば、これから御主が触れる液体は全て紅茶になる呪いとかの。重ねがけすると、茶葉の種類からたて方まで思いのままじゃよ?」
エンリ「お願いします! ところでミカ様が途中からフェードアウトされたんですけど……」
シコク「ギリースーツ着て外で警備中じゃ。ある島で最後の一人になるまで殺し合いやっとる時にケアパケから出てきたとか何とか……」
エンリ「ギリースーツ?!」
やっとこの話のトリックスター、シコクが行動を開始します。