魔の国――侵攻四ヶ月と一週間目
兼善とカレアは山脈地帯を無事走破し、カレアの愛馬を失いながらも森林地帯へと踏み込んだ。既に白い雪の姿は何処にもなく、ただ緑が生い茂っている。森林地帯とはその名の通り、魔の国の広大な土地を覆う森を指す。
東の国や西の国にある森とは比較にならず、何処までも広がる緑、聳え立つ巨大な木々、流れる小さな川、苔の生え揃った石々、それらを照らす木漏れ日。
視界を彩るは自然ばかり、心なしか吸い込む空気までも澄んだものに感じる。兼善は荷車を作らなくて良かったと思った、少なくとも足場が非常に悪く車輪で走破出来る環境では無かった。
しかし、と兼善は考える。
森林地帯は山脈地帯よりは旅がし易い。
雪が無いので水の調達は少々大変だが、そこらにチョロチョロと水を垂れ流す水源は存外直ぐ見つけられるので水不足になる程でもないし、何より食料が豊富だ、茸や果実、山草が山ほど採れる。
それに寒さも無いし、焚火で暖を取る必要もない。寒さは何よりも怖い、故に兼善は山脈地帯よりも旅がし易いと森林を称した。
反面、悪い点もある。
「暑い」
兼善は甲冑も何もかも脱ぎ捨てた状態で呟いた。
隣のカレアも似た様な物で、インナーの端を縛ってヘソを出したまま歩いている。無論鎧は全て脱ぎ去って銑鉄に運んで貰っている。
繋いだ二人の手は既に汗でべとべとで、ならば繋がなければ良いじゃないと言えばカレアが駄々を捏ねる。既に思考には靄が掛かり、小まめな水分補給を心掛けているが流石にこの暑さには汗を引っ込めることも出来ず。
「今まで寒冷地帯に居ましたから、この寒暖差は、少々、はぁ、堪えますね……」
「あぁ、冬の隣は夏とは、全く、魔の国と言うのは、ふぅ、何処までふざけた土地なのだ」
汗をダラダラと流しながら遅々とした足取りで進む兼善とカレア。
時折水源を見つけては銑鉄に水を飲ませ、自分達も水分を補給する。一週間前、この森に入ったばかりの頃は一々ろ過して飲んでいたが、場所によってはろ過せずとも飲める透明で綺麗な水源もあった。
故に兼善とカレアは遠慮せず椀に水を掬い、そのまま口に運ぶ。
この旅で多少胃腸も頑丈になっただろう、なに少しの毒ならかえって免疫がつく。
「ぷはぁ――あぁ、寒さも酷いと思ったが暑さも此処まで来ると、中々どうして手ごわい」
「そうですね……兼善様、あの、塩の残量はどれ程でしょうか」
「残り小さな袋に四つ、まぁまだ大丈夫だ、元々多めに持ち込んでいたしな――流石に海は無いから補給は難しいか」
「行商や村が在れば良いのですが……」
椀に救った水を頭に被せながら、兼善は考える。
この旅を始めてから町や集落といった魔の国の密集地は未だ目にしていない、唯一目にしたのは砦くらいなものだ。或は魔の国の前線だからこそ無かったのかもしれないが、山脈地帯の奥にも村や町は無かった。
最悪、手持ちだけで帰りも凌がなければならない。
汗が流れると言う事は、それだけ水と塩分を補給しなければならい。行きは恐らく足りるだろうが、帰りはどうだ?
明らかに足りていない。
「……魔の国の王が居座る
兼善はそんな事を呟き、もう一度水を頭から被った。ポタポタと水滴が垂れ、兼善の衣服を濡らす。
森に水源が沢山あって助かったと、兼善は心から思う。頻繁に水浴びが出来るので、汗臭くならずに済むのだ。雪山でも定期的に溶かした雪で水を作り、温水で体を拭っていたがやはりちゃんと身を清められるのは有り難い。
カレアを見れば彼女も掬った水を自らに振り掛け、髪を肌に張り付けている。
その姿が妙に色っぽくて、兼善は咄嗟に股間を隠した。
一応カレアは胸にサラシの様なものを巻いているのでピンク色の悪魔――あくまで兼善主観――が顔を覗かせる事はない。
因みにカレアもカレアで、兼善と同じような事を考えていた。
薄い布服が水に濡れて張り付き、兼善の強靭な筋肉をクッキリと形作っている。更に東特有の黒髪が頬に張り付き、男性でありながら妙な色気を放っていた。
両名とも高速でチラ見を繰り返しているが、どちらもその事に気付くことはない。
「――しかし、大分髪が伸びたな」
「え、あっ、そ、そうですね」
兼善は水に濡れた髪を指先で弾き、カレアは見惚れていた兼善の肉体から視線を逸らして答えた。
既に旅を初めて四ヶ月を超える、ある程度短かった兼善の髪は肩に掛かってしまっているし、カレアもまた同じだ。長髪のカレアも可愛いので構わないと言えば構わないのだが、自分は邪魔なだけなので切ってしまおうかと考える。
「髭も小刀で切っていたし、髪もいっその事バッサリと……」
「だ、駄目です兼善様! 私に、私に切らせてください!」
兼善が腰の小刀に手を添えると、慌ててカレアがその腕を掴んだ。どうやら兼善がざっくばらんに切る気満々だと悟ったらしい。
正直兼善は髪型に頓着しない、短ければ良い、邪魔にならなければ十全という男だ。無論最低限見れる程度に切る気はあるが、殆どは傍仕えに散髪を頼んでいた、故に兼善には髪を切る技術など皆無である。
「兼善様、ほら、私はナイフも持っていますし、小刀よりも小さくて綺麗に切れますから、ね?」
カレアはベルトポーチから小さなナイフを取り出し、兼善に抱き着きながらそう口にする。是が非でも自分が切ると言う目だ、兼善に自分でやらせたら大変な事になると確信している。
「ふむ、カレアがそう言うなら――なら、今頼んでしまっても良いだろうか? 正直暑苦しくて堪らん、適当に短く切ってくれれば構わない」
「はい! 私に任せて下さい!」
兼善が適当な石の上に腰かけると、カレアは自信満々に兼善の背に回り込み、その濡れた髪を手に取った。本当なら乾いた状態で切りたかったが、まぁ仕方ないとカレアは内心で覚悟を決める。
無論、彼女に髪を切った経験など無い。
しかし切る相手は自身の恋人兼尊敬する人物、失敗など許されない。
カレアはこれ以上ない程の緊張に身を浸しながら、静かにナイフを握った。
「カレア――いきますッ」
大きく息を吸い込み、キッと目を鋭くさせたカレアの手が躍る。兼善の髪を素早く持ち上げ、切り、落し、再度持ち上げ、切り、その動作を凄まじい速度で繰り返す。
いつかポーンと戦った時よりも真剣かもしれない、カレアの表情はどこか鬼気迫るものがあり、そして――
「サッパリした」
兼善は四カ月前、出立の日より若干短い程度の髪の長さを取り戻した。
髪は目に掛からないし、動き回っても髪が邪魔をしない。心なしか首元も涼しいし万々歳である。兼善の満足げな様子にカレアも笑顔を浮かべ、一仕事終えた仕事人の様に額の汗を拭った。
彼の足元には髪が散乱しているが、それは土を適当に被せて隠してしまう。無いとは思うが、これの匂いで追跡などされては堪らない。
「ありがとうカレア、しかし凄いな、散髪師の才能もあるんじゃないか?」
「いえいえ、そんな、私の腕なんてただの真似事です、出会ったばかりの兼善様に近付けただけなので……他の人では上手くいきません」
「ふむ、そういうものか……?」
兼善は首を傾げているが、要するにカレアは四カ月前の兼善を鮮明に憶えているという事であり、その記憶に沿って髪を切ったに過ぎない。恐らく言葉の意図に兼善が気付いていたら戦慄していた事だろう。
「良し、ならば礼をしよう、俺もカレアの髪を切ってやる」
「うえぇぇ!? か、兼善様に、ですか……!」
兼善が礼も兼ねてカレアの散髪を申し出れば、彼女は驚きに目を開きつつ仰け反る。そこまで驚く事だろうか、それとも兼善に散髪は不安過ぎて任せられないと言う事か。
しかし良く見れば口元が嬉しそうに笑みを象っているし、オロオロとしながらも喜色が隠せていない。
「そ、そんな、兼善様に髪を切らせるなんて、そんな小間使いの様な――」
どうやら単純に畏れ多いと考えているらしい、兼善はそんなカレアを微笑ましく見守るが、自分だけ髪を切って貰っておいて終わりでは何となくフェアではないと思った。
故に半ば強引にカレアを石の上に座らせ、「気にするな、俺が切りたいのだ」と無理矢理納得させる。
「うっ……ほ、本当に宜しいのでしょうか……?」
「良い、カレアの髪だ、丁寧に扱うさ、出来も期待して良い」
「で、では、あの、お願いします……」
そう言って差し出されたナイフ、それを受け取りながら「任された」と兼善は笑みを浮かべた。自分で髪を切るときは全く見えない為不出来になりがちだが、他人の髪ならばまだマシだ。
兼善はカレアの背後に回ると、背中の中ほどまで伸びた髪を手で解しながら問うた。
「どの辺りまで切りたい? バッサリ切っても大丈夫か?」
「そう、ですね……兼善様の好きな髪型があるのならソレで良いのですが、この暑さですし、少し短めだと有り難いなぁ、なんて」
茶化したように笑ってそう言うカレア、可愛い。
髪は肩の半ばまで伸びているし、なら望み通り短く切ってやろうと決める。
「カレアは長くても短くても可愛いから問題無い」
「えへへっ、ありがとうございます――兼善様の格好良さには負けますけれどね!」
「天使に敵う人間がいるものか」
兼善はナイフを何度か握り直し、最もしっくりくる持ち方を探す。西洋の刃物と言えど、扱いは殆ど小刀と変わらない。少し小ぶりな分小回りが利くし、カレアの髪を切るなど造作もない事であった。
「いざ――」
カレアの髪をひと房手に取ると、兼善は目を見開き一息に散髪を開始した。
カレアの肩辺りに狙いを定め、周辺の髪を一気に摘まんでは切り、摘まんでは切り。剣聖としての腕前を十全に発揮したナイフ捌きは絶技の一言、まるで空気を裂く様に何の抵抗もなく髪はパラパラと地面に落ちる。
凄まじい速度で振り抜かれるナイフは一秒で縦横無尽に髪を切り、ものの数分で散髪は終了した。
「カレア、終わったぞ、水面で見てみると良い」
「は、早いですね、兼善様」
カレアですら驚く程の速さ、兼善は水に浸した布でナイフを軽く拭うと、そのまま鞘に収納した。
カレアは水面を覗き込んでその出来栄えを確認する、すると水面に映ったカレアの髪は綺麗に短くなっていた。必要以上に揃っている訳ではなく、しかしざっくばらんという訳でもない。
「わぁ……! 兼善様、凄いです! まるで本職の方に切って頂いた様な出来栄えですよ!」
「ふふっ、中々やるものだろう? 似合っているぞ、カレア」
「ありがとうございます、兼善様!」
ニコニコと屈託のない笑顔で礼を口にするカレア、兼善も中々の出来栄えに満足している。カレアはどんな髪型でも可愛いだろうなぁ~、などと考えながら手を動かしていたら勝手に出来た髪型だ、恐らく彼女の可愛さに導かれた腕が成し遂げたのであろう、やったぜ。
「よし、サッパリしたし先に進むか」
「はい、これならもう少し頑張れそうです!」
カレアにナイフを返し、立ち上がった兼善は前を見据える。カレアも気力十分な様だ、次の水源を見つけるまでは精々進ませて貰うとしよう。
我らの未来は明るい。
☆
どれだけこの森を進んだだろうか?
荒野と山脈はそれぞれ目指す景色があったからこそ、どの程度進んだという確信が持てたが、進めど進めど変わらぬ景色は時折殆ど進んでいないのではないかと言う不安を抱かせる。
無論、そんな事は無いのだと頭では理解はしているのだけれども、この焦燥感だけは如何ともしがたい。
凡そ半日、そろそろ日が暮れるという時間帯。
緑一色だった森は夕日が差し込み、その緑に茜色を重ねている。夜が来る前に設営を行わなければと兼善は考える、幸い森では燃やす薪に困らない。
しかし、兼善がカレアにキャンプを提案するより早く、何者かの気配を感じた。
「カレア」
短く彼女の名を呼ぶ。
そしてその場で足を止めると、カレアは意図を察したのか息を潜めて足を止めた。背後に続いていた銑鉄も尖った空気を察知したのか、足を折って姿勢を下げる。
「兼善様、敵ですか?」
「――いや、敵……では無いな」
兼善はその場で姿勢を低くすると、前方に向けて目を凝らす。その視線の先に見えるのは、三体のポーンを連れて歩く人型の何か。トロールやオークと言うには少しばかり小柄で、上にローブを着込んでいる為外見が分からない。
大きさから見るにゴブリンだろうか、だとすれば肌が緑色なのだが。どちらにせよ遠目で良く観察する事は出来なかった。
「ポーンを連れている、三体、人型だ、ポーンに荷を運ばせているが、行商か?」
「――周辺に街でもあるのでしょうか?」
「そうかもしれないな……」
仮に行商であったらその通りなのだろう、どこかに街がある筈だ。
ポーンにはそれぞれ少量の荷が積み込まれており、縦一列に整然と歩いている。隊列を組んで歩く事に慣れている動きだ、良く躾けられている。
兼善は銑鉄の荷の中にある路銀の存在を思い出した。
一応だが、魔の国にも金銭と言う概念は存在する。金で物を買う事だって出来るだろうし、あわよくば情報も手に入れられる筈だ。
「接触するべきか……?」
口元を手で覆いながら、兼善は呟く。
危険はあるが初めて目にする行商人だ、トロールやオークと言った種族は根っからの戦闘民族である為、上の理知的な個体であっても話し合いの余地が無い場合が殆どだが、ゴブリンやサラマンダーと言った種の一部個体は理知的で話が通じる事が多い。
流石に例の守護者と言った強さを誇る個体ならば、トロールやオークだろうが言葉を交わせるだろうが、行商を生業とする奴がそこまでの戦闘能力を持っているとは思えない。
「最悪バレても殺せば済む――カレア、俺は奴に接触してみようかと思うのだが、どうだろう? ポーンは三体だけだし、拙いと思ったら強襲に切り替える」
「そうですね……相手が戦士で無いのならば、無用な殺害は避けたいところですが……」
「無論だ、相手が戦う者でないのならば最大限戦闘を回避しよう、だがそれはあくまで余裕がある場合のみ、今回は二国の未来も懸かっている、済まないが今回俺達の素性が露呈したら殺害する他無い」
「……分かりました」
「良し、カレアは銑鉄と此処に身を潜めていてくれ」
兼善は銑鉄の荷の中から手甲と頬当て、ローブを取り出して素早く身に着ける。流石に肌色満載で近付けば連中も人間だと気付くだろう。後は少量の荷を背負い、恰も旅人であるかのような装いを心掛ける。ギリギリまで悟られない、或は完全に騙しきるだけの慎重さが必要だった。
「――行って来る」
「兼善様、お気をつけて……!」
カレアの緊張を孕んだ顔を一瞥し、兼善は行商人へと足を向ける。打刀を腰の後ろに回し、僅かに背を曲げて、カレアから一定以上離れた事を確認し声を上げた。
「おぉい、そこのアンタ!」
「っ!?」
兼善が声を上げると、行商人は肩を震わせ声のする方へと振り向いた。ポーンは足を止めて顔を向けるが敵対心は向けていない、兼善がさもやっと追いついたかのように息を切らす演技をすると、その装いを見た行商人が「お前、旅人か……?」と硬い声で問うた。
兼善は膝に手を着きながらも鋭い目で観察を行う、チラリと見えたローブの中の手、緑色、間違いない、コイツはゴブリンだ。
「あぁ、そうだ、ふぅ……山脈の方にある集落から来たんだ、最近こっちの村も食料不足でな、はは、そういうアンタは行商人さんかい?」
「山脈――アルバスの方か? 向こうの集落は無事だったのか、随分遠くから来たもんだ……そうだ、イーフベルグの方からサウスヘッドに出稼ぎ、もとい合併の為だ、アルバスに集落があるとは聞いた事もなかったが」
「そりゃそうさ、隠れ里みたいなモノだから、年寄り含めて百人前後の小さな村なんだ」
成程、そう言って行商人――恐らく男は肩を竦めた。
掴みは悪くない、男は兼善が人間だとは思っていない様だった。兼善が模倣した喋り方はひょうきん者のそれ、これならば交渉の余地がある、そう考えた兼善は懐から路銀の入った袋を取り出した。
手元で軽く跳ねさせながら、ジャラジャラと音を鳴らす。
「商人なら有り難い、幾つか入用のモノがあるんだ、もし有れば売ってはくれないか?」
「それは構わないが……そんな小さな集落で稼ぐ方法はあるのか? 悪いがこっちも慈善事業じゃない、貰える分は貰うぞ?」
「勿論、これでも村じゃそこそこ高給取りだったんだ」
お道化る様に笑った兼善に、行商人は「面白い事を言う奴だ」と釣られて笑った。それから兼善の口元を覆う頬当てと、腕に装着された手甲を見て目を剥く。
「コイツは――随分凝った防具だな、若しやお前、鍛冶屋か何かか?」
「!」
兼善は一瞬身を強張らせるものの、努めて何でもない様に、「おっ、分かるか?」と嘯いた。今こそカレアを言いくるめ続けた口八丁を発揮する時、兼善は思考を高速回転させながらそれらしい嘘を並べた。
「村で唯一の鍛冶屋でね、専ら日用品ばかり作っていたんだが、前の戦いで東の国から幾つか戦利品を持ち帰った奴が居て、その品を少しばかり加工して作ったんだ、中々良い出来だと自負しているよ」
「ほぉ、聖戦でか……と言うと、お前の里には四魔将軍の方々と戦った奴が居るって事か、随分優秀な戦士が居る村なんだな」
「寧ろ戦いが好きな奴が多すぎて、人口が少ないのさ」
呆れた様に兼善が言うと、男は納得した様に頷いた。どうやら怪しまれてはいないらしい、兼善は内心で安堵すると男に路銀の入った袋を差し出した。まさか全額渡されるとは思っていなかったのか、男は面食らう。
「これで買えるだけの分の塩と調味料を売って欲しい、それと……そうだ、石鹸なんかあるか?」
「――随分太っ腹な事で、塩と調味料、それに石鹸だな? あるぞ、石鹸は一つか? イーフベルグの石鹸は少々値が張るが」
「あ~……なら、二つ頼む、後は塩と調味料の分で」
「あいよ」
男は小袋の口を開き、中を確認する。一枚一枚貨幣を数え三十秒ほどで数え終わると、「充分な額だな」と男は笑った。口を締めた小袋を腰にぶら下げ、荷を漁り出す男。
そして中から調味料の入った小瓶を幾つか取り出し、ポーンの横にぶら下がっていた袋の一つを無造作に取る。そして中に調味料を入れ、それから塩と思われる手のひらサイズの袋を二つ、それから石鹸を二つ袋に放った。
そして中を確認した後、兼善にソレを差し出す。
「ほらよ、塩一袋はサービスだ、旅なら塩は必要だろう」
「おぉ、有り難い、助かるよ」
袋を受け取った兼善は口をきつく縛り、それから肩に袋を引っ掛けた。兼善はこのまま情報を引き出すべきかと逡巡したが、彼の隣に佇むポーンが不穏な気配を発している事に気付く。
頻繁に鼻を鳴らし、何やら兼善に警戒心を向けているのだ。先程とは違う、明らかに疑っている瞳、その原因を兼善は匂いだと思った。外見を幾ら誤魔化しても、人とゴブリンが発する匂いは異なる。
ポーンは鼻が良い、恐らく半ば勘付いている。
「良し、これで村に帰るまでは大丈夫そうだ、感謝するよ商人さん、また何処かで逢ったら宜しく頼む」
「こちらこそ、良い顧客は大事にするさ」
幸いポーンは勘付いていても、目の前の男は気付いていない。兼善は男に気付かれる前に撤退する事を決め、袋を担いだまま男に背を向けて早足にその場を去った。背後から奇襲される事も無く、男はポーンを引き連れて反対方向へと足を進める。
その際、何度もポーンが兼善の方へと顔を向けていたが、男は他人に敏感なのだろうと特に気にしていなかった。
「――あっぶねぇ」
兼善は一人呟く、もう少し判断が遅ければポーンが襲って来ていたかもしれない。それ程に緊迫した状況、綱渡り染みた行為だった。
「兼善様!」
帰還した兼善の元へカレアが駆け寄って来る。
振り向き男の背を確認すれば遥か遠く、此処まで来れば普通に会話しても大丈夫だろうと判断。兼善は戦利品である袋を降ろし、得意げに笑った。
「旅に必要な物を手に入れた、やったぞカレア」
「はい! 流石です兼善様! 剣の腕だけでなく相手に気付かれないまま交渉を終える術もお持ちだなんて……!」
キラキラとした瞳で尊敬の念を送って来るカレア。慣れない事でもチャレンジしてみるものである、カレアの尊敬の瞳がきもてぃ。
兼善は緩みそうになる頬を引き締め、恰も当然と言わんばかりに、「まぁ今回は運もあったさ」と口にした。
兼善は袋から塩と調味料一式、それから石鹸を取り出す。元々持ち込んだ数が少なかったので、石鹸はそろそろ無くなりそうだったのだ。兼善は別に構わないのだがカレア的には厳しいだろう。何事もあるに越した事はない。
「ほらカレア、石鹸も都合出来た、あると便利だろう?」
「わぁ……! ありがとうございます兼善様、助かります!」
「なに、カレアが喜ぶ顔が見れたなら安い御用だ」
ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべるカレアに、兼善は今度こそ頬を緩めてしまう。
ともあれ、調味料一式が揃ったので味気ない食事とも当分オサラバだ。塩もあるので旅の方も問題無い、これだけあれば森を抜けて平原に至るまで余裕でもつだろう。
帰国の道は保証されないが、その時はまた別な方法で都合すれば良い。
「さてと――カレア、一応気付かれていないとは思うが、念の為早めに此処を離れよう、水源を見つけたら今日は少し豪勢な食事だ、調味料も手に入ったしな」
「やったっ――じゃあ今日は早めにキャンプですね!」
「あぁ、そうだな、さぁ行こう、上手い食事が待っているぞ」
荷を銑鉄へと括りつけた兼善はカレアに手を差し出し、彼女はその手を一も二もなく握る。料理当番は自分だと常に言い張るカレアだが、今日くらい自分が担当しても良いだろう。
偶には彼女に自分の手料理を馳走してやりたい。隣で嬉しそうに鼻歌を歌いながら体を揺するカレアを見て、そう思う。
兼善はカレアが美味しそうに食事を食べるのを見るのが好きだった、自分の作った食事ならば尚更だ。本当なら東からとろろ芋とか練乳とかを持ち込んで来たかった、カレアなら美味しそうに食べてくれる事だろう。何故用意して来なかったのか、それだけが悔やまれる。
……別に下心は無い、本当だよ。
「……? 兼善様、どうかなさいましたか?」
「気にしないでくれ」
ただちょっと暑さにやられただけさ。