ヤンデレウィッチーズ   作:きんたろう

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この 4話 には問題が 3つ あります;
あんまり病んでない,
長い,
大幅に修正される可能性がある;


更新遅れました。すみません。
上記の注意事項が気にならない方、
気にする方も、ぜひ楽しんでいって下さい。












子猫の恋人 (1/2)

 

「うりゃー!」

 

 ブリタニアとガリアを隔てるドーバー海峡の上で、一人の少女が空を舞っていた。

 綿あめをぶちりぶちりと引きちぎってばら撒いた様な雲、その間を駆け抜ける。

 足に二つの魔法の箒を穿き、自由に空を舞う。彼女の二つに縛った髪が揺れるたび、空に白い破片が飛び散った。

 時折、彼女の行く手を遮る様に赤い光が迸るが、それが彼女を傷つける事は無い。

 彼女は自由に空を舞う。伸びやかに浮き上っていく、と思えばくるりとターン。くるくると落ちていく、と思えば円を描くように鋭く一回転。

 彼女はまさしく“舞って”いた。

 

「ネウロイ撃破かっくにーん!」

 

 コアを砕かれたネウロイの破片がきらきらと光って、まるで紙吹雪。

 空は少女の舞台だった。演目が終わる頃には、彼女の周りには何も無くなっていた。

 

「ミーナ!ネウロイみんなやっつけたよ!」

「ご苦労様。こちらも終わったわ。怪我は無い?」

 

 うん!と元気に返す少女。

 褐色が掛かった肌と、ツインテールにした碧い髪が特徴のこの少女。彼女の名前を、フランチェスカ・ルッキーニと言った。

 

「油断はしないでね、ルッキーニ少尉。合流しましょう。ポイントは――」

「はーい」

 

 先程までの様子とは打って変わって、ルッキーニはつまらなそうに銃を下ろした。

 当番だった哨戒任務で、同じく哨戒中だったのだろうネウロイと戦ったルッキーニ。彼女にとって、守る物のない今回のネウロイとの戦闘は、遊びと大差ない。

 ミーナがインカムで何やら話していたが、今のルッキーニには馬耳東風。何も頭に入っていなかった。

 ルッキーニはぼんやりと、水平線の上に見えるガリアを眺める。

 こうして見ると、ほとんど目と鼻の先にあるブリタニアとガリア。しかし、向こう側で人類の生存は許されないと言う状況を考えれば、まさしく、こちらは天国、あちらは地獄。

 ルッキーニはロマーニャの事を思い出していた。いつも帰りたいと願う故郷。

 手を伸ばせば、届きそう。

 そんな風に思ったルッキーニは、ふらりと手を伸ばす――と、その時。ルッキーニの目に赤い閃光が映る。方向は、丁度見ていたガリアの方。

 ネウロイだ。しかし、今の一撃はルッキーニを狙ったものでは無い。

 

「ミーナ、聞いて!まだ敵がいた!」

「……こちらでも確認しました。今から向かいますから、一人では突っ込まないで!」

「誰かが襲われてるみたいなの!」

 

 ルッキーニはそう叫んで、ユニットの回転数を上げた。銃を構えて、どんどんスピードを上げていく。

 ルッキーニの目に映ったのは、2体の小型ネウロイと、それらから逃げる、小さな漁船だった。漁船は右へ左へ舵を懸命に切っていたが、いかんせん足が遅く、とても逃げ切れそうな状況ではない。

 

「あ!」

 

 そしてルッキーニは、一条のビームが漁船に直撃するのを見た。エンジンに被弾したのか、程なく漁船は大きな爆発を起こしてしまう。

 

「この、このーっ!」

 

 やっとネウロイを射程に収めたルッキーニは、怒りのままに機関銃を掃射する。

 あっという間に、2体のネウロイは光る破片へと姿を変えた。鐘を叩く様な小気味いい音が辺りに響く。

 しかし、そんな事で気が晴れる筈もなく、ルッキーニは呆然と沈んでいく漁船を眺めた。海の上だと言うのに、めらめらと炎が上がり、黒い煙が立ち上っている。

 

「間に合わなくて、ごめんなさい……」

 

 ルッキーニは殆ど無意識の内に、謝罪の言葉を発していた。

 ルッキーニの戦歴は決して短いものではないが、また長いものでも無かった。その記憶の中には無い、人の死に直面したルッキーニは今、強い無力感に襲われてしまっていた。

 目尻に涙が浮かび上がる。ルッキーニはそれを自身の袖で拭ったが、後から後から湧いて来るので、結局諦めてしまった。

 と、その時ルッキーニの目に映るものがあった。プカリと音を立てて、漁船のすぐ傍に人が浮かび上がってきたのだ。

 ルッキーニの体は、考えるより先に動いていた。

 海面すれすれを飛行し、その人物を掬い上げる。煙を吸わないようにと、漁船から距離を取ると、ルッキーニは恐る恐るその人物の状態を確認した。

 どうやら男性であるらしい。頭から血を流し、顔には生気が無く、呼吸も感じられない。死んでしまっている様に見える。

 しかしルッキーニは、その男性を掴んでいる手から、確かな血の流れを感じていた。

 

「けがしてるけど、生きてる!」

 

 ルッキーニはそう確信すると、インカムに向かって助けを求め始めた。

 絶対に助けるんだ。

 その強い気持ちが、ルッキーニを突き動かしていた。

 

 

 僕は今、道を歩いている。脇は緑で覆われ、ぽつりぽつりとリラの木が立っているのが見えた。

 隣には、父さんと、母さんと、妹が居て、一緒に歩いている。僕も含めて、みんなが笑っている。

 けれど、そんな僕たちを覆うように、影が伸びてくる。

 なんだ、と思って上を見上げると、僕の横を赤い光が通り過ぎた。そうすると、両親は居なくなってしまった。

 気付けば、僕は妹の手を掴んで走っていた。何かから逃げる様に。

 突然、繋がれていた手が離れ、妹が視界から掻き消える。慌てて立ち止まった僕は、妹が地面に沈んでいく様を見た。

 慌てて掬い上げようとしても、もう妹の姿は視界に無かった。

 直後、僕の足元が燃え上がる。その炎は、僕を焼いた。

 あつい。あつい。あつい。

 そして、僕を覗き込む、誰かの泣き顔が見えて――

 

「――ぁあ!」

 

 目が開いた、と同時に、白い天井が目に入る。僅かに消毒液の匂いが香っていた。

 夢……?僕は夢を見ていたのか。

 

 僕はまず、さっきまで見ていた光景が夢だった事に安心した。

 次いで感じたのは、汗が体を濡らす不快感と、体全体にかかる心地いい圧迫感だった。僕はどうやら、寝かされているらしい。感じる圧迫感はシーツの重みか。

 僕の思考がそこまで至った時、僕に声が掛かった。

 

「あ!起きた!」

 

 僕は首だけを動かして、声の主を探す――よりも早く、一人の女の子の顔が僕の視界に飛び込んできた。

 ツインテールの、猫の様な目をしたその少女は、何が嬉しいのか、ニコニコしながら言った。

 

「まっててね!今ドクター呼んでくるから!」

 

 そう言って、僕が何かを言う前に、少女は走り去ってしまった。

 ここが何処なのか、自分はどうしたのか。記憶が判然としない。いろいろと聞きたいことがあったのだが。――いや、彼女は“ドクター”と言っていた。医者を呼んでくれると言うなら、それが一番かもしれない。

 僕は状況を確認する術を失って、暇になってしまったので、自分の状況を分かる範囲で確認する事にした。

 まず、体。――これはダメだ。力が入らない。相当体力を失ってしまっているようだ。

 次に、この場所の事。僕の視界には、白い天井、白いカーテン、白いシーツと、白いものばかりが映っていた。その事と、アルコールの匂いが、どうやらここが病室らしいと僕に推測させた。

 疲れている体と、病室。僕は怪我をしたのか?こんな事になる前、僕は何をしていたのだっけ?

 そんな僕の思考を、近づいて来る複数の足音が止めた。

 派手な音がして扉が開かれる。いの一番に入って来たのは、先ほどの少女だった。その後に、白衣を来た初老の男性と、白い軍服を来た若い女性が続いた。

 

「少佐!ドクター!ほら、ね、ね!」

「分かった、ルッキーニ。分かったから、少し落ち着け」

「はーい!」

 

 落ち着け、と言われた少女は、だと言うのに、やっぱり嬉しそうに笑っている。

 

「さて……、起きたばかりで申し訳ないが、君には二三聞きたいことがある」

「あの、貴女は……」

「ああ、すまない。私の名は坂本と言う。ここ501で少佐をやっている」

 

 坂本と名乗った女性は、その言葉から察するにウィッチであるらしい。

 坂本は言いながら、隣の男――彼がドクターだろうか――から、何やら書類を受け取った。

 

「ここは、どこ……何ですか?」

 

 少佐、その肩書に僕は恐縮して、思わず敬語を使っていた。

 

「ここは501の基地だよ!」

 

 僕の問に少女が答える。

 

「501……何があって、僕はここに居るんですか?」

「覚えていないのか?」

「はい……少し、曖昧と言うか……」

 

 僕は半身を起こそうと腹筋に力を入れるが、鈍い痛みが脳に返るだけで、体は不気味な痙攣を起こすだけだった。代わりに僕の口から呻き声が漏れる。

 

「おい、無茶するんじゃない。お前は船の爆発に巻き込まれたんだ……ドクター」

「はい」

 

 坂本の合図を受けた男は、返事をして、僕の状態について説明を始めた。

 

「まず、貴方の体には多数の裂傷と火傷がありました。頭も強く打ったようです。記憶の混乱もこの為でしょう」

 

 裂傷と火傷。しかし、僕は今体に痛みを感じない。

 僕が疑問を口にすると、ドクターは丁寧に答えてくれる。

 

「普通なら全治数か月の負傷ですが、ウィッチの方が貴方の治療に協力してくれまして」

 

 まったく、治癒魔法とはすごい物ですな。ドクターはそう続けた。

 そう言ってドクターは笑ったが、すぐに真剣な表情に戻る。

 

「ただ――落ち着いて聞いてください。魔法でも、戻らない傷はあるのです」

 

 ドクターは坂本に目線を送った。坂本はそれに頷いて、僕の上半身を支え起こした。

 

「これが、今のあなたの状態です。気を強く持って。遅かれ早かれ受け入れねばならないのです」

 

 そう言ってドクターは、僕の体に掛かったシーツを払った。

 すると必然的に僕の目には僕の体が映った。包帯でぐるぐる巻きの胴体。同じく左腕。――それだけだった。

 

 あれ、右腕は?

 数秒、思考が止まる。現実を把握したとき、僕の口からは叫び声が上がっていた。

 

「あっ?あ……ああああっ!?」

「落ち着いて!落ち着いて……そう、そうです」

 

 僕の肩口から下。そこにあった筈の僕の右腕は、無くなってしまっていた。

 その光景を見た時、僕の頭に腕を失った瞬間の光景がフラッシュバックした。

 そこは船の上で、腕が吹き飛ばされても、それでも必死にエンジンを回して。

 ……そうだ。僕はやっとの思いでガリアから抜け出して、それでネウロイに襲われて、そして――

 僕はここで大事な事を思い出した。今まで忘れていたのが不思議なぐらいの。

 妹――リスは。

 そうだ、僕はリスと一緒に逃げていた筈だ。

 奴らから逃げる途中、荷物を捨てる振りをしてリスをこっそり逃がしたんだ。だから、僕がここにいるならきっとリスも居る筈なんだ。

 

「あの、妹は。僕の妹が一緒に居た筈なんです」

 

 隣に並んでいるベッドにリスの姿は無い。まさか、と僕は思う。縋る思いで、僕は坂本に質問した。

 

「妹……?いや、救助されたのは君だけだ」

「そんな……!」

 

 僕は視界がくらくらした。バランスを失って、体を支えようとするが、無い右手を動かそうとしたせいで結局ベッドに倒れ込んだ。

 それでも左手で坂本の服を掴んで、言った。

 

「お、お願いです。探してください!まだ一人で海を漂ってるかもしれないんです!」

「落ち着け。生存者の捜索は行っている」

「でも……」

 

 僕が尚も食い下がろうとしたその時、僕の左手を、しばらく黙っていた少女が優しく包んだ。小さな、すべすべした手から、子供特有の高い体温が伝わる。少女は、そのまま僕の指を一つずつほぐす様に解いて行く。

 そして少女は、僕の顔をじっと見て、言った。

 

「おにーさんは、名前、何て言うの?」

「え?……ミコ、だけど」

 

 脈絡が無いと感じられる少女の言葉に、しかし僕は素直に答えていた。

 

「じゃあミコ!心配しないで!私たちが絶対妹も見つけるから!」

 

 それは励ましの言葉だった。

 僕は少女の言葉を聞いて、自分を恥じた。

 僕はこんな小さな女の子に慰められたらしいのだ。

 僕は自分の醜態を自覚して、顔を上げていられなくなり、横を向いた。しかし、その少女はわざわざ僕の顔の正面に回り込んで来る。僕が顔をもう一度逸らすと、それでもやっぱり僕の視界に入ろうとしてきた。

 僕はなんだか可笑しい気持ちになって、気付けば笑っていた。すると少女も一緒に笑い始めた。その少女の笑顔は眩しく、僕はその姿を知らず知らずの内に妹に重ねて見ていた。

 

「あー、おほん。いいかな?」

 

 僕と少女がしばらく笑い合っていると、痺れを切らしたらしい坂本が声を上げた。

 僕は慌てて「はい」と言って取り繕った。

 

「質問の続きだが……ミコ、と言ったな。君はどうしてあんな所にいたんだ?まさか密漁と言う訳でもあるまい?」

 

 密漁。海路の多くがネウロイに封鎖された現代、海産物の需要はうなぎ登り。それを狙っての密漁行為が後を絶たないと聞く――

 閑話休題。

 僕はもちろん、そんな理由でおんぼろの漁船に乗っていた訳では無い。逃げていたのだ。ガリアから。

 

「僕と妹は、ガリアからの撤退に取り残されたんです。それで、やっと船を手に入れて」

「逃げた……と言う事か」

「はい」

「しかし、ガリア撤退戦から随分立っている。その間ずっと?」

「ええ……防空壕やシェルターを転々としながら……」

 

 僕はつい先日までの日々を思い出していた。毎日毎日ネウロイの影に怯えながら、それでも高いところに昇って、哨戒の穴を探す毎日。乾パンが常食で、干し肉はご馳走。進退窮まった時は草だって食べた。

 それでも、リスを助けるために頑張って来た。なのに……

 僕がここまで考えると、唐突に右腕に痛みが走った。その痛みは生易しいものでは無く、僕は右腕の断面に焼きごてを押し付けられる様な感覚を味わった。

 

「いっ……あ……!」

「おい、大丈夫か!」

「鎮痛剤が切れかかってます。打ちますから、抑えて」

 

 体内に針が侵入してくる痛みを感じると同時に、意識が遠のいて行く。

 何も見えなくなる前に、心配そうに僕を見る少女の顔を見た気がした。

 

 

 

 

 僕が再び目を覚ました時、太陽は既に沈んでいた。時計を見ると、もう真夜中と言える時間だった。

 体はこの数時間で大分回復していて、苦なく体を動かすことが出来る。もしかしたらまた治癒魔法をかけて貰ったのかもしれない。

 僕が自分の状態を確認していると、自分以外の呼吸の音が聞こえる事に気付いた。周囲を確認すると、すぐにその人影を見つけた。

 それは昼間の少女だった。寝息を立てて、僕のベッドに半ば潜り込んで眠っている。

 思えば、僕が最初に目覚めた時にもこの少女は傍にいた。どうしてだろう、と僕は思う。昼間の話を思い出すに、彼女はウィッチであるみたいだけど。

 きっと、優しい娘なのだろう。僕はそう結論付けた。そんな所もどこかリスが思い出されて、思わず僕は少女の頭を撫でていた。

 

 ……そうだ、リスだ。僕はこうやって助けて貰えたけど、リスは今、こんな暗い外で海の上を漂流しているかもしれないんだ。食料は持たせたから、まだきっと大丈夫だろうけど……。

 僕は少女を見た。昼間、少女に取りなされた事だけど、またふつふつと心にリスを強く心配する気持ちが僕に現れていた。

 こんな時間だ。今日の捜索はとっくに終わっているだろう。でも、だからってここで指を咥えて待っている事なんて……。

 僕は心の中で、少女に「ごめん」と謝った。そして、ベッドから足を下ろしてみる。

 一瞬ふらつくが、しっかりと両の足で床を踏みしめる事に成功する。壁にかけてあった松葉杖を見つけた僕は、体のバランスの変化に苦労しながら、杖をついて病室を抜けた。

 リスを、探しに行かないと。

 

 

 

 運良く波止場を見つけた僕は、止めてあったボートに乗り込んでいた。当然キーは無く、またキーを盗みに行くなど不可能であったが、しかし僕は、道中手に入れた針金でピッキングに挑んでいた。

 時折雲の切れ間から覗く月の光が唯一の光源で、しかも、右手は使えない。今までに無い悪条件で、もしこれが成功すれば――あまり自慢できた事では無いが――僕は開錠職人としてやっていけるかもしれない。

 

「こい、こい、こい……!」

 

 左手一本の試みであったが、僕の祈りが通じたのか、小気味の良い音がして、くるりと錠穴が回る。と同時にエンジンが唸りを上げた。

 

「やった!」

 

 これでリスを探しに行ける。こんな闇夜の海に、きちんとした装備も無しに出るなんて自殺行為かもしれないが、それでも、行かなければならない。

 僕の命とリスの命、交換できるものなら。

 僕は船を波止場に固定している縄を解く為に一旦ボートから降りる。――とその時、こちらに近づいて来る足音を聞いた。

 僕が慌てて振り向くのと、僕に声が投げられるのは、同時だった。

 

「病み上がりにしては、随分元気そうじゃないか」

 

 暗い場所でも分かる、潮風に靡く長いオレンジの髪と……大きな胸。

 そんな女性がいつの間にか近くの壁に寄りかかる様に立って、僕をじっと見ていた。しかし一瞬、視線が逸れる。どうやら、僕の無い右腕が気になったらしい。

 

「ミコ……だっけ?ルッキーニが懐いてるみたいで、何て言うか……」

 

 ルッキーニ。それがあの少女の名前だろうか。そう言えば、坂本もあの少女をそう呼んでいた気もする。

 てっきり僕は、問答無用で捕縛されるものと思っていた。なので、目の前の女性が何やら関係の無い事を話し始めて、僕はいささか以上に驚いき、戸惑った。確かに、あの少女は一日中僕の傍に居てくれたみたいだけど、それを“懐く”と言っていいものか。

 女性は自身の後頭部に手を当てて、どこか気まずそうに、言葉を選んで喋っている様に見えた。

 

「何も説教しようってんじゃ無いんだ。ただ――」

「お願いします!行かせてください!」

 

 僕は頭を下げて、そう口走っていた。

 

「僕が行かないといけないんです!ずっと守って来たんです!じゃないと」

 

 そうだ、僕じゃないとダメなんだ。何年も二人だけでいたのに。こんな風に離ればなれになっちゃ。こんな体に為ったのだって、リスが無事なら構わないんだ。あいつが苦しんでたら、父さんと母さんにどう顔向けしていいか……!

 

「だから、だから」

「な、おい、落ち着けって」

 

 僕は半泣きになっていた。しかも過呼吸気味で、傍から見れば気持ちの悪い事この上ない。

 しかし女性は気にした様子もなく、それどころか僕に近づき、僕を思い切り抱きしめ始めた。

 

「……?」

「ごめんな、私じゃお前の苦しみを分かってやれない」

 

 女性は言いながら、僕の頭と背中とを撫でてくる。僕は何が何やら分からず、ただ顔を赤くして女性の言葉を聞いた。

 

「けどな、そんなに気負う事はないよ。自分を責めなくたっていいんだ」

 

 今度は子供を赤ん坊をあやす様に背中をぽんぽんと叩いて来る。

 女性の言葉は優しく、僕は亡くした母を思い出していた。だからだろうか、理由も無く掛けられる優しい言葉に、少しも警戒心を抱かないのは。

 自分を責めるな。その言葉は水の様に入ってきて、僕の心を攫った。

 僕の足からカクリと力が抜け、膝立ちになる。すると女性も姿勢を下げ、尚も僕を抱きすくめた。

 

「だから、後は私たちに任せて、ゆっくり休め。ルッキーニの相手をしてくれると、私は嬉しいぞ!」

 

 女性は最後、冗談めかして言った。

 過呼吸気味だった僕の呼吸は、段々と平静に戻っていった。だと言うのに、涙は一向に止まらず、僕は恥も外聞もなにも無く、女性の胸で泣いた。

 

「おー、よしよし」

 

 服が涙で濡れるのも構わず、女性は僕を受け入れてくれている。

 ぷすん、と言う船のエンジンが止まる音で、やっと僕は正気に立ち返ったが、それまで僕はずっと泣き、女性はそんな僕を慰めてくれていた。

 

「さ、戻ろう?」

 

 僕は女性の言葉に頷きだけを返した。

 

 この時の僕の心は羞恥に支配されていた。見ず知らずの女性の前で大泣きしてしまった。

 とても女性の顔をまともに見れず、視線を地面に固定する。

 女性はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、立ち上がると僕の手を取って歩き始めた。

 大泣きした手前もう遅いだろうが、僕は手を繋がれているのが子供扱いされている様に思えて、指を開く事で手を離したいと暗に意思表示する。

 

「ん~?何だ?恥ずかしくなっちゃったか?」

 

 う、と僕はたじろいだ。図星だったからだ。

 大の男が、初めて会った女性の胸で号泣するなど、もしリスに知れてしまったら生きていけなくなってしまう。

 女性は、さっきまでの包容力はどこへやら、からかう気まんまんと言った顔をしている。

 

「安心しろって!誰にも言ったりしないよ。二人の秘密だ。なっ?」

 

 僕は頷くしかなかった。彼女はこう言っているのだ。弱みは握った、これから“仲良く”しようぜ、と。

 僕は女性のしたり顔に深く戦慄したのだった。

 

 そうこうしている内に、僕と女性は医務室の前に戻って来ていた。中に入ると、女性はベッドで寝ている少女――ルッキーニを見つけて驚いた様相である。

 僕はルッキーニを見て、ある決意を固めた。そしてその事を女性に相談しようと思うのだが、ここで僕はまだ女性の名前を知らない事に気付く。

 

「あの、すみません、まだお名前を」

「あ、ああ。シャーロット・E・イェーガー。シャーリーって呼んでくれ」

 

 女性はルッキーニにブランケットを掛けてやりながら、そう名乗った。

 

「相談があるんです、シャーリーさん」

「さんは要らないよ。敬語も無しだ」

 

 シャーリーさんはそう言って腕を組み、壁に背を預けた。

 

「じゃあ、シャーリー。僕をこの基地に置いて欲しいんだ」

「そらまた、どうして。妹さんの事なら――」

「分かってる。もう一人で抜け出したりしない。でも、リスを見つける努力はしたいんだ。ここが一番情報が早く集まるだろう?」

 

 一人で無茶はもう出来ない。そうすれば彼女たちを困らせてしまうだろうから。でも、だからと言って全てを丸投げしてしまう事は出来なかった。

 

「僕は“こんな”だから、無理を言ってるってのは分かってます。でも、あんたウィッチなんだろう?なんとかならないか?」

 

 僕は昂る感情をなるだけ抑えて、シャーリーさんの目をじっと見つめた。シャーリーさんも、計るかの様に僕を見つめ返してくる。その表情はさっきまでとはまるで違って真剣なもので、僕は握りしめた拳の内側に汗が滲んで来るのを感じた。

 僕はシャーリーさんの言葉をじっと待った。

 ようやく口を開いたシャーリーさんは、しかしそこからもたっぷり間を置いて、ようやく喋り始めた。

 

「すまないが、それは私の一存では決められない。けど――」

 

 シャーリーさんはそこまで言って、組んでいた腕を解いた。そして壁から離れ、のしのしと大股でこちらに歩いて来る。

 僕はその動勢を見て、昔母に怒られた時の事を思い出し、もしかして引っ叩かれるんじゃないかと身を竦ませた。が、勿論そんな事は無く、シャーリーさんは僕の隣に来ると、大げさな動きで僕と肩を組み、顔を近づけて、言った。

 

「どうやら覚悟はあるみたいだ。それなら、ミーナ中佐だって無下にしたりはしないだろうぜ」

 

 にやり、と。それまでの硬い表情を崩し、ばしばしと僕の背中を叩くシャーリーさん。

 

「頑張れよーミコ!応援するぞ!」

 

 僕は掛けられた言葉が肯定的だったのに安心して、いつの間にか引き攣っていた表情を無理やり笑わせた。……決してビビっていた訳ではない。

 

「うにゃ……」

 

 不意のその声を聞いて、僕とシャーリーさんは揃ってびくりと体を震わせた。

 いけない、ルッキーニを起こしてしまったか。

 二人で、恐る恐る様子を確認する。

 ……どうやら、寝言であったらしい。ふう、と二人で息を吐いた。そして顔を見合わせて、静かに笑い合った。

 

「ルッキーニって、優しい子なんですね。何だがずっと傍に居て貰ったみたいで」

「そう、みたいだな、うん……」

 

 僕はルッキーニを褒めたつもりだったのだが、どうしてかシャーリーさんの言葉はぎこちない。

 何かおかしい事があったのだろうか。

 

「いや、そう言う訳じゃ無いんだけどな」

 

 僕が疑問を口にすると、シャーリーさんは直ぐにそれを否定し、なにやら説明を始めた。

 

「お前の怪我を随分心配してるみたいなんだ。ルッキーニは今まで誰かの血を見た事が少なくてな」

 

 まして、その腕だろう?と、シャーリーさんは続けた。

 僕はその言葉を聞いて、少しショックを受けていた。シャーリーさんは僕に明るく接してくれていたが、やはり哀れに思われてしまうのだろうか。今までリスの事を思う事でわざと考えないようにしていたが、僕もこれで立派な戦争被災者なのだ。だが、国を亡くした今、誰も僕を助けてくれないだろう。

 今になって、現実と言う壁が僕を押しつぶそうと迫って来ていた。

 ……もう僕はリスを両の手で抱きしめる事が出来ないのだ。

 生きるか死ぬかの瀬戸を彷徨ったのだから、腕一本ぐらい、安いもの。僕はそう自分に言い聞かせて、なんとか心の平静を保たせた。

 

「多分、これからあんたの世話を焼こうとすると思うけど、付き合ってやって欲しいんだ」

 

 付き合う、とは恐らく“子供の世話焼きを邪険にしないでやって欲しい”と言う意味なのだろう。

 

「……いえ、もしそうなら有難い事です」

 

 何故シャーリーさんはこんな事を言ったのか。

 もしかして、僕と言う人間はシャーリーさんに、子供に世話をされるなど耐えられない、などと言い始める狭量な奴だと思われているのか。……いや、多分シャーリーさんは、僕が腕を失った事にコンプレックスを感じていやしないかと思って、それでこんな慎重な言い回しをしたのだろう。

 やっぱり、優しい人なのだ。この人は。

 

「ん?おいおい、どうして泣くんだよ。どっか痛いのか?」

 

 その優しさが僕の中の何かを溶かして、それが溢れて来ていた。

 気付いた時には涙が目に溜まっていて、僕は慌てて目尻を拭った。

 

「何でも無いんです。何でも」

「そうか?何かあれば、言ってくれ。……ところで、また敬語に戻っているのは、どうしてだい?」

「あっ」

 

 シャーリーさんの表情が、またにやにやとした笑みになる。またも、おちょくる気まんまんと言った風だ。

 僕は一歩後ずさりした。するとシャーリーさんは一歩距離を詰めてくる。

 僕が、誤魔化す様にえへへ、と笑うと、シャーリーさんも、何が面白いのかふっふっふと笑った。

 僕とシャーリーさんはまだ合って間もないが、お互いの人となりと言うものを、なんとなく分かり始めていた。

 面白くて、気持ちが良くて、そして優しい人だ。

 僕は頬の肉を伸ばされたり、捏ねられたりしながら、そんな事を思った。

 

 

 

 

 翌日。

 僕はシャーリーさんの案内の元、司令室へと足を運んでいた。

 

「失礼しまーす」

 

 ノックもそこそこに、シャーリーさんは司令室に入っていく。

 僕は扉の前で足を踏みかえて、そわそわしながら待った。直ぐに「入っていいぞー」と声が掛かる。実時間では1分も待たなかったろうが、僕には緊張でそれが何十分にも感じられていた。

 大丈夫、準備はしたじゃないか。

 僕は自分に言い聞かせ、一度ごくりと喉を鳴らしてから、扉を開けた。

 

「し、失礼します!」

 

 司令室に入ると、二つの視線が僕を出迎えた。すなわちそれは、シャーリーさんの物と、この基地の司令である、ミーナ中佐の物だ。

 僕の緊張っぷりを見たからか、シャーリーさんはまるで、面白いものが見れそうだ、と言う様な顔をしている。

 対して、ミーナ中佐の表情は真剣そのものだった。その赤毛を前分けにし、肘を立て、手を口の前で結んで僕をじっと見る様は、まさに女傑と言った風だ。

 

「お話は聞きました。妹さんの為に、この基地に残りたいそうですね?」

 

 僕は戦々恐々として頷いた。

 

「お気持ちは分かります」

 

 その言葉を聞いて、まずい、と思った。そのセリフから続く言葉が否定で無かった事が無い。

 

「ですが、ここは軍事施設です。そこに一般人を、当人の気持ちだけを理由に置く訳にはいきません」

 

 一刀両断。この言葉がぴったりだろう、と思える程度にバッサリと断られてしまった。

 ……しかし、リスの為に、ここではいそうですかと諦める事は出来ないのだ。

 

「貴方には、大事を取って貰って、一度市街の病院に――」

「待って下さい!僕はここでお荷物になるつもりでいる訳ではありません!雇って欲しい、と言っているんです!」

 

 雇う?と、僕の言葉を聞いた二人は、顔に疑問の表情を張り付けている。

 僕はポケットの中に押し込でいた“秘密兵器”を取り出し、広げてみせた。

 

「それは?」

「ガリア本土のネウロイの哨戒ルートと、時間です。僕は今、ここにいる誰よりもガリアの状況に詳しい」

 

 僕は無理やりに、如何にも自信があります、と言う顔をする。

 

「情報を提供出来ます……これでも、いけませんか」

 

 僕は表情は崩さないよう気を付けながらも、内面では縋る心持で中佐を見つめた。

 中佐は僕が用意した地図を受け取ると、顎に手を当てて、内容を精査し始めた。シャーリーさんも、首を傾けて、覗き込むように見ている。

 数分間、やきもきする時間が続いた。

 そして、やっと顔を上げた中佐は、その表情を綻ばせて、言った。

 

「参りました、ミコさん。いいでしょう。貴方を雇わせて頂きます」

 

 僕は顔がにやけだすのを抑えるのに苦労した。

 

 

 

 

「やったじゃないかミコ!」

 

 司令室を出てすぐの廊下で、シャーリーさんは僕の背中を叩いてそう言った。

 

「いやー、一時はダメかと思ったねぇ」

「そう思ったんなら、助け船の一つぐらい出して下さいよ」

 

 僕がそう言うと、シャーリーさんは、わっはっはと豪快に笑った。

 

「わーるかったって!でも、これでお前もこの基地の一員だ。よろしく頼むぞー?」

 

 その言葉に僕は照れ臭くなって、そっぽを向いて、ぼそりと「はい」と言った。

 と、その時。

 

「ミコ!ここにいてもいい事になったの?」

 

 そんな声が僕に投げられた。しかし、辺りを見回してもシャーリーさん以外の人影は――

 僕は声がした方を向いた。窓の外である。幻聴だろうか?

 そんな事を考えていると、突然人影が窓から滑り込んできた。体をばねの様にして器用に着地したその人物は、件の少女――ルッキーニであった。

 僕はそれに大層驚いたのだが、シャーリーさんを見て、彼女が全く何でもないような顔をしているので、返って冷静になった。もしかして、よくある事なのだろうか。

 

「あ、ああ、ここに置いて貰える事になったよ」

「ホントっ!じゃあじゃあ、私がここを案内したげるー!」

 

 成程、シャーリーさんの読みは正確だったらしい。

 僕は横目でシャーリーさんとアイコンタクトを取る。シャーリーさんが頷いたので、ルッキーニに了承の意を伝えようとするのだが、それよりも早くルッキーニが僕の左手を掴んで引っ張り始めた。

 

「シャーリー!また後でねー!」

「おー」

 

 たたらを踏みながらも、僕はルッキーニに付いて行く。

 昨日の様子といい、この砕けた調子といい、シャーリーさんとルッキーニの仲は、どうやらかなり良いらしい。

 僕はそんな二人の関係を、素直に良いものだと感じた。

 

「まずは私の秘密基地見せてあげる!」

「いいの?秘密なんでしょ?」

「んー……ミコだけ特別!」

 

 ツインテールを揺らして、跳ねる様に歩いて行くルッキーニ。元気が溢れているその姿は、控えめに言って可愛かった。

 しかし僕は、そう思うと直ぐにリスの事を思い出してしまう。人にまた別の人を重ねて見るなど、失礼な事だ。

 そう考えて、僕は“今だけ”と言い聞かせた上で、リスの事を頭から追い出した。

 

 

 昼を僅かばかり過ぎた時間の食堂で、食器が床に落ちる甲高い音が響いた。

 僕は椅子を引いて、取り落としたスプーンを拾い上げる。

 ……これで三度目だ。

 僕の利き腕は右腕だった。しかし、これからは左腕一本で全てを行わなければならない。足の指を使うという事も考えたが――。

 兎に角、全部が上手くいかない。正直、腕が一本足りない生活と言うものを舐めていた。

 今みたいに食事をするのも、洗濯物を干すのも、着替えるにも、物を書くにも、本のページを捲るのも、片手では事足りない。

 慣れないといけないんだ。

 僕はそう自分を納得させて、スプーンを握りしめ、再び皿に向かう。

 

「痛っ!?」

 

 指に痺れるような痛みが広がって、またスプーンを取り落としてしまった。

 ……どうやら指を酷使しすぎて、つってしまったらしい。

 

「くそったれ!」

 

 僕は腹が立って、スプーンをそのまま放り出した。

 スープを皿から直接喉に流し込んで、流し場に持っていく。

 こうなることは大方の予想が付いていたので、ルッキーニと別れた後、誰もいない時間を狙って食堂に来たのだが、正解だったらしい。こんな風にいらいらしている姿を人に見られたいものでは無い。

 僕は人の居ない所を求めて、建物から離れた。この基地は海に面しているので、すぐに浜辺にぶち当たる。

 丁度いい。僕はそう言って、傍に転がっていた石を拾い上げた。

 

「このぉっ!」

 

 雄叫びを上げて、石を思い切り海に放り投げる。

 石は海面すれすれを飛び、やがて水面に当たると、ぱしゃりと音を立ててもう一度跳ねた。しかし、直後波に呑まれて沈んでしまう。

 

「はー……」

 

 少し、スッキリした。

 水切りなんて久々にやったが、投げるだけなら利き腕でなくとも、バランスにさえ気を付ければ何とかなるみたいだ。

 僕は足を箒の様にして石をかき集めると、再び石を拾い上げ、それを投げた。

 しかしこれは一人でやっていてもあまり面白いものでは無い。リスが隣に居てくれたらいいのに。一人で遊んでいると言う寂しさが、そう思わせた。

 そんな風に、センチメンタルな気分になっていた僕は、後ろから接近する影に気が付かなかった。

 

「ばぁ!」

「うぎゃ!?」

 

 突然背中に何かが飛び付く。

 呆気なくバランスを崩した僕は、そのまま砂に顔を突っ込んだ。

 

「ルッキーニ……また会ったね……」

「うん!」

 

 僕の背中に乗っかっていたのは、先ほど別れたばかりのルッキーニだった。まあ、ここでの知り合いも少ないし、分かる事ではあるのだけど。

 元気な声音で返事をしたルッキーニだったが、僕の顔を見るなり、その表情が曇ってしまう。よほど変な顔をしていたのか。

 

「ミコ。不便なら何でも手伝ってあげるから!元気出してっ。ね?」

 

 僕はルッキーニの察しの良さに驚いていた。その言葉は今の僕の状態を正確に理解していたからだ。

 僕がルッキーニぐらいの年の頃は、もっと馬鹿だった気がする。しかし、子供に心配されていると言うのは、情けなくなる話だった。

 

「そうかい?」

 

 なんとなく意地悪な気分になった僕は、体を横に回すことで、ルッキーニも砂浜に転がしてやる。

 

「うにゃ!?」

 

 その瞬間は泡を食った様子のルッキーニだったが、すぐに態勢を立て直し、反撃をしてきた。具体的には、さらに体を回転させてマウントポジションを取ろうとしてきたのだ。

 負けじと僕も転がる。傍から見れば、車輪の様に砂浜をくるくると転がっていくという奇妙な光景が出来上がっていただろう。

 この不毛な争いは、僕の体力が無くなって動けなくなることで終わりを迎えた。

 

「私のかーちー!」

 

 ルッキーニは得意そうな顔で言った。

 二人とも砂まみれで、息が荒い。お互いがお互いの姿を可笑しく思って、どちらからともなく吹き出した。

 しかし僕は、腹の上に感じる柔らかい感触を何だか恥ずかしく感じて、ルッキーニの脇腹を抱えて横にどかす。

 うじゅー、とルッキーニは謎の鳴き声を上げ、特に抵抗も無く僕の隣に寝転がった。

 

「ミコ、さっき何してたの?」

 

 しばらく二人で息を整えていたが、おもむろにルッキーニがそう聞いて来る。

 さっき、とは、水切りのことだろうか。そう思い当たると、僕はさっき叫んでいたのを聞かれていたんじゃ、と心配したが、ルッキーニの表情からはただ興味だけが感じられて、おかしな含みが無い事に、僕は胸を撫でおろした。

 

「水切りって言うんだ。石を水でバウンドさせる遊び」

「こう?」

 

 途端ルッキーニはさっきまでの疲れた有様を微塵も感じさない元気さで立ち上がり、そのまま石を海へと放り始めた。

 石はと言うと、放物線を描くように投げられているので、全て虚しく水底へと沈んで行ってしまっていた。

 

「どれ、手本と言う奴をだな」

 

 僕は、僕がここに来て初めて誰かより優位に立てている事が嬉しくて、少し偉ぶってみることにした。

 手に馴染む石を拾って立ち上がると、波が引く瞬間を狙って投げ込む。

 ここで失敗してしまっては、しばらく立ち直れなかっただろうが、その心配は杞憂で、むしろ石は二度三度と好調に水面を跳ねた。

 

「すっごーい!」

 

 僕はルッキーニの言葉に得意になって、さっきの意趣返しの言葉を放った。

 

「僕の勝ちだな」

「む!」

 

 途端悔しそうな顔をしたルッキーニだったが、暫く唸っていたかと思うと、おもむろに石を拾い上げて、耳と尻尾を出した。

 何をする気だ。

 

「スーパールッキーニあたーっく!!」

 

 僕の心配を他所に、ルッキーニは手を大きく振りかぶり、真っ直ぐ石を投げた。石はルッキーニの手を離れた瞬間大きく光ったかと思うと、物凄い衝撃を伴って海面上を突き進んだ。

 最早跳ねる跳ねないの問題では無い。僕がぽかんとしている内、石は僕の最高投擲距離を易々と超え、そしてしめやかに消滅した。

 

「……そんなのありかよ」

「ふっふ~ん」

 

 ルッキーニは誇らしげに胸を張った。今度は僕が悔しい思いをする番だった。

 

 僕はいつの間にか、さっきまで感じていた息苦しさを忘れていた。それは、間違いなくルッキーニのお陰だった。

 そうして、暫く二人で遊んでいたのだった。

 

 

 

 

 さんさんと降り注いでいた太陽の光が燈色に変わり、やがて空からその色さえも無くなる頃、僕は遊び疲れて砂浜に寝転がるルッキーニに別れを告げ、あてがわれた部屋で、ガリアのネウロイに対しての報告書を纏めていた。

 この部屋は一応シャーリーさん達の部屋と同じ建物であるため、夜中にあまり外に出る訳に行かず、半分暇になって始めた事だった。

 パチリ、パチリとタイプライターを叩く音だけが響いていた部屋に、不意にカタリ、と物音がする。

 ネズミか。

 僕は立て掛けてあった箒を手に取ると、臨戦態勢を取った。

 再び物音がする。……が、どうやら窓の外から聞こえるらしい。

 僕はため息を吐いて、カーテンを閉めに窓へ向かう。

 少し神経質だっただろうか。最近、あらゆる事が不安に思えて仕方がない。シャーリーさんが居てくれなければもっと酷かっただろう。ルッキーニも、あの明るい性格は僕が落ち込む暇すらないし、助けられている。

 しかし、今日は何度となくルッキーニに会っている。もし、ルッキーニが僕を心配して会いに来てくれているのだとしたら、少し過保護の気が彼女にはあるかもしれない。

 僕は窓を開けてみて、周囲を見渡してみるが、遠くに誘導灯が淡く光るだけで、他は真っ暗で何も見えない。すぅ、と一度だけ外の息を吸い込んで、窓を閉めた。

 と、その時再び物音がする。今度は間違いなく室内からだ。さっきは外だった物が、どうして。僕は不気味さを感じて、ごくりと唾を呑んだ。

 そっと室内を見渡す。部屋の様子はさっきまでと変わりない。だが、物音は定期的な周期で止む気配が無い。

 ……どうやら天井から音がするらしい。当たりを付けた僕は、箒の柄で天井を突っついてみる。

 

「あっ」

 

 べり、と嫌な音がして、天井板を一枚捲り上げてしまう。

 怒られるかも、と心配するが、その板の隙間から覗いている天井裏の闇が恐ろしく、目を離すことが出来ずに、僕の意識は吸い込まれるようにそこを見つめた。

 

「……」

 

 物音はいつの間にか止んでいた。

 しかし僕は、その音の正体をどうしても確かめなくてはならないと言う気持ちになっていて、椅子を引っ張ってきて、中を確かめようと決めた。

 今夜の安眠のため。僕は自分に言い聞かせて、震える手を動かし、天井板をどかす。

 頭を突っ込んでみると、まず最初に感じたのは埃っぽさだった。長い事放置されていた空間なのだろう。

 とりあえず、と僕は懐中電灯で辺りを照らす。

 しかし、僕の目には木組みと配線が目に映るばかりで、生き物の影は無い。

 じゃあ、さっきの音はなんだったのか。僕は体を回して、周囲の状態も探る。そして、丁度背後を向いた時、僕の目の前に懐中電灯に照らされた人の顔があった。

 

「ぎゃあああ!」

 

 あまりの驚愕に、僕はひっくり返ってしまいそうになっていた。すると、今僕は椅子の上に立っているので、必然バランスを崩すことになり、

 

「あっ――」

 

 まずい、と思うが、もう遅い。このままでは頭から落ちてしまう。

 首の骨が折れている自分を想像して、背筋が凍る。

 しかし、僕の体はいつの間にか何かに固定されていて、落ちていく事は無かった。

 肩に手が回されている。そのお陰で落ちずに済んだらしいが、その手の持ち主はどうやら目の前の人物のようである。

 一難去ってまた一難、と言う所であろうか。

 屋根裏に潜んでいた人物は、そのまま僕の方に顔を寄せてくる。

 噛みつかれるのか、はたまた、口の中にはもう一つ顎が隠されていて、それに貫かれてしまうのか。そんな心配をしていたのだが、

 

「だいじょうぶ?」

 

 そんな声が掛けられて、僕の肩から一気に力が抜けた。

 

「る、ルッキーニ……」

 

 何故か屋根裏に潜み、音を立てていた人物の正体はルッキーニであった。

 僕が名前を呼んだからか、ルッキーニは「なぁに?」と可愛らしく小首をかしげている。

 

「と、とりあえず下ろして……」

 

 そうして貰って、ようやく僕の足は床を捉える。

 それと一緒に、猫のように軽やかに着地するルッキーニ。

 

「なんだって屋根裏になんか居たんだ?」

「だってミコ、ドアに鍵かけてたでしょ?」

 

 僕は取り敢えず訳を聞くのだが、返って来た言葉は要領を得ない。

 

「ん、んん?えっと、何で僕の部屋に?」

「え?んーっと。えーっと。……もう、いわせないでよ、ばかぁ」

 

 どうやら、僕か僕の部屋かに用があって屋根裏などから侵入を試みたらしいが、ルッキーニの返答はやっぱり要領を得ない。

 僕は同じ質問を繰り返した。

 

「んとね?ミコ、まだ元気じゃないでしょ?だから、一緒に寝てあげようって思ったの」

 

 えへへ、とルッキーニは照れくさそうに自身の指をこねくり回している。

 僕はその姿を、不覚にもまたリスに重ねてしまっていた。離れ離れになる前は、ずっと二人で眠っていた。昨晩は、隣に誰の体温も感じられないせいで上手く寝付けなかった程だ。

 僕は、ルッキーニの体にくっついていた埃を払う。

 ルッキーニの申し出は有難いものだ。正直腰を抜かす程驚いたが、喉元過ぎれば、と言う奴で、怒りも湧いてこない。僕はルッキーニの好意を受ける事にする。

 

「それじゃあ、お願いしようかな」

「ホント!?」

 

 ホントだ、と僕が言うと、ルッキーニは直ぐにベッドに飛び乗ると、はやくはやくと僕をせっついた。

 

 この時、僕の中で小さな不安が鎌首をもたげていた。それは、このままルッキーニと居れば、僕はリスの事を忘れてしまうんじゃ、と言う不安だった。

 普通に考えれば、そんな事がある筈がない。けれど、そんな心配をしてしまう程、ルッキーニという娘はリスそっくりだったのだ。

 僕は部屋の明かりを消して、ベッドに潜り込んだ。その一瞬、ルッキーニの目が猫のそれのように昏く光った様な気がして、僕は肌を粟立てた。

 

 

 書類を捲る音が響く。

 気分は、初仕事を報告する新入社員、と言う所だろうか。

 ミーナ中佐は、僕が纏めた報告書を一枚一枚丁寧に読んでいく。一晩で仕上げたものだから、出来の方は、お察しあれ。

 しかし、そんな物でも貴重な情報なのだろう。兵士でもない僕が、その基地の司令に直接書類を出すなど普通無い事だ。

 一通り目を通し終えたミーナ中佐は、一つ大きな息を吐いて、言った。

 

「ありがとうございます、ミコさん。この情報は必ず役立てて見せます」

 

 ですが、と断って、さらに続けるミーナ中佐。

 

「この情報はまず精査されなくてはいけません……ですから、妹さんの情報に対しても、我々は直ぐに動けない状況にあることを、理解して頂きたいんです」

 

 僕が書類の中で最も力を込めて書いた部分。時間や潮の満ち引き、海流などを考慮に入れた、海上で最もネウロイの哨戒に当たり難い侵入ルートと、捜索ルート。

 だが軍は、その情報だけでは直ぐに動けないと言う。

 勿論、理解できる話だ。一般人から齎された情報で軍がほいほい動くなど、その方が怖い話だろう。

 ――そう、理解は出来る。しかし、とても納得など出来ない。

 僕は思わず、無い右こぶしを強く握締めようとして、異様な感覚を味わった。まるで行き場を失った脳からの命令が、体中を走り回った様な。そんな感覚。

 そんな不快な感覚が、しかし僕の心を平静にしてくれるのに一役買ってくれていた。

 

「大丈夫です。分かってます、そりゃあ」

「……本当に、ごめんなさい」

 

 そう言ったミーナ中佐は、悔しそうな表情をして、顔を伏せた。

 僕はこの話を続けるのを苦痛に思って、話題を変える事にした。

 

「ところで、……ルッキーニの事何ですけど」

「ええ……」

 

 僕はちらりと視線を“そちら”へやった。

 司令室の窓の外に、頭だけを出して張り付いているルッキーニが見える。僕の視線に気付くと、慌ててその頭を引っ込めた。

 僕は喋る声を一段小さくして、中佐に問う。

 

「彼女、少し過保護の気がありません?」

 

 僕は事を大きくしない為に、少し冗談めかして言う。

 シャーリーさんの弁では、ルッキーニは僕を心配しているという話だが。

 僕が言うと、ミーナ中佐は僕を手招いた。僕が傍に寄ると、ミーナ中佐は内緒話をするように、顔を近づける。

 

「過ぎるようなら辞めさせます。けれど、良ければ、彼女のしたいようにさせてあげて欲しいんです」

 

 僕はミーナ中佐の言葉に驚いていた。ミーナ中佐はウィッチと男性の接触を好く思っていないと聞いていたからだ。

 僕は、どうして、と疑問を口にした。

 

「貴方は知らないでしょうけど、ルッキーニさんは、結構やんちゃ娘なの。それが、貴方と出会って少し落ち着きが出てきたんです」

 

 あれで。

 僕はそう思ったが、口にはしなかった。多分、僕が見ていない所での話なのだろう。

 

「お願いばかりで、申し訳ないのだけど……」

「いえ、そう言う事なら」

 

 断る理由は思いつかなかった。少なくともまともな理由では。

 それに、僕だって何もルッキーニに世話されるのが嫌と言う訳では無い。少し不思議に思っていただけで。

 実際ルッキーニの献身は有難い。水を持って来てくれたり、片腕で困ることがあれば手伝ってくれたり。

 

「ありがとうございます。それで……何か他に困っている事はありませんか?」

 

 曖昧な質問だった。

 僕は右腕を失ってから、この類の質問が苦手になっていた。

 ミーナ中佐の目を見て、彼女の目から、僕はどうしても憐れみを読み取ってしまうのだ。

 その視線は、いつも僕の居心地を悪くさせる。

 本当にミーナ中佐が僕を憐れんでいると言う事は無いだろう。目の前の女性は、そんな事をおくびに出したりはしないだろうし。しかし、隻腕である、と言う僕の中の劣等感が、それを錯覚させるのだ。

 そして、ありもしない他人の感情を勘ぐってしまう様な、自分が嫌になる。

 僕は、結んだ袖を隠す様に手で押さえた。

 

「皆さん良くしてくれますから。ありがとうございます……それじゃ、失礼しました」

 

 僕は一方的にそう言うと、中佐の返事を待つ事無く、司令室から退出した。

 

 

 

 

 例えば、猫。もし猫が手を失えば、それは即座に死に繋がるだろう。猫は四足歩行だ。動く事すらままならなくなった猫は、ただ座して死を待つしかない。

 じゃあ、片手を失った僕は。何も出来なくなった僕は。

 

 目を瞑って、右手があった時の感覚を思い出す。

 a、b、c。目を閉じたまま、ペンを走らせる。目を開けると、そこには縮れた髪の毛の様な字が転がるばかりだった。

 僕はため息を吐いて、書いたばかりの字をいくつもの線で書き消す。

 字の練習の成果は思わしくない。書いても書いても上達が見えない。右手の癖が残っているのがいけないのか?

 僕は紙を乱暴に丸めると、ゴミ箱に投げ入れる。そして、頭を冷そうと考えて、ゆっくりと周囲を見回した。

 僕は今食堂に居る。

 日はいつのまにか大分傾いていて、オレンジの光が窓から差し込んでいる。練習を始めたのが昼ご飯を食べてすぐだったから、結構な時間が経過した計算だ。

 

「……」

 

 僕はソファへ視線を向ける。そこには猫のように体を丸めて、午睡を楽しんでいるルッキーニが居た。

 最初こそ僕に纏わりついて騒がしくしていたルッキーニだったが、いい加減退屈になったのだろう。

 僕はぼうっと自分の腕の付け根を眺めた。……せめて、利き腕を無くさなければ。そう思わずにいられなかった。

 次いで、ルッキーニの寝顔を眺める。

 リスは、まだ見つからない。もしリスがこんな僕を見たら、何て思うだろうか。

 思考の泥沼に嵌っていく。情けない気持ちが胸を侵してくる。せっかく字を覚えたって言うのにな。

 じわり、と僕の目の端から涙が溢れそうになる。僕は頭を抱えた。

 どうして僕はこんなに弱いのだ。もっと強ければ、リスだって。傷つかない心が欲しい。そうすれば、もう辛くならないのに。

 

「なんで……ああ!」

 

 もう、消えてしまいたい。このまま自分の体を泥水に変えて、地面に沁み込ませてしまったらどれだけ楽だろう。

 そんな、ネガティブな考えが止まらない。

 その時、僕は背後に人の気配を感じると同時に、首に手が回されるのを感じた。

 無防備な首が誰かの手の中にある事に一瞬恐怖したが、その手は優しく僕を抱きしめたので、僕は体の力を抜いた。

 次に僕は、この手が誰の物なのかと疑問に思った。背中から手を回されているので、顔が見えない。

 しかし僕は、少し前にもこの手に抱きしめられていたと気付く。

 

「……シャーリーさん?」

「ああ」

 

 いつの間に。いやそれより、どう言うつもりで。いやいや、また慰められてしまっているのだろうけど。

 さっきまで酷く沈んでいた気分は、今は恥ずかしいという気分で安々と上書きされてしまっていた。

 何て安っぽい心だ。

 その感情が、さらに二重で僕を辱めた。

 

「あの、何て言うか、その……離して貰えると」

「だーめだ。ミコ、お前は少し難しく考え過ぎる」

 

 シャーリーさんの口調は断定的だった。

 

「……けど、もう僕は役立たずで――」

「そんな事は無い。腕が一本無くたって、お前の価値が無くなったりしない」

 

 僕が腕と一緒に無くしたもの。リスが居なくなって、一緒に僕の自信とか、今まで培ってきたものが消えてしまって。

 

「むしろ勲章だって思うんだね。それが出来ないんなら、いつだって私の胸で泣いたらいいさ」

 

 僕は言葉通りに泣いてしまいそうになって、歯を食いしばって何とか堪えた。

 

「どうして、こんなに優しくしてくれるんです……?」

「泣いてる奴がいたら、慰めるのは当たりまえだろ?」

 

 僕とシャーリーさんはまだ出会って数日だ。なのに、どうしてそんな人間に優しくする事ができるのか。

 しかし、シャーリーさんの答えは酷く単純な物だった。

 

「な、泣いてませんって」

 

 僕の中の僅かな男としてのプライドが、そう反駁させた。

 

「泣いたって、何も戻ってこないんですから……」

「かーっ!だから暗いって!」

 

 シャーリーさんは僕を立たせると、僕と向かい合わせになった。

 

「いいか。妹は見つかる!お前の腕も、何とかなる!絶対!」

 

 力強い言葉を正面からぶつけられて、僕は脳みそがぐらぐらと揺れる様な感触を味わった。

 

「そうですね……そうだと良いですね」

「ああ!」

 

 僕は肩からシャーリーさんの手をどかす。

 僕はシャーリーさんを前にすると、その大らかさや芯の強さに、何と言うか、母性と言うものを感じるのだ。うっかりすると、自分の胸の内を全部話してしまいそうになっている。

 

 この時僕は、ある事が気になって、空気を読まず、考える前にその疑問を口にしていた。

 

「あの、不躾なんですけど、シャーリーっていくつ?」

「ん?16だぞ」

「え、嘘」

 

 特に渋るでもなく教えてくれたシャーリーさんだったが、僕はその返答に衝撃を受けていた。

 僕は18歳だ。これが何を意味するか。……僕は年下の女性に対して母を感じて、安心していたのか。

 年齢を強く気にしている訳では無いのだが、今まで間違いなく年上だと思っていただけ、この勘違いは恥ずかしかった。

 

「嘘って何だよー。老けて見えるってかい?」

 

 シャーリーさ……いや、シャーリーは表情が変わるのが早い。生来の陽気さと言うか、その性質はまるきりリベリアンらしい。

 

「いや、にしてはしっかりしているなーって。あとスタイルとか」

「ほほー?ミコも私の体の魅力に気付いちゃったかー?」

 

 そう言ったシャーリーは、自身の胸を強調する様に体をくねくねとさせた。

 こうやって時々おっさん臭くなるのも、リベリアンらしいと言うか。僕はシャーリーのそんな性格を羨ましく思った。

 僕はため息を吐いて、

 

「今日はもう休みます。ルッキーニをお願いしますね」

 

 そう言った。

 これ以上ここでシャーリーと話していても、恥の上塗りにしかならなさそうだ。それに、一度枕を被って、さっきシャーリーに言われた事を考えてみたいのだ。

 

「そうか、無理するなよ?」

「しませんって」

 

 休むには早い時間だろうが、早寝と言うのはガリアに居た頃は出来なかった贅沢だ。

 ……贅沢。多分、僕が憂鬱なのも、リスを放って自分だけが楽しんでいる、と言う負い目もあるのだろう。

 ルッキーニにシーツを掛けているシャーリーを尻目に、僕は食堂を離れた。

 もしルッキーニがこの後起きたら、また僕の部屋に来るだろうか。別に来て欲しい訳じゃないけど、鍵は開けておくとしよう。

 

 

「ねぇ、シャーリー?」

「ん?なんだ、起きてたのか」

 

 ミコが居なくなって数分もしない内に、ルッキーニがぽそりと声を上げた。

 まるでミコが居なくなるのを待っていた様なタイミングをシャーリーは怪訝に思う。

 ルッキーニはじっとシャーリーを見つめ、唇を尖らせている。その様相は何処かすねている様であった。

 

「どうしたんだ?ご飯ならもうすぐだぞ」

 

 腹が空いたのか。当たりをつけたシャーリーはそう言うが、ルッキーニは首を振り、それを否定する。

 直後ルッキーニは喋り始めたが、その内容はシャーリーが全く予想もしていなかった物で、彼女を困惑させるのに十分だった。

 

「シャーリーはすごいよね。私、ミコが元気無いって分かってたのに、何にも出来なくて。でもシャーリーが話したら、ミコ、すぐに元気になっちゃった」

 

 ルッキーニにしては珍しい、誰かに嫉妬するような言葉。

 脈絡の無いルッキーニの言葉から、シャーリーは必死に言葉を拾い、意味を繋ぎ合わせた。

 

「んーっと。つまり、ルッキーニはミコを元気付けたかったのか?」

「……うん」

 

 こくり、とルッキーニは頷いた。

 その言葉を聞いたシャーリーは、どうして、と言う疑問の言葉を、ほとんど反射的に口にしていた。

 それが目的であるなら、シャーリーが果たした事だ。もし、自身で達成する事に意味がある、と言うなら、その理由をシャーリーは知りたかった。

 

「だって、ミコは私が……。んーとにかくっ!ミコは私がお世話するのっ!」

 

 何かを言い淀んだルッキーニだったが、それを吹き飛ばす様に声を張った。

 それを聞いたシャーリーは、ルッキーニがミコを拾って来たペットの様に思っているのでは、と考えた。こう考えれば、ずっと一緒に居たがるのにも説明がつく。

 なるほど、ルッキーニにとってミコは、地に落ちた小鳥か、手の無い猫の様な者か。

 一人納得したシャーリーは、どうどう、とルッキーニを落ち着かせると、その頭を優しく撫でた。

 ルッキーニもそれには気持ちよさそうに目を細め、されるがままだ。

 

「……シャーリー、ミコ、取らないでね?」

 

 その言葉は懇願する様でいて、しかし同時にそれを強要する力のある、不思議な物だった。

 それを聞いてシャーリーは、先ほどの予想を改める。どうやら、ルッキーニにとってミコはもっと別な、近しい何からしい。

 しかし、ルッキーニも案外独占欲が強いんだな。そうシャーリーは感じていた。ルッキーニの使い魔である豹は、獲物を木の上でゆっくり食べると言うし。

 

「取らないよ。約束だ」

 

 ミコには悪いけど、この先面白い事になりそうだ、とシャーリーはそんな少し無責任な事を考え、頬を緩めた。

 

 


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