しん 恋姫†無双 く~ずの一代記   作:ポケティ

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信を主とする丁郎官

 炎に舐め回されている天幕を前にして、張伯はただ立ち尽くしていた。他は燃えておらず、この天幕だけが燃えている。余りにも露骨だ。王才が恐る恐る口を出した。

 

「兄貴、これをやったのは……李然の兵でしょうか? どっかに隠れてて、火をつけたんでないですか?」

 

 張伯は口を真一文字に結んでいた。李然の兵などということはあり得ないことを、張伯は()()知っていた。李然の軍は混乱をきたしていた。とてもではないが、文(字が書かれたもの)を全て燃やすよう指示を出せる者がいたとは思えない。そんな者がいれば、むざむざと李然は討ち取られはしなかっただろう。張伯は王才に冷静に話しかけた。

 

「これをやったのは、恐らく伍倉の手の者でしょう」

 

 王才は縮みあがった。一瞬周りを見てから、肩を丸めた。

 

「そ、それは、何でですかい?」

 

「単純な話です。私を疎んじていて、私を害することで己の利益を欲しいままにすることができ、それを行うだけの実力があるのは、彼ただ独りだからです」

 

 伍倉はなぜ、命令を聞かずに突撃したのだろうか? 上手くいけば、自分は功績を立てることができ、なおかつ邪魔者を敵が排除してくれるかもしれないからだ。

 

「私に協力してくれますか?」

 

 王才はただ首を動かすだけであった。敵はどこにでもいる。そして、内患の敵こそが、最も危険なのである。口だけの人。指示を聞かない人。不和をばらまく人。これらは見つけ次第、早急に除かなければならない。

 

張伯は、(へつら)うばかりの王才を冷ややかに見据えた。王才はどうだろうか。王才の行動はわかりやすい。餌を与えれば、それだけ従おうとする。ただし、恐怖を覚えた時は、その限りではないかもしれない。

 また王才という小人なら、後のことを考えもせず、目先の利益に飛びつくぐらいのことは平気でするであろう。王才がそのような人だからこそ、新参者の張伯に従っているのである。張伯が使える手ごまは、その王才しかいない。張伯は頭を手で押さえながら、陣を後にした。

 

 

 野原には、多くの()()が集まっていた。仲間は輪になっていた。こんな風景を、どこかで見たことがある。張伯はその時のことを思い出そうとしながら、輪の中心に真っ直ぐ向かった。中心にいる人が見える前に、張伯は話し掛けた。

 

「親分、生きていますか?」

 

「ん? おうとも。……ったく、お前は相変わらずねちねちしてやがるなぁ」

 

 張任が、頭に白い繃帯を巻きながら、あぐらをかいて座っていた。頭の傷以外、それらしい傷は見当たらない。

 張伯はほっと胸をなでおろした。張伯は、親分は首を刎ねられてしまっているかもしれないと危惧していた。親分のことなのだから、仲間を売り飛ばしたりはしないだろう。何も話さぬ首領など、首がない方が都合が良い。

 張伯が早く救出に赴いたおかげで、張任は助かったのだ。もしあとニ、三日後であれば、少なくとも厳しい尋問を受けていたであろう。

 

「それでよぉ、さっきその辺の奴から聞いたんだが、今回の作戦、お前が立てたんだって?」

 

 張任は右手に持った酒に口をつけようとしたが、近くの若者にそれを取り上げられた。

 

「ええ、其の通りです。これも親分を助けたいという、強い思いを成就させんとしようしたがためです」

 

「かっ。何言ってるんだか。まーた調子のいいこと言いやがって」

 

 張任は若者を拳骨で殴ると酒を奪い返し、一気に傾けた。そして、にかっと歯を見せた。

 

「でもよぉ、今回は本当に助かった。ありがとよ」

 

 張任の顔はやや赤かった。酒を飲んだにしては、あまりにも早すぎるだろう。

 

「親分からまさか感謝の言葉をいただけるなんて……感激です!」

 

「おいそりゃどういう意味だぁ? あん? もう一回言ってみろぉ」

 

 張任は張伯の頭を小突きまわした。張伯は痛みを感じながらも、笑ってうけながした。周りの者も、昨夜とは比べ物にならないほど柔らかい、ほっとした顔を見せていた。張任は酒を捨てると、すくっと立ち上がった。

 

「よしっ! お前らっ! 帰ったら宴会にするぞ!」

 

 張任の言葉を聞き、皆荷物をまとめ始めた。といっても一部の者は陣に残っていて、そこにあるものを運び出しているのだという。この場には伍倉はいなかった。すると、当然陣の方にいるのだろう。あそこまで張任への忠誠心が高い伍倉が、この場にはおらず、陣の方でめぼしい物を探し集めている。

 

 張伯は少しそのことが気になった。不自然だ。記憶が正しければ、伍倉は肩を怪我していた。とてもではないが、重たい荷物を運ぶことなどできはしないだろう。何せ剣を振り回していただけでも驚きだったのだ。

 もし略奪をしていないのなら、一体何をしているのだろう? もしかすると、探しているのは本当なのかもしれない。最も、それは普通の探し物ではないだろう。もしかしたら黒焦げた死体を探しているのかもしれない。

 

「おやぶぅん、生きていてほんとに……本当によかったです!」

 

 周りの者は皆、お互いに声を掛け合って、喜びの声をあげながら移動し始めていた。中には脚を怪我したのか、肩を支えられながら歩いている者もいた。張伯の周りには誰もいなかった。王才はいつの間にか姿を消していた。親分の近くにいるのかもしれないが、でなければ周りの者を手伝っているのかもしれない。

 張伯は短刀に手を触れながら、今後のことに頭を回らせていた。李将軍を破ったというのに、張伯の心は暗澹としていた。時折歓びの声が張伯の耳に届いた。張伯は誰とも喜びを分かち合わなかった。ただ一人、宙を見据えながら歩いていた。山に近づくにつれ、だんだんと雲が厚くなっていた。

 

 

 集落から白い煙が見えた。一瞬どきりとした。張伯は先の体験からか、それを火事だと思った。しかし、それは杞憂であった。ただ宴の準備がなされていただけであった。足の速いものが勝利を伝えたのであろう。会堂、と張伯が便宜上呼んでいる建物では、多くの女たちが集まって、飯を作っていた。一人の女が張伯に気付き、周りの者に話しかけた。ここからでは声が聞こえない。

 

 しかし、彼女たちは好意的な、そして好奇心に満ちた目を向けてきた。手を振って、小さく笑みをみせる女性もいた。張伯は何も応えで、会堂を後にした。女たちの中に一人だけ男がいるのは具合が悪いと考えたからである。正確に言えば、それを誰かに見られるのは、敵を増やすことにしかならないと見たからである。張伯の胸には、女に囲まれることによる気恥ずかしさは全くなかった。

 

 集落の中を張伯は歩いていた。目的地は決まっていたが、自然と遠回りするように歩いていた。盛大に食料を使い果たしても、軍の糧食を奪って運んでいるのであるから、問題はないのであろう。そして、その前にどれくらい食料が残っていたかについて、知っている者はいないはずだ――自分を除いて。張伯はふと、知っているかもしれないもう一人のことを頭に浮かべた。彼は昨日と今日、一体何をしていたのだろうか。張伯は確かめなければならなかった。

 

 

 

 ぽつぽつと、雨が降り始めた。少なくとも今日は止みそうにない。茶色い土に雨が落ち、土を黒く染めている。作物は茶色いままだった。育たないのは、雨が足りないせいではない。土がよくないのだ。といっても、今から土を入れ替えたとしても、育つ頃には厳しい冬が訪れる。そう、厳しい冬が。

 張伯の恐れは益々強くなるばかりであった。何せここに来て初めての冬なのである。満足に食べ物がなければ、真っ先に死ぬのは自分だろう。張伯は、己の弱さを誰よりも自覚していた。だからこそ、訪ねないではおれなかったのであった。

 

 張伯は家の門についた。木造の、大きな家だ。前に来た時とは違って、閉め切られていた。門の木骨から滴り落ちる雨粒が、まるで張伯を通さんとしているように流れ落ちていた。

 張伯は扉を叩いた。雨のせいで聞こえなかったのかと思い、もう一度叩いた。自分が来た旨を大声で告げたが、何の返答もなかった。中から小さな明かりが見えるため、人がいるのに間違いはない。

 

「子(先生)よ、どうか扉を開けてください。どうか、私を許してくださらないでしょうか?」

 

 張伯は跪いた。それが許しを求める作法なのかどうか張伯にはわからなかった。張伯は相変わらず木の扉を前にしていた。明かりが何度か揺らめいていたが、それだけであった。

 一刻が過ぎた。過ぎた、とは張伯がそう感じているだけであるため、もしかするともっと短いのかもしれない。だが張伯は、扉が開かれるまでずっと待っているつもりでいた。

 宴会に参加する気は最初から無いのだろう。思えば前の宴は、張伯の歓迎会であり、その名づけ親だからこそ彼は参加したのであろう。そして、今夜の戦勝の宴は、穢れを避けるために参加するつもりはないのだ。または穢れというよりも、単に争いごとに関わるのを好んでいないだけかもしれない。最も、穀物庫の場所を調べているのだから、それが本当かどうかも怪しい。

 

「なぜ、私が扉を開けないのかわかりますか?」

 

 小さな声が聞こえた。張伯は慎重に言葉を選んだ。

 

「私が、正の道に則るとはいえない方法で、官の軍を襲ったらからでしょうか?」

 

「良くないと思っていることは、それだけですか?」

 

 雨が冷たかった。

 

「……食料を、一部の者だけに多く渡しました」

 

 やはり、帳簿通りにものがあるのか確認していたのだろう。問題は、なぜそれをわざわざやったのか、ということにある。すでに官の穀物庫を襲わなければならない程、食料が切迫していることを知っていたのだから、もう一度確認する必要はない。もしする必要があるというのなら、それは……。

 

「私には、あまり関係が上手くいっていない者がおります」

 

 張伯は正直に言った。

 

「私は、その者のことがあまり好きではありません」

 

「……子曰、惟仁者能好人、能悪人。(子の言う、ただ仁者のみよく人を好む、よく人を悪むと)。張白よ、あなたには私心があります。だからこそ、本当はその者を好むことができないし、また悪むこともできないのです」

 

 張伯は問いかけた。

 

「私は、私心があるがために、小人(つまらない人)なのでしょうか?」

 

「仁者になるのは、とても難しいことです。ですが、決してできないことではありません」

 

「師よ、もう一度私に万の事を教えて頂けないでしょうか!」

 

 張伯は切れるような声をあげた。雨が張伯の顔をうった。膝から下は泥に浸っていた。張伯がそれを気にすることはなかった。ここが分水嶺であった。

 もしこれが受け入れられなければ、自分はますます悪い立場に置かれるだろう。そうなると、やや分の悪い()()をするしかない。泥がべったりと、脚にへばりついていた。服はとうに意味をなしていなかった。(泥の重みで)脚だけで立つのはもう無理だろう。

 

「私には多くの後悔があります。子曰、君子坦蕩蕩、小人戚戚。(君子はおだやかだが、小人はくよくよしている)。私には、この言葉が真に迫っております。お願いします。私は、親(したしむべき人)を失いたくないのです」

 

 張伯は己をさらけ出した。

 

 雨はますます強くなっていた。張伯の体はかちかちに冷え切っていた。張伯は、それ以降、口を開かなかった。扉のすぐ後ろに、人の気配を感じた。

 

「わかりました。張白、あなたの意気込み、しかと受け取りました。これからも、あなたに教えを授けます。三日後に、またいつも通り屋敷に来るように」

 

 張伯は、恭しく礼をした。何か言葉をはさむのは無粋であると感じたため、そのまま屋敷を離れていこうとした。張伯が背中を見せると、丁程が話しかけた。

 

「そう言えば、ここからでも戦勝を伝える声が聞こえてきました。張白よ、敵の指揮官はどうなりましたか?」

 

 張伯は何の躊躇いや気取りを見せることなく、つまり自然な調子で答えた。

 

「その者は自刃しました。敗北したことに耐えきれなかったのでしょう」

 

「そうですか。敵ながら、節を守ったようですね。他にその者について知っていることはありますか?」

 

 張伯は、様子を見るために、先回りして言った。

 

「いえ、それはわかりません。李将軍の天幕に入ったのですが、誰かが火をつけたため、何も得られませんでした」

 

「なんと……火を。張白よ、どこか火傷を負いましたか? 無事ですか?」

 

 その音色は、張伯を本当に心配しているように聞こえなくもなかった。この雨音では、細かい声の調子がわかりにくい。

 

「ええ、変わりありません。それよりも、文が全て燃えてしまったことが、口惜しくてたまりません」

 

「何と……それは……。いえ、張伯よ、そなたが無事で何よりです。文よりも、生きている我々の方が大事であるのに何ら疑問はありますまい」

 

 そう言う丁程の声は震えていた。丁程の家には多くの書物があった。書を愛する者の性として、文が燃えてなくなることに耐えられないのかもしれない。張伯は重い脚を引きずりながら、屋敷を離れていった。

 

 

 

 帰り際、歓びの声が聞こえてきた。会堂の方を見ると、一際明るかった。中では親分が真ん中の席にいて、皆を楽しませているのだろう。

 伍倉はいるのだろうか。伍倉が丁程に、告げ口をしたのに間違いはない。ただ、先の様子を見るに、お互い親しいわけではないようだ。伍倉は張伯を非難する時に、丁郎官とは言ったものの、嘆いていたぞ、と乱暴な物言いをしていた。もちろん、伍倉の気が立っていたためというのもあるだろう。

 

 しかし嘆いていたのが親分であれば、そんな風には言わないだろう。丁程も、もし伍倉と親しいのであれば、もっと突っ込んだことを聞いてきたに違いない。それをしなかったのは、彼にとって、己が正道に恥じる行いをしたからであろう。いくら弟子とは言え、他者からの指摘で疑念を抱くというのは、余り良くはない。早い話、親分を信奉する伍倉より、一番弟子である己の方に気が向いているのだ。

 張伯には自信がみなぎっていた。元の関係に戻っただけではない。今や、自分は策を立て、その策で親分を救出するのに成功したのだ。伍倉でさえ、そうやすやすと己を害することはできないであろう。張伯には笑みが浮かんでいた。重たい脚のことなど気にはならなかった。張伯は会堂には寄らずに、そのまま家に戻った。

 

 

 

 張伯は家についた。いつの間にか、この陋屋を気に入っていたようだ。今にも潰れそうなおもてをしているが、張伯は中に入るのを厭わなかった。特に物が動かされた形跡はない。水瓶も、そのままにある。どうしてなのかはわからないが、不思議なことに雨が滴り落ちてはこなかった。

 この家は、他の家とは少し違う。少し前まで、この家には誰も住んでいなかった。それなのに、雨漏りしないように点検されているどころか、水瓶まで用意されていたのである。誰が好き好んで、いつ来るともわからない人のために準備しておくだろうか。

 

 張伯は改めて親分の気持ちを知り、深く感謝した。親分がいなければ、自分はとっくに死んでいただろう。張伯は今後のことを考えようとしたが、大きなくしゃみを一つした。このままでは風邪をひくだろう。

 飲み水用でない壷を急いで盥に入れると、張伯はすぐに服を脱ぎ捨てた。熱いお湯につかりたかった。しかし、それはこの世界では贅沢過ぎる。張伯は凍えるような水をすくい、身体にかけた。冷たさが骨に沁みいるようだった。鳥肌が全身に立っていた。

 

「これくらいなら、風邪を引くだけですむ」

 

 唯一幸運なのは、どこにもけがをしていないことだろう。不治の病はごまんとあり、少しのけがが命取りになるこの世界。虫歯で死に至ることもあるだろう。敵は人だけではないのだ。

 張伯はいまさらながら、己の浅慮を憂えた。安心して眠れる日など来ることがあろうか。そんな日は、この世界にいる限り決して訪れない。

 張伯は何度も何度も、冷水を身体にうちつけた。悪態をつきたかった。しかし、あまりの寒さのため、もう口を開ける気がしなかった。冷え切った体が、眠りがほしいと訴えていた。

 今日は激動の日であった。自分は前日に睡眠を十分にとっていたため平気であった。しかし、他の人――例えば伍倉は睡眠をまともに取れたとは到底思えない。そうとう疲れているだろう。

 

 ――だとすれば、今が好機だろうか。

 

 張伯に、ふと冷酷な考えが浮かんだ。敵を取り除くのに、早いにこしたことはない。ともすれば、こちらから仕掛けるのも一つの手であろう。張伯は、傍らに置いてある短刀を見た。これで、あの武闘派に立ち向かえるとはとても思えない。それに、伍倉には仲間も多くいるであろう。ばかばかしい。やはり自分にも疲れが溜まっている。

 張伯は、うつろな目で短刀を眺めた。この短刀がなければ危なかったことも何度かあった。そういえば、この短刀は伍倉が自分に与えたものだった。ということは、この短刀には何か罠が仕掛けられているのかもしれない。

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

 自決用とはいえ、そこに毒を仕込むほど悪辣ではないだろう。毒の管理には注意を要する。何も知らずに持たせていたら、何かの拍子でそれで怪我をして死んでしまうかもしれない。いや、それこそが伍倉の狙いなのだろうか?

 そこまで考えると張伯は、思いっきり顔を盥に沈めた。働かない頭では、何を考えるのも害だ。顔を沈めても、眠気はますます強くなるばかりだった。張伯は体を拭くと、床の上に置いてあった寝間着を身に着け、そのまま寝ころんだ。明日になれば、また何かが変わってくるだろう、そう思って。

 

 張伯の脱ぎ捨てた衣服から、油紙の包みが顔を出していた。

 

 

 


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