誰かが何かをするだけの話   作:なぁのいも

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村雨と春の夜空を眺めるだけの話

 寄せては消える波の音だけが反響するような暗い闇に覆われた夜の時間帯。

 

 鎮守府から離れた場所にある街灯の元でボストンバックを地面に置き、ケータイと睨めっこする灰色のコーチジャケットと白のインナー、黒いスキニーパンツの私服姿の提督が一人。画面は待ち受け画面から動いておらず、彼のこげ茶色の瞳はディスプレイに写るアナログ時計の針達の動きを追っている。

 

 そんな提督の背後に音を殺して近寄り、彼の眼を両手で塞ぐ者もまた一人。

 

「だーれだ?」

 

 いつもより僅かに高い声。甘えるような特別な彼女の声質。

 

 一瞬だけ、視界から光が奪われた事に驚いた提督であったが、耳に染み入るような彼女の声で平静を取り戻し、口端を持ち上げる。

 

「早いな村雨は」

 

「正解です。もう!提督は早すぎなんですよ!!」

 

 拗ねたように、或いは不満を表すように唸りながら、彼から光を奪った人物は彼の視界を覆っていた手を外す。

 

 光に馴染ませるように、二度、三度と瞬きをした提督は、左足を軸にして背後に向き直る。そこには、小さくを頬を膨らませた彼の逢瀬の相手、村雨が居た。

 

「そうなのか?」

 

「待ち合わせの時間、何時からかわかってます?!」

 

「十時位だったか?」

 

「じゃあ、今の時間は?」

 

「九時半」

 

「だ・か・ら、早すぎるんですって!!!」

 

 村雨は恨めしそうに提督の事を睨みつけるが、感情表現が乏しく、それゆえに感情を読むことを得意としてないクールな提督は首を傾げて頭に疑問符を浮かべる。

 

「大体、提督は何時から待ってたの?」

 

「九時」

 

「は、はやっ?!去年は二十分前って言ってたからこの時間に来たのに……」

 

「……遅れるべきだったか?」

 

「そ、そうじゃないけど……、先について提督を待っていたかったと言うか」

 

「悪かった……。村雨と出掛けると考えたらいてもたってもいられなくなって、時間なんか見ずに鎮守府を出てた」

 

 提督は何処かばつが悪そうに早く来てしまった理由を伝える。

 

 居ても立ってもいられずに、それも村雨と出掛けられるから。

 

 予想だにしてなかった彼からの返しに、村雨の頬は桜の様に色づいていく。

 

「もう!!」

 

 村雨は両手で自分の頬を覆う。熱を持ってしまった頬を冷ます為に。

 

 しかし、村雨の上がっていく体温は彼女の小さな手だけでは冷却が間に合わなかった様だ。

 

 村雨は大きく腕を広げて、提督の胸元に飛び込む。

 

 突然の村雨の行動に驚きつつ、提督は半歩引いて冷静にバランスをとりながらも村雨を受け入れ、彼女のボリュームたっぷりな髪の中に右手を埋めて、撫で上げる。

 

「……悪かった」

 

 感情を読み取るのが苦手な提督とは逆に、感情を読み取るのが苦手で無い村雨は彼の腕の中で首を横に振る。その行動が、小動物が甘えてくるような動作に思えて、提督は心の何処かで愛らしさを覚えてしまう。

 

「謝らないで。本当は、その……凄く嬉しかった……です」

 

 感情表現を読み取るのが苦手な提督の為に、村雨はばらばらに散って本音を掻き集めて言葉にする。

 

 胸に顔を押し付ける村雨の体温は、やっぱり冷却が間に合わないので段々と上がる。

 

「そうか。なら、よかった」

 

 彼女の熱と本音を薄いインナー越しに聞き届けた提督は、村雨が収まっている胸の奥が温まっていくような感覚を覚える。その温かさに身を委ねる様に提督は瞳を閉じて眉尻を下げて、口角をあげる。

 

「うぅ……」

 

 恥ずかしさを感じながらも、提督が村雨の髪を撫でるペースが遅くなっている事から、彼が確かに喜んでいる事を感じ、村雨は胸の中に渦巻く想いに悶えながらも彼に身を委ねる。

 

 確かに、早くついて彼を待っていたかったと言う思いはあったのだ。彼が遅れたかと不安そうに尋ねてくるのを見てみたかったと言う気持ちもあったし、デートの定番的な事をしたかったと言う思いもあった。

 

 しかし、彼が自分と出掛けるのが待ちきれないと言う反応をしてくれて嬉しかったと言う気持ちも本音だ。

 

 言葉は口にしないと正しく伝わらない。それは、彼と付き合ってから嫌と言う程思い知るようになった言葉。

 

 ――ズルい

 

 反射的に言ってしまいそうになったその言葉を飲み込んで、村雨は腕にかける力をより強くし、より深く彼の胸に顔を埋めようとする。今の顔は火照りすぎて、彼に見せられるものでは無いから。

 

 

 

 抱き合ったまま数秒、或いは数分が経った頃。

 

 村雨は腕に掛けた力を緩め、何処か名残惜しそうに俯きながら提督の胸から離れる。

 

「……行くか?」

 

 離れてから数秒。お互いに沈黙を保っていたが、今は僅かな逢瀬の時、その時間を無駄にしない為に提督の方から切り出したのだ。

 

「うん……。行こ」

 

 村雨は僅かに顔をあげると、小さく微笑んで彼の提案に同意する。

 

「そうだ」

 

 提督は地面に置いたボストンバッグを肩にかけ、先導するように歩みだす。村雨もその後に続こうとしたした瞬間、提督が振り向いた。

 

「なあに?」

 

「今日の村雨、大人っぽくて綺麗だ」

 

 提督と同じように今の村雨は私服だ。

 

 白露型の制服を模したような深く鮮やかな紅赤色のニットと白いカーディガン、それと彼女のしなやかな足を浮き彫りにさせる黒いレギンスとタイトスカート。

 

 村雨の足を止めさせるには、少女と女性の境界線に立つ村雨には十分だ。

 

 止まった身体を動かそうと小さく口を開ける真っ赤な村雨に、風にかき消えそうな声量で言葉を乗せる。

 

 かわいいな、と。

 

 綺麗に可愛い。なんとも欲張りな褒め方だろうか。

 

 しかし、今の褒め方でも村雨の感情の器を一杯にさせて溢れさせるには十分だ。彼女の顔を中心として陽炎が発生しそうな位に感情を熱に変化している。

 

 言いたい事をいった提督は、小さく微笑むと再び前を向いて歩みだす。

 

「あっ、待ってってばー!!」

 

 なんとか再起動可能な位には排熱を完了した村雨は、置いて行かれないように梅色に染まった面持ちのまま提督の横に立つために駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人を好きになった時の事を覚えているだろうか?

 

 他人に憧れを抱いたり、その想いが恋慕へと変わった瞬間を覚えているだろうか?

 

 覚えていても、いつ、どこで聞かれても答えれるだろうか?

 

 それも、録画したように正確な答えを返せるだろうか?

 

 残念ながらそれは大多数の人間は無理であろう。人間と言うのは忘れていく生き物。大切な事であっても、詳細まで覚えると言うのは、普通の人間は厳しい。

 

 出会った日にちも、出会いの言葉も、その日の天気も、匂いも、感覚も、何もかも正確に覚えたままでいるのは、普通の人間には厳しいことだろう。

 

 もちろん、それは、芝生の上に座り込み夜空を見上げる提督にも同じことが言える。

 

 二人はあの後、人気の無い小さな公園のベンチに隣り合う様に座りながら、星空を眺めている。

 

 本来なら桜の名所で、昼夜を問わず色んな人達が大騒ぎしているのだが、近年は桜の開花が早まっている事と、度重なる強風で花は無残に散り、残っているのは芝生の上の黒ずんだ桜のみ。

 

 見どころを無くした名所に人が訪れることは無い。よって、この公園は二人の貸し切り状態だ。

 

 二人は何を語ると言う事も無く、風の音を聞き分けながら夜空を眺める。村雨は時折、提督の方を伺いながら。

 

「あっ!!」

 

 時折、村雨が夜空を指差して何かを言うのに、提督が短く相槌を打つような、穏やかな時間の流れ。

 

 桜が散った名所で春の星空を眺める。そんな風情を楽しむようになったのは三年前からである。

 

 

 

 

 

 三年前までは、村雨側から付き合った事を隠したいと言われた。それは年頃の少女としての羞恥心が強かった故だろう。

 

 提督はそれに了承した。それは、当時の村雨が隠したいと言った時の感情がわからなかったから、と言う理由が強かった。わからないなら、余計に刺激する事も無いと彼は思ったからだ。

 

 恋人になったのはいいが、鎮守府は運営が安定しておらず、関係も隠した状態。二人で出掛ける事は愚か、提督は忙殺状態であり、時間を共有することすらままならなかった。

 

 関係が変化しても、近づく事すらままならない。

 

 痺れを切らした村雨は、無理矢理にでも二人の時間をつくり出そうと考えた。

 

 それは、村雨の外出が許可された日時に、提督も出張と偽って外出する策。

 

 何とも拙い策で、この策を実行した翌日は提督は出張の虚偽を問われて大淀から大目玉をくらい、村雨が姉妹達からの誘導尋問に引っかかり、結局は関係をバラシてしまった。

 

 話を戻そう。そうやって外出できたのはいいが、提督は業務を滞らせるわけには行かないので、やっとの思いで外出できたのは夜中の十時と言う微妙な時間帯。

 

 鎮守府外で村雨と提督は合流したのはいいが、時間帯が時間帯の為何をしようか悩んだ結果、提督の提案で星を見ることにした。

 

 提督は星を見るのが好きだったし、咄嗟に思い浮かんだのがそれしか無かった。提督の好きな事を知れた喜びからか、村雨もその提案に乗った結果星を見る様にしたのだ。

 

 その時の事が由来で、毎年桜も散った時期にこうやって二人で星を見に行っているのだ。提督が制服を入れたボストンバッグを背負って待っていたのは、当時の様な逢瀬の感覚を味わいたいと言う村雨の要望に応えての事だ。

 

 

 

「あれはなんの星かな?」 

 

「……さぁ」

 

「うーん、じゃあ!あれは?」

 

「……二等星?」

 

「ふふっ、やっぱり何かわからないんですね」

 

 口許を手で隠すように笑う村雨。

 

「じゃあ、あれは何かわかるのか?」

 

 からかうような反応を見せる村雨に、少しばかり拗ねたような声で星を指し示す。

 

「ざんねーん。村雨もわからないでーす」

 

「…だろうな」

 

 悪びれもせず、ニコニコと笑う村雨に、呆れたようにため息をきながらまた夜空を見上げる。

 

 それもその筈、提督は星を見るのが好きなだけであって星座や星の名前には全く興味は無いのだ。大きさも輝き方も違う星を眺める。ただ、それだけの事が好きだから。

 

 何故自分が村雨の告白を受け入れたのか、提督は夜空に想いを馳せる。

 

 別に村雨には悪印象が無ければ特別良い印象は無かった。だから、覚えてないのだろう。村雨がいつ告白したのかも、彼女がなんて言い寄ったのかも、自分がどんな返事を返したのかも。

 

 提督は感情表現が苦手で、読み取るのも苦手だ。よく言えば天然、悪く言えば無自覚に他人を振り回すほどのマイペース。

 

 そんな彼が、何故村雨の想いを受け止めようと思ったのかを考えてみる。

 

 ――その答えは大して考える事もせずにわかった

 

 ベンチに置いた提督の手を風から守るように包まれていくのが感じる。それは、村雨のスベスベとしてほのかな温かさを持った掌が、提督の手の甲を包んだから。

 

 提督が夜空を見上げるのを止め、隣に視線を戻すと、村雨が小首を傾げる様にしながら微笑んでいた。

 

 微笑みかける村雨を見て、呼び覚まされる。

 

 忘れていても、覚えて無くても、心に刻んだ物と言う物はある。

 

 ――それだけだ

 

 そう。簡単な事だ。村雨が提督の事をよく見ていて、よく知ろうとして来たから。提督でも知らないような提督の事を見つめようとして来たから。

 

 単純な理由。だけど、心に刻んだ想い。

 

 毎年、村雨と二人っきりで星を見に行くのは、彼女を好きになった理由を思い返す為と――

 

 提督は村雨の後頭部に手をかける。

 

「あっ……」

 

 村雨は抵抗することなく、提督から引き寄せうとする力に身を委ねる。

 

 ――彼女へと抱いているこの愛情をぶつけるため

 

 月に照らされた二人のシルエットが合わさった。

 

 時が止まったかのように静まり返った公園に、一陣の風が吹き渡る。それを合図代わりにして、一つは再び二人へ。

 

 名残を惜しむように鬼灯色の村雨は自らの唇をなぞる。普段は大人ぶった態度をとる村雨の少女らしい一面に愛おしさが溢れ出て、緩やかに笑みを浮かべる。

 

 風は段々と強くなっていく。現在は夜。それに村雨は薄着だ。寒さも身を刺すような物へと変貌しつつある。まだ、少女な彼女には身の毒となるだろう。

 

「……行くか」

 

「うん……」

 

 提督は耳が赤い村雨の手をひいて立ち上がる。

 

「そうだ」

 

「なぁに?」

 

 公園にくる前にしたようなやり取りを再び口にする。

 

「どうして俺の事を好きになったんだ?」

 

 そうやって聞くのは覚えていたと言うよりは、一種の慣習的な物と、自分の中にある村雨は自分の何処を好きになってくれたのかと言う不安を取り除くための物。

 

「知りたい?」

 

 相変わらず熟した果物のような赤い顔をあげると、瞼を閉じて笑みを浮かべる。

 

「それはね」

 

 提督は小さく息を呑む。

 

「――――――――――――――――――」

 

 村雨の声は風にかき消されてしまいそうなほどにか細い。

 

 だけど、彼の耳に確かに届いた。彼は穏やかな笑みを浮かべる。

 

 その笑みに抑えていた感情を我慢できなくなった村雨は、彼の方に両手を置いて背伸びをする。街灯が照らす範囲の狭い庇護の中で、二人の影はまた一つとなった。

 

 

 

 

 

 翌日、提督と村雨は二人で鎮守府に帰還した。その日は、外でとっているホテルに泊まるのが二人の習慣だから。

 

 村雨が大自爆してから、二人は鎮守府公認の仲になったので、二人同時に帰ってくる分には問題なし。

 

 問題は無いのだが……。一部の艦娘達には朝帰りと陰で言われてたりする。

 

 残念ながら、二人は泊まったホテルで致してないので、その噂は大外れだ。

 

 大外れだが。

 

「ふふっ、いぇーい」

 

 満面の笑みを浮かべて提督の腕に抱きつく様にして村雨が寄り添っている様はそう思われてもおかしくないだろう。


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