東の剣聖   作:トクサン

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剣聖と水浴び

 

 魔の国――侵攻七日目。

 

 荒野も半分ほどを渡り切っただろうか、遥か向こうにあった山脈が段々と近付いてきている。馬の足は快調で今のところコレと言った問題には遭遇していない。

 カレアとの距離を縮める作戦も今のところ順調で、今朝方「剣聖様」という呼び方を、「兼善様」に変える事に成功した。名前呼びはかなり大きいだろう、兼善は上機嫌に馬を走らせる。

 今ではカレアと気軽に名前を呼び合い、雑談出来る仲であり、恋仲になるのも時間の問題だろうと兼善は思っていた。そうすれば我が世の春はすぐそこだ、グッバイ妖術使い、三十まで貞操を守る事は出来ないらしい。

 いやぁ残念だなぁ、実に残念だ、うん。

 

「兼善様、何か良い事でもあったのですか?」

「うん? 何故そう思う」

「口元が笑っていますよ」

 

 兼善は並走するカレアに指摘され、自分が笑っている事に気付いた。いかん、せめて気持ち悪い笑みでなかった事を祈ろう。

 

「すまんな」

「いえ、兼善様が嬉しいと、私も嬉しいですから」

 

 やだ天使。

 はにかむカレアに心臓を撃ち抜かれながら必死に込み上げる何かを我慢する兼善、存外彼もチョロい男である。それを外には出すまいと努力はしているが。

 

「そうだ、兼善様、サンタクロースってご存知ですか?」

「サンタクロース?」

 

 兼善が悶えていると、ふとカレアはそんな事を聞いて来た。

 サンタクロース、確か東の倉庫にあった『妖怪絵巻』にそんな名前の怪物が居た気がする。この世界が未だ『地球』と呼ばれていた頃の話だ、世界中に居る子どもに贈り物を届ける妖怪だったとか。

 

「はい、世の中の子ども達にプレゼントを届ける素敵な妖精さんです」

 

 成程、表現は少々異なるが大凡同じ対象を指している。兼善は小さく頷いて、「あぁ、それほど詳しくはないが、聞いた事がある」と口にした。

 

「何でも、イスラムやら、ヒンドゥー? やらの流派、道場に属している幼子を除いた約三億人に、たった一晩で贈り物を届ける妖怪だったとか……絵巻によれば、彼は三十一時間で全ての子ども達に逢っていたそうだ、その距離は大陸を何度も往復出来る距離(1.2億km)だったとか、絵巻には彼が秒速1040kmとやらで空を駆ける怪物だと書かれていた、音速の約3000倍だそうだ、それが何を意味するのか俺には良く分からないが……」

 

 兼善には秒速、音速という表現がイマイチ分からなかったが、とんでもなく速いという事だけは理解していた。絵巻には絵が多く記載されているので、解釈には困らない。彼の妖怪は赤い服と赤い帽子を身に纏い、大陸中を飛び回っていたらしい。

 とんでもなく速いとは言うが、燕や矢よりも早いのだろうか?

 

「確か、絵巻には三十万トンの重さを牽引し、その速さで駆けられる獣の存在も書かれていた、トゥナカイ、と言ったか、凄まじい獣だ、恐らくサンタクロースとトゥナカイは二体で一つの生命体なのだろう、それ程の重さを持ちながら凄まじい速さで駆ける物体、更にはもし彼らが実在しているのならば、衝撃波(ソニックブーム)と呼ばれる現象によって、世界は滅びを迎えるらしい」

「そうなのですか!?」

 

 カレアは驚きの声を上げ、目を見開いた。どうやら彼女にとっては初耳だったらしい、遥か昔の東の国の先祖、確かニホンジンと言ったか、彼らは知的好奇心に満ち溢れた人種だった。恐らく西よりも詳しい情報が記載されていたのだろう、カレアはしょんぼりと項垂れてしまった。

 

「……私は、てっきり夢のある妖精さんだとばかり」

「西の書物と東の巻物では、内容に違いがあるのかもしれないな」

 

 実際東の方では恐ろしい怪物として書かれているが、彼の妖怪は子どもに贈り物をするだけである。何か悪さをしたわけでは無いし、人に害を為す存在という訳ではない。実際に存在したら世界は滅ぶが。

 

「しかし、何故急にそんな事を?」

 

 兼善が首を傾げれば、カレアは「……サンタクロースは冬と共に現れる、と聞いた事があったので」と言った。成程、山脈が近付くにつれて寒さが厳しくなってきた。確かに冬を感じる環境だ、それで連想したのだろう。

 

「何か欲しいモノでもあるのか?」

 

 東の国の成人は二十からだ、つまり彼女は未だ子どもという括りに入る。何かプレゼントでも欲しかったのかと聞けば、カレアはワタワタと慌てた。

 

「えっ、あっ、いえ、その………えっと、強いて言うなら、浴槽に浸かりたいで、す」

 

 カレアは羞恥に頬を染めながら、恥ずかしそうにそう言った。

 

「ふむ――確かに、そろそろ風呂に入りたい、その気持ちは良く分かる」

 

 兼善とカレアの旅も一週間目、そろそろ体のベタつきも許容できる範囲を超え始めている。毎日テントで体を拭いてはいるが――非常に残念なことに、片方が体を拭いている時は、もう片方は外に出ているルールになった――やはり水で一気に洗い流したいと言う気持ちは強い。

 それでもカレアは良い匂いだがな!

 

「近くに水場が有れば良いのですが……手持ちの飲み水も、心許ないですし」

「そうだな、最近雨も降っていない」

 

 水が無ければろ過する事も出来ない、それは死活問題だ。

 一応手持ちで三日は凌げるだろうが、それ以降の保証はない。馬だって水を欲するのだ、三日の間に水場を見つけるか、雨の恵みを待つか。

 降雪地帯に踏み込めれば雪で飲み水は確保できるが、三日で荒野を走破するのは難しい。

 

「ん――?」

 

 そんな事を考えていると、兼善の視界に動く物体が見えた。素早く馬を停止させ、カレアに予め決めていた合図を送る。カレアは合図に素早く反応し停止、二人はじっと息を殺し、沈黙した。

 

「……敵ですか?」

「あぁ、かなり遠いが前方、更に西の方だ」

 

 兼善が指差した方向に目を凝らすカレア、そうすると四足歩行の影が目に入った。全身を毛で覆った大型の動物、恐らく魔の国のポーン()だ、そう思った。

 魔の国の兵士と言えばゴブリンやオーク、トロールなどだが、彼らの使役する最下級の兵士がポーン()と呼ばれる動物、見た目は猪の様に大きいが知能は殆ど持っていない。故にそれ程大きな脅威ではなかった。

 

「荒野からはもう撤退したとばかり……はぐれでしょうか?」

「かもしれない、だが――」

 

 兼善はチャンスだと思った、獣は水場を鼻で嗅ぎ当てると聞く。或は奴を追って行けば水場に案内して貰えるかもしれないと。

 

「カレア、奴を追ってみよう、水場に案内してくれるかもしれない、どの道、食料も残り少ない、アイツを狩って肉を貰おうじゃないか」

「えっ、あっ、はい!」

 

 兼善が笑みを浮かべながらそう言えば、カレアは慌てて頷いた。そして二人は静かに走行を再開、ポーンの追跡を開始した。

 獣の追跡は存外難しい、風上にならない様注意しながら、更に音を殺す必要がある。幸いポーンの足はそれ程速くない、二人は十分に距離を取った状態で三十分程ポーンを追い続けた。

 

 そして――

 

「……当たりだな」

「わぁ!」

 

 兼善のカレアの前には小さな湖とも言える水場が現れる、荒野のオアシスとでも言うべきか、大きさはそれ程でもないが水源としては十分過ぎる程だ。そこには三匹のポーンが集まっており、彼らの生活拠点になっているのが分かった。

 

「はぐれではなく、此処を縄張りにしているポーンだったか、運が良い」

「そうですね! どうしましょう、このまま突撃して殲滅しますか?」

「む……」

 

 兼善は目の前で蠢く三匹のポーンを見ながら考える。殲滅するのは賛成だが、馬鹿正直に突撃するのは良くない、連中は知能を持たないが逃がして周囲に異変を悟られるのは避けたかった。

 

「突撃するのは良いが逃がすのは避けたい、俺が壁役をやろう、漏れたポーンは仕留める、カレア、突撃頼めるか?」

「えっと、分かりました、では――!」

 

 カレアは馬に乗ったままグレートソードを引き抜き、目線の高さに構える。騎士特有の構えだ、バリアントと言ったか、攻撃にも防御にも移行できる万能の型と聞いた事がある。

 

突撃(チャージ)――ッ!」

 

 カレアが叫び、馬の腹を蹴ると一気に加速、嘶きと共に突撃を開始した。馬上であると言うのにカレアの姿勢は全く崩れず、馬の蹄の音と嘶きでポーンは敵対者の存在に気付く。そしてカレアは急接近するや否やグレートソードを突き出し、刺突がポーンの一匹に直撃した。

 頭部を貫いたカレアはポーンを突き刺したまま前進、そして華麗な動作で剣を抜き出すと血を払う。頭部を貫かれたポーンは身動き一つせず、荒野の上を転がった。

 

「――流石に、パトリオットを名乗るだけはあるか」

 

 カレアは一匹を仕留めた後、すぐさま旋回し二匹目に剣を突き立てた。その剣技たるや鮮やかの一言、一撃必殺、剣の重さを活かした技。あの小さな体で良くもまぁあそこまで扱えるものだと感心すら覚えた。

 

「ッ、兼善様!」

 

 カレアに名を呼ばれて兼善は意識を取り戻す、見れば最後のポーンが此方に向かって突進して来るところだった。

 どうやらカレアには敵わないと見て逃走を選んだらしい、此方に向かって走って来るのはせめて仲間を屠ってやろうという敵討ちか。

 

「馬上では少々危ないか、下がれ銑鉄(せんてつ)

 

 ポーンを見据えた兼善は下馬し、騎乗していた馬――銑鉄を下がらせる。尻を叩くと意図を察したのか、脇へと走って行った。

 この旅を始めてから戦闘は初だ、せめてカレアに良い所を見せなくてはならない。カレアの好感度の為、せめて格好良く散ってくれ、名も無きポーンよ。

 

 鞘から刀身を抜き放ち、兼善は切っ先を体と水平に保った。水面と呼ばれる構えだ、兼善の体からは何も感じない。相手を殺してやるという殺意、敵意、害意、それらを全く感じなかった。或は、刀を持っただけで斬る気が無い様にも見える。

 静かな構えだ。

 否、静かすぎる。

 

「兼善様……?」

 

 カレアも疑問の声を上げる。

 ここまで闘志を感じない構えに、違和感を覚えた。

 しかし敵は待ってはくれない、ポーンは四つの足を巧みに使い加速、兼善目掛けて突進する。それには仲間を殺された殺意も含まれている、食らえば甲冑を纏おうと負傷は免れない勢い、カレアは思わず身を竦ませた、このままでは直撃する。

 

「兼善様!」

 

 思わずグレートソードを構え、加勢に行こうと馬を急かす。

 しかし、それよりも早くポーンは兼善に接近した。

 当たる。

 

 そう予感した次の瞬間、ぬるりと兼善の体が動いた。

 一歩、脇にずれる。

 そして兼善の体から一瞬だけ闘志が吹き上がり、その体に黒い何かが纏わりついた。両腕が凄まじい速度で振るわれ、視界が霞む。その一撃は凄まじい風圧を伴い、余りの速さにカレアは目を見開いた。

 ぞくりと背筋に悪寒が奔る。

 

 残心――刀を振り抜いた状態の兼善、そして加速したままポーンと擦れ違い。

 ポーンの頭部がズレ落ちた。

 ゴトリとポーンの頭部が地面に転がり、遅れて血が吹き出る。まるで斬られた事に今気づいたとばかり、ポーンはそのまま地面を転がって砂煙を上げた。

 

 剣聖。

 

 それは剣を極めた者に与えられる東の国最強の称号。

 あらゆる戦場を剣一本で潜り抜け、その頂きに立った者だけに送られる称賛の名。科学でも妖術でも魔法でもない、ただ純粋な剣の力。

 ただの一刀、ただの一振り。

 しかし、カレアはそれだけで悟った。

 

 勝てない。

 

 否、勝てるとか勝てないとか、そういう次元に彼は居ない。寄って斬る、ただそれだけに特化した、それしか追い求めなかった人間の果て。

 それは最早人では無く、死の概念そのものにも見えた。

 

「す……凄い――ッ!」

 

 カレアの口から惜しみない賞賛が零れる。

 どれ程の修練を積んだのか、どれ程の修羅場を潜ったのか、彼女には想像すら出来ない。動と静が混じり合い、ゼロか一のみの世界は酷く美しく見えた。

 

「腕は、鈍っていないな」

 

 剣に付着した僅かな血を払い、兼善はそのまま納刀する。一週間程刀を振っていなかったので、ぶっつけ本番で躱し斬りは少々挑戦し過ぎたかと思ったが、どうやら問題は無いらしい。やはり何千、何万と繰り返した動作は忘れる事が無い、兼善は鞘の上から刀を小さく撫でた。

 

「さ、流石剣聖と呼ばれるお方――か、兼善様ッ! 凄いです、凄すぎます! このカレア、兼善様の剣技に思わず見惚れてしまいました!」

「そうか、そうか」

 

 顔を赤くして、興奮気味に駆け寄って来たカレアに兼善は満足そうに頷く。元々剣しか誇れるものなどない、これで「えぇ……ぶっちゃけ微妙です」なんて言われた日には爆発即死する自信があった。

 ともあれ、カレアの尊敬の視線がきもてぃ。

 

「あの、何て言えば良いのか分からないのですが、こうババーンって! その後ボーンって! 最初はただ構えているだけだったのに、そこからシュビッ! っでドーン! ってなって!」

「うん、うん」

 

 兼善は擬音で先程の技を表現するカレアを慈愛に満ちた目で眺める、あぁカレア可愛い、何だろうかこの気持ち、多分愛だわ、良く分からんけれど。

 

「しかし、カレアの突撃(チャージ)も中々凄かったと思うぞ、馬上でもあれ程安定した姿勢、更にポーンに真正面から剣を突き出して押し負けない腕力、良く鍛えられている証拠だ」

「そ、そうですか? 兼善様にそう言って貰えると……えへへ」

 

 少し褒めればだらしなく頬を緩め、照れ笑いを浮かべるカレア、可愛い。

 兼善は辛うじて精神の暴走を防ぎ、咳払いを行った。このままで思考がどこかにトリップしてしまいそうだったのだ、全くカレアは可愛すぎて困る、世が世なら罰則ものだ、多分「可愛すぎる罪」とか。

 

「――よし、では仕留めたポーンを血抜きして食事にしよう、どうせなら一日程此処で休み、燻製を作るのも良いかもしれない、食料が多いに越した事はないからな、後は飲み水の確保と水浴びだ」

「はい! ふふっ、楽しみです!」

 

 久々の水浴びに嬉しそうな表情を見せるカレア、えぇ、えぇ、俺も嬉しいです。

 なんたって覗きを行う絶好の機会――!

 此処で覗かず何か男か、剣聖か。

 武士の恥? うるせぇンなモン溝に捨てろ。

 覗くのは一時の恥、覗かぬは一生の恥だ。

 

「それじゃあ、さっさとテントの設営を終えてしまおう、手伝ってくれカレア」

「はい、分かりました!」

 

 純粋無垢な笑顔を向けるカレア、そこからは兼善が覗きを行うなどとは微塵も考えていない。覗きがバレればこの表情が曇ってしまうだろう。兼善は彼女に微笑みながら内心で誓う、絶対にバレる訳にはいかないと。

 此処に一人の男の孤独な戦いが始まった。

 

 

 ☆

 

 

 兼善とカレアは協力してポーンを逆さ吊りにし、喉元を斬り裂いて血抜きを行った。後は血が出なくなるまで待つだけなので特に手を加える事はない、強いて言うなら内臓を抜く必要があるが、それは水浴び前に兼善が一人でやるつもりだった。

 カレアには飲み水の確保、ろ過を任せ兼善は焚火の準備を行う。そろそろ日が落ちる時間だ、本来ならば焚火は煙が目立つ為敵地では推奨されないが、水辺があるならどの道他のポーンが寄って来る可能性がある。

 ならば誘き出して皆殺しにした方が良い、ポーンは光に寄せられる性質があった。

 後はテントを設営し拠点設置は完了、明日の朝まで休むだけ。

 

「兼善様、飲み水の確保終わりました!」

「そうか、有難う、なら先に水浴びを済ませてしまうと良い、見張りは俺がやっておこう」

 

 兼善は乾いた枝を適当にくべながら、報告に来たカレアにさも当然の様に告げる。遠慮がちに、「先に頂いても宜しいのでしょうか」と眉を下げるカレア、兼善は小さく笑いながら気にするなと彼女の肩に手を置いた。

 

「まぁ何だ、君らの西が言うレディ・ファーストという奴だったか、それに倣っただけさ、ただ何かあった時は大声で叫んでくれ、直ぐ駆け付ける、一応敵地だから警戒は怠るな」

「はい! ありがとうございます、兼善様!」

 

 兼善に信頼の視線を寄越し、何の疑念も不信も無く水辺に駆けて行くカレア。兼善は焚火を弄りながら、さも興味はありません風を装う。無論内心ではカレアの裸体に興味津々だ、しかし外面を取り繕う技術は随一の男兼善。

 

「フッ――小義を捨て大義を得るとは、この事か」

 

 この場合、大義とはカレアの裸体を目に焼き付ける事であり、小義とは武士的な矜持とか誇りの事を指す。

 しかし既に武士の誇りなど埃と同じ軽さに成り下がった、捨てるに何ら躊躇いは無い。

 

「ならばこそ、我、修羅の道へ至らん」

 

 一際強い炎に照らされた兼善の顔、恐らく彼は嘗てない程に険しい表情をしていただろう。もしかすると四魔将と対峙した時よりも勇ましい顔だったかもしれない、兼善にとっては四魔将よりも女性の方が手強い存在だった。

 何故なら寄って斬れば倒せる相手ではないから。時として男の身では予想できない行動に出る事も多い、経験値皆無の兼善では到底太刀打ち出来る相手ではなかった。

 布団の上ならば兎も角――まぁ経験はないがな!

 

「――」

 

 兼善は焚火を適当に突きながら、極限まで集中を行う。

 すると何やら背後から金属音が聞こえて来る、恐らく鎧の留め具を外しているのだろう。基本的に夜は交代で見張りを行っていたが――尚、その際何時間にも渡って理性と戦い、その寝顔を眺め続けるだけに留めた事を明言しておく――鎧を外せるのは就寝の時だけだった。

 故に彼女のラフな格好は貴重だ、寧ろ今すぐ振り向きたい、振り向いちゃ駄目だろうか?

 否、落ち着け藤堂兼善、大事の前の小事、裸体の前の下着。

 確かに下着も恐ろしく魅力的であるが、それはあくまで下着に過ぎない。

 本命はその向こう側にあるのだ。

 

 いっその事本当に敵が襲撃して来て、カレアが悲鳴を上げてくれれば手間が省けるのだが……いや、流石にそれは危険だ。兼善は首を振る、裸見たさにカレアを危険に晒すなどあり得ない事だ。

 しかし実際問題どんな敵が来ようが負ける気はしない、四魔将を単独で討った兼善と渡り合える存在など居ないのだから。西の国のパトリオットはカレア、そして魔の国の剣聖――四魔将は全て兼善が討ち取った。

 つまり大陸最強は兼善であり、それを超え得る存在は無い。四魔将一人に手古摺っていた人類なのだ、その戦力差は明らかだろう。

 

「まぁ、人型だったら首を刎ね飛ばして膾切りにしてやるが」

 

 仮に本当に敵が襲撃してきた場合、兼善は全力でその相手を屠る。人より先にカレアの裸を見るなど言語道断、地獄の業火も生温い、泣いて詫びても許してやらぬ、最悪の死をくれてやろう。

 

 ――さて、そろそろ良い頃か。

 

 既に背後から聞こえて来る金属音は布の摩擦音に変わり、それからチャプチャプと水音が聞こえて来た。気配から分かる、入水したのだろう、兼善は徐に立ち上がると振り向かずに叫んだ。

 

「カレア、ポーンの内臓を抜き出してくる、何かあったら叫べよ!」

「はい! 分かりました!」

 

 兼善の言葉にハッキリと答えるカレア、兼善は一つ頷いて水辺から少しばかり離れた場所に吊るしたポーンに近付いた。そして体の向きを水辺の方に向けながら、遠慮なく腹を小刀で掻っ捌く。

 

 そして繰り出すは――高速のチラ見! 圧倒的な高速チラ見ッ!

 

 戦場で磨いた技、その一つに眼球を凄まじい速度で動かすと言うものがある。戦に於いて視線は生死を分ける重要な要素の一つ、兼善が鍛えぬ道理はない。そして苦しい鍛錬と血に塗れた戦場で生き抜いた結果、兼善は常人では反応出来ぬ程の高速視線移動を可能とした。

 

 手を動かし、出来得る限りゆっくりと内臓を抜き出す、何故なら一秒でも長くカレアの裸体を眺めていたいから。カレアの姿は横向きで、丁度西から持ち込んだ石鹸で体を洗い流している所だった。

 女性の初めて見る裸体、月光の元に栄える、その神秘的な光景、更に美少女。

 

「――感謝」

 

 兼善は内心で滝の涙を流し、仏とカレアに心からの感謝を捧げた。

 この藤堂兼善という男の人生は、この時の為にあったのだと、そう確信する。白い肌に張り付いた金髪、細い腰、張った胸、魅力的な足。

 あぁ、理想郷は此処に在り。

 我、真理を得る、全ての苦楽は理想郷に通ず、その理想に辿り着くは困難を極め、しかしその頂きの光景は絶景の一言、男児これを見る為に生を受け、世の理を知るべし。

 

 兼善は天啓を授かる、まるで今まで白黒だった世界が色鮮やかに咲いた様だった。その開放感を何と表現すれば良いだろうか。

 三頭のポーンを処理する間、兼善は幸福の絶頂にあった。

 有体に言って最高であった。

 しかしどんな物事にも終わりは存在する、三体目のポーンを処理し終わったとき、兼善がこの場に留まる理由は無くなってしまった。

 

 絶望、深い悲しみ、凄まじく美しい絵画を眺めていたら警備員に叩き出されたかのような憤怒、しかし時は残酷である。

 兼善は荒ぶる感情を何とか沈め、とぼとぼと焚火の元へと戻った。カレアの美しい裸体はバッチリと、それはもう脳裏の深くまで刻まれている。今でも瞼を閉じれば浮かんでくる、その理想郷。

 兼善は深い悲しみに沈みながらも、同時にとても満足げであった。焚火に追加の草やら枝を投げる時も、どこか余裕を感じさせる所作でこなす。

 そうして数分程賢者の気持ちで待機していると、「お待たせしました!」と溌剌とした声と共にカレアが焚火へと駆けて来た。

 その髪は濡れて張り付いている、一応布で水気はふき取った様だが寒さはあるのだろう。服装は鎧の下に着用していたインナーに予備の貫頭衣だった、彼女の寝間着姿だ。

 

「あぁ、お帰り、寒いだろう? 焚火で温まると良い、次は俺が水浴びをするから見張りを頼むよ、鎧は身に着けなくとも構わないが剣だけは傍に置いておいてくれ」

「はい、任せて下さい!」

 

 笑顔でガッツポーズを見せるカレア、可愛い。

 擦れ違う時、素朴な石鹸の香りが鼻腔を擽って胸が高鳴った。脳裏に過るは彼女の裸体、この光景を胸に後十年は戦えそうだった。

 

「ふぅ……これが若さか」

 

 人間五十年、戦いの多いこの世界で二十六はそろそろ良い歳だ。しかしいつまで経っても精神は成熟せず、否、ある意味これが、兼善の様な状態こそが人間の正しい姿なのかもしれない。

 ただしそうなったら人類は滅亡するだろう、これは確信である。

 

 兼善は甲冑の留め具を外し、次々と防具を外して地面に並べる。既に手慣れたもので目を瞑っていても可能だ、兼善は中に来ていた褌も脱ぎ捨てると石鹸と布を手に水の中へと身を沈めた。

 幸い水底はそれ程深くも無く、兼善の腰より少し上程度の水面だった。

 冷たい、寒い、しかし今の兼善には通じない。

 我が分身は既に滾っており、心は灼熱、如何に体を冷やそうと心の臓までは届かず。

 

「気持ちの良いものだ」

 

 兼善は適当にそんな事を呟いた。

 

 

 一方その頃、カレア。

 兼善に言われた通り、グレートソードを近くに置きながら地面に敷いた布の上に腰かける。焚火の炎は暖かく、水で冷えた体にじんわりとした熱が気持ち良かった。張り付いた前髪を払いながら、しかし心は別の場所に向いていた。

 

 水を浴びる兼善、その後ろ姿。

 

 カレアとて年頃の少女である、否、既に彼女は女性の領域に踏み込んでいると言って良い。西の国では成人を十八としているので、国は既に彼女を大人と見なしている。少なくとも未成年がパトリオット(愛国者)の地位に立つ事は出来ない。

 東の国は剣聖という地位を一人と限定しているが、西の国にはパトリオットの称号を持つ騎士が三人存在している。その内の一人は四十代の男性で、もう一人に至っては五十後半代の老体だ。

 十九の少女がその地位に立ったと言えば異常さが分かるだろう、それ程までにカレアの剣技は凄まじい。

 

 そして、そのカレアを以てしても「勝てない」と言わしめる剣聖――藤堂兼善。

 同じ剣士としても、異性としても気になる存在だった。

 

「……凄い傷」

 

 カレアは兼善の背を見て呟く。

 その背中は無数の傷が刻まれ、とても痛々しいものだった。何かが捻じ込まれた様な傷、剣で斬られたのか窪んだ傷、削り取られたかのような傷、それらが無数に走っている。一体どれほどの戦場を経験したのか、カレアには想像も出来ない。

 カレアが戦場に出たのは大攻勢の時のみである。

 元々女性であったという事もあるが、この剣才が認められたのは極最近の事であった。

 

 彼の傷は背中だけではない、腕や首、腰や足、恐らく見えないが腹部にも。

 石鹸で体を洗う兼善はカレアの視線には気付いていない――実際は気付いているのだが、自分も沢山見せて貰ったのでお互い様と思っている――その間カレアはちらちらと、時折じっくりと、兼善の体を眺め続けた。

 単純に彼の歴戦の戦士らしい体に見惚れたという事もあるが、異性として気になってしまうという点もあった、恋愛経験値が無いという部分も関係ある。彼女にとって異性の肉体と言うのは未知だった、好奇心は時として羞恥心を上回る。

 

「うわぁ……うわぁ」

 

 カレアは思わず感嘆の声を上げてしまう、兼善が体の向きを変えて彼のアレが丸見えになっていたのだ。カレアが見た事のある股間など父親のモノ位だ、比較対象が少なく何とも言えないが、兼善のアレは非常に大きく見えた。

 実際はただ臨戦状態であったからという理由なのだが、彼女がそれを知る由は無い。

 

「男の人って、あんなものを持っていて邪魔じゃないのかな……?」

 

 そうしてまた、一歩大人に近付いたカレアだった。

 

 





 三日連続更新です、恐らく明日は無理でしょう。
 隙あらば小説を書く私ですが中々時間が取れず……申し訳ない。
 感想で優しい言葉を沢山頂き、ありがとうございます。

 小説を書いていると、「こんなん書いて、本当に読む人が居るのだろうか?」と疑心暗鬼になる事がありますが、感想を頂けると「あぁ、書いて良かった」という気持ちになります。
 これからも変わらず感想を頂けると嬉しいです。

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