唸るシスコンに注意!
チョロくないお嬢様はお嫌いですか?
その日の織斑一夏は遅い夕食をひとりで食べ終え、テレビの音を背に食器を洗っていた。半ばひとり暮らしのようだが、忙しい姉を少しでも支えるために家事をするのは楽しかった。鼻唄を歌いながら皿の水を切る。ふと、聞き覚えのある声がして振り返った。
「あれ? 束さん?」
なんだなんだと思いながら、テレビの前に座った一夏は呆気にとられた。テレビをジャックした束が陽気に挨拶をしている。束いわく『二人目』が発見されたというのだ。どんな状況? 頭の中で疑問符が並んでいく。そんな一夏が驚きの声をあげたのは、カメラ目線でこちらを指差す束の言葉だ。
『──それからいっくん。八嶋楓はね。ちーちゃんの結婚相手とかいってるけど、ちーちゃんの嘘だからね。かっくんは承諾してないし、束さんは認めてないからねっ』
「はあっ!?」
『それにそれに。かっくんは私のモルモットだしぃ、一緒に宇宙に行くんだぜぇ。宇宙戦艦でな! すごいだろすごいだろぉぉ。ちーちゃんには渡さないんだじぇ』
「結婚? ちーちゃんだから千冬姉、結婚? なんで結婚? 誰が? ちーちゃんは誰だ?」
そのあとも数十分ほど続いていた束の言葉が耳に入らない一夏は、友人の五反田弾からの電話にすら気づかなかった。盛大に混乱した一夏は悪い夢だと判断し、普段と変わらない明日を夢見て眠りにつく。すでに変わった日常を忘れて。
────翌日。『IS』学園の教室に辿り着いた一夏は未だに現実感がなかった。一夏以外に女子しかいないクラスも夢。自分が起動してしまったのも夢。姉が結婚するのも……。
「いやいや、夢だ。夢なんだ」
そんな一夏を心配そうに見ている『篠ノ之箒』や教室に入って挨拶をする『山田真耶』も頭に入らない。それどころか、クラス中の視線を集めている事実すら認識していなかった。
「織斑君っ。織斑一夏君っ。あのっ、自己紹介なんですけどっ!」
いつの間にか進んでいた自己紹介。副担任である真耶は無視されて涙目になり、クラス中が騒ぎ始めた。それでも一夏は気付かない。未だにブツブツと現実を否定しており、歩み寄る千冬の姿も目に入らなかった。
────バァン!
静まり返ったクラスの中で出席簿を振り抜いた千冬は呆れている。頭を抱えながらも一夏は立ち上がった。
「ぐぅぅ。……千冬姉! なあ、千冬姉! 千冬姉が結婚ってなんだよっ。知らないぞ俺はっ」
「愚弟。自己紹介すらできんのか? あとな。学園では織斑先生と呼べ」
「そんなことはどうだっていい! 重要なことじゃないんだっ! ……なあ、千冬姉。俺達は二人だけの家族じゃないか。結婚って。束さんが結婚って」
「ああ、うむ。その話はあとだ。いいか、一夏。あとで話す」
はにかんだ。そんな風に笑う千冬を知らない一夏に衝撃が走る。
「しっ、知らない男なんだぞっ。いきなり結婚なんて認めないからなっ。千冬姉! 聞いてんのか千冬姉ぇ!」
「いい加減に黙れ。もう一発もらうか? あとな。織斑先生と呼べ」
だから結婚という言葉は二度目の出席簿アタックの痛みで言えなかった。うずくまる一夏を無視した千冬は担任としての挨拶を始める。クラス中のざわめきを圧し殺すような視線を投げる千冬に、真耶の口から小さい悲鳴がこぼれた。
息を飲む生徒達に頷いた千冬は、「八嶋。入れ」と発した。生徒達の視線が強くなる。やや赤みがかった髪色、優し気なタレ目と平凡な顔付きには妙な色気があった。コツコツと歩く姿勢が良く、千冬の隣に立った楓が一礼する。泣き黒子だけでなく、開いた口のそばにある黒子も色気を沸き立たせた。
「名前だけが先行していますが、八嶋楓といいます。つい数日前に見つかった二人目ですので、丸っきり素人です。知識や経験、覚悟といった、なにもかもが足りません。それでも努力したいと思いますので、できれば仲良くしていけたらと思います。左腕は事故なのでお気になさらずに」
再び礼をした楓を一夏が睨む。
「義兄だなんて認めないからなっ」
「ああ、千冬さんの弟さん」
「弟なんていうなよっ。一夏、嫌だ! 名前で呼ぶんじゃねぇ! 千冬姉ぇ! コイツがっ!」
「ああ、うん。織斑君でいい?」
「黙れ織斑。いい加減に織斑先生と呼べ。楓、すまんな。黙らせる」
(そっちは名前を呼びあってるし……織斑君、無残だし痛そう)
生徒達だけでなく、真耶ですらそう思った。
「まあ、いいですけど。織斑先生? こちらも八嶋で大丈夫ですから」
「大丈夫じゃねぇ! 千冬姉ぇは、千冬姉ぇは俺の家族だからなっ!」
「そうだったな。すまんな八嶋。席はあちらだ」
(無視されてるし、二人の空気……あ、四回目)
「認めたくないのはわかったから黙れ。あと織斑先生と呼べ。さもなくば死ね」
クラス中の生徒達が一夏に合掌する。ちょっと涙をこぼしながらも、真耶の視線が動き回る。結論として。
「織斑君っ。自己紹介ですっ!」
(なかったことにしたっ! あ、チャイム?)
幸いなことに? 自己紹介の時間はなくなり休憩時間になる。教卓前の席である一夏から楓の席は離れていて、窓際の最後列に座る楓は制服の裾が長い女性と談笑していた。女性が前で楓が後の席順。端からみて隣席の他愛ない挨拶でも、一夏のフィルターを通すとタラシに見えている。それを睨み付ける一夏に箒が声をかけていたのだが、やはり気付かず、頭に一撃を受けてから幼馴染みだとわかった。
「いいから、一夏。しっかりしろ! 私だ、私がわかるか? 箒だ!」
「うぐぅぅ。……箒ぃぃぃ。…………久し振りだな。な、なあ、箒。あの顔を見てみろ。きっと浮気だぜ」
「あ、ああ。久し振りだな、一夏。あと、浮気ではないと思う」
実は箒、ちょっと引いた。
「いやいや、あれだぞ。千冬姉ぇがいながら楽しそうにしやがって」
「ああ。うむ。そうだな。……な、なあ一夏。それは認めてないか?」
「ハッ。……認めないし認めたくないし!」
呆れて声も出ない箒に一夏は首を振った。箒が夢見た幼馴染みとの甘い再会はなく、どれだけ千冬が素晴らしいかを語られるだけで休憩時間は終わった。
◇
「────であるからして。『IS』の基本的な運用は現時点でですが、国家の認証が必要であり、枠内を逸脱して運用をした場合は刑法によって罰せられる場合があります。……では、ここまでで質問はありますか?」
教卓前で瞳を揺らす真耶は見てしまった。挙動不審の一夏を。
一時間目は自己紹介で潰れたので、二時間目でありながらも最初の授業になる。高倍率の試験に合格した生徒達はいざ知らず、少ない時間で参考書を読んでいた楓ですら理解しているところだ。真耶は緊張しているだろう生徒達を解す意味合いで訊いたのだ。皆がみんなわかっている。一夏がヤバい。汗が酷い。ご愁傷様ですと思っていた。
「殴るぞ織斑。正直に手を上げろ。誰がみてもバレているからな」
肩を揺らす。千冬の声で諦めた一夏は遊ばせていた視線を真耶に向け、それはもうゆっくりと手を上げた。
「おっ、織斑君っ! なんでも質問してくださいね。私は先生ですからっ! 応えちゃいますよっ!」
「はいっ。まったくわかりません!」
「……まったく? 全然ですか? ほんのちょっとぐらい、わかりますよね?」
「はいっ。丸っとわかりません!」
────バァァン!
「織斑。入学前に渡した参考書は読んだか? 楓ですら理解しているぞ。必読とあったが? 隣の席をみろ。その分厚いヤツだ」
「うぐっ。その、分厚いヤツですよね? ……実は、古い電話帳と思って捨ててます」
「撲殺されたいのか? ……再発行してやる。一秒でも早く覚えろ。さもなくば死ね」
「うぐぅ。八嶋! わからないだろっ!」
「まだ三ページ目なので、大丈夫です」
絶望が一夏を襲った。
「いいか? 織斑。『IS』はその機動性、攻撃力、制圧力といい、過去の兵器を遥かに凌いでいる。兵器として発明されていないとはいえ、現状は紛れもなく兵器だ。そんな兵器を深く知らずに扱えば必ず事故が起こるだろう。そうしないためにあるのが基礎知識と訓練だ。そして今習っている箇所は法律となる。いいか? 織斑。今すぐに理解しろとはいわん。だが覚えろ。そして守れ。……織斑だけじゃない、全員にいえるからな。返事っ」
『はいっ!』
「よろしい。山田君」
「あっはい。え、えっと、織斑君? わからないところは授業が終わってからでもいいし、放課後でもいいので訊いてくださいね? 教えちゃいますから、ね?」
「ああ、そうだ。織斑。一週間以内に覚えていなかったら楓に訊くといい。優しく教えてくれるぞ? 何なら、私も付き合おう」
「断るっ! 八嶋の世話にはなりませんから、山田先生っ、お願いしますっ!」
その顔は愉悦。酔っ払って一夏を茶化すさいにみる顔だ。千冬から目を逸らした一夏は歯ぎしりをしながら真耶に頭を下げた。わざとらしく笑い声をあげた真耶の授業が再開される。そのあとの授業は滞りなく進み、休憩時間がきた。一夏は箒の視線に頷き返し、足音を鳴らしながら楓の席へ向かった。
(違う、一夏。そうじゃないんだ。私はお前と甘い展開をだな)
「ちょっとよろしくて?」
いきり立つ一夏をインターセプトしたのは、金髪碧眼のお嬢様然とした巻き毛の『セシリア・オルコット』だ。イギリスの国家代表候補生であり、名門貴族の若き当主である。セシリアはプライドが高い。事故で亡くした両親の遺産を守りきり、代表候補生として成り上がった努力もプライドの高さを助長していた。その高慢にみえる仕草は他人を見下す悪癖に似ていた。幼馴染みでありながらもメイドとして支えてくれる女性にしつこく、それはもうしつこく注意されていたのだが、一夏と千冬の漫才染みた会話ですっかり忘れている。
「悪いけど俺が先だ。八嶋、話がある」
「あらあら。わたくしの話を遮ると?」
「謝っただろ? 八嶋、話があるんだ」
「織斑さんは愉快な方ですわね。わたくしのお話も面白いと思いますわよ?」
「なにいってんだ? いいから、あとにしてくれよ。八嶋に話があるんだ」
ブリティッシュ・ジョーク。
「失礼。俺の記憶が確かなら、ミス・オルコットでよろしいかな? 不幸なことに、これほど綺麗な女性と話した経験がなくてね。彼と話して落ち着きを取り戻したい」
楓の言葉を聞いたセシリアが笑う。
「あらあら。わたくしをご存知でしたのね? それならまあ、ご挨拶が先でしたわね。それではミスタ。彼の愉快な話より紅茶でもいかが?」
「重ねて失礼。短い時間ではミスの美貌が眩しすぎるからね。会話に華を咲かせられないと思っていたんだ。だからこそミス。アフタヌーンでも?」
楓とセシリアの応酬に一夏は戸惑う。
「まあまあ、ミスタ。よろしくてよ? わたくしの想像よりも織斑さんは愉快な方ですし、ミスタは我が国を知ってらっしゃるのね?」
「光栄ですよ、ミス。とても不勉強でお恥ずかしい限りなんですがね。僅かな知識が役立ったようで安堵してますよ。それでは彼と愉快に話してもよろしいかな?」
「ええ、ええ。それはもう、飛びきり愉快に話してくださいな。わたくしは面白いお話しかできませんからね。お誘いをお待ちしておりますわ」
「ありがとう、ミス。美貌に耐えられるほど落ち着いたら、改めてご挨拶に行きますので」
それではと挨拶を交わす二人に、周囲は沈黙している。一夏のいる一年一組は日本人が多数のうえ、セシリアが繰り出す貴族然とした話術に困惑していた。颯爽と立ち去るセシリアのスカートが翻る。千冬という姉がいた一夏は武人然とした態度には慣れていたが、どこか気品を感じる仕草には不慣れだった。
「やっしー、すごぉい。セッシーとの会話、映画みたいだったよぅ」
「そう? 地元にいたときにあった交換留学でね。似たような経験があったんだよ。あの会話は頭を使うから疲れるんだけど、次回からは普通に会話しようって話し合ったからね。良かったよ」
「ふぇぇ。そんな話だったぁ? あ、オリムーと話してないよぅ」
「お、俺か? さっきのは……」
一夏の視線を受けたセシリアが笑みを浮かべ、可愛らしい仕草で手を振ってくる。戸惑いながらも会釈をした一夏は楓に向けて口を開きかけた。
「あ、そうそう。織斑君。彼女はセシリア・オルコットさん。イギリスの国家代表候補生だから話すだけで経験になると思うよ」
楓に対して首を傾げる一夏の頭には疑問符が浮かび上がっていた。だがしかし! 楓には訊きたくないのである。「オリムー?」とかいう、小動物に訊こうと思うが名前を知らない。自己紹介の時間が一夏の記憶にはないのだ。察してくれたのか柔らかい笑顔で『布仏本音』だと教えてくれて助かった。それなのに一夏は布仏の名字を噛む確信があって迷う。
「オリムー?」
これだ。一夏は閃いた。
「のほほんさん。代表候補生ってなんだ?」
あだ名を返せて満足気な一夏。しんと静まる周囲の心はひとつになる。
(織斑君ってバカ?)
「オリムー? バカァ?」
(言ったぁぁぁ)
「織斑君は予習しようね」
「ぐぬぬ……教えてもらおうじゃないかっ」
聞くは一時の恥だと耐える一夏に楓は語る。読んで字のごとく、『IS』操縦者の国家代表の候補生である。そして『IS』コアの数が限られた中で専用機を持つセシリアはエリートと言っても良いと楓に教わった。なるほどと一夏は頷く。最強になった姉が登った階段のひとつを知り、嬉しくなった瞬間にチャイムが鳴った。
「あ、オリムーの用事? 話してないよぅ」
あ。これには堪らず、一夏が吠える。
「また来るからなっ! 逃げんなよっ!」
鼻息を荒くした一夏の動きは素早く、ノートを広げて前を向く。
「それではこの時間は実戦で使用する各種装備の特性について説明する……ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな。自薦他薦は問わん」
先ほどまでと違い、千冬が立っている。
「クラス代表……委員長?」
「そうだ、織斑。クラスの代表者とはそのままの意味だ。対抗戦だけでなく、生徒会の開く会議や委員会への出席もある。……まあ、クラス長だな。ちなみにクラス対抗戦は、入学時点での各クラスの実力推移を図るためだ。今の時点では大した差はないが、競争は向上心を生む。一度決まると一年間変更はないからそのつもりで選べよ」
「はいっ。織斑君を推薦します!」
サッと流した一夏は予習を……参考書がなかった。一夏、セシリアの名があがっていき、ボケッとしていた一夏を千冬が叩いた。
「織斑。他薦されているんだ、聞け」
「はあっ!?」
「は~い。やっしー、じゃなくて、八嶋楓もお願いしまあす」
「ふむ。三人か」
「織斑先生。提案があります。わたくしの実力が明白とはいえ、代表候補生すら知らない方もいらっしゃるので、『IS』バトルで決着を」
「俺はやらないんだってっ!? 千冬姉ぇ、バトルならやるぜ。勝負しろ八嶋! 千冬姉ぇは渡さねぇぜ」
「あらあら。わたくしのことは眼に入らないご様子。織斑さんは愉快な方ですわねぇ。なんといったかしら……シスコン?」
(言ったぁぁぁぁ)
「わかった。織斑を殴るのは一週間後だ。それぞれ準備しておくように!」
「おおいいぜ。それで? ハンデはどのくらいだ? 八嶋はなしだぞ。男だからな!」
千冬のタメ息はクラスを静かにさせた。
「織斑。お前は今、オルコットにハンデを付けさせようとしたな? 『IS』の操縦時間をいってみろ? ああ、いい。時間が足りん。あとで話す」
「お、おう」
「それでは勝負は次の月曜。第三アリーナで行う。それから織斑。お前の『IS』だが準備に時間が掛かるが、これもあとで話す。今は質問するな。頭が痛くなってきている」
「お、おう。すみません」
「放課後、三名は残れ。それまで何も訊くな。質問なら明日にしろ。返事っ」
『はいっ!』
一夏に伝えることは多岐にわたる。一人目の男性操縦者としての稼働データの詳細。それを欲するために限りある『IS』を専用機とする書類。身柄の安全を確保するためのセオリー。緊急時における操縦者としての心得。簡単にいうだけで、これだけあるのだ。放課後に聞かされた一夏の頭は破裂した思いである。
愉快な気持ちになったので『連載』してます。
次回は未定。
誰の視点かなあ?