ちいさなわたしのこえ   作:ゲンダカ

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#02 pleasure trip

「マリアさま、うるさいです」

「おういハンナ。その言い方じゃあ、まるで私がやかましいみたいに聞こえるよ」

「そうでした。大砲がうるさいです」

「まあ、わかってるけどさ。私に言われてもねえ」

 これで、何発目だろうか。大砲はその荘厳な音を、浦賀沖に響かせている。船乗り曰く、日本人への威嚇砲撃らしい。実際、これらの砲撃は全て空砲だ。どこかを狙って打ち込んでいるわけではない。

 でも、威嚇にすらなっていないような。

「おやぁ、ハンナ」マリアがとぼけたような声でハンナに話しかけた。

「なんですか」

「ほら、あそこ。ごはんたべてる」

「あ、ほんとですね」

 私たちの艦隊が浦賀沖に着艦したころ、既に浦賀は大混乱のさなかだった。

 そりゃあ、そうだろう――と、ハンナは思う。大砲を何門も携えた大艦艇が四隻も、急にやってきたのだ。うち二隻はこの国にはまだ存在しないであろう蒸気船。これらがどんちゃか空砲を撃つものだから、そりゃあ、驚く。

 しかし、しばらくして。

 彼ら日本人は「黒船」が自分たちに直接危害を加える存在ではないと知ると、その珍しい船に物見遊山で近づいて、その大きな砲音を花火ととらえて、やんややんやと楽しみ始めた。

「―――マリアさま。阿呆なんじゃないですか、日本人(こいつら)は」

「阿呆だろうねえ。こいつらの思考は私たちにしてみればめちゃくちゃだ。この狭っ苦しい島の中で、千年近く内戦を繰り返していたんだから。海に囲まれているからほかの国との交流は少ない。となれば、領土を取るなら自国内、だ。ちっちゃい領土を巡って、お互いに殺して殺されて。そのうえにこのざまだろう? 平時と戦時が地続きなんだろうさ」

「ふうん。こわいですねえ」

「と、いうわけで。ハンナ、ヒルダ」

「はい?」

「…………はい」

「せっかくだから、町へ行っておいで」

「は?」

 弟子二人の声が重なった。

 

 

―― ―― ――

 

 

 ハンナは上機嫌だった。

 見るも聞くも初めてのものばかり。その風景に、その在り方に、彼女は胸を高鳴らせていた。

(すごい、すごい、すごい!)

 土と木でできた家。

 すぐに脱げてしまいそうな奇妙な服。

 そして、活気に溢れたひと、ひと、ひと。

 藁でできた履物が、土に擦れてざりざりと音を立てている。

 建物の前に野菜や肉や魚を並べ、行き交う人へと声をかける人がいる。町じゅう、がやがやとうるさいようでいて、通りをひとつ外れれば、しん、と不思議に静まり返る。

 音に聞くジパングとは全く違うものだったが―――これはこれでいいものだ、と、ハンナは素直に喜んだ。

 浮かれた「おのぼりさん」になるもよし。旅人のように、ゆっくりじっくり見回るもよし。彼女は思う存分に、この浦賀の町を楽しむことができた。

 

 が、ひとつ、後悔もあった。

(…………人化の術、やっぱり覚えておけばよかったなあ)

 人気のない路地の壁際に座り込み、ハンナは小さくため息をこぼした。ふたつに結った黒いおさげをくるくると指で(もてあそ)ぶ―――彼女が何か、不満を感じているときにするクセだ。

(こんなカッコじゃお菓子だって買えないしなあ……盗るなんて、もってのほかだし!)

 周囲を土壁に囲まれた路地からは、店の立ち並ぶ大通りがよく見える。大通りからもこの路地はよく見えるわけで、彼女の姿も目に留まるはずだが―――彼女は、あまりに小さすぎた。

 妖精種(フェアリー)。おかしな魔法を自在に操る、ちいさなちいさな魔法使い………の、見習い。

 霊体と実体を使い分け、それぞれに強力な「固有魔法」を持ち、ふわふわと宙を飛び、とてとてと地を走る。

 彼女(ハンナ)は、そういう生き物だった。

 

 

―― ―― ―― 

 

 

 ハンナは、言葉が好きだった。

 人と人とを繋ぐ大きな手段。多くのヒトは、言葉によって意思疎通を行っている。

 そのくせ、言葉というのは不確実で不完全で、そのせいでヒトが争うことも少なくない。

 だからこそ、彼女は言葉が好きだった。その不完全さが、たまらなく愛おしかった。

 故に。

 彼女の固有魔法は、「翻訳(トランスレーション)」。

 言葉を愛した彼女は、その真髄へと至った。

 今、彼女がこうして日本にいるのもその能力あるからこそだ。

 異国民との意思疎通をより正確に、より誤解を少なくするために、師マリアに引きつられる形でペリーらと共に長い船旅に出たのだ。

 ハンナも、その師マリアも、噂に聞く「エド」を心待ちにしていた。

 が、実際に辿り着いたのはウラガであった。マリアは「仕方ないわなあ」と言っていたけれど、ハンナはそう簡単には割り切れなかった。

 異国を訪れたのなら、その国で一番栄えている都市に行かねば意味がない!

 そう考えた彼女は、浦賀の町をすらっと流し見たあとに、猛スピードで江戸の町へと向かった。

 この国は、空気中の魔力濃度がでたらめに高い。イギリス人のマリアがアメリカの艦船に乗り込むため、いろいろと暗躍したりコネを使ったりとかなり無茶をしたのも、それが理由だ。

 日本という国の調査。それが大魔導師マリア――と、その弟子のハンナとヒルダ――の目的なのだ。

 島国故に、魔力が国外に漏れることはなく、そしてその国民は魔法を使わないらしい。

 良質な魔力がたっぷりあるのだから、実験でも調査でもなんでもござれ。ペリーが国書を携えて日本に行くという情報を仕入れたマリアは、ありとあらゆる手段を使って、通訳及び魔法(メイジ)衛兵(ガーディアン)としてその一行に紛れ込んだのだった。

 そして今、ハンナは江戸に向かうために、その良質な魔力を手当たり次第に吸収し、全てを加速魔法で消費している。人々に見つからないように、鳥たちと同じ高さを矢のように飛んでいく。時速で言うと、だいたい200キロくらいで。

 位置は把握している。妙なところでしっかりしている彼女は、船であらかじめ浦賀からの距離も方角もキッチリ暗記しておいたのだ。

 

 たったの十分あまりで、彼女は目的の「江戸」に到着した。

 

 

―― ―― ――

 

 

 江戸の町は、浦賀とは比べ物にならないほど活気と人に満ちていた。

 満ちすぎて、イギリス育ちのハンナは、ちょっとそのなかをうろうろしただけでとても疲れた。

 だいたい浦賀で見たものと変わらないものばかりだが、あの町とこの町はやはり違う。人口がとてつもなく多い。

「ふんふん、ふ~ん」

 彼女は妖精。人前でその姿を晒すわけにも行かないので、ずっと霊体化して町をうろついた。無論、人がいないところならば実体化しても問題ない。

 川辺をゆくなら、やはり風を感じたい。人もいないし、草むらに紛れれば姿も見えまい。そう判断し、彼女は鼻歌交じりに川のそばをふわふわと飛んでいた。

 ちらりと、町ゆく人へと視線を向ける。

(…………物騒だなあ)

 多くの男が、その腰に剣のようなものを帯びている。

 現在、この国は「太平の世」だったはずだ。百年以上現行の政府―――幕府、といったか―――は揺らがず、大戦(おおいくさ)も特に無い。なのに、男たちは剣を持っている。それも、二本も。その装飾は千差万別で、まるで見せびらかしているようだ。

(……警察組織なのかな。にしては多いし……服装もバラバラだし……。あ、あれが町の人が言ってた、おさむらいさん、ってやつかな)

 そんなことを思いながら、彼女がぼうっと彼らを眺めているうちに。

 日が、既に傾いていた。

 

 

 

(――――む?)

 ふと、ハンナの目に留まる人がいた。

 腰に剣を一本しか携えておらず、髪型も多くの人々の珍妙な……ちょんまげ、というやつではなく、長い髪を後頭部でひとまとめにし、だらりと下げている。

 そして、何やら懐に、強力な魔力がある。

 おかしい―――と、ハンナは眉をひそめた。

 マリアさま曰く、日本人はこれだけ濃密な魔力のもとで暮らしていながら、その使いみちを知らぬそうだ。鎖国などと言って、他国との交流を避けていたせいなのだろう。

 なれば、アレはなんなのか。彼は、何を隠しているのか。

(―――――――)

 彼女は、仮にも魔法使いだ。この国に来たのも、マリア師や弟弟子ヒルダと共にこの地を調べるため。

 危険な事態になったとしても、彼女は妖精であるから、霊体化してひょいと逃げられる。マリア師から一通りの防御魔法も教えてもらっているし、多少の無理もきく。

 そういうわけで、彼女はその不審人物を追いかけてみることにした。

 

 険しい顔で歩く彼が、只者ではないとわかっていながら。

 


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