誰かが何かをするだけの話   作:なぁのいも

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 矢矧はギャップをつけるといいんじゃよとばっちゃが言ってたので初投稿です。


矢矧に迫られるだけの話

 この鎮守府の秘書艦は凛として真面目な正確である。

 

 膝まで届く位に長く、ボリュームのある漆黒の髪を一つにまとめ、スタイルだって抜群にボリュウミィでまさに容姿端麗。

 

 戦闘の成績は優秀と、文句なしに有能な秘書艦である。

 

 その秘書艦の名は矢矧。最新鋭を謳う阿賀野型の三女。

 

 優秀な秘書艦である矢矧は今日も提督の傍で支えるのだ。

 

 支えてるのだが…

 

「あら?提督どうしたのかしら?心ここに非ずとでも言いたげね?」

 

 最近は色々と距離が近い。物理的にも、精神的にも矢矧は距離を詰めようとして来ているのだ。

 

 今だって、矢矧との距離は近い。今は執務中で提督の執務机と秘書艦用の机の距離は元々近いのに、ぼうとしていた提督に息がかかるんじゃないかと言う位の距離にわざわざ迫って顔を覗いてくる。

 

「…いや、何でも」

 

 この異常なまでに近い距離にも慣れてきているが、矢矧は飛び切りの美少女なので、急に迫られると驚きと緊張で心臓は強く跳ねてしまう。

 

 目の前に迫れば迫る程、くっきりとわかる矢矧の整った顔立ち。長くカールのかかった睫毛に、紅潮した瞳、それと目を引く血色のいい唇。

 

 慣れた筈の距離感。でも、それを慣れさせない位に魅力的なパーツで構成された矢矧の顔立ち。少女と女性で言えば、明らかに女性の割合が近い矢矧。その比率は彼女のスタイルの良さに現れていると言えるだろう。

 

 だから、提督は何も無いように装うとも無駄である。何故なら、彼の頬にほんのりとした赤みとして出てしまい、目の前にいる彼女にはばれてしまうのだから。

 

「ふふっ、どうしたの?少し顔が赤いわよ?」

 

 からかうような矢矧の表情。少女には出来ない、意地悪ながらも引き付ける魅力を持った表情。

 

 彼女はその表情のままさりげなく提督の頬に手を添えてみると、彼の赤みは波に浸食された砂浜の如く広がっていく。

 

「あら、どうしたの?急に真っ赤になって」

 

 心配するような言葉とは裏腹に、矢矧の表情は意地悪さを増す。

 

 その表情がますます魅力的で仕方がないのだが、提督は矢矧の追撃から逃れるように視線を書類に戻す。

 

「何でも無い。ただ、最近気温が高くてぼうっとしてただけだ」

 

 汗を腕で拭う様な暑がる動作をして、矢矧の追求から逃れる。

 

 提督の顔を動かす勢いで手を弾かれ離れてしまった事と、視線を外された事に少しばかり面白くなさそうな表情を矢矧は浮かべているが、提督は気づいていない。

 

 仕事モードに再び入ってしまっては、仕事を邪魔するような事は憚られる。

 

 内心まだ不満が残っているが、矢矧は提督の秘書艦である。提督の補佐を務めなければならない。

 

「そうね、冷たい飲み物でも持ってこようかしら。提督は何がいいかしら?」

 

「そうだな…緑茶を頼む」

 

「わかったわ。少し待っててちょうだい」

 

 提督が熱いと言うのなら体を冷やす事の出来る物を持参する。仕事中の体調管理も秘書艦の仕事だと経験で判断し、冷たい飲み物を調達する為、矢矧は執務室から一旦退室する。

 

「ふぅ…まったく…」

 

 矢矧は提督がぼうっとしていた真の理由に気が付いてない。

 

 それは、矢矧が暑がって自分のセーラー服の胸元をパタパタと動かして風を送っている姿を見てしまい、それによって湧きかけた邪念を密かに振り払おうとしていたからだという事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務が一旦落ち着き、お昼御飯を取ろうと二人は食堂に向かいそれぞれ注文し、互いに隣り合うように席に座る。

 

 提督が頼んだのは唐揚げ定食、矢矧が頼んだのは焼きサバ定食。

 

 二人で頂きますと食材に感謝を述べてから箸を進める。

 

 唐揚げはあげたてでサクサクと食感の楽しさと、よく味付けされた胸肉の調和がとれていて美味しい。流石の間宮クォリティ、文句などつけようも無し。

 

「うん。今日のサバは脂がのってて美味しいわ」

 

 矢矧の頼んでいた定食も彼女の品評を聞く限り好評。間宮達は食材を見る目も一流であるという事だろう。

 

「ほら、提督もどうかしら?」

 

 矢矧は自分の食べた物のおいしさを分かち合おうと、サバを一切れ箸で摘み手で受け皿を作って提督に差し出す。

 

 時間はお昼時のピークから外れたとはいえここは食堂。お昼時に食べ損ねた者や、敢えて昼時を外してやって来た艦娘達はそれなりに居るので、衆目は気になるところ。

 

 なのだが、提督はこの何故か殺気に似たようなものすら感じる空気の中、矢矧のお裾分けを食べる事に対する羞恥心はもうない。

 

 最初の頃こそは断ろうとしたのだが、断られる事を察した矢矧がしゅんとした表情で「その…迷惑なら…」と言うもんだから、その時は矢矧の腕を掴んでおかずを摘んだ箸を自分の口に含んだ。その後も「良かったらどうかしら?」と進める物だから、矢矧のしゅんたした表情を思い出してしまうと断れなくなってしまいこうやって大人しく食べさせて貰うようになった。

 

「旨いな」

 

 矢矧から食べさせてもらった焼きサバは確かに脂がのっていて美味しかった。

 

 提督が同じ感想を言ってくれたことが嬉しかったのか、矢矧は小さく笑みを漏らす。

 

「提督の唐揚げ、一つくれないかしら?」

 

 提督が授かったのだから、今度は施す番だ。

 

 目を瞑って口を開く矢矧の口に、唐揚げを一つ含ませる。

 

 矢矧は頬に手を添えて、しっかりと咀嚼しながら味わうと、「うん。唐揚げも美味しいわね」と口許を緩ませる。

 

 最近のちょっと意地悪な感じの矢矧も良いと思っているが、こんな風に自然な表情の矢矧も良いと提督はいつも思っている。

 

 

 

 

 

 

 二人の関係は上司と部下。ケッコンしている仲は愚か、恋人同士ですらない。信頼できる相棒、と言える仲と言うのが提督の判断だ。

 

 だから、そんな二人が、提督の腕に矢矧が抱き付きながら歩いている光景と言うのは、提督の言葉を疑わざるを得ないだろう。

 

 本日の書類仕事がいつもより遅くなってしまった為、提督が矢矧を部屋まで送っていくと言い、「じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかしら?」と提督に送って貰う事に了承した結果がこれである。

 

 彼の腕に伝わる、彼女の胸部装甲を守る布とセーラー服越しに感じる柔らかさは今まで味わった事の無い感触。

 

 豊満な胸部装甲を押し付けられれば、一部の紳士な提督諸兄は送り狼になる事間違いなしかもしれないが、ここの鎮守府の提督は真の紳士なので、ドギマギはしながらも狼になる事は決してない。

 

 そんな状態で軽く雑談をしながら歩いていると、矢矧たちに宛がわれた部屋の前についてしまった。

 

「ほら、ついたぞ」

 

「そう…ついてしまったのね」

 

 本日最後の共に出来る時間の終わりが告げられたことと、提督から離れてしまう事を惜しむように提督の腕から矢矧は離れていく。

 

「ありがとう提督」

 

 礼を言う言葉には感謝の念が込められてはいるが、表情は何処となく名残惜しさを湛えている。

 

「今日もありがとう。後はゆっくりと休んでくれ。また、明日も頼むよ矢矧」

 

「ええ、提督もご苦労様でした」

 

 軽く手を振りながら離れていく提督に、姿勢を正して敬礼をして、矢矧は提督の背中を複雑そうな表情で見送った。

 

 

 

 

 その日の晩の事である。

 

 矢矧は自分の為に用意されたベッドに枕を顔を埋めている。

 

「その感じだと今日も踏み出せなかったの?」

 

 彼女の姉である能代が少しばかり呆れたような声色で枕に顔を埋める妹に声をかける。

 

「………ええ」

 

 何テンポか遅れて、矢矧から蚊の鳴くような声で返事が返る。

 

 実は矢矧、行動こそは積極的なのだが最後の一歩が中々踏み出せないヘタレである。

 

 提督の事は、皆の評価が良い事から気に入っていたし、提督の事をよく知りたいと思い秘書艦に志願して秘書艦を務め、秘書艦を務めている内に提督の魅力を直に感じてほれ込んだのだ。

 

 提督の傍にそれなりの期間居たので、提督に意中の相手が居ない事は把握済みで自分こそが意中の相手になろうと提督をめぐる争いの中で優位に立ち続ける為に努力している。

 

 その為の行動が、女性誌や小説、漫画にドラマと様々な情報媒体から男性の好む仕種や気遣いや行動などを学び、実践していたのだ。

 

 その事が功を制したのか、はたまた矢矧の魅力に惹かれたのか(彼の心情を見る限り後者に近いだろうが)、彼女は提督の意中の相手になりつつある。

 

 後は、駄目押しとばかりに想いを告げれば勝利が確定するような詰将棋と言えるような状態なのだが、提督の鋼の精神力と思ったより反応が鈍い事にちょっとショックを受けていて最後の一歩が中々踏み出せない。

 

 提督が自分の事を好きになりつつあってくれている(実際は好きなのだが)自信事態はあるのだが、反応の薄さを見てしまうと本当に好きでいてくれているのかどうか自信を喪失してしまうのだ。

 

「あぁ!!どうして私はこうなのよぉー!!」

 

 今日も最後の一歩を踏み出すチャンスは何回もあった。そのまま押し切れるチャンスは何度もあった。でも、出来なった。何故なら最後にヘタレてしまうから。

 

 ベッドの上で悶々と震えながらバタバタと足を大きく動かすヘタレな妹に、姉は結局今日もか言いたげに溜め息を吐いた。


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