お姉さん曰く、クレーンも意外とわびさび。

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スーパー工作艦お姉さん

「だぁからあたしは購買の人じゃないの!手伝ってるだけなんだってば!」

 

 工廠へ向かう足を遮るのは型も制服もバラバラな駆逐艦達。さぁその手を放すがいい。これからあんた達の艤装整備するんだってば。

 手の空いている時でいいから、なんて言葉にほだされて手伝ったのが運の尽き。のんびり出来るのは悪くはないけどあたしにも仕事ってものがあるんだけどなぁ。

 

「購買に人がいなかったから……」

「制服は一緒だけどあんたらの艤装をいじるのがあたしの仕事なの。わかったらほら散った散った」

 

 セーラー服に群がられるのが嬉しい性質じゃないのでこの状況は非常に面倒だ。黒が基調のやつとか白が眩しいやつとか色取り取りに揃うんじゃないよ。目がちかちかする。

 おやつに買っておいたお煎餅を押しつけてどうにか包囲を抜け出す。これで夕方まで食べるものがなくなってしまった。お口が寂しい午後をどうやって切り抜けようかと考えていたところにちょうど問題児が通りかかった。

 

「夕立!あんた主砲の扱い荒すぎ。もうちょい丁寧に扱うこと。整備大変なんだよ、あんたの」

「えぇー、そんなにですか?」

「戦闘中に壊れなかったのが不思議。以後気をつけること。わかった?」

「はぁーい……」

 

 注意されたことにしょんぼりしながらしっかりお煎餅を回収していく長い黒髪を見送ってあたしは工廠へと向かう。

 そういやあの子金髪じゃないんだな、と思ったあたりで自分が思いのほか過去に囚われるタイプなのだと改めて思い知らされた。

 入れ替わっていくことには慣れたつもりでいたんだけどなぁ。あの子、何代目だっけ。

 

 

 

 

 人間が何度か世代交代するほど時代が流れてもなお、艦娘と深海棲艦の戦いは続いている。長く続き過ぎて今ではそこに人間が介入できるようになってしまった。

 どこかの研究者が人間に艦娘の艤装を装備させる術を見つけてしまって以来、艦娘側の戦力は爆発的に数を増やした。失った数を補って余りあるほどに。それに応じるように深海の勢力も強まったりしたけど。

 戦力が増えればそれを補助する人員も増やさなければならない。整備、給糧はもちろんのこと、生活の場を整える人員も必要になってくる。あたしもそれらの内の一人だ。

 たくさんの人間が鎮守府に溢れ、いまや艦娘という言葉は艤装を身につけて海を駆けることが出来る人間を指すようになった。

 

「数だけ増やしたって仕方ないのにさ」

 

 長い長い戦いの中、たくさんの仲間が海の向こう側に行ってしまった。いつかあたしも同じ所に行くんだろうと思ってた。でも現実はどうだ。海は目の前なのに、あたしは。

 今の立場そのものに否やはない。艦隊を支える縁の下の力持ち。大事な役割だ。でも、だけど。

 知らず握りしめた拳は真っ白になっていた。どうにか解いた手を酒瓶に伸ばすと触れる寸前にふっと視界から消えた。反射的に泳がせた手はなんとか瓶を捉え、顔を上げてみれば柔和な笑みと目が合った。

 

「それくらいにしておきましょうね」

「女将さんのいじわる。あたしのお金で呑んでるんだぞー」

「わかってますよ。ですから残りはまた今度にしましょう」

 

 未練たらしく一升瓶にすがりつく酔っ払いからあっさりと瓶を奪い取る手腕は流石と言ったところ。飲兵衛の多い鎮守府だけど、一度たりともお酒を原因とする騒動が起きたことがないのは女将さんのおかげだろう。

 今や数少ない初代艦娘の生き残り、女将さんは空母の艦娘だ。空母艦娘が新たに着任すると真っ先にこの人のところに送られてくる。彼女に教導してもらえばまず間違いはないと言われるほど提督達の信頼が篤い。

 その信頼の篤さ故に戦場に出してもらえなくなった。後進の育成のためと言われてしまえば、女将さんは拒否できなかった。

 

「あと一杯だけぇー」

「……一杯だけですからね?」

 

 明日から水雷戦隊を主軸に置いた大規模演習が始まる。出番はないけど仕事は大量にある。

 その装甲の薄さ故に、駆逐艦や軽巡は入れ替わりが激しい。それに伴って錬度も落ちる。それを補うための演習だ。それの補助にあたる工作艦が酔い潰れて使い物になりませんなんて話、まったくもって笑えない。

 これだけやっても入れ替わりは激しいままなのだから、本当に笑えない。

 もやもやした気分と一緒にグラスの中身を一息に飲み干す。咽喉に優しい冷たさに気付いた時にはもう遅い。水だった。

 

「一杯は一杯ですよ」

「いけずだねぇ……」

 

 茶目っけたっぷりの微笑みに文句も言えずにあたしの晩酌はお開きになる。数え切れないほど繰り返した心地よいやり取り。これからも何度だって繰り返したいと思う夜。

 隣には誰もいない。楽しいのに、寂しい夜だった。

 

 

 

 

 人間が艦娘として活動するにあたって最も大きな問題となるのが「人間であること」だ。

 今日では初代と呼称される女将さんのような艦娘は良かれ悪しかれ戦うことを一番の目的として生きていた。富や名声に目が眩むことなんてあり得なかった。

 困ったことに人間達は違う。海に金儲けでもしにきてんのかと怒鳴りたくなったことは一度や二度じゃない。多少なりとも平和になった証左だと考えられなくもないけどすっきりはしない。

 戦いに臨む心構えもまた問題の一つ。

 腕が拉げ足が曲がろうとも、指が砕け目が潰れようとも、生きてさえいれば直してしまえるのが艦娘という存在だ。おぞましいと取るか素晴らしいと取るかは人によるだろう。

 ある者は戦場に戻れると喜び、ある者はもう海に出たくないと泣く。こういった手合いを相手取れなければ工作艦は務まらない。いやぁ、黎明期の工作艦は偉大だね。一人で回る仕事じゃないよ。

 

「はーいはいケンカは止しな」

「整備員風情が止めないでよ!」

「工廠を敵に回すからその発言も止しなー」

 

 顔を真っ赤に肩を怒らせる軽巡と涼しい顔の戦艦。これもまたよく見られる問題だ。仲裁に入った回数は腕が倍あっても指が足りない。

 高い火力と厚い装甲、長大な射程。確かに戦艦は強い要素てんこ盛りの艦ではあるけども妙なエリート意識を持たれるのは困る。あんたら動かない時間の方が多いでしょうに。

 空母と組めば負けはなし!なんて慢心の塊みたいなセリフを臆面もなく言い散らす輩もいるから本当に困る。失敗したことのない連中は自信が肥大化してしまって非常によろしくない。どっかで一度ばきばきに心が折れといた方が長生きできるぞというのがロートルの助言だけども、まぁ聞き入れてはもらえない。

 かといって自信がないのもそれはそれで厄介だ。実力に裏打ちされた自信はここぞという時に活きてくる。矢面に立つことの多い軽巡にそれがないのは不安な要素だ。

 まぁ、教官がなんとかしてくれるだろう。あたしはあたしの仕事をするだけ。今日だけで何人分の艤装をいじることになるのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 演習に一区切りつき、工廠の作業も一旦止まる休憩時間。それを見計らったかのようなタイミングであたしを訪ねてきたのは煤けた服の軽巡洋艦。戦艦と言い争いしていた子だ。その顔は穏やかではない。

 

「教官に、あんたに話を聞いて貰えって言われた」

「軽巡の話をあたしに振ってどうするんだ。その教官って誰さん?」

「あの、その、げっ歯類みたいな」

 

 先達を指してげっ歯類とはいい度胸である。あの子が小動物的な感じなのは否定しないけども。

 歴戦の教官の紹介先が工廠であることに少なからず戸惑っている様子が見て取れる。はたから見れば一整備員に教官との繋がりがあるのは奇妙に映ることだろう。知ってる人も減ったからね。教えてくれる人もいないだろうし。

 工廠で働いている女性という希少性に引っ張られて話しかけてくる子は多いけど、とっつきやすい見た目だと思ってるなら一つだけ知っておいた方がいいことがある。あたしは少なくともあんたらの倍以上は生きてるぞ。

 

「……工作艦に話って、なにすればいいの」

「艦隊運動の教鞭なんて期待してないでしょ?」

 

 暗に好きなこと喋れよ、と言ってみると意外と伝わるもので戸惑いながらもぽつぽつと語り始めた。

 火力がない。装甲が薄い。姉妹艦も活躍できていない。戦艦がうるさい。部屋が狭い。実戦経験が少ない。休みが少ない。駆逐艦が懐いてきてちょっと鬱陶しい。

 愚痴の出てくること洪水のごとし。なるほど、教官は溜めこんだものを吐き出す場所をこの子にあげたわけだ。元々は普通の女の子だったんだ、そりゃ色々あるだろう。吐き出すがいいよ、それも青春さ。

 しかしその相手があたしでいいのだろうか。結構なおばあちゃんなのに。

 

「そうだ、聞いてみたいことがあったんだった。お金持ちってウワサ本当?」

 

 言いたいことをある程度吐き出した辺りですっきりしたらしい。あたしに質問する余裕を取り戻したのはいいとして話題が生々しい。使う暇がないから工廠の人員は大抵小金持ちだ。

 

「ここの工作艦は宝石をいっぱい持ってるって聞いたの。あんたしかいないでしょ、工作艦」

 

 なんで現役の艦娘にあたしの噂が広まってるかな。二人くらいにしか話してないのに。酒の席の話だったのに。

 真偽を問われれば、それには真と答えよう。本当のことだし。

 途端に浮ついた顔になってるけど、気付いてないだけでこれは誰でも持ってるものだ。あるいはこれから手に入れることになる。

 なに言ってるかわからないって顔してるけど、なぁに、簡単な話だよ。

 

「歌は好き?」

「それはまぁ好きな歌くらいあるけど」

「あたしも歌は好きだよ。人間が作ったものにしては上等なもんだ。涙が出るくらい」

 

 たくさんの歌を聴いた。気に入った歌は諳んじられるほど何度も聴いた。心に刺さった歌も少なくはない。

 

「友達はいる?家族は?大事な人とか守りたい人とか。いけ好かないけど仲は悪くないやつとか。守ってやるのもまぁやぶさかではないってやつとか」

「……宝石って、まさかとは思うけど」

「その想像でおおむね合ってるよ」

「なんか腑に落ちるけど釈然としない!そんなの私だって持ってる!」

 

 ほーらね、誰でも持ってる。ただ、おおむね合ってるってことは完全正答じゃないってことには気付いてるかな。

 友達も家族も。大事な人も守ってやってもいいって人も。あたしの周りにはいろんな人がいた。そりゃもういたんだよ、たくさん。

 油まみれの現実にはもはや涙も出てこない。輝くのは思い出ばかりだ。

 

「ここにいたんですか。探しましぃたい痛い痛い!?」

「本日はお日柄もよく教官ー。噂を広めたのはお前か」

 

 ひょっこり現れた教官に挨拶と共にヘッドロック。

 酒の席のお話を無闇に広めるような女将さんではない。消去法で犯人確定だ。口の軽いやつに慈悲はないぞ。恨むなら己の背の低さを恨むがいい。

 

「演習に変更がありまして!それを伝えに来たんですけど!痛いんですけど!」

 

 急な予定変更に驚きはするが手は緩めない。教官も変更点を伝えながら反撃を止めない。

 残念だったね、あたしの靴は工作艦仕様の安全靴だ。ちまっこい教官が踏みつけたところで痛くもかゆくもないのだよ。たとえ主砲が爪先に落ちたってちょっとへこむくらいで済むのだから。ただし大口径主砲は除く。

 しかし変更を伝える程度のことを教官にやらせるだろうか。良い子だからって雑用押しつけてるんじゃないだろうね。

 準備に戻る軽巡の子を尻目にちっこい教官はあたしにホールドされたままこちらを見上げてくる。背中を預けにんまりと笑う姿はそこらにいるただの子供に見える。しかしてその実態は初代と呼称される生粋の艦娘である。しかも十人以上の妹がいたお姉さんだ。

 誰よりも長く戦い続けているベテラン中のベテランだけど、気心の知れた相手であればこのように甘えることもある。少しだけ伸びた髪を梳かすように撫でてあげると目を細めて喜ぶ姿は完全に小動物だ。女将さんと並んだら姉妹を通り越して親子に見えてしまう。

 

「行かなくていいの?」

「行きますよ。一緒に」

 

 誰と?という疑問に答えは返って来ない。こちらを見上げる笑顔が少しいたずらっぽく見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 演習の変更点というのは二回の予定だったところを三回にするというものだった。それだけなら別に問題なかった。一戦増えようが工廠の作業量としては誤差の範囲だ、たぶん。

 

「一緒に出るのは久しぶりですね」

「二人ともお忙しいみたいですし、仕方ありません。あたしは何故か暇が多いですけど……」

「教官が暇でいいんですかねぇ」

 

 現在あたしは教官、女将さんと一緒にお散歩中の身である。一緒にってあたしのことだったんかい。

 女将さんはいつもの和装にちょいとカラフルな紐のたすきがけの姿。弓には様々な色の飾り紐を巻いて気合い十分といった様子。教官は襟章やら飾緒やらがついた重々しい服を脱ぎ可愛らしい改造制服に着替えていた。年季の入った双眼鏡にはこちらもまたカラフルなリボンの数々。

 

「本当にただのお出かけならよかったのにねぇ」

「言いっこなしですよ。これも先輩の役目なのですから」

「教官ではなく?」

「今は先輩です!」

 

 かつての制服は裾が短すぎて見ている側がハラハラするような超ミニスカートだったけど、実はスカートを履いてないだけだったという噂。今となっては真相は闇の中。および教官の胸の中。とまぁ、四方山話はおいといて。

 演習の変更点。予定になかった三戦目は戦艦重巡空母各二隻の六隻対女将さん教官あたしの三隻で行われている。

 いるんだけども。

 

「まったくもう、訓練のやり直しでしょうか」

 

 いくつもの砲撃が水柱を立てては消えていく。進路を遮るように飛んでくる艦載機も仲間との連携が取れていないせいで全く脅威を感じない。砲撃も爆撃もあたし達の後方で炸裂している。びっくりするほど当たらない。故にお散歩である。至近弾すらないってのは少しばかりまずくないだろうか。

 教え子がこんな状態で流石の女将さんも渋面を隠せない様子。声のトーンが一段低いのが怖い。

 フォローするのも大変な現役達の様子を見れば本営が初代艦娘との演習を組み込んだ理由もなんとなく想像がつくというものだ。

 口さがない現役達が時代遅れと嘲る初代艦娘の実力を見せつけたい、数字と艦種でしか考えなくなってしまった現代っ子達に目が覚めるような衝撃を与えたい、とまぁそんなところだろう。そんなことしなくても女将さんと教官の実力はみんなが知るところだろうに。

 お二人さんは涼しい顔だけどあたしはそこまで余裕綽々とは洒落込めない。楽しんでいるところ申し訳ないけど早めに決着してもらえるとありがたいというのが本音だ。

 

「そろそろ反撃しない?」

「だーめです。訓練さぼって無駄に威張り散らすような人はもっと恥ずかしい目に遭えばいいんです」

「それには同意だけどきょーかん、あたしの艤装はそろそろ限界だって」

「教官って呼び方をやめてくれたらいいですよ」

「あー、んー、それは……もうちょっと待ってもらえる?」

 

 二人を名前で呼ばないのは意地というか、気後れというか。

 あたしの艤装は中途半端に壊れてしまって、動きはするが長時間の稼働は出来ない。そのせいで戦線に出ることはおろか支援に回ることも出来ない。そんなあたしではみんなと肩を並べる資格なんてないんじゃないか、なんて思った時期もあったのだ。怒るだろうから言ったことはないんだけども。

 その頃の気持ちを端に、一つの意地を張ることにした。艤装を直して再び外洋に出ることを。完璧に直るまでは名前を呼ばないと。

 そう決めてから何年経ったかなぁ。工作艦装備がすっかり板についてしまった。

 

「むー、じゃあいいです。またの機会にします」

「意地っ張りで悪いねぇ」

 

 その代わりと言っちゃあなんだけど、あたしは絶対に復活してやる。その歳になってその格好は、なんて言われようがもっかいあの服を着てやる。解いたままの髪もちゃんと三つ編みに結うんだ。

 引き絞られた弦の音が合図になったか、教官の雰囲気が変わった。あたしものんびりしてられない。

 

「空は私が抑えます。取らせるつもりはないけど、油断はしないでくださいね」

「じゃあ重巡の二人は雪風が相手します。きた……購買のお姉さんは戦艦の二人を」

「購買の人じゃないし、二人でもないし」

「へぁ?」

 

 正確にはもうすぐ一人になると言うか。

 回頭してこちらに向かってきた現役艦隊は予兆もなかった雷撃を受けて混乱、隊列を崩した。相変わらず甲標的の妖精さんはいい仕事しなさる。

 気をつけろよ現代っ子。そんなでっかい隙を逃すほど元祖一航戦は甘くないぞ。

 カァンと心地よく弦を鳴らして解き放たれた矢は戦闘機へと姿を変え、隙だらけの艦隊に猛然と襲いかかる……と思いきや通り過ぎて行った。現役空母曰く、女将さんの艦載機は風を切るのではなく風に乗って飛ぶのだそうだ。水上機運用の出来ないあたしには違いのわからない感覚だけど、飛んでいく姿は確かに綺麗だ。

 突如被雷した味方、何故か通り過ぎて行った敵艦載機。その二つに気を取られて全員があたし達から視線を切ってしまった隙を逃さなかったのが我らが教官である。数瞬前に気の抜けた声を出していた姿からは想像もつかない機敏さで全速力のまま現役艦隊に突っ込み、崩れた隊列のすき間をすり抜けて行ってしまった。あんな操艦技術、今の子たちには真似できまい。あたしにも出来る気がしない。

 現役達が教官を迎撃しようとしたところに完璧なタイミングで女将さんの艦載機が横槍を入れる。空母二人がなんとか迎撃しようとしてはいるみたいだけど上手くいっておらず、同士撃ちすら発生している始末。単純なスペックでは二人の方が上なのにねぇ。

 艦隊から重巡二人を引き剥がすことに成功した教官はそのまま二人を引き連れて離れるように移動していく。それに気付いた二人が引き返そうとしたところに再び女将さんの横槍。すかさず教官が追撃。たぶんもう合流できないんじゃないかな。

 これで残った戦艦一人は空母二人を守りながらあたしと戦わなければならない。数的にはこっちが不利だけど、その程度ならたぶん問題ない。

 

「ちょっと離れますね」

「はーい、お気をつけてー」

 

 すーっとあたしから離れる女将さん。艦隊が個々に独立して動き回るという定石もなにもあったものじゃない動きに現役達はさらに混乱に陥る。

 これだけお膳立てしてもらえばいくら鈍ったあたしでもイイのを一発入れてやれる。ありがとね、二人とも。

 

「斉射いきますよー、気をつけてね」

「どうぞー!」

 

 隊内無線を飛ばすと即座に反応して射線から外れて行く教官が見えた。よっしゃ、これで気兼ねなくぶっ放せる。

 かのビッグセブンですら顔を引きつらせた一撃だ。根性見せてみなさい現代っ子。

 

「一撃とは言ったが一発とは言ってない、なんて」

 

 まずは片舷二十門。鯉に餌でもやってんのかと思うほど飛沫の舞う光景は壮観である。やりすぎかなぁと思っても撃った後ではもう遅い。

 現役艦隊の姿が完全に見えなくなるほどの大きな水柱がいくつも上がる。命中しなかった魚雷も誘爆して爆発事故みたいな光景だが、これがあたしの火力である。

 高く打ち上がった水柱が治まると現れたのはもはや立っていることすらままならない現役達。離れていた重巡二人も爆発に気を取られ、その隙を突いた教官と女将さんの連携で落とされたのが見えた。ほとんど何もしてないな、あたし。

 六隻全員が大破、行動不能。対してこちらは無傷。周りで備えていた救護艦隊が慌ただしく動き始めた。

 完全勝利だけど、なんというか、うん。

 

「ちょっとやりすぎたかな……?」

 

 たらふく撃ちまくった上にボロボロになったのだから連中の艤装が無事とは思えない。空母二人の甲板艤装もまず間違いなくべこべこ。艦載機だって相当な数が落とされたはず。

 今日中に終わるかな、修理。

 

 

 

 

 

 

 

 

 たとえ自室に戻ったのが夜明け前であろうと作業が終わっていなかろうと、そんなことは関係なく陽は昇る。寝不足だろうがなんだろうが工廠は回る。損傷したまま手つかずの主砲や穴の空いた甲板があたしを待っている。

 現役のサポートに回った分だけ自分の艤装に回す時間は失われていく。もどかしいけど手は抜けない。あぁ、あたしの復活はいつになることやら。

 怒号。足音。金属音。機械の唸り。耳は痛いし頭は回らない。機械みたいに稼動し続けるあたしを止めたのは僅かな重みだった。おずおずと。手元がぶれない程度に背中にのしかかる。

 誰何の必要なんてない。あたしにこんなことをするのはもはや一人しかいない。何年経っても軽くて小さい身体からか細い声が響いた。

 

「久しぶりに夢を見たんです。とっても楽しい夢」

 

 奇遇だね。あたしも楽しい夢を見た。

 声に震えはない。背中の重みは小揺るぎもしない。でもたぶん、泣いてるんだろうなぁ。

 

「姉さんも妹も友達も司令も、みんないた。楽しくて、懐かしくて」

「ごめんね雪ん子。あたしは前向いてるだけでいっぱいいっぱいだ。一緒に後ろ向いてあげられない。おまけに手も塞がってる」

 

 拭ってやろうにも油まみれの手じゃあ、ねぇ。

 強がりなこの子が強がれなくなった時、あたしがやるべきことは一緒に泣いてあげることじゃない。優しくしてあげるのも、たぶん違う。

 涙は枯れたなんて言えるほど強くもなく、かといって涙を流す弱さを見せるわけにはいかなかった。英雄たれと願われたこの子が、少しの間でもか弱い女の子でいられるように。

 

「けどまぁ、背中は空いてるからね」

 

 寄り添う重さは一瞬の間を置いてしがみつく重さに変わった。くぐもった嗚咽はあたしの耳にしか聞こえなかったろう。泣こうが笑おうが終わりやしない現実とのにらめっこも今だけはおやすみ。

 ぶきっちょで意地っ張りの背中でよければいくらでも使うといい。カーテンの代わりくらいにはなるからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「風邪ひきますよ」

 

 紅緋が空を遮ってようやく誰かがすぐ傍に立っていることに気づいた。傘としては小さいそれは小柄な女将さんが使うと不思議としっくり来る。業務を抜けて、鎮守府からも離れていたのによく気づいたなぁ。

 あたしは声をかけられるまで雨が降っていることにも気づけなかった。ずいぶんとぼんやりしていたもんだ。

 

「ひきませんよ。鋼の身体なもんで」

 

 海沿いのフェンスにもたれかかって空を見上げる行為はあたしにとっては大事な儀式だ。周りになにもない場所で、誰もいない場所で、頭をからっぽにして、呆けたように。

 雨と鈍い空で全部埋め尽くしてしまえば。埋め尽くして、楽になれたらいいのに。

 楽しい思い出はいつもそばにある。目蓋の裏にいつでも見つけられる。なんなら夢にだって出る。

 

「もうちょっとしたら戻るからさ」

 

 傘もいらないよと手を振るあたしに女将さんは少しばかりの逡巡を見せたものの何も言わずに戻ってくれた。

 女将さんのことだ、あたしを見つけてしまっては放っておけなかったのだろう。その優しさはどうか雪ん子に向けてあげてほしい。あたしが優しくしても、たぶんあの子のためにならないんだ。

 勢いを増す雨は遠ざかる傘もうっすらと見えていた鎮守府も、全て隠してしまう。見えないだけでそこにあるのに手を伸ばしたって掠りもしない。雨の向こう側。ぼやけた輪郭がまるで思い出のようで。

 

「君の形に、撫でてみたり。なんて」

 

 らしくもないセンチメンタルに浮かされていくつもの名前が口を滑っていく。石を積むようにひとつ呼び、ふたつ呼び。独り言に応えなんてあるはずもなく。

 いい加減、現実逃避もほどほどにして油まみれの日常に戻らなければ。ほったらかしの仕事があたしを待っている。背中に落ちた涙の跡は雨のおかげで見分けがつかなくなった。英雄が泣いただなんて誰も気づかない。

 雨ざらしの身体は少しだけ冷えて、濡れそぼって重い。戻ったらとりあえずお茶でも飲もうか。芯から温もるような、あっついやつ。

 

 

 

 

 

 

 

 自室に戻ると誰にも頼んでもいないのに替えの制服とタオル、更に温かいお茶が用意されていた。

 心を読んでいるかのような準備の良さに少し身構えたけど、心配も警戒も必要なかった。長年連れ添った相棒はあたしが何処にいたのかわかっていたようだ。妖精の体格で準備するのは大変だったろうに。部屋の暖房を入れてあるという気遣いも温かい。

 喉を少しだけ焼きながらお腹の底からじんわり広がっていくお茶の熱さが心地いい。着替えもそっちのけにお茶を飲んでいると心配そうにこちらを見ている小さな相棒と目が合った。

 思い出ばかりが輝く今は確かに寂しいし、哀しい。それでもまぁ、こんなに温かいんだから。

 

「そんな顔しなさんなって」

 

 あたしは大丈夫だよ。明日もちゃんと生きていけるさ。

 

 

 

 

 




英雄達が泣いていた夜を、妖精だけが知っている。





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