幸福
「響介、お買い物行かない?」
「買い物か、良いな。行くよ、何買うんだ?」
「今日はね、パスタにしようかなって思うの。だからカットトマトと挽き肉、玉葱は有るから....タバスコとか響介使う?」
「タバスコは要らないな。俺、酸っぱいの苦手なんだ」
「え?タバスコって酸っぱいの?」
「酢を使ってるからな、辛味に少しは紛れるけど酸っぱいのが苦手な人にはちょっとな....」
「分かった!バジルは大丈夫?」
「大好きだよ。んじゃ、行こうぜ」
「うん!」
何処とも知れない異国の田舎。金色の小麦が揺れる風景に、木で造られた家が映える、情緒豊かな風景の中でテロリストの2人は療養していた。買い物には車を使い、片道30分は掛かる道のりを気持ちよく走っていく。金には困っていないので、何一つ不自由の無い生活だ。
「スーパーも中々に小さいよな、此処。品揃えは良いから文句なんて無いけど」
「別に、言えば無いものも取り寄せてくれるんだから良いじゃん。さて、トマトトマト....」
「これか?」
「うん、これこれ。あと挽き肉かな。茄子の余りは有るから、遅いけど夏野菜を使ったカレーを作ろうかな」
「楽しみだな。後は特に買い溜めするのも無いし、帰るか?」
「そうだね、帰ろう」
時折会話を挟みつつ、2人は何処までも続く様に見える道を走っていく。
家に帰るとアリシアは早速エプロンを着けて料理を始める。初日はどんな料理が運ばれてくるのか内心震えながら待っていたのだが、口に入れてみれば絶品料理の数々。一つ一つが響介の嗜好にベストマッチしており、同じ料理でも恐らく響介は飽きずに食べ続けるだろう。自分でも贔屓目なのは解っているが、美味な事には変わりないので放っておいている。
「はい、出来たよ」
「もうか?早いな」
「そうでも無いけど。響介、ずっと呆けてたよ?」
「ありゃ、そうだったのか。...じゃあ早速、頂きます!」
「ん、どうぞどうぞ」
「美味いな、流石はアリシア」
「えへへ、ありがとね。まだまだ有るから、沢山食べてね!」
「勿論!」
にこやかに会話を交わしながらする食事は最高だと、響介は思う。目の前でフォークに巻き付けたパスタを頬張り、表情を緩ませるアリシアを見る度に響介はアリシアに惹かれていく。
手足を奪った張本人だとしても、何も関係は無い。金糸の様な長い髪の毛は響介の目にはどんな美しい織物よりも美しく映り、海の様に深い蒼の眼は響介の心に安寧を与える。彼女が居なければ、もう響介は正気を保てない。かつて抱いた
「....御馳走様。美味しかったよ、アリシア」
「御粗末様、今日も良い食べっぷりだね、響介!」
「食べる料理が美味けりゃそうなるよ。それに、向かいには絶世の美少女が居るしな」
「ぜっ...!?」
「うん、絶世の美少女。俺はアリシア以上に可愛い女の子を知らねぇよ」
「う....うるさいよ、もう!ほら、片付けるから食器出して!」
耳まで真っ赤に染めたアリシアを横目で見ながら食器を運びつつ、変わったなぁと思う。前は淑やかで物静かなイメージだったが、今では年相応の活発な少女だ。少し響介に依存気味な所は有ったが、気にしなければ良いだけだ。猫を被っていた、という事かも知れないがどっちのアリシアも響介は好きなので関係は無い。痘痕も笑窪、というやつだ。
エプロンを着けて食器をカチャカチャと音を立てて洗うアリシアを見ると、響介はまるで新婚の夫婦の様だと思ってしまう。それでも、自分の罪ではこんな当たり前の幸せを享受出来る事は叶わないと、その願いと想いが一体になったモノを封じる事を繰り返していた。
「響介」
「ん?」
「響介はいっぱい幸せを貰って良いんだよ」
「いきなりどうした?」
「響介の考えは大体解るんだよ、私。どうせ日常を謳歌するのは自分はしちゃいけない、とか考えてたんでしょ?」
「大当たりだな」
「そんなの、響介の気にし過ぎだよ。ほら、何かしたい事は無いの?」
「じゃあ、そうだな--」
響介は唐突に立ち上がり、顔を寄せてアリシアの唇に自分の唇を密着させた。要するに、キスをしたのだ。ファーストキスだったが、アリシアに捧げるのなら本望だ。湿った感触と共に感じた味は、何故かミントの味がした。
「--アリシアが欲しいって言ったら?」
「....ッ!?ッ!?!?!?」
「そんなに照れんなよ」
「照れるよ!?だ、だって私、ファーストキスだったんだよ!?」
「俺もだよ。でもアリシアに捧げるなら本望...てか、アリシア以外にするとか有り得ないわ」
「今日はダメ!その、今日は....一緒に寝るだけ、なら....」
尻すぼみになってはいるが、一緒に寝て良いという許可を貰った響介は即効で共用の寝室に駆け上がり、ベッドをくっつけてダブルベッドにしていた。流石にシングルでは狭いが、響介的には密着して寝る事がむしろご褒美なのだが、結構恥ずかしがりのアリシアの為に血の涙を流す程の心境でダブルベッドにしていた。
「うわぁ....火事場の馬鹿力ってものなの?」
「それは少しニュアンスが違うけど、そんなもんだな。さぁ!用意は出来たぞ!」
「うぬぬ...分かったよ、お休み」
「お休み、アリシア」
一緒のベッドに潜り込み、電気を消す。いつもは気にならない寝息と身体を動かす度に聴こえる衣擦れの音にドキドキしているのはアリシアではなく、むしろ響介の方だった。案外ヘタレである。
仰向けで寝るのは好きではないので、アリシアから顔を背ける様にして横になって眠る。そして半ばほど意識を手放しかけた瞬間、後ろからアリシアが抱き着いて耳元で囁く。
「大好き....響介....」
途切れて聴こえたその声は寝言なのか寝言に託つけて言った本音なのかは判らないが、響介は回された手を握り、自分は自分なりの幸せを味わっていると実感しつつ、こう返した。
「俺もだよ、アリシア」