東の剣聖   作:トクサン

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潜伏の風

 魔の国侵攻――一ヵ月目。

 

 山脈地帯に踏み込んで一週間程経過しただろうか。

 この地の寒さにも大分慣れた様な気がする。

 

 まぁ慣れたと言うより、夜は毎回カレアにくっ付いている為、快適なだけだがな!

 あの夜以降、味を占めた兼善は設営の度にカレアへと人肌で暖め合っている。何だかんだ言って顔を赤くしながらもカレアは拒まないし、時折カレアの方から恥ずかしそうに擦り寄って来る事もあるので、特に嫌がっている訳では無いのだろう。

 

 それに何だか最近カレアとの距離を近く感じる。何と言うか、好かれていると分かると言うか、時折甘ったるい匂いを感じると言うか。言葉にするのは難しいが、これも人肌効果という事なのだろうか。

 

 だとすれば万々歳だ、やったぜ兼善、大勝利。

 カレアが最近可愛くて仕方ない、これが愛か。

 もう結婚するしかないね。

 いや、ここまで来てなら既にカレアと結婚していると言っても良いのでは?

 結婚していると言っても過言ではない。

 もう結婚してたわ。

 

 山脈地帯の侵攻は順調だ、毎回焚火の薪集めには苦労しているが、存外何とかなるモノである。カレアと兼善は山脈地帯の二つ目の山を越え、本道へと至った。兼善の予想によればこの辺りに魔の国の兵士が陣取っていてもおかしくない地点。

 

 荒野のポーンから作った燻製が底を尽きかけていたが、幸い道中雪ウサギの巣を見つけ、三匹ほどのウサギを狩る事に成功した。生物である為、再び燻製にしなければ長持ちはしないが、幸いこの周囲には天然の雪が腐るほどある、保存する方法には事欠かなかった。

 

「カレア、そろそろ本道だ、連中が砦を作っているか確認したい、山脈の中程にまで登ってから周囲を偵察しようと思うのだが、どうだろう?」

「はい、幸い雪も止んでいますし、本道までなら見渡せると思います」

 

 六角山、その三つ目の山脈、その半ばに差し掛かった頃、兼善は傍にそそり立つ山の頂を見つめながら言った。今は雪が止んでいる、風は多少あるがそれ程強くもない、偵察には絶好の天気だ。

 

「兼善様、これを」

 

 隣に並んで歩行していたカレアが、馬上から何かを手渡してくる。それは木製の簡素な望遠鏡であった、どうやらこれで偵察を行えと言う事らしい。兼善は感心しながらカレアから望遠鏡を受け取る。

 

「望遠鏡か、準備が良いな」

「えへへ……実は、私物なんです、これ」

 

 兼善が感心した表情を見せれば、頬を掻き目を伏せながら恥ずかしそうに白状するカレア、可愛い。

 どうやら望遠鏡で綺麗な景色を鑑賞するのが好きらしい、小さくボソボソと自分の趣味を話すカレア、可愛い。

 

「こうして役に立ったのなら、カレアに先見の明があったという事なのだろう、例え趣味で持ち込んだモノでも助かった事は事実だ、ありがとう」

「い、いえ、そんな――でも、兼善様のお役に立てたなら嬉しいです」

 

 恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにも笑う。

 兼善は内心でカレアの頭を凄まじい勢いで撫でたくなる感情を抑えながら、渡された望遠鏡を大切に腰へと差し込んだ。

 

「良し、では日が落ちる前に山を登り切ろう、ある程度の高さがあれば良い、一時間か、二時間も登れば十分だろう、比較的斜面の緩いところを見つけて行く、獣道があったら教えてくれ」

「分かりました、任せて下さい!」

 

 そうしてカレアと兼善は方向を転換、山脈へと向けて馬の足を進ませる。元々人の頻繁に登る山ではない為、山道と言える山道も無い、あるとすればこの周辺を縄張りにしているトロールやスノーポーンが通る獣道だ。

 あれば幸運、無くて元々。

 兼善は馬上で腹筋を使いながら山の中へと踏み込んだ。

 

 白い木々が乱立するその場所は中々に辛い道のり、足場は悪く、更には木の枝に積もった雪にも注意しなければならない。水分を大量に含んでいる雪は重い、頭にでも落雪が直撃すれば意識を失いかねない程。

 斜面が急であれば迂回し、何とか登れる道を探す。

 一番恐ろしいのは滑って転がり落ちてしまう事、一度滑り落ちてしまえば再び登らなければならないし、何より雪崩を誘発しかねない。

 

 三十分程、カレアと兼善は無言で山を登り続ける。

 歩くという行為自体は馬が行っているのだが、騎乗するだけでも体力は刻々と消耗されていた。更に緩やかとは言え斜面である、姿勢を維持し続けるのは辛いし、何より馬の体力が一気に持っていかれる。

 

「――ん?」

 

 銑鉄の呼吸が荒くなり、適当に斜面の緩い場所を見つけて休憩すべきかと考えていた時、兼善はソレを見つけた。

 真っ白な雪の上に点々と続く窪み、最初は落雪の跡かと思ったが違う、規則的に続くそれは動物の足跡、今朝方出来たものなのか新雪に掻き消されていない。間違いない、獣道に続いている。

 

「カレア、こっちへ――これを見てくれ」

「ふぅ、はぁ……は、はい、兼善様」

 

 兼善は自分と並走し、額に汗を滲ませていたカレアを呼んで足跡を指差した。カレアは素直に頷いて馬に指示を出すと兼善の傍へとやって来る。兼善の指差した方向に視線を向けるカレア、馬上から二人で足跡を覗き込むとその新しさが良く分かった。

 

「足跡――この大きさ、トロールでしょうか」

「見る限り二足歩行の動物だ、この周辺だとゴブリンかトロール、オークだが、この大きさだとゴブリンはない、トロールかオークだろうな」

 

 兼善は足跡を目で追い、どこへ続いているのか見極める。

 足跡は曲がりくねりながらも続いており、丁度兼善達が進む方角へと向かっていた。どうやら運が向いて来た様だ、兼善は上機嫌に頷いた。

 

「恐らく獣道に続いている、追ってみよう」

「はい!」

 

 馬の腹を蹴って足跡の追跡を開始する。

 足跡は比較的斜面の緩い場所に続いており、五分程辿って行くと茂みに囲まれた隠し通路の様な場所に辿り着いた。茂みの上には雪が覆い被さっており、足跡を上手い具合に隠している。どうやら本当に運が良いらしい、打刀の鞘で茂みを掻き分けてみれば複数の足跡が合流して先に進んでいた。

 

「連中だけが知っている秘密の道か……さて、有り難く利用させて貰おう」

 

 銑鉄が茂みの中へと歩き出す、後ろからカレアも続き、生い茂る葉や枝を払いながら先に進んだ。足元には無数の足跡が残っており、連中がこの道を頻繁に利用している事が分かる。道は時折角度のある坂となるが、殆どは平たんな道だった。

 十五分程進み続けると、数十メートル先の視界が不意に開ける。

 茂みや木々が無くなり、日の光が差し込んで来たのだ。

 兼善とカレアが最後の茂みを抜け出すと、五十メートル程の開けた場所に出た。そこはちょっとした山の頂上程の標高を誇る場所で、本道を見下ろせる絶好のスポットだった。吹き抜けの空は青く澄んでいて、遥か下の本道はまるで糸の様である。

 

「おぉ……」

「わぁ!」

 

 兼善とカレアは同時に感嘆の声を上げた、こんな景色は今まで見た事が無かったから。カレアは白と青のコントラストが織りなす絶景に興奮し、前へ前へと馬を歩かせた。

 兼善は何故、この場所にだけ茂みや木が無いのかと不信に思い、馬を降りて地面に積もった雪を足で退ける。すると下から出て来たのは土ではなく石。この場所は山脈の切り立った端っこで、どうやら飛び出した巨大な岩石の上らしい。傍から見ると崖の様だが、その実内部から露出した岩石な訳だ、道理で木々が無い筈である。

 

「しかし、驚いたな」

 

 兼善は落ちるギリギリまで近づき、景色に見入っているカレアの後ろから周囲を見渡す。東の国という小さな世界で生きて来た兼善には衝撃的な光景だ、こんな美しい世界があったのかと、そう思う程に。

 雪は白く、空は青く、雄大な山脈は雪化粧と共に佇み、その絶妙な色と光が幻想的な景色を見せている。

 

「兼善様、兼善様! 凄いですね、この景色! 雪の白色と、空の青色と、透明な空気が混ざったみたいで、上手く言い表せないのですが、兎に角凄いです!」

「あぁ、あぁ、その感動は俺にも分かる、こんな世界は見た事が無い」

 

 カレアも馬から降り、食い入るように目の前の絶景に見惚れている。兼善とて時間が許せば一日でも見ていたい世界ではあるが、しかしいつまでも此処に留まる訳にはいかない。雪が降って来れば下山は難しくなるし、吹雪になどなったら目も当てられない。

 兼善は鑑賞もそこそこに切り上げ、腰に差した望遠鏡で本道をなぞった。

 糸の様に細い本道だが、カレアから貸し出された望遠鏡があれば確りと視認出来る。

 全く、カレア様様だ、可愛い上に気が利くなんて仏の生まれ変わりなのだろうか? きっとそうなのだろう、やっべ、俺神様と結婚しちゃった。

 

「――前線は捨てても、流石に山脈をタダで抜かせる筈が無い、ましてや山々を縫う唯一の本道を無警戒とは到底思えん」

 

 兼善は煩悩をひとまず置いておいて、小さな声で自身の考えを反芻しながら、本道を下からゆっくりとなぞって行く。そして四つ目の山、その麓に続く本道の半ばに何やら建物がある事に気付いた。それは小さく、人の規模で言えば集落の様な大きさだった。

 木造の柵が並ぶ簡素な砦だ、しかし横幅に広がったソレは本道を行けば必ず当たる場所に陣取ってある。見ればコメ粒ほどの影が無数に蠢いており、それが砦に駐屯しているオークやトロールだと考えた。

 正面から突っ込めば大変な事になっていただろう、あれは百や二百の数ではない。

 

「あれか」

 

 兼善は確信する、アレが本道を守る砦だ。

 砦自体がそれ程大きくないのは迂回される事を警戒しているからか、どちらにせよコレで本道を真っ直ぐ突き進むと言う選択肢は無くなった。手元の望遠鏡では砦の細部までは見る事が出来ないが、その存在を確認出来ただけでも万々歳である。

 

「カレア」

「はい、兼善様!」

 

 兼善がカレアの名を呼ぶと、爛々と瞳を輝かせて景色を眺めていた瞳が此方を向く。先程まで使用していた望遠鏡を彼女に差し出し、「やはり本道に砦が設けられていた、四つの目の山は迂回して進もう」と兼善は口にした。

 

 カレアは数秒ほど笑顔のまま固まり、差し出された望遠鏡を見る。それから何かを思い出したのか、ビクリと肩を震わせ、差し出された望遠鏡をぎこちない動作で受け取った。

 

「す、すみません、兼善様、私、はしゃいじゃって……偵察の事、すっかり忘れていました」

 

 顔を真っ赤にして、しょんぼりと項垂れるカレア。

 どうやら我を忘れて景色に見入っていた事を恥じているらしい、兼善は笑って「気にするな」と告げる。そもそも兼善でさえ素晴らしいと絶賛出来る光景なのだ、十九歳の多感なカレアであれば受ける感動も一際大きいだろう。何より景色に見惚れているカレア可愛い、何日でも眺められちゃう。

 まぁこの絶景もカレアの裸体には遠く及ばないがな!

 

「さて、後は下山して西の方から回り込――」

 

 カレアの喜ぶ姿を眺められないのは惜しいが、そろそろ下山しなければ夜が来る。

 偵察も終わり、後は現在して砦を迂回すれば問題無い。

 そう口にしようとして兼善は、不意にピリッとした気配を感じた。それは戦場特有の、殺意を含んだ視線と吐息。ぞくりと肌が粟立ち、兼善は声を上げる前に動いた。

 

 一息吐く前に打刀を掴み、一瞬の内に切っ先を自分の方へと向ける。

 そして振り向かずに脇の下を通して背後へと最速の突きを繰り出し、肉を裂く感覚が手に残った。

 ドンッ! と自身の背中に何かが触れる感触、それは暖かく生き物である事が分かる。

 

「トロールッ……!」

 

 兼善は背後から自分に凭れ掛かった影に思わず叫んだ、白い毛並みに二メートル近い巨躯、ソイツが兼善を背後から襲おうとしていたのだ。項垂れたトロールは深く腹を裂かれ、低い声で呻いている。

 連中は巨体に見合わず気配を殺し、気付かれる前に獲物を仕留める事に特化している。本来はその毛並みを活かし雪の中に潜んで同化する、しかしここまで近づかれても気付かないとは――!

 

「ぬかったッ!」

 

 兼善の思考が戦闘時のソレに切り替わり、瞳に闘志の色が灯る。体の全筋肉が稼働を始め、一際強く心臓が鼓動を打った。

 トロールの腹に突き刺した打刀を抜き放った兼善は、そのまま鋭い足捌きで旋回、同時に刀を振り上げてトロールの首を叩き斬る。

 兼善の手元がブレ、凄まじい勢いで刀が降り抜かれた。超絶技巧で放たれた一閃を防ぐ手立てはなく、刀身は容易く首を刎ねた。

 赤い血が噴出し、トロールの首が地面に転がる。

 

「カレ――ッ!」

 

 カレアの名を叫ぼうとする、彼女に危険を知らせる為に。

 しかし、兼善が刀を振り抜いた状態で見た光景は、もう一匹のトロールがカレアに体当たりを喰らわせている光景だった。

 二メートルの巨躯を持つトロールの突進、馬とカレアを巻き込んだソレは綺麗に一人と一匹に直撃し、カレアは何もない虚空へと投げ出されていた。

 岩石の端は崖の様になっている、先には何もない、大きく口を開けた空、其処に吸い込まれる様にカレアは――

 

「ぁ」

 

 カレアが望遠鏡を握り締め、兼善に向かって手を伸ばす。まるで世界が遅延して見えた、彼女の呆然とした顔も、指先の動き一つでさえも、ハッキリと見える。一秒が凝縮され、それは兼善にとって十分にも一時間にも感じられた。

 

「―――」

 

 極限の集中、脳内が一瞬にしてアドレナリンに犯される。

 前兆も何もない、ただ己の本能によって兼善は動いた。

 恐らく兼善が経験した戦いの中で、最も素早く駆けた瞬間。残心もせずに地面を蹴り上げ、凄まじい足の回転数と共に地面の雪を舞い散らしながらカレアに向かう。

 体当たりをした状態で硬直しているトロールの心臓を背後から寝かせた刀身で一突き、ズンッ! と衝撃がトロールの体を射抜き確実に殺害。

 殺すや否や刺し込んだ打刀を手放して、兼善はカレアに手を伸ばした。

 

 指先が触れる、掴める、しかし遅かった、手を取るには余りにも遠く。

 

「兼、よっ、さまッ……!」

「――!」

 

 カレアの体が真下へと消えた。

 届かなかった。

 兼善が慌てて遥か下を覗き込めば、乱立した木々と積もった雪しか見えない。カレアの姿が消える、何処にもない、兼善は自身の体がらサッと血の気が引いたのを自覚した。雪や風のせいではない、その冷たさは体の内側から発せられるモノだった。

 

「嘘だろ……」

 

 呆然と呟く兼善、しかし時は止まらない。カレアの指先に触れた手が仄かに暖かかった、しかし既にその本人は落ちてしまった。

 背後から茂みを掻き分ける音。

 ゆっくりと振り向けば十匹を超えるトロールが顔を覗かせていた、あの足跡から相当数のトロールが居た事は分かっていたが、どうやら大移動と出くわしてしまったらしい。先の二匹は斥候か、何と間の悪い。

 せめてもう少し遅ければ――

 

 兼善はただカレアの落ちた先を呆然と見続ける。

 あの高度、落ちたとなれば生存は絶望的だ、雪があったとしても衝撃を全て吸収できるなどとは思えない。ましてや木に衝突でもしようものなら即死だ、助かる確率など――

 

「諦めて堪るか」

 

 ゆらりと立ち上がる兼善、その体から闘志が吹き上がった。

 本来ならば一瞬一瞬にのみ込めるソレが垂れ流される、その姿は宛ら幽鬼。

 心臓を貫かれ、事切れたトロールに刺さったままの打刀を無造作に抜く。それは血に濡れ、沈みかけの太陽の光を浴びて妖しく光った。兼善は首元に掛けていた頬当てを引っ張り、確りと口元を保護する。

 刀を握ると、悲壮感よりも憤怒が勝った。

 一振り、こびり付いた血を払った兼善は沈みかけの太陽を背に負って、影に呑まれたまま告げた。

 

「死んで侘びろ、畜生共」

 

 そこからの行動は迅速であった。

 一足で彼我の距離にあった間合いを潰し、一閃。

 鋭く、閃光の様に放たれた斬撃は先頭に立っていたトロールの首を斬り裂いた。血が飛び散り、足元の白が瞬く間に染まる。脊椎には至らず、しかし喉を全損する程度には深い傷。即死せず、しかし確実に死ぬ致命傷。

 兼善が戦場で学んだ技だった、多対一では骨を断つ暇すら惜しい。

 骨に至らず、しかし殺す。

 そういう斬り方だ。

 

「貴様らに掛ける時間すら惜しい、死ね、疾くと死ね、首を垂れて死を受け入れろ」

 

 先頭のトロールが死んだことにより、後続の連中が続々と兼善に殺到する。右から左から、無数の拳が繰り出された。丸太の様に太い腕は一撃を受けるだけで骨を砕く、トロールの怪力はそれだけで脅威だ。

 しかし、兼善は決して退かない。

 寧ろ垂れ流される闘志は増すばかり。

 繰り出される拳を斬り裂き、腕の筋肉を断ち、不用意に踏み込んだトロールの心臓に切っ先を突き立てた。

 

「膝を着いて首を差し出せ」

 

 兼善が心臓に突き立てた剣を抜き、同時に旋回、屈みながら剣を薙ぐ。その頭上を剛腕が過ぎ去り、兼善の背後から後頭部を狙ったトロール、その両膝が斬り裂かれた。ガクンと体が崩れ、そのまま跪くトロール。

 その瞳が兼善を捉える前に、首元から鮮血が吹き出た。

 

「貴様等、全員断頭してやる――ッ!」

 

 鬼神と呼ばれる男の戦い、否、それは最早戦いとも呼べぬ虐殺であった。

 兼善に挑むトロールは一人、また一人と斬り殺されて行く。十のトロールなど一分も経たぬ内に屍を晒し、最後に残ったトロールの首が宙を舞った時、その地面は赤に染まっていた。

 先程まで絶景と見惚れていた光景は、もう何処にもない。

 

「銑鉄ッ!」

 

 兼善が名を呼び、避難していた銑鉄が嘶きながら駆け寄って来る。兼善は刀にこびり付いた血を払い、雪で軽く刀身を流すと銑鉄に飛び乗った。

 

「カレアの元へ急げ、落ちた場所は大凡見当がついている! 敵に逢おうと構うな、最短を駆けろ、何と逢っても俺が斬り殺す、鬼だろうと仏だろうとッ――!」

 

 その言葉を聞いた銑鉄は一際大きな嘶きを残し、茂みの中へと飛び込んだ。今は兎に角一秒が惜しい、太陽が沈み夜が来れば捜索は困難となる。そして魔の国の夜の寒さは想像を絶する、仮に落下後に息があっても寒さで凍えて死ぬ。

 

「させるかよ……!」

 

 兼善は刀の柄を強く握り締め、地を這う様な声で言った。

 彼女があそこから転落したのは自分の不注意である、トロールに背後を取られるなど剣聖の名折れ。何か最強だ、何か剣聖だ、そんなものクソの役にも立たないではないか。

 銑鉄は登って来た速度の倍近い速さで山脈を駆け下りる、下手に操作を誤れば木に激突し即死、あるいは投げ出されて骨折もあり得る。しかし兼善は躊躇しなかった、する理由が無かった。

 

 三十分、兼善は風の様に駆け続けた。

 兎に角、早く、ただ素早く。

 山を駆け下り、兼善は一時間足らずでカレアの落下したと思われる地点に辿り着いた。道中遭遇したトロールは問答無用で斬り殺し、兼善が通った後には人影一つ無かった。

 

「カレアーッ!」

 

 兼善はカレアの落下地点に辿り着くと、即座に声を張り上げた。本来ならば敵地で大声を上げるなど、敵に対して「見つけて下さい」と言っている様なものだが、今の兼善には形振り構うだけの余裕が無かった。

 何より声を挙げると言う行為には、自分が来たと救助対象を安心させる目的がある。戦場でも良くあることだが、自身の腕が切り落とされようが足を吹き飛ばされようが、大丈夫だと思い込めば大丈夫だし、駄目だと思うと死ぬ。

 人間、思い込みで生存率が大きく変動するのだ。

 カレアが生きていて、万が一にでも駄目だと思わせない為に、兼善は声を張り上げる必要があった。

 返事は無くとも構わない、寧ろ声が出せる状況だとは思っていない。

 

「どこだッ、カレアッ!」

 

 兼善は銑鉄と共に周囲を駆け回る、頭上を見れば遥か上に飛び出た岩石、あそこから落ちたのだとすればこの周辺に居る筈。落下した軌道を予測して周囲を隈なく探していると、兼善は一部不自然に枝が地面に散らばっている場所を発見した。

 見上げれば、その木は左側の枝だけがごっそりと減っている、何かが衝突した跡。

 視線を下げれば、雪が大きく抉れて下へと続く溝が出来ていた。

 何かが引き摺られた痕跡、間違いない、落下して斜面を滑り落ちたのだ。

 

「カレア――!」

 

 兼善は銑鉄の腹を蹴り、雪の跡を追う。雪の溝は大分遠くまで続いていたが、斜面が緩くなるにつれて段々と浅くなっていた、更には少量の赤色も表層に付着している。

 そして兼善は見つけた、既に息絶えた亡骸を。

 

「……!」

 

 亡骸に近付くと恐らく頭部を強く打ったのだろう、その周辺にだけ血が滲んでいた。兼善は銑鉄から降り、その傍に屈みこむ。触れるとまだ暖かい、そのまま目を開けてもおかしくない程に。

 雪の上に横たわるカレアの跨っていた愛馬、その無残な姿。

 背中には積んでいた荷が半分解けた状態で収まっていた、しかし頑丈に縛っていたのが幸いしたのだろう、中身は辛うじて無事だった。

 

「――馬が此処に落ちたなら、近い」

 

 カレアとこの馬は殆ど同時に投げ出されていた、ならばカレアも近くに落ちている筈。

 立ち上がった兼善は再び銑鉄に跨り、周囲の木を打刀で傷つけながら進んだ。馬に対しては失った事に悲しみを覚えるも、カレアには遠く及ばない、今何よりも優先すべきは彼女だった。

 馬から離れて数分の捜索、既に日は沈み、夕日が辛うじて顔を覗かせている。そろそろ周囲も暗闇に呑まれてしまう、光が無ければカレアを見つける事は困難、更に兼善もテントを設営しなければ危険であった、この地の夜は何の準備も無く凌げるほど温くない。

 唯々、時間が無かった。

 

「! これは……」

 

 馬から少しばかり離れた場所、探索を初めて数分。

 兼善は馬上からキラリと光る何かを見つける、近寄ってみればソレは円筒の様な物体。

 銑鉄から下馬し急いで掘り出した所、それはカレアの持っていた望遠鏡であった。最後に彼女が握っていた私物だ、レンズに多少罅が入ってしまっているが壊れてはいない。

 これがあると言う事は、この周辺にカレアは居る――!

 

 果たして、兼善の予想は的中した。

 

「ッ、カレアっ!」

 

 望遠鏡を見つけた地点から然程離れていない、比較的斜面の緩い開けた場所。

 上から滑り落ちて来たのだろう、先程と同じ雪の窪み、その中でカレアは横たわっていた。兼善が銑鉄を急がせ、素早く彼女の傍へと飛び降りる。倒れたカレアの傍に駆け寄り、慌ててその口元に手を当てれば微かに呼吸を感じた。

 

「――ッ、良かった、良かったッ、生きている!」

 

 兼善は思わず叫んだ、カレアが生きていた、これ程嬉しい事はない。兼善は辛うじて差し込んでいる夕日を頼りに、カレアに外傷が無いか探った。

 首元と頬に切り傷があった、どうやら木の枝か何かに引っ掛けたらしい。

 見れば髪には枯れ葉が挟まっている、運よく木の枝か何かに引っ掛かって勢いを殺したのか。しかしフルプレートアーマーの胸部は大きく凹んでおり、かなり強く打ち付けた事が分かる。

 

「胸を打ったか……骨折は、していないよな? 頼む、頼むぞ」

 

 肋骨や内部の骨を万が一折っていて、その破片が臓器などに刺さっていたらお手上げだ。兼善は応急処置程度ならば経験がある、しかし本格的な医療行為は一度も経験した事が無いし、何より知識が無い。

 半ば祈るような形で兼善はカレアを抱き上げる。

 カレアの傍にはグレートソードが落ちていた為、銑鉄の荷物に括りつけた。

 

「テントの設営――こんな斜面にか? 無理だ、しかし他に場所は、あぁクソ、カレアを探しながら設営場所を見つけるべきだったッ……!」

 

 カレアを両手で抱え、唇を強く噛む兼善。

 そろそろ夕日も沈む、そうすれば完全に夜の世界がやって来る、そうなってしまった時点で兼善とカレアは終わりだ。火も無く風を凌げる場所も無い、極寒の中で十時間以上着の身着のまま突っ立っていたら動けなくなってしまう。

 

 どこか、何処でも良い、風の凌げる場所を――そう思いながら周囲を見渡す兼善。刻々と沈む太陽、周囲は木々の影が薄く伸び暗闇が滲み出している。

 しかし、神は兼善を見捨てなかった。

 兼善はふと、何か独特の風の流れを感じた、音と言っても良い。

 何かを吸い込む様な、低い音だ。

 耳を澄ませるとそれが存外近い場所から発せられている事に気付いた。

 

「まさか……!」

 

 兼善は音のする方へと駆け出す、極力腕を揺らさない様に注意しながら雪を蹴り上げて走った。背後からは銑鉄が続き、兼善はソレを見つけた。

 

「―――本当に、感謝するぜ、仏様」

 

 山脈の横っ腹に空いた穴、空洞。

 それは洞窟と言うには少しばかり小さかったが、十メートル程の長さがあった。馬一匹と人二人が入るには十分な大きさだ。

 兼善は仏の慈悲に深く感謝しながら、カレアを抱いて空洞に踏み込んだ。蝙蝠の類が巣にしているかとも思ったが、そんな事は無く、何か動物が巣にしている様子もない。

 

「銑鉄」

 

 名を呼ばれた銑鉄は兼善の傍まで歩く、兼善はカレアを地面の上に寝かせると荷物の中から毛布を取り出した。それの一枚を地面に敷き、ソレの上に再度カレアを寝かせる。

 後は火だ、兼善は空洞の近くにあった木の枝を跳び上がって圧し折り、適当に集めた。幸い火種は銑鉄が持っていたので、空洞の中にあった小石でカレアの近くに縁を描き薪に火を点ける。

 

「点けよ、頼むから点けよ――!」

 

 雪の水分で湿った枝は燃えにくい、直接圧し折った枝なら尚更、しかし乾いた枝はカレアの馬に積んでいた。あるもので何とかするしかない、これで点かなかったら暖が取れないのだ。

 どうか頼む、その想いに応える様に枝は勢い良く燃え始める。空洞が一気に明かりで満たされ、兼善は内心でガッツポーズを取りながら再び周辺から枝をありったけ集めて来た。

 それらを焚火の近くに積み上げ、乾かしながら順に燃やし始める。

 

 火が確保できた後はカレアだ、兼善はカレアの傍に屈むと手甲を脱ぎ捨て、フルプレートアーマーを脱がせに掛かった。ローブと貫頭衣を脱がせ、鎧は甲冑と随分着方が異なった為苦戦したが、何とか脱がす事に成功する。

 兼善は銑鉄を空洞の入り口に立たせ風避けとし、また毛布で彼女の首元を包んだ。

 そして残ったインナーをめくり上げると、カレアの程よい大きさの胸が外気に晒される。

 もしこれが平時であれば飛び上がる程喜び、歓喜の涙を流したであろう兼善、しかし今の彼は胸にこそ視線は固定されるがやましい気持ちは一切ない――いや、少しくらいは含まれているが、これくらいは看病費用という事にして欲しい。

 

「……少し痣にはなっているが、大丈夫だ、そこまで酷くはない」

 

 炎に照らされたカレアの体は、所々に痣や切り傷、擦り傷があったが鎧で守られていた箇所は無事だった。胸当ての部分だけが大きく凹んでいた為、かなり強く打った様だが、幸いにして外傷はそれ程酷くない。

 兼善は骨折する様な負傷を何度も経験しているが、カレアのソレは赤黒く変色した皮膚ではなく、青く打撲で済まされる様な変色であった。

 痣は丁度胸と胸の間にあり、もしかしたらこの双山がクッションの役割を果たし守ってくれたのかもしれない。貧乳だったら死んでいた、そう言っても過言では無いだろう。兼善は安堵の息を吐いた、兎に角カレアは無事だったのだ、そう認識した瞬間ドッと体が重くなった。

 思わずカレアの腹に顔を埋め深呼吸してしまう。

 

「あぁ――凄く焦った、すっげぇ焦った」

 

 兼善はカレアの腹に顔を埋めながら、そう呟く。起きて彼女の表情を覗き込めば、落下した本人は何と安らかな表情か、まるでただ寝ている様である、兼善は思わず苦笑した。

 そのまま胸を晒していては冷えてしまうと、兼善は捲り上げたインナーを戻そうとし――少し考えてカレアの胸を無造作に指で突いた。

 

「んっ」

 

 カレアが小さく声を上げ、兼善は捲り上げたインナーを元に戻す。

 

「これ位の役得はくれても良いだろう、カレア」

 

 返事は無く、兼善は真っ赤になりながらカレアの頬を優しく撫でた。

 

 

 

 ――もう一突き位、許されるだろうか?

 

 

 




 毎日投稿五日目。
 すまない……投稿してすまない……。
 毎日一万字投稿とか自分でもトチ狂っていると思っているのですが、やめられない止まらないかっぱえびせん。
 
 今回は(ラブコメ)ないです。
 皆さんがお待ちかねのヤンデレがウォーミングアップを開始しました。
 書いていて凄く楽しかった(小並感)

 それとランキング一位ありがとうございます、いぇい、いぇい(ダブルピース)
 プロットなんぞ最初と最後しかない暴走列車小説ですが、完結までお付き合い下さい、完結できるかは分かりませんが。
 きっと未来の私が何とかしてくれるでしょう。
 あと書いてみないと分かりませんが、今回は恐らくハッピーエンドです。

 目指せ「異世界の地下闘技場で闘士をやっていました」超え。
 あっちは何か消化不良だったので、今回は綺麗にまとめたいと思います。

 明日はきっと更新しません(出来ないとも言う)
 

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