東の剣聖   作:トクサン

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約束の拳

 

 魔の国――侵攻五ヶ月と半月目

 

 鬱蒼と生い茂る木々、自然、緑。

 歩けど歩けど景色を変えない世界、山脈地帯よりも範囲は狭いと聞いていたが本当だろうかと疑いたくなる。しかし確実に進んでいる事は進んでいる、その理由は気温の変化だ。魔の国は地域によって四季が固定されている為、暑いところは年がら年中暑いし、寒い所は年がら年中寒い。

 摩訶不思議な土地だがそうである以上適応する他無い、そして兼善は森を進む内に段々と暑さが和らいでいると感じた。薄着で侵攻しても汗を大量に流し小まめな塩分補給と水分補給が欠かせない環境が、多少汗が滲むものの比較的楽に侵攻可能な気温に。

 つまり二人は確実に森林の終わりへと近付いている、そういう事だった。

 

「随分と楽になった」

 

 兼善は首元に空気を送り込みながら息を吐き、そんな事を口にする。

 未だに暑いと言えば暑いが、此処に来たばかりの時とは比べ物にならない。元の気温が四十度以上だとすれば、今は三十度より少し上程度の暑さだろうか。

 段々と森林の終わり、夏の終わりが近付いている。

 

「はい、これなら多少塩も節約できますし――何よりお腹にお水が溜まりません」

「そうだな、飲み水が胃を圧迫する感覚はもう沢山だ」

 

 兼善の隣で額に滲んだ汗を拭い、お腹を撫でながら苦笑するカレアに同意する。東も西も四十度を超える暑さに晒される事など殆どない、一応二国は四季という概念を持っているが、東は冬は寒く夏も暑い、西は比較的寒い地方にあり夏の暑さには弱い、逆に言えば寒さには比較的強い民と言える。

 

「そろそろ日が沈むか……」

 

 兼善が空を見上げれば夕日が空を彩っている、茜色は森を染め上げ星々が顔を覗かせる時間帯だ。そろそろテントを設営した方が良いだろう、兼善はそう判断し周囲を見渡した。

 すると小さな水源だが、積み重なった石から水がチョロチョロと流れている場所を発見する。湧き水だ、立地も悪くないし今日は此処でキャンプにしようと決めた。

 

「カレア、今日はもう休もう、夜中に例の蝶と鉢合わせたら面倒な事この上ない」

「はい、分かりました、えっと……テントは何処に?」

「あそこだ、丁度湧き水が見えるだろう、あそこにテントを設営しよう、湧き水で飲み水を作った後は食事だ、今日は兎の肉に山草のスープだな、久々の肉だからゆっくり食べよう」

 

 兼善はそう言って銑鉄に括りつけられた兎を見る。

 今日の昼頃、丁度動く物体を視界に捉え、その時に見つけた兎だ。虫や鳥といったものは森の中で何度と目にするが、単純な動物の類は中々お目に掛かれない。そもそも数が少ないのか、或は単純に獣の勘から兼善たちを避けているのか。

 

「お肉は久々です! 今日はちょっとしたパーティですね!」

 

 肉と言う単語に反応したカレアが嬉しそうに笑みを零す。森林地帯に入ってからは食事の大半が山草や野菜、果物だった為気持ちは分かる。雪山では殆ど肉であったが、森林地帯では逆だ、何事にもバランスが大事だと言うのに。

 

 兼善とカレアは湧き水の出る地点へと足を進め、手際よくキャンプの設営を行う。既に旅を初めて五ヶ月以上、手慣れたものだ。瞬く間にテントは組み上がり、焚火の用意を済ませてしまう。

 こういう熱帯地と言うのは夜が凄まじい寒さである事が多いと聞くが、残念なことにこの森林地帯は夜も蒸し暑さが続く。

 本来ならば焚火などしたくも無いが、料理の為には致し方なし。

 そうこうしている内に太陽は沈み、完全な夜がやって来た。

 周囲には焚火の光だけが存在し、兼善は手持ち鍋の中に水を浸して入手した山草や野菜を中にブチ込む、味付けはピリッ辛みのある香辛料に薄くスライスした兎の肉。香辛料は臭みを消すのに役立つ、商人から購入したものだ。

 

「あっ、兼善様、私の仕事を――!」

「ふふっ、遅かったなカレア、先に作ってしまっていたぞ」

 

 周囲に魔の国の集落、集団、巣なのが無い事を確認しに行っていたカレアは、帰って来るや否や非難の声を上げた、頬を膨らませて恨めしそうに兼善を見る。あの言い合い以降カレアは食事係を自分の仕事と言い張っているが、偶には自分の手料理も食べて欲しい。

 鍋を掻き混ぜながら得意そうな顔で笑う兼善は丁度良い煮込み具合になったスープを椀によそおい、カレアに差し出した。

 カレアは暫くその椀を唇を尖らせたまま見ていたが、やがて観念したのか渋々と「ありがとうございます…」と呟き受け取った。そのままスプーンを手に取り一口。

 

「どうだ、美味いか?」

「……兼善様の作ったご飯が不味い筈ないじゃないですか」

「そうか、そうか」

 

 それは何より。

 カレアは久々の肉を頬張り、兼善も自分の食事をよそって食べ始める。カレアが偵察を行っている間にじっくりと煮込んだのが良かったのか、肉や野菜の柔らかさも程よく、香辛料によって獣臭さは殆ど感じない。若干拗ねた様子を見せていたカレアも、その美味しさに笑顔を見せ始めた。

 やはり食事と言うのは大切だ、空腹は人間性を損なう一つの要因、腹さえ膨れていれば人間何とかなるモノである。

 兼善が戦場で学んだ事の一つだ、腹が一杯で、刀があり、最悪な想像をせず、脳と心臓さえ動いていれば存外何とかなる。

 

「兼善様、明日のご飯は私に作らせて下さい」

「ん? あぁ、相分かった、明日の当番は任せよう」

 

 ジトっとした視線で自分を射抜くカレアに、兼善は苦笑を零しながら頷く。食事は美味しいし笑顔になるが、それとコレとは別問題といったところか。大抵の事に関しては寛容なカレアだが、殊兼善が絡むと途端に頑固になる。

 コレも愛ゆえか、愛されているな自分、嬉しい。

 

「約束ですから、破ったら一日中抱き着きますから!」

「そんな鬼気迫る勢いで言わんでも……というか、その罰則は今と大した変わりが無いと思うのだが」

「もっと密着します」

「最早罰則と言うより褒美だな」

「私がくっつきたいので仕方ないのです、因みに破らなくても密着します」

「そうか」

 

 なら仕方ない。

 カレアが密着したいと言うのであれば是非も無し、密着しないと言う選択肢は無い。寧ろ歓迎する、カモン。

 ただ余り密着されると辛い、何が辛いって下半身的に辛い、こんな事は何度となく考えた気がするが辛いのだから仕方ない。最早賢者を通り越し、菩薩に至り、人の身を越え世界の運命を悟った兼善、しかし如何に広大な世界の運命を悟ったと言っても所詮は道程(童貞)、その深淵を覗くには至らない。

 なら卒業すれば覗けるかと言われればそうでもない気がする、しかし忘れてはいけない、深淵を覗く時は彼もまた、此方を覗いているのだと。つまり童貞でなくなった人間は深淵に覗かれて死ぬ、そう思えば「まぁ卒業しなくてもいいよね」となるので万々歳だ。

 我、この世の真理を得たり。

 

「ところで兼善様、約束と言えば一つ、山脈地帯を抜けたら私を誘ってくれるという話はどうなったのでしょうか? 私、森林地帯に入ってから今日かな、明日かなと楽しみにしているのですが……」

「――ブホッ」

 

 兼善は菩薩顔でスープを噴き出した。

 現在疑似賢者モードとも言える状態の兼善に煩悩を吹き込む様な悪魔の所業、やめて下さい死んでしまいます。

 兼善は一瞬で思考する、これは遠回しに誘えと言っているのだろう――いや、遠回しというか殆どストレートな気もするが。兎も角ここで馬鹿正直に反応しては拙いと思った、故にはぐらかす事に全力投球を試みる。

 兼善が噎せた事に首を傾げ、「兼善様?」と疑問符を浮かべるカレアを見つめて言う。

 

「あー、カレア、その、約束と言うのは、えっと……」

「はい、雪山で兼善様が一人、夜に抜け出して――」

「いや、言わなくて良いです、はい」

 

 その話は兼善の精神を抉る。

 兼善は椀を一度石の上に置き、頭を抱えた。どうしようコレ、誘わなきゃダメ? 誘わないという選択肢は無い? イエスorはいの選択肢が強いられているの? 後門の童貞、前門の深淵、覗く事即ち死あるのみ。

 いや、兼善とて誘える事ならば誘いたいのだ、カレアの態度を見れば誘い待ちだという事は明白、というか既に口に出されている。しかし一寸先は未知、未だ知らぬ人間の神秘が口を開けて待っているのだ、色々遠回しに言っているが要するに度胸が無い。

 

 仮に、仮だが。

 カレアと夜枷を行うとして。

 何と言って誘えば良い?

 

 一発やってかない?

 夜枷どう?

 あなたと合体したい。

 

 なんだこの脳味噌スポンジの様な言動は。明らかに剣聖のものとは思えないし、軽すぎる。もっとこう威厳に満ち溢れ、重々しく真摯で、誠実さに溢れる様な、そんな気の利いた言葉でなければ駄目だろう。

 しかし齢二十六にして未だ純白を守り抜く聖武士である兼善には、女性を床に誘う気の利いた台詞がそうポンポンと出て来る筈もなく。

 

「………」

 

 兼善は沈黙した、唯々沈黙した。

 両腕を組んで目を瞑り、なんかそれっぽい空気を作って閉口した。別に誘う事を恥ずかしがっている訳じゃないよ、ビビっている訳じゃないよ、ただちょっと理由があるんだよ、という(てい)で深く考え込む姿勢。

 そんな姿勢で考える事は如何にこの窮地を切り抜けるか、床に誘う口説き文句を考えつつ、しかし同時にそれを先延ばしにする方法も考えていた。

 

「兼善様……」

 

 カレアはソレを焦がれた目で見つめる。

 無論彼女は兼善に対して、「私を床に誘って下さい」という意図で先の言葉を発したのではない。あくまで彼女が催促したのは修行、或は訓練の事であり男女の行為のソレではない。

 その誤解は解けぬまま此処まで来てしまったのだ。

 カレアの目には兼善の考え込む姿が、自分の技量と兼善の課す修行内容について行けるかどうか吟味している様に映った。どこまでも真摯で真面目な方だと、カレアは何度となく抱いた尊敬の念を胸に再び抱く。

 

「カレア――」

 

 兼善がスッと目を開き、その切れ目から鋭い眼光が飛ぶ。カレアは佇まいを正し、ピンと背筋を張った。

 

「正直に言おう、俺は――俺は経験が無いのだ」

 

 兼善は真摯に、ただ真摯に、正直に、真っ直ぐに、自分が『童貞』である事を告げた。愚直に、真剣な面持ちで、何処までもイノセント(純白)な瞳で。

 

「経験が、ない」

 

 カレアは言葉を繰り返す。

 兼善は童貞という意味でこの言葉を放った、しかし受け取った側はそれを正しい意味で解釈しなかった。つまり経験が無いと言う事は、誰かに剣を教えた事が無いという意味なのではと考えたのだ。

 それを聞いたカレアは、キッと強い瞳で返す。

 

「経験が無くとも問題などありません、不肖カレア、兼善様の期待に必ずや応えて見せます! 手解き出来ぬと言うのなら見て学びましょう! 私にとっては兼善様と共に励める、その環境が何よりも大切なのです!」

 

 見て学ぶ、それはつまり直感的な行為に没頭するという事だろうか。

 兼善は戦慄した、しかも共に励める環境が大切だと言うでは無いか。

 それはムードを作れと言う事なのだろうか、そういう雰囲気を醸し出せと言う要望なのだろうか、先程経験が無いと吐露したばかりなのに無茶な事をと内心で頭を抱えた。

 

「カレア、しかし、だな、先も言ったが私は経験が無い、もう少し手心を――」

「手心!? 加減など必要ありません、兼善様の最善を常に選んで下さい! このカレア、必ず成し遂げると約束致します!」

 

 暗に童貞なのでそんなムード何て作れません、勘弁してくださいという意味で口を開けば、烈火の如くカレアは怒り出した。その頬を紅潮させ目は三角になっている。カレアとしては「自分は経験が無いので修行に手心を加えたい」という意味に聞こえたのだ、無論そんな意図は含んでいない。

 どうしろと、俺に作れと言うか、そのムードとやらを。

 

「兼善様!」

 

 カレアが身を乗り出し、兼善が視線を彷徨わせる。

 その逡巡は十秒に満たない時間、しかし兼善にとっては人生の分岐点とも言える十秒間であり、震える手を抑えつけながら兼善は重々しく頷いた。

 決断したのだ。

 

「――相分かった、漢兼善、腹を括ろう」

 

 漢ならば散り際を弁えてこそ。

 何れ挑まねばならぬ魔境、例え褌一つでも進まねば走破する事は無し。兼善が菩薩を越え、賢者を越え、世界を越えた表情を見せる。

 剣聖だ――兼善が四魔将を相手取った時に見せた、闘志と覇気に満ちた鋭く戦意に満ちた表情を見せた。目は鷹の様に鋭く、体が余分な力を抜き、皮膚を滑る様に闘志が流れる。

 

 兼善にとって男女のソレは全くの未知、更には自分の聖剣(息子)が名剣か(なまく)らかすらも分からない状態。彼我の戦力差不明、武器不明、弱点不明、そもそも勝利の地は遥か遠く、その糸口すらも掴めぬまま。

 なれど挑む、剣聖として。

 例え鈍らだろうが断って見せよう、斬り裂いて見せよう、それを成すが剣聖である。自身は人類最強、ならば下半身も人類最強だと信じる他ない。

 いける、いけるぞ兼善! 自分の聖剣はグレートソードをも凌駕する!

 

 兼善の静かな、しかしその皮膚の下で蠢く獣の様な闘志にカレアは戦慄し、同時に歓喜した。あの剣聖が自分の為に修行を、鍛錬を共にする許可を下さったのだと。それは剣士としても、カレアと言う一個人としても喜ばしい事だ。

 その隣に立つ為の糧は多ければ多い程良い、必ず兼善様のご期待に応えようと内心で決意する。

 兼善を見つめるカレアの瞳が期待と、そして決意に輝いた。

 

「――ならば早速実戦だ」

「あっ、えっと、今から、ですか?」

「そうだ」

「わ、分かりました!」

 

 兼善が重々しい声色で告げれば、カレアは慌てて頷き手に持っていた椀を地面に置く。そして兼善の次の言葉を待つ、急な修行に内心驚きを隠せないものの、やってくれるというのであれば歓迎だった。

 

「まずは……まずは、そう、テントに行こう」

「――テント、ですか?」

「あぁ、初回から外は少々挑戦が過ぎる、これが俺の考え得る最善だ」

「わ、分かりました」

 

 テントで剣の修行など出来るのだろうかとカレアは首を傾げたが、余りにも真剣な表情で話す兼善に、疑問を口にすることなく従う。しかしカレアがテントに向かっても兼善が動く気配はなく、カレアは「兼善様?」と呼びかけた。

 

「念の為、周囲の気配を探ってから行く、行為中というのは無防備である事が多いと聞くからな」

「な、成程、分かりました」

 

 修行中は無防備になる、つまり事前に敵が居ない事を念入りに探るのだろう。兼善の物言いにカレアは頷き、一人で先にテントの中へと進んだ。兼善は石の上に座したままカレアの背を見送り、姿が見えなくなるや否や深く、深く息を吐き出す。

 それから周囲一帯の気配を探り、特に大型の気配が無い事を確認した。人や動物といった存在は必ず特定の呼吸を持つ、それを兼善は遠い位置から感じ取るのだ。幸いにして此処ら一体に大型動物の気配はなく、兼善は安堵する。

 

 さて、決戦である。

 既に腹は決めた――いや、正直に言えば未だに決意は固まらない。心の片隅に、「いっちゃう? いっちゃうの? マジ?」と囁く理性がある、しかしカレアに大見え切った手前今更退く訳にはいかない。

 前進あるのみ、例え敵が道だろうと剣聖決して恐れない、本当だよ。

 

「――我が往くは夢現の底、恐れずして進むべし、立ち塞がる者はなく、また敵は己のみ、ならばこそ勇んで進むが武士の本懐……なに、初めて人を斬った時と同じだ、ただ成すがまま受け入れ、果てるのみ」

 

 でも早漏とは思われたくない。

 

「いざ――」

 

 兼善は立ち上がり決戦の地、テントへと足を進める。中にゆっくりと踏み込めばそこは既に安全圏では無く、姿勢を正したカレアが兼善を真っ直ぐ見つめ座していた。兼善もカレアの対面へと腰を下ろし、互いの視線が交差する。

 心臓が煩い、体が強張る、しかし負けるな兼善、自分は世界最強の剣聖。であれば下半身も剣聖である事を此処に証明しよう。

 

「では、始めようカレア」

「はい、宜しくお願い致します!」

 

 重々しく発せられた言葉にカレアは元気よく返事をした。そしてそれを確認するや否や、兼善は自分の纏っていた衣服、その上半分を勢い良く脱ぎ捨てる。元々暑さから薄い布一枚着込んでいただけの状態、一枚脱げば上半身は裸だ。

 こういうものは一度自分から恥を掻けば良いと、何かの巻物で読んだことがある気がする。兼善はそれを実践し、脱がすより脱げの方針を固めた。要するに「自分も脱いだから貴女も脱いでね」方程式である。

 

「……へっ」

 

 カレアは突然の事に面食らい、一度パサリと落ちた衣服に目をやり、次に突如出現した兼善の厚い胸板を見て赤面した。その視線は忙しなく動き、思わず動揺を露にする。

 

「へ、あ、かっ、兼善様、何をっ――」

「俺も詳しい訳ではないが、こうして服を脱いで行うのが一般的だと聞く」

「そ、そうなのですか!?」

 

 兼善は努めて真顔で告げ、カレアは思わず顔を赤くしながら叫ぶ。確か着衣ぷれいなるものがあると聞いた事があるが、基本的に行為中服は脱ぐものだと春画に書いてあった、兼善の知識は非常に偏っている。

 

「し、しかし、あの、ですね、その、ふ、服を、服を脱ぐのですか?」

「……? あぁ、でなければ始められん」

 

 兼善の心底不思議そうな表情に、カレアはこれが悪ふざけだとか冗談の類ではないと悟った。つまり兼善が考える修行に服は邪魔なのだ、そこまで考えた時カレアの思考に閃光が奔る!

 これは――精神修行なのではないか? と。

 

 剣を使わずして剣技を鍛える、剣と心は切っても切り離せない関係、剣とはそれ即ち使い手の心を現わす鑑そのもの、であればそれを鍛えるのも道理。

 カレアは確信した、これは兼善様が行う最初の修行なのだと。

 

「わっ――分かりました」

 

 そうであるならば羞恥の感情を抱くのは失礼に当たる、兼善が真摯に修行の事のみを考えているのだと信じてやまないカレアは、心に渦巻く恥ずかしいという感情を押し殺し、ゆっくりと衣服を脱ぎ捨てた。

 兼善と同じくインナー一枚、元々薄い布一枚であるが有ると無いでは全然違う。カレアは顔を真っ赤にしていた、しかしそれ以上に兼善との修行を望んでいた。

 カレアは胸に下着、もといサラシの様なものを巻き付けているので胸は見えない。しかし押し付けられた胸と羞恥に染まった表情は中々どうして、兼善の聖剣を爆発的な勢いで抜刀させる。

 二人は衣服を脱ぎ捨てたまま暫く見つめ合っていた、カレアは羞恥から言葉を発する事が出来ず、兼善はカレアの恥ずかしがる姿を脳内に保存する事で必死だった。

 

 暫く、数分程だろうか。

 奇妙な沈黙を守った二人は互いに手探り状態で、しかしカレアの羞恥心フォルダが一杯になった兼善は次なる言葉を紡ぐ。

 

「――次は、そう……下を脱ぐ」

「!?」

 

 兼善は言うや否や、下半身に纏っていた裁着袴を脱ぎ捨てた。カレアが止める間もない早業、気付けば兼善は既に褌一枚となり、その鋼の様な肉体が惜しげもなく外気に晒していた。

 カレアは思わず両手で目を隠し、それから指の隙間からじっくりと兼善の体を見る。無論無意識の内に。

 

「か、かっ、兼善様、何故、何故服を脱ぐのでしょうかっ……!?」

 

 修行ならば仕方なし、そう言える度量がカレアにも存在するが下着姿になって行う精神修行とは一体。理由を聞かなければ羞恥心に負けてしまいそうだった、故に愚かと称される覚悟で疑問の声を上げる。

 兼善はその声に対して、ただ真摯に真顔で答えた。

 

「すまない、本当なら着衣したままでも可能らしいのだが、生憎と俺には経験がない、カレアが感じないと大変だと思ってな……」

「か、感じる?」

 

 どこか申し訳無さそうな雰囲気に、カレアは羞恥よりも思考を優先させる。両手で顔を覆ったままカレアは考える、つまりこれは肌を外気に晒す事により自然と一体化し、気配や害意を敏感に察知する修練――その準備なのではないかと。

 無論そんな事はない。

 兼善としては必死こいて搔き集めた知識の中に愛撫――もといイチャコラする段階である程度なんか色々しないといけないというイメージがあり、服があるとやりにくいと考えたのだ。

 物凄いふわふわしたイメージだが、兼善の童貞力を侮ってはいけない。具体的な行為の創造など微塵も出来ない男だ、生粋の童貞と言っても良い、世界に誇れる童貞だ、世界最強の童貞だ、その誇り高き姿を見よ。

 

「兼善様、私には、その、兼善様の考える崇高な行為の全貌が分かりません、しかし、えっと、考えるにこれは、精神的な面で、その、成長し、外気や気配を察知する為なのでしょうか……?」

 

 耳まで真っ赤にし、心なしか汗を流しながら恐る恐る問うてくるカレア。

 兼善にはカレアの言っている事が良く分からなかった、精神的な面での成長って何だろう、露出狂になるって事だろうか。それと外気と気配の察知とはつまりムードを感じ取るという事か? 良く分からん、良く分からんが。

 

「そうだ」

 

 取り敢えず真顔で頷いた。

 

「なっ、成程――」

 

 カレアは兼善の頷きに納得し、感嘆の声を上げた。

 カレアは試しに自身の周囲に気を配る。言われてみれば確かに、衣服を脱ぎ捨てた事で何かこう、肌が大気を感じ取り第三の目が開眼した様な気分になる。闘志を意識したまま服を脱いだ事など無かったが、これは新しい感覚だ。

 兼善は目を瞑って集中しているカレアを眺める、パンツもサラシも健在だが何と眼福な事か。若干汗に濡れ、紅潮している頬がポイントだ。兼善的にポイントが高い、これだけでもういける。

 

「――確かに、何かこう、普段よりも広く鋭く、感覚が研ぎ澄まされる気がします」

 

 目を開いたカレアが頷き、その瞳に羞恥と尊敬、そして若干の情欲を滲ませながら兼善を見た。目を開いた瞬間に兼善はカレアを凝視していた瞳を逸らし、見てませんよアピールを行う、そしてカレアの言葉を吟味した。

 つまり兼善が必死に出している、そう言うムードを感じ取ってくれたという事だろうか。やれば出来るじゃないか自分、兼善は内心で己を称賛した。

 

「それは良かった、ならば後は――こうだ」

 

 流石に兼善も覚悟が必要だった、羞恥に打ち勝つ必要があった。

 しかし退くには余りにも進み過ぎた、ここまで来て後退の二文字は無い。兼善は強い光を瞳に灯しながら、勢い良く最後の砦――褌を取り払った。

 純白の袴は男の証、同時に穢れた金閣寺を隠す唯一の盾。

 

 カレアは露わになったそれを見て、瞠目し、かぁっと顔を、それはもう真っ赤にして。

 同時にコクンと喉を鳴らした。

 

「か、兼善様、その、私も、えっと――下着を?」

「無論」

 

 兼善は真顔で頷く、全裸で。

 カレアはこの時になって漸く悟った、もしやこれは兼善様――彼は自分を誘っているのではないかと。

 

 確かに修行的な意味合いもあるだろう、本来はそちらがメインなのかもしれない、というか兼善様的には十割修練の為であり、そういった意図は微塵も含んでいないと理解している。あの全く微動だにせず、堂々と真摯に向かい合っている態度が証拠だ。

 しかし、しかしである。

 自他ともに認める兼善狂いである自分に、そんな裸体を惜しげもなく晒して何も感じないと兼善様は本当に思っているのか。そんな筈がない、こうして兼善様の裸を見ているだけで獣性が滲み出て来るのにと。

 

「か、兼善様……」

 

 カレアは顔を真っ赤にして、涙目であった。心臓は早鐘を打って煩いし、何より羞恥心で死にそうになる。しかしそれ以上に兼善とそういう関係になりたいという欲望と、寄り添いたいと言う愛情があった。

 ぎゅっと握った拳に、カラカラに乾いた口元。

 しかし、しかしである。

 あくまでこれは修行、兼善が考えてくれた精神修行である。少なくともカレアはそう信じている。だから襲うのは拙い、それにそういうのは淑女としてどうかと思う、いや自分が淑女であると思っている訳ではないが。

 

「え、えっと……えっと」

 

 カレアは逡巡する。兼善は明らかにカレアの脱衣を待っている状態で、恐らく脱がなければ始まらない、修行が。

 だが、けれど、しかし、こんな所で突然致すと言うのも何か――いや、別に理想がある訳では無いのだ。本音を言うと情欲もある、してみたいという気持ちも強い、飛び掛かりたい。けれどこれは、余りにも性急すぎると言うか、何と言うか。

 有体に言って、体に心が追い付かない。

 完全に兼善が誘っている前提で考えるカレア、そもそもの思考のズレに気付かぬままソレは走る。

 

 それと一つ――カレアは汗が気になっていた、凄く気になっていた。

 せめて水浴びした後に誘って欲しかった、そうすれば心置きなく飛び掛かれたというのに。しかし今は駄目だ、布で体を拭いた程度で致すなど、兼善様に「臭うぞ」なんて言われた日には首を吊る覚悟がある、自信もある。

 故に、だから。

 

「ご――」

「ご?」

 

「ごめんなさいぃッ!」

 

 カレアは渾身のストレートを放った。

 否、それはカレア的には兼善を突き飛ばす為に腕を伸ばしたに過ぎない。しかし奇跡的な偶然が重なった結果、それは凄まじい勢いで兼善の顎に直撃した。

 まず兼善がカレアの方に身を乗り出し、カレアが突き出した腕が予想以上に上方向だった事が幸い――もとい災いした。カレアの怪力によって放たれた掌打は凄まじい衝撃と共に兼善の顔面を吹き飛ばし、脳を揺らした。

 

 恐らく兼善が剣聖として戦場に出てから、初めて許した直撃打だろう。それ程までに綺麗な軌跡を描いた掌打は、本人の意思を問わずに相手の頭を吹き飛ばした。兼善は数センチ程浮き上がった後に倒れ込み、上半身がテントの外へとはみ出た。

 

「い、いえ、その、わっ、私も、その嫌では無いのですが――えっと、こ、心の準備、そう! 心の準備がッ」

 

 カレアは兼善に対して言い訳を口にするが、当の本人は地面に伸びたままである。無論、カレアの言い訳は聞こえていないし、そもそも意識が無い。ぎゅっと目を瞑ったまま誰も聞かない言い訳を延々と繰り返すカレア、兼善からのリアクションが無いので内心戦々恐々としている。

 

 結局その後、カレアが兼善を殴り飛ばしたと自覚したのは十分程後で。

 残念な様な、ほっとした様な、何とも言えない感情のままカレアは兼善をテントの中に寝かせ、服を着て意気消沈したまま見張りに徹した。兼善が目を覚ましたのはその一時間後、絶妙に前後の記憶が曖昧になった兼善をカレアは必死に誤魔化し、その日の事はカレアの胸の中に消えた。

 

 南無三。

 

 

 





 怒涛の連日更新。
 R18タグが無いから、仕方ないね。

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