東の剣聖   作:トクサン

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幸福な共倒れ

 

「か――よ―――ま」

「……ん」

 

 兼善が目を覚ましたのは、害意を持たない暖かな声に名を呼ばれたから。無意識の内に伸ばした手を打刀に添え、しかし周囲に敵意を含む気配が無い事に気付きそのまま上半身だけ起き上がる。

 靄の掛かった思考は瞬時に溶け、明瞭な世界が瞳の中に飛び込んで来た。時刻は朝だろうか、既に焚火は消え空洞の入り口からは日光が差し込んでいる。

 記憶の確認、昨夜は確かカレアの看病をした後仮眠を行った。敵意には敏感な兼善だ、トロールが来ても瞬時に反応出来る自信があったのだ。

 そして今起床した、では自分を呼んだのは――

 

「……カレア?」

「はい、兼善様」

 

 兼善がカレアの寝ていた場所に視線を向ければ、兼善と同じく上体だけ起こしたカレアが自分に笑いかけていた。その頬は未だに赤いが、昨日程ではない。

 兼善は喜びの余り絶叫したくなった、絶叫しながらカレアに抱き着きキスをしたくなった、無論しないが。

 恐らくしても羞恥で自爆する羽目になるだろう。

 兼善は努めて冷静に打刀に掛けていた手を離し、カレアの額に当てた。

 

「んっ」

「――熱は大分下がったな」

 

 良かった。

 兼善は心の底から安堵した、絶叫したくなるほどの感情をそこまで抑え込んだ。

 もし薬が効かなかったら、もし自分も知らぬ難病を患っていたら。

 考え過ぎかもしれないが、そんな不安がいつまで経っても消えなかったのだ。しかしカレアはこうして目を覚ましてくれた、それは兼善にとって凄まじく嬉しい事だった。

 あぁ、良かった嫁さんは無事だ。

 俺は鰥夫(やもお)にならずに済んだのだ。

 

「痛むところは無いか? 具合はどうだ? 腹は減っていないか?」

「あ、えっと、その……痛みは、あの、ありません、具合は、少し怠い位です、お腹は、えっと――ちょっとだけ、です」

 

 照れた様に目を伏せてそう言うカレア、兼善はカレアの可愛らしさに本当に無事でよかったと内心で滝の涙を流しながら、「そうか」と重々しく頷いた。

 痛みはない、具合は怠いだけ、あとは空腹だ。

 ならば飯だ、今すぐご飯を食べさせなければ!

 こうしちゃ居られねぇ、とばかりに飛び上がった兼善は焚火の準備を始める。昨日は粥しか食べさせていないし、多少はマシな飯が食べたいだろう。焚火を起こしながら、「すぐ飯を準備する」と決め顔で言い放った兼善は空洞の外へと飛び出した。

 

 昨日の内に血抜きを済ませたスノーポーン、それが空洞の近くに吊るされている。昨日はトロールを探して狩りに出たのだが、カレアを突き落とされた際に激怒して連中を皆殺しにしたのが原因か、ここら一帯にトロールの姿は無かった。

 仕方が無いのでスノーポーンを代わりに狩り、二体の獲物を得るに至った。肉質的には寧ろスノーポーンの方が好みなので、構わないと言えば構わないのだが、何となく負けた気分になるのは何故だろうか。

 

 兼善は豚で言うロースの部分に相当する箇所を小刀で薄くスライスし、持ち込んだ小さな椀に詰めるだけ詰め込んだ。後は小刀を雪で流し、空洞の中に戻る。焚火がちゃんと燃え始めた事を確認した後、水を入れたアルマイト容器を垂らした。

 

「あ、あの、兼善様、すみません、私――」

「ん?」

 

 着々と食事の準備を進めていた兼善は、カレアが話しかけて来たので作業を中断し、彼女の方へ顔を向けた。

 

「――私、兼善様の為に頑張るって言ったのに、何も出来なくて、寧ろ迷惑ばかり掛けて……本当にすみません」

 

 目を伏せて、申し訳無さそうに眉を下げるカレア。兼善はそんなカレアを見て、一体何を言っているんだろうと思った。

 兼善にとって美少女を看病出来る事は迷惑どころか役得でしかない、それこそカレアが崖から落ちた時は本気で肝が冷えたが、結果的に無事だったので兼善としては上出来だと言ってやりたかった。

 勿論カレアの心情は分かるが、兼善は彼女の謝罪を受け取る気は毛頭ない。

 

「いや、寧ろありがとう、カレア」

「……えっ」

 

 兼善は一度手に持った椀を置くと、カレアに面と向かって腰を下ろした。

 だって胸も突かせてくれたし、見せてくれたし、治療とは言え大盤振る舞い。更にはお腹に顔を埋めて匂いも堪能した、添い寝だって。

 これはもう「ありがとう」と言うしかない、満面の笑みでありがとう、だ。

 

「……兼善様?」

 

 疑問符を浮かべて自分を見るカレア、兼善は面と向かって礼を言う事に若干の恥ずかしさを覚え、しかし内心覚悟を決めた兼善ははにかみながら、少し照れた様に笑って言った。

 

「生きていてくれて、ありがとうカレア」

 

 おっぱい、とても柔らかかったです。

 

「――っ」

 

 瞬間、カレアはポロポロと涙を流す。

 思わず兼善は瞠目し、えっ、あれ、何で泣くの!? と内心でパニックに陥った。涙は頬伝って顎先から滴り落ち、ポタポタと地面に痕を残す。

 声を殺して泣くカレアに、兼善はあたふたと右往左往した。恋愛経験値ゼロは伊達ではない、こんな時どうすれば良いのか兼善は分からなかった。

 

「か、か、かね、兼善、さまぁ……」

「ど、どうした? やはり痛い場所があったのか? それとも泣く程苦しいか? お腹が減ったのか?」

 

 もしや胸を無断で触った事がバレたのか?

 そんな馬鹿な、カレアは確かに寝ていた筈。

 いや、しかしこの反応はそうとしか思えない。

 

 許してください、お願いします、ほんの出来心だったんです!

 そこにおっぱいがあったから! そこにおっぱいがあったから! だっておっぱいがあったんだもの! ごめんなさい、すみませんでした、調子に乗ってスンマセン、許してください!

 

「ぁ、ぁ、ぅうううッ!」

「か、カレア!?」

 

 顔面蒼白となり土下座するべきか否か迷っていた兼善に、カレアは飛び込む勢いで抱き着く。想定外の事態に兼善は思わず叫び、しかし次の瞬間に感じた双山の弾力に全てが頭から吹き飛んだ。

 先っぽに感じる硬質感、全体的な柔らかさ。

 今まで後ろから抱きしめた事はあっても、前から抱きしめられる事は無かった。自身の胸に強く押し当てられ、形がぐにぐにと変わる。

 その感触は余りにも魅惑的で、言葉にする事が出来ず。

 兼善は再び真の絶景を垣間見た。

 

 我、再び真理を得るに至る、全ての苦楽は理想郷に通ず、その理想に辿り着くは困難を極め、しかしその頂きの感触は至高の一言、男児これを得る為に生を受け、世の理を知るべし。

 

「か、兼善様っ、わ、私は、カレアは、う――嬉しくてっ……!」

「―――ハッ!? う、嬉しい? カレア、何故嬉しいのだ!」

 

 胸の感触にトリップしていた兼善はカレアの言葉に意識を取り戻し、思わず問い詰めた。胸を触られて嬉しいとは何故、まさか痴女か? 痴女なのかカレア? そうなのか? 俺は許さんぞカレア! あ、俺の前だけならば可。

 

「だ、だって、い、生きていてくれて、ありがとう、なんて――私、兼善様に迷惑しか、迷惑しかかけてないのにぃ……」

 

 とめどなく涙を流し、兼善の首元に顔を埋めながら口にしたカレアに対して、兼善は自身の考えていた事が見当違いであると気付いた。

 カレアは兼善の言葉をそのまま受け取っていたのだ、兼善は土下座しなくて良かったと心の底から安堵した、兎に角安堵した、自分の勘違いで良かったと。

 

「何を言う、カレア、俺は本当に感謝しているんだ、お前の事を迷惑と思った事など一度もない、本当だ、俺はお前を大切に想っている、剣を奮うに値する友を何故迷惑などと思わねばならない?」

 

 兼善は勘違いに気付いた後、然も当然の様に剣聖の顔つきに戻り淡々と述べた。

 外面を取り繕う事にかけては敵う者の居ない男である、更に言っている事の殆どは本心から想っている事なので、その真剣な表情と熱意の籠った言葉はカレアを更に追い立てた。

 ただですら大粒だった涙が更に絞り出され、兼善を抱きしめる力が強く、強く増す。

 

「なんで――なんで兼善はっ、そんなに優しいのですかッ! 実は天使様なのですかッ、兼善様は神様だったのですか!?」

 

 何言ってんだ、天使はお前だろうが。

 

 兼善は寸で出掛かった言葉を何とか呑み込んだ、いけない、こんな口調は剣聖に相応しくない、もっと丁寧に言い直さなければ。兼善はカレアの背を撫でながら剣聖らしい仮面で物を言う。

 ――兼善とカレアの思考回路は存外近い場所にあった。

 

「俺にとってはカレアこそ天使だ、お前程可愛らしい女性を俺は他に知らない、それに器量も良く思い遣りもある、そう考えるとやはり天使はお前だろう」

「かね、がねよじざまぁああ」

 

 カレアは兼善の懐の深さ――実際は違うが――に只管涙を零し、兼善は途中から泣いているカレアも可愛いなぁと冷静になった。

 尚、先の言葉には『だから少しの浮気は見逃してね』という言外の意思が混じっている。

 兼善はそういう男だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 未だに半泣きのカレアとしゃぶしゃぶを頬張り、これでもかッ! という程にカレアを甘やかした兼善は、食後のお茶を啜っていた。お茶葉自体は非常に軽いので、趣向品の一つとして持ち込んでいたのだ。

 西には紅茶と言うものがあるらしいが、カレアに振る舞った所、此方の方が大分渋みがあるとの事。機会があれば紅茶とやらも飲んでみたいものだ、そう言うとカレアが「必ず御馳走します!」と意気込んでいた、その前にカレアを御馳走になりたいなぁ。

 

「カレアの馬は残念ながら息絶えていた、荷物は回収したが足が足りない、どうにかする必要がある」

「そう、ですか……あの子が」

 

 兼善がカレアの愛馬の死を告げると、悲しそうに目を伏せるカレア。やはり一ヵ月以上共に過ごした愛馬には愛着が湧くのだろう、兼善も銑鉄が死ねば多少心を痛める自信がある。

 しかしカレアは必要以上に嘆く事も悲観する事も無く、再び兼善を見た瞳には光だけが灯っていた。その切り替えの早さ、強い意思に若干驚きながら、これなら大丈夫だろうと内心で安堵する。

 

「代案なのだが、もう馬の足に頼るのは難しい、ならいっその事銑鉄に荷物を全部運ばせてカレアと俺は歩こうと思う、荷車を作る事も考えたのだが、俺にはその知識が無い、それに二頭分の荷物と俺達二人を乗せるのは重量的に不可能、仮に出来ても馬が潰れるのが先だ」

「私も工作の類は……すみません、兼善様」

「俺とて出来ないのだ、寧ろそれが普通だろうよ」

 

 カレアのしょぼくれた様子に、兼善はソレが普通だと笑う。寧ろカレアが出来ると言い出したら剣聖の立つ瀬がなく、しょぼくれるのは兼善であっただろう。男と言うのは面倒臭い生き物なのだ、兼善は特に。

 

「カレアが完全に回復するまでは此処に留まり、俺は食糧の調達を行う、薪は勿体ないが使い切ろう、持っていくには少々嵩張る」

「ま、待って下さい兼善様、私は大丈夫です、もう出立しても――ッ」

 

 カレアが兼善の言葉に慌てて立ち上がろうとし、しかし寸で立ちくらみを起こしたのか再び座り込んでしまう。兼善は、「カレア、無理をしないでくれ」と言いつつ彼女を窘めた。

 しかしカレアは聞き耳持たず、顔を赤くしたまま必死に震える足で立とうと足掻く。

 

「これ以上、兼善様に迷惑を掛けるなんて、無理ですッ、出来ませんっ、私は兼善様の、お役に立たなくちゃ――っ」

 

 そこまで言ったところで、兼善はカレアの肩を抑え込んだ。自重すら支えられない足は兼善の手によって押し込まれ、ぺたんと座り込むカレア。

 彼女は肩を抑えつけた兼善に抗議するべく、涙目で声を上げた。

 

「か、兼善様――!」

「カレア、頼むよ、俺の為に無理をしないでくれ、辛いお前を見ているのは耐えられない」

「で、でも、でもでも、私は、私は兼善様に何も――ッ」

 

 兼善は今にも涙を零しそうな勢いで懇願するカレアに違和感を覚えた、何故こんなにもカレアは食い下がるのか。

 カレアは聡明な女性だ、自身の回復が今最も重要だと頭では理解している筈、だと言うのに何故こんな無茶をしようとする? 子どもの様に駄々を捏ねる?

 その行動が兼善の瞳には不可解に映った。

 

「カレア、何を焦っている?」

 

 分からないならば聞けばよい、兼善は淡々とそう問いかけた。

 瞬間、カレアはピタリと動きを止める。指摘されたソレが図星である証、見ればカレアの瞳は右へ左と忙しなかった。兼善の触れた肩から僅かな震えを感じ、増々確信を深める。

 カレアは何かを焦っている、或は不安を抱いている。

 一体何だ――兼善にはその焦燥と不安の原因が分からなかった。

 

「わ、私は――私は、焦ってなど……」

「剣聖の目を誤魔化せると思うか、カレア? この瞳はあらゆる真実を見通す、数多の剣筋を見極め、対人では千里眼と呼ばれた洞察の瞳だ、人の些細な動きすら良く見える、お前が動揺している事等分かり切っているぞ」

 

 無論、嘘である。

 千里眼などと言う適当な名前は付いていない。

 そもそも剣技に特化した瞳、相手がどこから攻撃して来るかは分かっても、人の感情までは読めないのだ。

 しかしカレアに対しては――否、女性に関しては少々異なる、女性の胸をチラ見する為に鍛えた観察眼は時折相手の表層的な感情を読み取ることが出来た。

 それは「あ、コイツ胸観てやがる」という女性の悪感情を素早く悟る為だ、一念通せば真に通ず、それが例えどんな下らない理由でもな!

 

「カレア、お前のソレは私にも話せない事か? この俺、藤堂兼善にも? 俺達は仲間では無かったのか? 語り合った夜は無意味だったのか? 俺とお前は真に心通じていなかったのか?」

「うぅ――ぅうぅ……」

 

 終いにはポロポロと泣き出してしまうカレア。

 兼善とてこれが彼女にとって心に突き刺さる言葉だとは理解していた、自惚れて良いならカレアは少なからず自分に好意を抱いている。それがどの程度のモノかは分からないが、個人的には今すぐ結婚式を挙げられる程度にある事が望ましい。

 話しが逸れた、つまり兼善はその好意を逆手に取って「俺達、その程度の仲だったの?」と言っているのだ。

 彼女にとっては死ぬ程辛い事だろう、もし兼善が逆にカレアからこんな事を言われたら全部ゲロする自信がある。更には土下座もセットで差し上げよう、地面にめり込む程の。

 

 ――カレア、お前は強いな。

 兼善は心から思う。

 自分がそんな醜態を晒すだけの言葉を言われても、唇を噛んで涙を零すに留めている。体はこれ以上ない程に震えているのに、涙がとめどなく溢れているのに。

 しかし、そこまで言っても容易に口を開けぬ程の事か。

 

 兼善は半ば、彼女の口からその焦燥と不安の原因を聞く事を諦めた。自分が何もかも吐き出したくなる台詞を突き付けても、彼女は死にそうな程葛藤しながら口を閉じていたのだ。

 ならば、その覚悟に免じてこれ以上は踏み込むべきではない、そう考えた。

 

「………」

 

 兼善は無言で立ち上がり、カレアに背を向ける。ならばこれ以上は問うまい、カレアが話したくなった時、吐き出したくなった時、それとなく傍に寄り添うだけに留めよう。

 そういう、兼善なりの意思表示であった。

 

「ぁ――――」

 

 しかし、カレアにはそうは映らない。

 その後ろ姿はまるで、自分達の仲はその程度だったのかと――失望し、落胆し、自分を見限った様な背中に見えた。

 見えてしまった。

 

「カレア、俺はこれから食料を調達に行く、だから武器を傍に置いて安静に――ッ」

 

 カレアは未だ体調が万全ではない、故に出立はしない、そこだけは譲れない。

 明日以降に備えて自分は食糧の備蓄を始める、そう口にしようとして、しかし、兼善は足元に強い衝撃を受け咄嗟に口を閉じた。

 思わず態勢を崩し倒れそうになるのを、兼善は何とか堪える。

 慌てて足元を見れば、震えた体で体を伸ばし兼善の足に縋りついたカレアが居た。

 彼女が押し倒す勢いで組み付いて来たのだと理解する。

 

「――さい―――します」

「カレア、一体何を」

 

「見捨てないで下さい、お願いします――ッ!」

 

 心からの絶叫。

 兼善は思わずと言った風にカレアの元へ素早く屈みこんだ、その頬を強く掴み自分の顔を直視させる。

 瞳は真っ赤に充血し、そこから涙がポロポロと零れている。頬は赤く、その顔は悲痛に歪んでいた。

 

「わ、わたしは、私はっ――兼善様に見捨てられるのが、失望されるのが、落胆されるのが、何よりも恐ろしいのです、不安なのです! こんな……こんな無様な姿では、兼善様にいつ見放されてもおかしくない、だから、だから私はッ」

 

 涙を零し、えずきながらカレアは訴える。

 その瞳は真っ直ぐ兼善を捉え、手は痛い位に強く兼善の腕を掴んだ。

 

「俺が――俺がカレアを見捨てる? そんな馬鹿なッ!」

 

 兼善は叫んだ。

 カレアが口にした言葉は、兼善にとって簡単には流せない言葉であった。

 美少女大好きな己が、その美少女を見捨てるだと? そんな馬鹿な事があり得る筈が無い、そんな事をしたら既にその男は藤堂兼善ではなく、別な誰かである。

 そればかりは訂正させなければならない、認めさせなければならない。

 そこは兼善と言う男の唯一と言って良い言葉の逆鱗であった。

 

 カレアは倒れ込んだまま屈んだ兼善の腕に抱き着き、兼善はカレアの頬を両手で掴んでいた。互いが互いに至近距離で見つめ合い、片や大粒の涙を流しながら泣き喚き、片や真剣な表情で怒鳴る。

 

「兼善様は素晴らしい御人です、私などが本来話せる様な相手ではない、神様の様な人ですっ、この旅を続けて未だ一ヵ月ですが、私は兼善様をッ――貴方を心から尊敬し、慕っていますッ!」

「そんな事は百も承知だッ、ならば何故逆を考えない!? 俺がお前を見捨てるだと――? そんな世迷言を、あぁクソッが!」

 

 言いたい言葉が出てこない、その鬱陶しさともどかしさがボロボロと剣聖の仮面を剥ぎ取って行く、崩れていく。徐々に露出する素の自分に、兼善の理性が戻れと叫んでいた。

 しかし、本能は後退を許さない、ここで黙ったら負けだと思った。

 

「兼善様が私に良くしてくれているのは理解しています、感謝もしています、だから好いているのではありませんか――好きになってしまったのではありませんかッ! そんな人の役に立ちたいと、見捨てられたくないと、そう思う事は自然な事ではありませんかッ!?」

「そうだよその通りだよッ! だが、だが何故俺が、この俺がッ、お前を見捨てるなどと言う発想に辿り着くッ!?」

「だって、だって……こんな体たらくではッ――!」

 

「うるせぇッ! 俺もお前が好きなんだよッ! 慕っているんだよッ! 何で分からねぇ!? それで見捨てられる筈がねぇだろう!? いい加減気付けこの鈍感ッ!」

 

 兼善は遂に剣聖の仮面を投げ捨てて、真正面からカレアに怒鳴りつけた。

 それを聞いたカレアは一瞬目を見開き、そこからまたぐにゃりと顔を歪ませ、「うわぁあぁあ……!」と大泣きを始めた。

 だから何故泣くのだ、何故そう悲観するのだ! 兼善は頭を掻きむしって叫びたかった。

 

「うぁ、あぁ、ならぁ……なら、尚更ッ、うぅ、兼善様の、ご好意に報いなければ、ならなぁっ」

「だあぁッ! だから何故そうなるッ!? 良いかカレア、良く聞け、それで記憶しろ! 魂に刻め! 俺はお前がどれだけ迷惑を掛けようが一向に構わないし、そもそもお前の考える迷惑を迷惑だとも思っちゃいない! 剣聖はお前が考えている以上に凄まじい肩書であると認識しろッ、歴代最強の名は伊達ではない! お前が迷惑迷惑言っている事柄は、俺にとっては石ころ一つ拾う動作と大した変わりないッ!」

 

 兼善は心の底から叫んだ、そもそもカレアの事を迷惑などと思った事は一度もない、この一月余りの旅で一度もだ。

 看病だろうが何だろうがソレ一つで美少女をポイするなど兼善にあるまじき行為である、寧ろご褒美と言っても良い。

 兼善の叫びが心の底から捻り出したものだと理解したのだろう、カレアはポロポロと涙を零しながら、しかしイヤイヤと首を振った。

 

「それでも、それでもぉぉ……あぁあ、兼善様は優し過ぎるのですッ、なんでそう天使なのですか、神様の生まれ変わりなのですかっ!?」

「それはお前だカレアッ! 可愛すぎるんだよ一々! お前俺が一日何回心の中で『カレア可愛い』って思ったか知っているか!? 平均五十七回だぞカレア可愛いッ!」

「じゃぁ、じゃあ兼善様はッ、私が一日何回『兼善様カッコイイ』って思ったか知っているんですかッ!?」

「知るかッ、そんな恥ずかしい事聞いて来るな阿保ッ!」

「一日百回は超えてますッ! だから、だから私の方が兼善様が好きなんですぅッ!」

「うるせぇ俺のカレア愛の方が大きいわボケッ! 俺のカレア大好き度合を舐めるんじゃねェぞ! 好きなんだぞ!? 超好きなんだぞ!? 愛して止まないんだぞ!?」

「うわぁあぁああぁあッ、兼善様がっ、兼善様がまた私を好きってぇぇえッ!」

「だから何故泣くッ、頼むから落ち着けカレアッ!」

 

 最早混沌であった、カオスであった。

 両名が恐らく素に戻れば赤面し、地面を転がって叫ぶ程恥ずかしい事を臆面もなく叫び、売り言葉に買い言葉でどんどん積み重なっていく。その後二人の関係性がどうなってしまうのとか、もしも一方通行だったらという恐れが微塵も無い。

 寧ろ、相手が自分を好いていると確信があった、否、この場合は露呈したからこそ理性の紐が緩くなっていたのかもしれない。

 

 兼善はそもそも自分がカレアを見捨てる筈が無いと理解させたかったし、カレアはこんな自分に優しく接する兼善を理解出来なかった。その結果、話しはややこしくも面倒に絡み合い、「俺の方が好き」と「いや、私の方が好き」なんて、どちらが好きかというところまでぶっ飛んだ。

 

 兼善という男は小心者である。

 いや――小心者であった。

 

「か、か、兼善様はッ、わたっ、私なんかのどこが良いと言うのですかぁッ……!」

「全部、全部だ! 全部可愛いッ! もうカレアっていう存在自体が可愛いんだよ理由ならそれ十分だッ! 寧ろ何でお前はこんな俺を好きになった!? 自分で言うのも何だがどうしようもない男だぞ俺はッ!?」

「なに、何言ってるんですかっ、兼善様は神様みたいに優しくて強くて恰好良い人なのですよ!? それで好きにならないとかあり得ないじゃないですかッ! 兼善様は自分を客観的に見れないのですかっ!?」

「神様はお前だって言っているだろう! しかし、その理論に当て嵌めるなら俺がお前に惚れるのは極当たり前の事だという事だな! カレアは神様だからなッ! 異論は認めんぞッ!」

「かねッ、兼善様にはッ――兼善様には私より立派でっ、可愛くて、器量が良くてッ、何でも出来る凄い女性の方が似合っていますッ! 私などと兼善様はっ、到底、つ、釣り合わな………ぅぁああ、でも見捨てないで下さいぃい……っ!」

「だから見捨てないと何度言えば分かるんだカレアッ!? お前いい加減怒るぞッ!?」

 

 兼善に縋りついて泣き喚くカレア、堂々巡りに怒りを募らせる兼善。

 会話は平行線、否、平行どころか空の彼方にブっ飛びそうな直線を描いている。

 そして兼善は遂に頭をガリガリと掻くと、屈んだままカレアに背を向けた。しかしソレはカレアに落胆したとか、そういう事では無く、単純にその姿勢を取る必要があったからだ。

 

「――ほら! カレア、もう分かったら、行くぞ!」

「な、何ですか……」

 

 兼善は屈んだ状態で両手を後ろに回し、カレアに催促をした。

 当のカレアと言えば再び背を向けられた事で、飽きられたのか、失望されたのか、落胆してしまったのかと戦々恐々としていたが、彼の言葉に泣き顔のまま声を上げる。

 

「何って、負んぶだ、お前を背負って食料調達に行く! 今のカレアは危なっかしくて一人にさせられん! だったら二人で行くしかないだろう!? トロールやスノーポーンの事なら気にするな、昨日から粗方狩り回ったせいか一帯から消え去った! 今日はわかさぎ釣りだ、お前も肉ばかりは飽きただろうよ!?」

「ぅ………」

 

 背負うと言われたカレアは内心で「また迷惑を」と思ったが、それを口に出す前に、「言っておくが、これは全然迷惑じゃないからな」と釘を刺されて閉口した。そもそも、それを言うのであれば先程の言い合いの方が余程兼善にとっては迷惑極まりない、必死に取り繕っていた剣聖の仮面を剥ぎ取られたのだから。

 負んぶなど寧ろ密着出来てラッキー程度なものだ、鎧抜きのカレアの重量など高々知れているし、全く問題ない。

 

 明らかに手を煩わせている、しかし兼善から離れたくない。

 カレアは僅かな逡巡を経て、恐る恐る兼善の背に凭れ掛かった。

 

「温い、もっと確りと掴まれ!」

「ぅぁッ」

 

 兼善はここぞとばかりにカレアを強く背に押し付け、その足に腕を通した。打刀は腰に差してあるし、カレアのグレートソードは必要ない。糸は持った、昨日の内に調達した釣り餌も、棒は向こうで調達すれば良いとして、鎧は不要、ならば忘れ物はなし。

 立ち上がった兼善はそのままズンズンと空洞入口まで足を進め、そのまま外へと飛び出した。

 

 雪はチラチラと降ってはいるが、しかし寒さはそれ程でもない。互いに密着しているからか、存外に気温が高いからなのか、それとも風が吹いていないからなのか。

 足を進めながらも互いに言葉は交わさない、内容が内容と言え、先程まで怒鳴り合っていたのは事実であり、またふと我に返った時自分が相手に何を叫んでいたのかを思い出し――有体に言って、二人は内心で悶えていた。

 

 兼善はひたすら足を進める事に没頭し、先程カレアに向かって口にした事を努めて思い出さない様にしていた。

 また密かに背に当たる柔らかさを楽しむ、無論バレない様に。

 

 カレアはカレアで兼善の背で丸くなり、何故先程はあの様な事を臆面もなく兼善様に言ってしまったのだと心から悔やんでいた、その頬は真っ赤になっていたが。

 また密かに兼善の首元に顔を埋め匂いを堪能する、無論バレない様に。

 

「――兼善様、私、本気にしても良いんですか……」

「何をだ」

 

 旅の恥はかき捨て、本来ならば使う相手が異なるが、カレアにとっては背を後押ししてくれる先人の知恵ならば何でも良かった。兼善の服をぎゅっと握って問いかける、それには多大な勇気を要したが何とか絞り出した。

 答える兼善の口調はぶっきらぼうだった、しかしそれが照れ隠しである事がカレアには分かった。

 

「その、あの、ぅ……わ、私の事、その、す……好きだって」

「……嘘は言わん」

 

 努めて、努めて何でも無いかの様に言う。

 淡々と、平然と、抑揚無く。

 しかし寧ろそれが感情の現れであり、カレアは一際強く兼善の服を掴んだ。

 

「………私、物凄く嫉妬深いですよ」

「うるさい、だから何だ」

「浮気とか、しませんか」

「お前が構ってくれればしない」

「そんな事言ったら、一日中構い倒しますよ?」

「構わん」

「嫌だって言われても、離れろって言われても、離れませんよ……?」

「望むところだ」

「――兼善様、もしかして構われたいんですか?」

「………」

 

 兼善は黙った、口を噤んで黙々と雪道を行く。最初は怒らせてしまったのかと血の気が引いたカレアだったが、ふと兼善の肩が僅かに震えている事に気付いた。

 本当に些細な揺れだ、常人ならば気づかなくて当然、しかし兼善を誰よりも見続けていた自信のあるカレアは気付いた。

 

「あの、兼善様、照れています?」

「えっ? 何て言った今? 照れる? 俺が? ちょっと何を言っているのか分からない、寧ろ理解させて欲しいわ、照れると言う概念を、マジ俺を照れさせたら本当に大したものだよ、剣聖だよ、剣聖照れさせたら凄いよ?」

 

 照れていた。

 これ以上ない位に照れていた。

 カレアは兼善に見えない様に満面の笑みを浮かべながら、明日から兼善様を構い倒そうと心の中で決めた。どうやら兼善様は構われたいらしい、ならば構うしかないだろう、何が何でも。

 

 しかし、兼善様は格好良い上に可愛さまで兼ね備えているとは、照れを隠して捲し立てる兼善様は可愛い、やはり天使だと思った。

 兼善様可愛い、しかも恰好良い。

 

「何か不穏な感情を感じる………カレアお前、何か変な事を考えて――」

「私は兼善様の事しか考えていませんよ?」

「……なら良い」

 

 笑って答えるカレアに、兼善はそっぽを向いて溜息を吐いた。

 カレアの性格が段々と遠慮のないものになっている気がする、遠慮がないと言うか、尊敬よりも親愛の念が強くなっているというか。

 まぁ、気軽に接する事が出来るという点は良いのだろうが。

 

「兼善様」

「何だ」

 

 背中から聞こえるカレアのくぐもった声、それに答える兼善の硬い声。

 

「大好きですよ」

「……ふん」

 

 

 俺の方が好きだけどな!

 

 

 

 





 この話を書くのに私は人間性を捧げた。

 慣れない事はやるものではない。

 もう二度とやらない(血涙)

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