しん 恋姫†無双 く~ずの一代記   作:ポケティ

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仁義なき戦いの序幕 詭計

「それで、どうしてあっしらはこんなところに寄り道するんですかい?」

 

 王才が張伯に尋ねた。王才は若くはあるが筋骨隆々、人に尋ねるのを恐れることをしなかった。張伯は言った。

 

「見て分かるとおり、()っているんです」

 

 張伯らは近くの村々を廻っていた。張伯は村に着くと、代表者を呼び、武器と農具を交換してくれないかと頼み込んだ。皆これには大層驚いたが、不作が続いているため、使い道のない農具よりも()()()の時の備えとなる武器を持つことを選んだ。それ程までに食料が不足していたのである。

 

「でも、伍倉の奴は別に行動しているじゃないですか」

 

「彼には、血気盛んなものを集めて武器を持たせ、しかるべき時まで隠れてもらうことになっています。彼には彼の、私たちには私たちの役割があるのです」

 

 そう言うと張伯は、村の人々に目をやった。張任らの集落は近くに山や川があるために、餓死者を出すことなく何とか凌いでいた。しかしこれらの村では、荒れ果てた田畑を歩き回り、稲穂や何かの草などを拾って食べている者がいたのである。

 聞けば、税の取立てで倉にある食料を全て持っていかれてしまったのだという。村の中には、壁にもたれて動かない者もいた。それらはみな例外なく手足から骨が浮き出ていた。

 

「これは酷い……」

 

 張伯はふと言葉を漏らしたが、それが意外と大きかった。粗相をしたと思い周りを見たが、こちらに目を向ける者は村の代表者を除いては誰もいなかった。仲間は張伯になど目もくれず、村の中を睨みつけたまま、何も言葉を発しなかった。

 

「それで、どうして農具なんかを……? まさか来年のために耕すわけでもないじゃろう?」

 

 代表者が聞いてきた。白い髭を生やした初老の男性で、杖を握る手は角ばっていたが、それが餓えのためかそれとも老いのためなのかは、張伯には見当がつかなかった。

 

「その前に私の方から一つお伺いしたいことがあります。あなた方は武器を得て、何を為そうというのですか?」

 

 張伯はぎろりと老人をにらみつけた。王才が張伯を宥めるように言った。

 

「まあまあ、張伯さん。あのー、武器っっちゅうのは、いろいろと要り用ですから。ええっと、ほら、例えば狩りをするのに。素手っていうんじゃぁ、困っちゃうでしょう」

 

 剣や槍や矛が、狩の道具というのは笑いものであった。まさか、猛獁を狩るわけでもあるまい。張伯は老人から目を離さなかった。張伯は老人が何と答えるのか、それが知りたかった。老人はわずかの間目を閉じていたが、やがてゆっくり開けて言った。

 

「近いうちにまた取り立てが来ます。まだ税を納めきれていないからです。ここまで言えばわかるでしょう。黙ったまま私たちは死にたくないのです」

 

 老人の杖がかたかたと音を立てていた。張伯には、それが衰えのためだとは思えなかった。

 

「いまあなたがたは瘦せ細っています。時期になっても、()が出せないのではないでしょうか?」 

 

 張伯は続けた。

 

「ですが、もし()が出せるのであれば、その時は私たちと一緒になって()を挙げませんか?」

 

 老人は黙っていた。目の奥には光が見えるが、それがどんな感情なのかはわからない。

 

「……それは、あなたたちの下になって、ということかな?」

 

 張伯は目を細めた。王才がまた宥めようとしたが、これを手で制して言った。

 

「その通りです。張の親分に従ってもらいます」

 

 張伯の首を汗が伝った。老人の髭で口元は見えなかった。

 

「上は、税を取り立てて何もしない。じゃがお前さんたちは違うかもしれない。じゃからそれを証明して欲しい」

 

「わかっております。吉報をお待ちください」

 

 交渉は終わった。張伯は王才を仲間の管理に向かわせた。仲間が誰もいなくなったのを見て、張伯は老人に尋ねた。

 

「ところで、一つお尋ねしたいのですが……」

 

「何でしょうか?」

 

「この近くで一番大きく、人が住んでいるところは何と呼ばれていますか?」

 

「それは朗陵国でしょう。ここから南に何日か歩かなければなりませんが」

 

「ありがとうございます。あともう一つだけお伺いしたいことがあるのですが――」

 

 

 かくして、張伯らは武器と農具を替えることに成功した。これは張伯にとって一石二鳥の策であった。村々は武器を持っていないが、その心には闘志がある。今は餓えのために押さえつけられているが、食料を与えればそれは膨れ上がり、ついには破裂するだろう。武器を持つ者がいつまでも唯唯諾諾とする訳がない。立ち上がった時、必ずや張伯らを頼るであろう。

 

 そして代わりに農具を持つことは、これもまた張伯の策であった。唯一気がかりなのは、演説をしてから大分時間が経っていることだった。交渉に付き合わされて村々を巡りまわるのは、交渉の当事者でなければ退屈で仕方ないことだろう。張伯はこのことを王才に尋ねたが、返ってきたのは意外な答えだった。

 

「とんでもありやせん! あっしらは他の村に行くことなんてまずありません。でも、今日こうして見て、ますます怒りが増してきやした! もう、何て言っていいのかわかりやせん!」

 

 みな演説の後に、村々を見て回ると聞いた時に肩透かしをくらったが、その分怒ること甚だしかった。張伯は、何も言わないということも、感情を表す有効な手であることに気付いた。仲間も村の惨状を見て怒っていたし、老人も怒っていたのだ。

 張伯から見て王才は、とても使()()()人間であった。単純に素直であるし、こちらの言うことをよく聞く。あまり頭の回転は早くないが、かえってわかりやすく従順な人間であった。

 

「それで、そろそろ策っちゅうのを、教えていただけないでしょうか?」

 

 王才が話しかけた。王才がこう言うということは、転じて他の人たちも同じように考えているということを意味する。王才を見れば周りの反応がわかるのだ。それも王才が使いやすい人間である理由の一つであった。

 

「ふむ、そうですね。ではお話しましょう。みなさん、心して聞いてください。これはみなさんの協力なしに成し遂げることはできません」

 

 張伯は辺りを見渡した。みな緊張した面持ちで立っていた。

 

「これから、私たちは農民として、李然の元に向かいます」

 

 次に言葉を言うのに勇気が必要なのは、あらかじめわかっていた。

 

「そして、その農民というのは、賊の略奪を何度も受けて、その賊を殺そうと考えている農民です」

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

 仲間の誰かが声を挙げた。

 

「親分はそんなことはしねぇ!」

 

「もちろんそんなことはしません。ですが、大事なのは、わたしたちが賊を殺そうと思っているということを、敵に示すことです。これができなければ、親分は助からないでしょう」

 

 張伯は周りを牽制しながら話を続けた。

 

「私たちが賊をこの手で殺したいと言うのです。そうしておいて、敵が引き渡してくれるのであればそれでよし、そのまま攻撃します。渡してくれないのであれば、これもまたそのまま攻撃します」

 

「それじゃあ、どの道攻撃するんでないですかい?」

 

 王才が張伯に問うた。

 

「その通りです。しかし、この策で一番大事なのは、警戒されずに敵の喉下にまで近づくということです。攻撃すれば、敵は慌てふためきますから、そこを別に動いている伍倉らが追撃します」

 

 張伯は、策の目的や細かい内容まで話さなければならなかった。そのようなことまで言わなければ皆動かないことに、張伯は今更ながら気付いた。

 

「ですから、みなさんには、敵になぜ賊を殺したいか聞かれた時のために、言い訳を考えてもらいます。畑の野菜を取られただとか、逆らったら殴られたとか、そういった感じのを」

 

 仲間は少し戸惑っていた。一種のだまし討ちに当たるというのが気がかりなのだろう。張伯は言葉を継ぎ足した。彼らの心に訴えかけたのである。

 

「みなさん、この村を見てください。みなさんはこれを見て、何の感情も抱かないような冷酷な人間なのですか? このようなこと、例え天が見逃しても、私たちは――親分は、決して見逃さないのではないでしょうか?」

 

 怒りが燃え上がっているのを、張伯は感じた。

 

「わたしは、みなさんはとても勇敢で、仲間思いだと考えています。ですから、最初は敵を目の前にしても堪えていただきたいのです。どうかよろしくお願いします」

 

 張伯はそう言うと頭を下げた。そのせいで誰が気を走らせて、親分はそんなことはしない!、と叫んだのかわからなくなった。張伯の首に汗が浮かんだ。皆が必ず張伯の言う通りに動いてくれるとは限らないのだ。

 張伯は己の策に一抹の不安を感じながら、村を後にしたのであった。

 

 

 

 

「やはり宦官から恨みを買いすぎたか……」

 

 洛陽南部尉の李然は頭を悩ましていた。というのも、彼の職分は洛陽の治安を守ることであったからである。それがまさか外に出て、賊を討つことになるとは、思いもよらなかったのである。これには、諸々の()()が働いている。

 まず、李然は職務を果たすことに忠実であった。それは美徳であると同時に、厄介な問題を引き起こしかねない因もはらんでいた。本来であれば宮中から外に出ることを許されていないはずの宦官らが、都内に赴くことがあった。李然はこれを見逃すことはしなかったが、同時に厳しく処罰することもなかった。宦官の力が強かったためである。

 

 少し前まで、都では外戚と宦官が争いを繰り広げていた。しかし宦官の勢い抑々(いよいよ)押さえがたく、ついには外戚と清流派官僚が手を結び、宦官に対抗しようとしたのである。外戚と清流派官僚の関係が水と油であることに疑いようはないが、そこは敵の敵は味方と考え、宦官を倒すために協力したのである。その外戚というのが(とう)氏であり、清流派官僚(の代表)は陳蕃(ちんはん)であった。

 しかし、宦官を一気呵成に絶滅せんとしたがために、それが宦官の知るところとなり、たちまち両者共に殺された。宦官が勝利したのである。これを党錮の禁と言う。その禁の対象が仕舞いには、清流派党人(党錮の禁で罪に処せられた者)の一族郎党にまで拡大していた。

 

 李然は当然それを知っており、宦官の不興を買わないよう、慎重を重ねて行動していた。しかし生来の気質は抑えがたく、宦官の罪を軽くすることはあれど、見逃すことは決してなかった。一度厳しく取り締まれば、さしもの宦官でもむやみやたらには動かなくなるはずである。ところが李然は曖昧な態度をとり続け、それがために多くの宦官から酷く不興を蒙ることとなった。当然、生き残った文官からの評価も悪い。

 

「頼みの綱の援軍も来ないのではな……」

 

 そして第二に、賊の跳梁跋扈する所が問題であった。何せ奴らの拠点は豫州の汝南群と荊州の南陽群の間の山々のどこかなのである。これだけでもそれがもたらす問題が予期できるというものである。

 同じ州内であれば、刺史(その州の監察官)がその州内の郡太守や相の折衝を行うという奇策を使うことができる。しかし州が違えば、お互い兵を出すことを嫌がるか、あるいは己の領分(権利)を主張し、協同しての討伐は望むべくもない。そしてここに汝南群特有の事情が絡んでくる。

 ここ汝南群は名門袁氏の拠点であり、他にも多くの豪族らが集まるところである。そして彼らも賊の早期討伐を一応は願っていた。一応というのは、彼らにとって辺境の山々の賊など、どうでもよかったからである。とは言うものの、目の上の()()()ぐらいのものではあったので、取り除けるのならそうしたいと考えてはいた。しかしそこは豪族の寄り合い、出すのは兵ではなく、口ばかりであった。

 

 ここに李然を疎ましく思う宦官と、賊がいなくなることを願う汝南群の豪族が手を取り合い、果たして李然は張任という輩を首領とする賊を討って出る羽目になったのである。李然が死んだところで宦官が喜ぶだけであり、それでもし失敗したとしても、また別の誰かを送ればよいだけなのである。まさに討ってくれたら儲け物、という扱いであった。

 李然は汝南群の豪族らに協力を求める文を送ったが、その返事は美辞麗句で彩られ、協力するといってもその内容は()()()れていた。また兵が送られて来ることもあったが、浮浪者や罪人、病人や怪我人といった、およそ戦に使い物にならない奴ばかりであった。

 

「まぁ、仕事をこなすしかあるまい」

 

 常人であれば気力を失うところではあるが、そこは李然、そういった事態は何度も経験済みであり、いつものように仕事をこなそうとしたのである。洛陽北部尉の曹操に銃後を預ければよいため、李然は自身の兵を全て持ち出すことができた。といっても所詮はただの洛陽の警察であり、大罪を犯す者を捕縛することはあれど、戦の経験はほとんどなかったのだが。

 李然は己が兵の様子を見た。みな洛陽からの遠出に浮き足立っていた。緊張した面持ちでいるものの、どこか気楽さを感じさせるような笑顔を見せていた。中には山を歩いたために足を痛め、引きずりながら歩く者もいた。いつの間にかいなくなっている者たちも多くいた。無論汝南群からの者であった。李然は沈鬱とした面持ちで、深くため息を一つついた。

 

「これではだめだ。とてもではないが、勝てる筈がない」

 

 

 ここまでが、雒陽を泳ぐのに不慣れな、不器用を体現した男の物語であった。

 

 これが実際に戦ってみれば、一度の夜戦で首領の張任を捕らえるという大手柄を立てたのである。これこそがまさに戦の妙であった。戦の前までの暗い顔はどこへいったのやら、李然はにこやかに陣中を歩き回っていた。

 

「李洛陽南部尉殿! 少しお話が……」

 

 兵の一人が話しかけてきた。

 

「む、どうした? 何があった」

 

「それが、近くの農民たちが、賊に略奪されたのを恨みに思っていて、今回我々が捕らえたというので、是非とも殺したいと」

 

「何だと? それは、本当なのか?」

 

 李然はそれに食いついた。周りは敵ばかりであるため。彼は農民の支持でさえ欲しかったのだ。それが物語の結末を決めた。

 

「はい。もう陣の前にまで来ております。みな農具を持っております」

 

「とにかく一度様子を見よう」

 

 そう言うと李然は幕屋を出ると、供の兵を引き連れ、農民の元へと向かったのであった。

 

 

 

 張伯らは、否、張伯を除いて、みな緊張を隠しきれていなかった。つっかえるように、私は恨んでます、殺してやりたいです、などと何度も言う者が後をたたなかった。 張伯は早まったことをしたと悟った。あまりにも怪しすぎる。まさかここまで仲間が機転が利かないとは予想だにしていなかったのである。王才もそこまで流暢という訳ではなかった。張伯は文字通り己に全てがかかっていることに気付き、固唾を呑んだ。

 

 張伯は敢えて何も武器を持っていなかった。兵の注目は張伯に注がれていた。張伯が率いていたから当然のことであった。張伯が、()()が来た訳を告げてから、すでに一刻がたっていた。兵たちのざわめきが聞こえてくる。

 張伯はゆっくりと身体を動かし、辺りを確認していた。ちらりとだが、兵を挟んで反対側で、黒い影がゆらめいているのが見えた。あれが伍倉たちであろう。兵たちがそれに気付いた様子はない。喉が渇いて仕方がなかった。唇は乾ききっていた。張伯は、紫色でなければそれでよい、と思ったが、自分でその色を確認することはできなかった。

 

 ふと兵たちが騒がしくなった。ついに李然がその姿を現した。流石に護衛の者が何人も取り巻いていた。張伯は一歩前に進み出た。

 

「貴殿は?」

 

「某は姓は高、字は元公と申します。朗陵国の下役を務めております」

 

 張伯は恭しく礼をした。倉にある中で一番よさそうな服を着てきたが、これが地方役人の装束なのかは見当がつかなかった。あまり露骨にならないように、少しだけ目を上にやった。逆光のせいで、表情は伺えなかった。

 

「ふむ。それで、こんなところまで何用か?」

 

 張伯は頭を下げたまま答えた。

 

「私どもは賊に何度も煮え湯を飲まされてきました。此度、李南部尉が賊を打ち破ったと耳にして、居ても立ってもいられなくなり、参上した次第です」

 

 張伯は頭を上げた。李然はやや訝しがっているようだった。

 

「それで、後ろにいるのは?」

 

「彼らは賊に長い間虐げられていたのです。それで、此度の快報を耳にし、駆けつけてきたのです」

 

 張伯はやや下を向き、少し戸惑いを見せ、また前を向いた。

 

「それで、彼らなのですが、その……、どうしてもこれまでの仕返しのため、賊たちを殺してやりたいと」

 

 張伯はそこで、少し顔を歪めて泣き顔を作った。李然を見る余裕はなかった。

 

「私は何度も抑えるように言ったのですが、彼らはそれに従おうとせず、それで……」

 

「相わかった。高元公」

 

 李然は張伯に歩み寄った。張伯の心臓は飛び上がった。

 

「そなたも苦労されているのだな」

 

 李然はそう言うと、うんうんと頷いた。張伯の首から汗が落ちた。つかみは良好だった。しかし、張伯は已然警戒を解かなかった。

 

「ところで、賊どもは官の倉ばかり襲うと聞いていたのだが、どういうことなのだ?」

 

 それがよかった。張伯は一瞬だけ顔を引きつらせたものの、すぐに元に戻した。

 

「とんでもございません! あやつらは、何度も民を襲っています! 確かに初めは食料などを要求するだけです。しかしそれを断わった途端、切りつけてくるのです!」

 

 張伯は語勢を高めた。後ろの仲間を気にしている余裕はなかった。恐らくはむっとした顔をしているのだろう。頼むから先走らないでくれ……! 張伯は全神経を李然に集中しつつ、それが気付かれないように心を配った。

 

「ふむ、そうなのか……。確かに、民の被害が上にまで伝わることはそうそうないだろう」

 

 心当たりがあるのか、李然は顎をなでた。そして、もっと近づくよう、手をこまねいた。李然が手を動かした瞬間、それが殺しの合図なのかと思い、張伯の心臓はまたも跳ね上がった。しかしその意を察すると、ゆっくりと近寄った。

 

「実はだな、賊なのだが、頭領以外みな殺してしまったのだ。ただその頭領も、首を都に持っていかなければならないから、傷つけるわけにはいかんのだ」

 

 李然がひそひそと話しかけた。張伯は、張任が死んでいないことを知り、安堵した。

 

「わかりました。それでは、死んだ賊らを此方に引き渡していただけないでしょうか?」

 

 李然の顔色がさっと変わった。

 

「なんと。なぜそのようなことを? まさか、辱めるつもりではおるまい」

 

 李然の頭に浮かんだのは、太史公の著した『史記』に出てくる伍子胥であった。

 

 伍子胥求昭王。既不得、乃掘平王墓、出其尸、鞭之三百、然後已

 (伍子胥は昭王を求めたが、見つからなかった。そこで平王の墓を堀ると、屍を晒し、これに鞭打つこと三百。其の後にやっと止めた)

 

 張伯は己の失策を悟った。死んだ賊などどうでもよいと、すぐに引き渡してくれると考えていたのだ。都からはるばる来たのなら、むしろこちらの歓心を買おうと、積極的に渡してくれると信じていた。しかしながら、後漢の時代と言えども、死者に対する尊厳は()()あまりあるようだった。

 

「そうではありません。死した賊を見れば、彼らも留飲を下げるだろうからです」

 

 そう言うと、李然は納得したようであった。張伯はほっと胸をなでおろした。このまま続けていたら、いつかぼろが出るかもしれない。死体が現れた時こそ、仲間は一番奮起するだろう。だからその時を戦の時にしようと張伯は考えていた。

 李然は兵に指示を出している。傍らには李然の剣を持った兵が仕えていた。隙を突けば、剣を渡す暇など、とてもではないがないだろう。李然が仲間を横目で見ながら、張伯に話しかけた。

 

「しかし、そなたも大変であったろう。たった一人で、農民をここまで宥めすかして連れていかなければならないのだから」

 

「いえ、そんなことはありませんでした。私もこの度の知らせを聞いた時は、体が震え上がりました」

 

「ははは、そう褒めるでない。本当に楽であったよ。なんせ――」

 

敵襲! 敵襲!

 

 突然陣中に怒声が響き渡った。張伯の頭には伍倉が浮かんだ。まさか、そんなことは。張伯は、すぐ隣りに立っている李然から目を離すことができなかった。戦が始まった。

 

 


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