海風に膝枕を頼まれるだけの話
「ふわぁ~」
ある日の昼下がりの執務室、秘書艦として提督の補佐をしている海風は可愛らしいあくびをつい出してしまった。海風の気の抜けた声に提督は反射的に海風を見てしまうと、海風は自分が何をしてしまったのか気付き、彼女の口癖の「あ、」を零して反応して気恥ずかしそうに口許を押さえる。
「し、失礼しましたっ!!」
提督の事を海風の妹である江風と勘違いした時の様に慌てて謝罪し、宙に浮きかけてた意識を机上の書類に向け、ペンを走らす。
「いや、そんな事気にしないから大丈夫」
対する提督は海風の事を微笑ましそうに見つめると、海風に習って書類作りを再開する。が、程なくして海風の方からペンを動かす音が途絶えてしまう。再び提督が海風に目を向けると、海風がうとうとと小さく首を動かして意識を手放しかけている。
普段は真面目で執務中に居眠り何てしない海風の船を漕ぐ姿が珍しく、提督はじっと海風の事を見つめる。提督からの視線に気が付いたのか海風は再びハッとして俯き加減であった顔をあげた。
「ふむ…」
その可愛らしい様子を見れた事に何だか感心した提督は小さく声を漏らした。
「あ、ご、ごめんなさい提督」
再び仕事に戻ろうと海風がペンを握り直したが、彼女の小さな手を提督は優しく手で包む。
「いいよ。無理に仕事しなくて、今は少し休もう」
「で、でも…」
艦娘の中でも真面目な性格である海風は提督からの魅力的な提案を素直に受け入れる事が出来ないでいる。他の白露型の子なら割と素直に受け入れてくれるんだけどなと心の片隅で思ったのだが、海風は改白露型だからとすぐさま自己完結してしまい、その思いを頭の彼方へと放り投げた。
変な事を考えている場合では無い。このままの状態だと、仕事が進まないのは目に見えてるし、部下の体調管理だって立派な上司の役割だ。海風の為と僅かばかり自分も仕事を休む為に海風を説得させる言葉を考える。
「このままの海風の状態だと仕事が進まないしミスだって出るかも知れない。だから、今は大人しく休憩を取ろう」
「でも、今やらないと…明日に…」
江風、山風のお世話をしているだけあって、海風は責任感が強く手ごわい。まだ、言葉を捻り出さなければなるまい。
「休んだ分後で頑張ればいい。それに、海風は午前と午後の演習どっちも出ていたんだし、疲れてても仕方ない。今日は昼休憩だって上手く取れなかったし」
「提督だってずっとお仕事してたじゃないですか」
「書類仕事と戦闘じゃ体力の消耗の差が違う。今は疲れた体に鞭をうって無理に動かすという場面でも無い」
「それでも…」
海風の心が揺らいできてる。ここは無理矢理にでも決めるしかない。
「それに、上司の機嫌を取るのだって部下の仕事の一つだ。機嫌が良い時は遠慮しないで受け入れろって」
「………では、お言葉に甘えさせていただきます」
提督の最後の一押しに海風は僅かばかり考えた後、大人しく提督からの提案を受け入れる事にした。海風は申し訳なさそうに小さく頭をさげると、提督は海風の頭に優しく手を乗せて「気にしないでいいって」と優しく伝える。
「んじゃ、適当にお菓子とお茶でも持ってくるから」
「あ、それは海風が――」
「疲れてる部下に無理矢理仕事押し付けるほど、俺は鬼畜じゃないよ。ほら、ソファに座って休んでてくれって」
提督は伸びをしながら立ち上がると、執務室から出て給湯室へと向かう。先手を打たれ、行動を封じられてしまった海風は、大人しく来客用の大きな二人掛けのソファへと移動して提督を待つことにした。
数刻を置いて、提督が菓子と温かいお茶をお盆に乗せて戻ると案の上と言うべきか、海風が可愛らしく首をこくりと動かしてうとうととしていた。
自分が居ては海風は寝る事が出来ないだろうと考えて部屋を出て行った事が功を制した様で、提督はほっと安堵の息をつく。
海風を起こさないようにお盆をソファの近くに置いたところ、艦娘の研ぎ澄まされた勘と言うべきか薄らと瞼をあげ始めた。
「も、申し訳ないです!」
提督が戻ってくる間、頑張って起きていようとした様で海風は目を擦りながら、気恥ずかしそうに謝る。
「いや、元々俺が出て行ったのは海風を自然と寝かせるためだったし。その目論見も失敗したが…」
「そんなに気を使って貰って…」
ここまでして起きてしまうともう海風は寝ようとしないだろう。提督は思いつく限りの最終手段に出る事にした。
「仕方がない…。海風、命令だ、寝ろ!」
「は、はいいい!?」
「このまま寝ないと多分海風ずっとうとうとしたままだぞ。その状態だと、仕事も進まないし結果的に俺も困る。だから…寝ろ!!」
「わ、わかりました!海風、頑張って寝させて貰います!!」
命令とわざわざ言った事と提督の勢いで海風は完全に断る事が出来なくなり、海風は敬礼して提督からの命令、寝るを受諾することにした。
寝る事を受け入れてくれてほっとした提督は海風の快眠の為に執務室から退室しようとする。どうも海風は自分が居ると寝ようとしない。だったら、いっその事自分は別の所に居るべきだろう。そう判断し、「時間になったら起こすから」と言って退室しようとしたのだが、海風に腕を握られ引き止められる。僅かばかし驚きの色が隠せない表情で海風を伺うと、海風は僅かに顔を紅潮させている。
歩みを止めて、海風に向き直ると、海風は握っていた提督の腕を離した。
「その…一つお願いしていいですか?」
「んー?俺に出来る事なら言ってみ?」
「提督のその…お膝を貸して欲しいなぁ…て…」
恥ずかしそうに蚊の鳴くような声で海風はお願いしてきた。瞳を潤ませ、いつも大人しく妹達の姉であろうと努める心配性の海風らしくないその容貌に暫く目を奪われた後、提督は穏やかな笑みを浮かべて了承し、海風の隣に座った。
「では、失礼して…」
自分で提案しておきながら遠慮がちに海風は提督の腿に頭を乗っけると、後頭部に伝わる体温と男性特有の筋肉質な硬さを楽しむように目を瞑る。普段は見せない海風の愛くるしい姿に提督は彼女の頭に手を置いて、優しく頭を撫ぜる。
「あっ…ふふっ」
彼女の口癖と言うよりは驚きと言う意味で漏れた声はすぐに喜色に溢れた声に変わる。頭にある感触を堪能している海風はついつい顔を緩めてしまう。
「提督の手、温かくて大きいです」
「そっか…。自分からやっといて何だが気安く髪に触るなって言われるかと思った」
海風の髪は艦娘の中では最上位に組み込まれるレベルの長さを誇っている。だから、髪には一番気を使っている筈だし、じっくりと触ってしまう撫でるという行為はやった後に拒否されるかと思っていたのだが、彼の杞憂になった。
「そんな事言う筈がありませんよ。だって、」
―――あなたの手なんですから
温かな手によって満たされた海風は、自然と心まで満たされ、普段は出さないような言葉すら出てしまう。
思わぬ不意打ちと海風のふにゃりと気の抜けた笑顔を受けた提督の心臓が強く高鳴る。遅れて導火線に火をつけられたが如く、心臓から体の隅々まで熱が回り、それを示すように顔も赤くなる。気恥ずかしくなって上を向き、海風にばれないように顔の熱を逃がす。
――全く、特別な言葉でもあるまいに
少しばかり浮ついてしまった自分に頭の中でそう言って戒める。
「それにしても、男の膝枕なんて珍しい好きな事を頼むな。俺の膝枕なんか高反発枕に頭を乗っけるような物だろうに」
「一度、されてみたかったんです。江風や山風とかにはよくしてあげてるんですけど海風はあまりされた事が無かったから。提督の膝枕はちょっと硬めですけど、温かくて気持ちいいです…」
「…そうかい。ほら、早く寝てしまえって。時間は有限だからな」
「…はい。ありがとうございます」
――あなた
海風から小さく聞こえた最後の言葉は、彼女の意識の殆どが眠りの世界にあるせいの寝言であると、提督は自分に言い聞かせる。
そうでないと彼女の赤くなった耳と頬に目がいって変に意識してしまいそうになるから。
――全くズルいなぁ海風は
普段はそういう風な素振りは見せないクセに変な所で隙を見せるしドジをするし――自分の隙をついてくる。
だから、そんな、彼女だから―――何時の間にか意識してしまったのだ。
こうやって寝かせようとしたのだって、最近秘書艦を望み自分の元で働き続ける海風が倒れないか心配したからなのだ。
「全く…」
だから、提督も偶には大きく隙を作る事にした。普段はやる側だが偶にやられ返してそのままは気に入らないのだ。
――お休み大切な海風
眠りゆく海風に聞こえたかはわからない。だけど、言葉に出せたおかげか提督の心は穏やかになった。
自分の火照りを誤魔化すように、体温が上昇した海風の頭を優しく、眠りの世界へと導くように愛おしく、彼女の綺麗な髪を撫で続けた。