しん 恋姫†無双 く~ずの一代記   作:ポケティ

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忠信を主とする異邦人

 

 

 遊子猶行於殘月 函谷鷄鳴 (旅人なお殘月に行く、関所に鳥は鳴く)

 

 

 影が追いやられ、色が浮かび上がりつつあった。たまに鳥の鳴き声が聞こえる程度で、静かであった。張伯は丁程に先行して、道中の安全を確かめていた。集落に残っていた者は全て殺されただろう。ここにいる自分と丁程を除いて。昨晩の悲鳴はまだ耳から抜けなかったが、張伯の心は穏やかであった。

 張伯と丁程は、有事の時の避難場所を目指していた。山を三つも越えた先、といっても抜け道を使えば楽にたどり着ける場所だ。張伯が自分でこの場所を見定めたのだ。それは攻められにくいという点を最も重視した拠点であった。

 あの集落は山奥にあり、見つけられにくいという点で優れていた。しかし、柵と門がある程度で、防御には特に優れていなかった。だからこそ負けたのだ。敵の動きは見事という他はなかった。夜襲によりできるだけ隠れて近づいてから、鮮やかに門を封鎖。それからゆっくり此方をなぶり殺しにしたのである。あの青い女の的確な指揮、そしてそれに従う優秀な兵、敵地の詳細な情報。それらが相互的に作用し、勝利の栄光がもたらされたのだ。もしあの集落にもっと防備施設があれば、あるいは()()()()()を過信しなければ、むざむざと殺されることはなかった。

 

 

 だが最大の懸念は、誰が集落の場所を漏らしたのか、という事にある。そう簡単には探れないはずの場所に、敵はそこにいると予め知っていたかのように真っ直ぐ向かっていた。いや、前もって知っていたのだ。もし偵察を出して慎重に探しているのであれば、いつぞやの李然の兵の時のように、此方も気が付いたはずである。となればやはり誰かが裏切ったのだろう。

 だが、張伯にはそれが誰なのかわからなかった。集落に住んでいる者は当然自分たちの居場所を知っている。それを敵に伝えることができた者は誰だろうか? それができる者は何人か浮かぶ。では肝心な、その目的は何だろうか? 集落の皆が死んでもなんとも思わない人間、そんな者がいるとは考えにくい。一体何のために羊の場所を知らせたのだろうか? 

 

 張伯はその疑問を、後ろを歩く者には尋ねなかった。代わりに別のことを聞いた。今しか聞く機会はないと思ったからである。

 

「子(先生)よ、道とは何なのでしょうか?」

 

 短刀で草や木々が跳ね飛ばされた。パキッ、と短く木が悲鳴をあげた。

 

「道というのは、以前私が婚姻の儀の時にもらした言葉ですね」

 

 丁程はさして気にすることなく、ゆっくりと答えた。

 

「その通りです。智の優れた女性でもたどり着けるかどうか、という道のことです」

 

 曹操は智も優れていた。すると、彼女も道にたどり着けるのだろうか。どんな道であれ、最終的にはたどり着けるだろう。張伯にはそんな確信があった。

 

「道というのは、最高の徳のことです。この世の真理のことです。子(孔子)でさえ、たどり着けたかどうかは定かではありません。況してや他の人間となれば、その道を見つけることさえ叶わないでしょう」

 

 張伯には、最高の徳と真理の道が並列で語られることが理解できなかった。そのようなものを目指す必要性も感じなかった。好奇の色は急速に失われつつあったが、更に突っ込んで聞いた。

 

「その道というのは、人によって異なるのでしょうか?」

 

「仁であれば、人によって異なると言えます。ですので仁の道に則る場合は、一つしかないでしょう」

 

「他の道には、どのようなものがあるのでしょうか?」

 

「それは……わかりません。そんな物があるのかどうかも」

 

 会話は終わった。この時代では、君子には礼を修めた人、あるいはそれを目指している人という意味がある。むしろそちらの意味が強調されてさえいる。人格の優れた者でなければ国を治められない。そんな観念が浸透している。どちらも、張伯にとってはどうでもよかった。仁がなかろうと人は道に到達できるだろうし、君子でなくとも国を治められるだろう。少なくとも後者は歴史が証明している。話している間、張伯は常に先導し、後ろを振り返ることは一度もなかった。

 

 

 

 

 張伯と丁程は拠点についた。誰もが動いていた。動かずにはいられないようだった。襲撃があったことを既に知っているのだろう。その中で一人だけ、此方を見下ろしている者がいた。張伯は何も言わず跪いた。

 

「報告いたします。昨晩私たちは曹操の軍の襲撃を受けました。逃げ延びた者は私と丁郎官のみで、他の者は恐らく全員殺されました」

 

 張伯は白い刃を見た。陽射しの中にあるにも関わらず、前に見た時よりも更に冷たい光を発していた。

 

「…………それで、お前は何をしていたんだ?」

 

「皆と一緒に戦わず、一人逃げ出しました」

 

 張伯に突き刺さる視線が、さらに強くなった。周りの者は、張伯らを逃がさないように囲っていた。

 

「そうか」

 

 親分はそう言うと、丁程を見た。

 

「丁郎官とは途中合流いたしました」

 

 張伯も丁程を見た。白い髭を生やし、綺麗な装束であった。そう、何の汚れもない服装であった。

 

「私は、敵に捕らわれました。その後、何故か敵に解放されたのです。何故なのかはわかりません」

 

 丁程は殺気立った様子にやや気おくれしていたが、落ち着いていた。

 

「……多分、お前は文官かなんかだと思われたんだろう」

 

 親分はそう言うと、張伯をじろりとにらみつけた。首筋の一部分に、冷たいものが押し当てられた。

 

「張伯、何か言い残したことはあるか? もし俺たちがお前の言う策で家を離れていなかったら、大切な仲間が殺されることはなかった」

 

 正念場であった。このままでは自分は殺されるだろう。唯一の救いは、張伯は事前にその備えを怠っていなかったということである。

 

「申し開きもございません。ですが、一つだけ許してくださりませんでしょうか」

 

「何を許せっていうんだ」

 

 親分の腕に血管が浮かび上がっていた。親分は、怒りを寸でのところで止めていた。親分が動かない以上、周りの者も動くことはない。死ぬまでには、まだ時間があった。張伯は真っ直ぐ親分の目を見詰めた。

 

「私が、これから犯す罪のことです」

 

 

 

 

 

 静謐であった。大勢の人間がいるというのに、誰も言葉を発していなかった。誰もが呆気に取られていた。動くまで、まだ時間があった。

 

「順を追って説明いたします。親分を助け出した後、私は李然の幕屋を調査いたしました」

 

 張伯は息を吸った。それだけの動作がじれったく感じた。少しでも話への興味を失わせてしまったら、あっという間に殺されるからだ。

 

「そして、幕屋には火がつけられました。私は命からがら逃げ出しました」

 

 張伯は周りの者には目もくれなかった。

 

「その時手に入れた文が此方になります」

 

 張伯はゆっくりと懐に手を入れ、竹紙を取り出した。その後、見えるように慎重に開くと、頭よりも高く持ち上げた。親分は少しの間その文を見た。それだけで十分だった。少しでも文に目をあててくれれば。張伯は喉から力の限り声を吐き出した。

 

「親分、いや張任、あなたは読めるはずです。仕官しようと努力していたあなたなら!」

 

 場を支配したのは驚きであった。学がない人間が字を読めるはずはない。一体誰が、山賊の首領が字を読めるなどと思うだろうか? 

 

「この文にはなんと書いてあるんですかい、親分?」

 

 張伯が聞こうとしたことを、仲間が代弁してくれた。よい徴候だった。

 

「……ここには、賊の襲撃を知らせてくれた褒美として、其の者と俺の助命を認めるとある」

 

「其の者とは、一体誰ですか! 俺たちを裏切ったのはっ! 親分、教えてください!」

 

 ここまで来れば一先ずは安心だ。張伯はほっと一息ついた。後は何もせずとも、勝手に皆が踊ってくれる。

 親分は口を重々しく閉じていたが、やがてぽつりと答えた。

 

「………………丁程だ」

 

 皆の視線が集まった。丁程は張伯が文を取り出してから、下を向いていた。今もそうだった。それが、親分の言葉が事実であることを雄弁に物語っていた。

 

「張伯。お前の言う、これから犯す罪っていうのは、これのことか?」

 

「その通りです、親分。弟子が子(師匠)を告発するなど、本来はあってはなりません。儒の教えに全く背いた、外道の行いでございます」

 

 逆説的だが、だからこそ、大きな説得力を持つ。張伯は言葉を続けた。これだけではまだ足りない。

 

「私は、この文を手にとってから、毎日悩んでおりました。いっそのこと捨てようかと考えたほどです。何かの間違いであって欲しい、そう願っておりました」

 

 張伯は懐から、白い紙を取り出した。

 

「これは、曹操からの文です。ここにも、子と親分の助命を確約する旨、また子に官位を与える約束が示されております」

 

 またも驚きが広がった。張伯は一気に畳み掛けた。

 

「私が火あぶりにされるだけであれば、それでもよかったのです。ですから曹操の文を手に入れても、黙っておりました。しかし、そのせいで先の惨劇が起こったのです!」

 

 張伯は頭を地面にたたきつけた。意外と痛かったが、張伯がそれを気にすることはなかった。

 

「申し訳ありません! 私がもっと早く、このことをお伝えしていれば……そうすれば、子はこれ以上罪を重ねることも……」

 

 丁程は茫然としていたが、はっと頭を上げた。

 

「いえ、違います! 私は、曹操には文など出しておりません!」

 

 親分はその言葉を一刀両断に切り捨てた。

 

「だが、李然には出したんだろう」

 

 そうだ、そうだ、という声がそこかしこから聞こえた。丁程は何か言おうとしたが、黙って下を向いた。表情は見えなくなった。

 

「襲撃があった時、私は戦おうとしました。ですがもし私が死んだら、このことを知る者は誰もいなくなってしまう。ですから、私は何としてでも、たとえ地面を這ってでも、逃げなければならなかったのです!」

 

 張伯は安堵した。心は晴れやかだった。張伯の、一世一代の賭けは成功した。陽射しが祝福しているかのように照らしていた。全てが、全てが自分のためにある気がした。

 怒声の中、親分はしばらく何も言わなかった。だが、涙を流す丁程に近づくと、低く、透き通った声で言った。

 

「なぁ、丁休。俺は一度だって、俺の命を助けてくれなんて言ったか?」

 

 丁程は何も言わなかった。口が開くのを忘れているかのようであった。誰も、何も言えなかった。誰も、そこには立ち入れなかった。張伯は、丁程の名は、休というのだと初めて知った。親分しか知らなかったのだろう、皆が一瞬止まったのを張伯は見逃さなかった。

 

「俺はなぁ、皆が生きてられるんなら、それでいいんだ!」

 

 親分に胸倉をつかまれても、何も言わなかった。

 

「そこには、お前も入ってるんだっっ!」

 

 親分は手をはなした。丁程は膝をついて倒れた。親分は雄たけび声をあげて、涙を流していた。誰も動こうとはしなかった。倒れたまま、丁程は小さい声で、張伯の方に頭を向けて尋ねた。なぜ、裏切ったのですか、と。張伯は、それに対してこう返した。

 

 子が始めて会ったときに仰っていた通りです、と。

 

 

 

 

 太陽は頂上に登っていた。丁程はぼんやりと空を見ていた。裁きの時間が迫っていた。誰が決めたわけでもないが、その時間に近づいていることは誰もが感じていた。親分は、丁程を殺さなければならない。もし許してしまったら、自分の命が助かるのなら仲間を見捨ててもよいと認めることになってしまう。そうなればこの集団は崩壊する。親分は暫らくの間腕を目に当てていたが、ついに覚悟を決めた。

 

「何か、言い残したことはあるか?」

 

 丁程は何も言わなかった。ただ体を起こし、首を伸ばして、待っていた。

 

「何か、何かねぇのか!」

 

「…………私は、貧しい者を救いたかった。ですが、月日が流れ、いつの間にかその思いを失っておりました」

 

 これは、本音だろう。そしてまた、敵に官職を求めたのには、京師に返り咲きたいという思いが、丁程になかったことは否めない。

 

「っつ、そうかい……」

 

 親分は、ゆっくりと呉鉤を上に持ち上げた。影が、丁程に差し込んでいた。丁程は静かに目をとじた。親分は、その手を、振り下ろした。

 

 

  ――――――腕を振り回して力を入れれば人の首は軽く落とせる

 

 親分の言は、正しかった。

 

 

 

 

 死は、集落の皆の後に、一人の哀れな帳簿係りを連れて行った。どこまでも孤独な男であった。漢を離れてからも、心の中では漢にしがみついていた。墓守は死んだ。漢に執着せず、今に注力していたら、こんなことにはならなかったであろう。墓守が死んだらどうなるだろうか? 墓が荒らされるに決まっている。

 張伯は、簡易的な木の家で横になっていった。それは簡易的ではあるが、張伯の家とさほど変わらなかった。違うところといえば、少し隙間が広く、天井が低いくらいだろうか。他の者はたいていは、地面にそのまま寝ている。張伯は疲れていた。昨晩は眠ることが能ず、這いずり回ったせいで体中が痛かった。もう、泥のように眠りたかった。だが其の前に、一つだけやらなければならないことがある。それをすることなしには、眠るわけにはいかなかった。ザッ、ザッという、短い周期の音が聞こえる。あまり大きくはない。体重が軽いのだろう。張伯はのろのろと体を持ち上げた。

 

「お帰りなさい。生きていてくれて、本当によかった……」

 

 夜になってから、一つ嬉しい知らせがあった。張伯の妻と、その友人が見つかったという知らせだ。だがその知らせにはじくじくとした疑義が含まれている。だからこそ、向こうが出向くのを張伯は待っていた。

 

「もうご存知かとは思いますが、昨晩は大いなる悲劇が私たちを襲いました。ご無事でなによりです」

 

 張伯はそう言ったが、少女に近寄ることをしなかった。武器も持っていないのに、どこか剣呑とした様子を読み取ったからである。少女は、かなり複雑な表情をしていた。いろいろな感情が浮かんでは消えていた。感情を隠す意図はないのだろうが、このような隠し方もあることに、張伯はやや驚いた。張伯は少し突いてみた。

 

「ご友人の兄は私のことを酷く憎んでおります。ですが、だからと言って私は、あなたが友人と付き合うのを止めたりはいたしません」

 

 何の反応も示さなかった。別にこの程度のことは、叱咤されることではないと考えているのだろう。敵対関係にある伍倉。その妹と遊んでいることが、夫にとって愉快なことではないにも関わらず。張伯はそれ以上何も言わなかった。少女は、感情を溜め込んでいた。それが発露することなしには、どんな言葉も用をなさないのだろう。

 

「…………どうして、殺したの?」

 

 小さな、それでいて問い詰める声だった。

 

「必要なことでした。あのまま野放しにしておけば、更に多くの禍根を引き起こさずにはいられなかったでしょう」

 

 何の返答もなかった。

 

「私がもっと早くに子の裏切りを告発していれば……。いえ、こんなことを今言っても無意味でしょう」

 

 張伯の言葉に、少女はやっと耳をぴくりと動かした。

 

「丁郎官はあなたの子というだけでなく、名付け親でもあったはずよ!」

 

 張伯はただ哀しそうに首を垂れた。

 

「裏切り者は、別の誰かよ!」

 

 張伯はまっすぐ少女を見た。此方をにらみつけていた。今日は、よく睨みつけられる厄日なのだろうか。

 

「なぜそう思われるので?」

 

「だって、紙が違う! 李然の文はすぐにでも破れそうなのに、曹操の文は白くて硬いわ!」

 

「私たちが文を送る場合、竹紙を使うしかありません。ですが、敵は何を使っても良いわけです。特に不思議ではありません」

 

 少女は真っ赤になっていた。

 

「字を書けるのは、丁郎官とあなたしかいないじゃないっ!」

 

 少女は、親分が字を書けることをまだ知らないようだった。無理もない。少女が気軽に話すことのできる人間は、二人しかいないのだから。最も、それも一人減ったのだが。張伯はそれを訂正する気はなかった。それよりも優先すべきことがあった。少女の言葉は暗に、裏切り者は夫であると指摘していた。

 

「なぜそこまで子を弁護するのでしょうか? 今の口ぶり。子が曹操と通じていないことを確信する物言い。何か、わたしに隠していますね」

 

 張伯はわざと一拍置いて、話しかけた。

 

「とても、とても気になります」

 

 少女は目の震えを抑えながら言った。

 

「……丁郎官は、ある日膝を折って私に告白したわ。張大公を裏切ってしまったと。でも、そんなことはもうしないと言っていたわ!」

 

「あなたが実際丁程と何を話していたのか、といったことはどうでもよいのです。肝心なのは、あなたは子の元を度々訪れていたということ。それを知る者も探せばいることでしょう。それで十分なのです、私にとっては」

 

 彼女は多くの教育を受けている。であれば、同じく智を磨いた者と話すのを好むのは当然のことだ。どちらも孤立していたのだから、相手を求めたのも自然の理である。少なくとも、張伯は皆にそう信じさせることが可能であった。

 死人には、何の弁解も与えられない。何せ生きていてさえそれが与えられるとは限らないのだから。彼女の言を誰が信じるというのだろうか? 他ならぬ自分の言でさえ、信用を得るのに多くの労苦を必要とするのだ。小さな、居候の言うことなど、誰が聞くだろう? 暇人か、友人しか聞きはしない。

 

「私は、あなたは曹操に集落の場所を伝えるような人ではないと信じております」

 

 張伯は穏やかに言った。思わぬ副産物であった。張伯は殺されるのを回避されるばかりか、脅しに使える材料までも手に入れた。彼女を守る者は誰も居ないのだ。故に、張伯にしがみつくほかはない。

 

「ですから、それを私が信じ続けられるように振舞ってください」

 

 張伯の顔には笑みが浮かんでいた。こちらの真意をすぐに理解してくれる。それだけで、かなり有望である。

 彼女は体を後ろにそらして、目からは涙が伝っていた。最初見せた、いきり立った様子はどこかに飛んでいた。顔を小刻みに震わして言った。

 

「あなたは……あなたは、一体誰なの?」

 

 張伯はその質問にやや戸惑った。彼女が聞きたいのは、名前だとか、他の人との関係だとかではないだろう。

 

「その質問は茫漠としすぎていて、答えることができません」

 

「平気で恩人を裏切って、人が死んでも平気で、いや、生きていても何とも思わない!」

 

 張伯は彼女の髪をつかむと、思いっきり引き寄せた。きゃっ、という悲鳴が張伯の耳を通り抜けた。

 

「私は絶対に、絶対に、恩人を裏切りません。それだけは覚えておきなさい」

 

 赤い目で、何度も頷いた。脅しすぎるのはよくない。少しは飴も必要だ。張伯は息をついて言った。

 

「私が何者か、ということですが、親分に忠実なただの臣下に過ぎませんよ」

 

 女の子は小さく頷いた。

 

「しかしまあ、これで私たちは同罪というわけです。何と言っても、丁郎官の罪を見過ごしていたわけですから」

 

 張伯は朗らかに笑って、少女の頬に手を伸ばした。少女はまたもや後ろに身を引いてかわした。

 

「同じ罪人として、これからは仲良くなれませんか?」

 

 少女はこくりと、首を傾けた。張伯は少女の名前をすでに忘れていた。だが、何の問題もなかった。少女が生きていさえいればそれで良いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 主忠信、無友不如己者(忠信を主とし、己に如かざる者を友とすることなかれ)

 

  *信=嘘をつかないこと     

                      『論語』学而第一

 

 


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