「どうぞ、入って下さい」
「失礼します...おぉ、綺麗な部屋だな」
招かれた部屋に何の疑念も抱かずに入る響弥。雪菜は胸を刺す様な痛みを感じても耐え、ベッドに座らせる。
「お前なぁ...部屋に男を入れるってのも危ないけど、ベッドに座らせるもんか?」
「........」
「舞原?なんか調子でも--!?」
ベッドに押し倒される響弥。流石に鍛えているとは言っても、上体だけの力では雪菜の体重も含めた力に勝てるハズもなく、呆気なく押し倒されてしまった。寝転がる響弥に覆い被さる様に四つん這いになって顔を響弥の胸に擦り付ける。マーキングする猫の様に。
「ま、舞原!?お前、何してんの!?おふざけも大概に--」
「...おふざけなんかじゃないですよ、
すかさずホルスターから注射器を取り出し、響弥から見えない位置に隠す。
「響弥くん...」
「ま、舞原....」
そして2人の唇が重なる--その寸前に雪菜は取り出した注射器を
「ガッ....!?舞原、テメェ....」
「すみません、更識くん。直ぐに私も行きますから、待っていて下さい」
「グ....ガァッ...」
響弥が、死んだ。簡単に、薬品を注入されて。どれだけ強く、賢くとも響弥は所詮男なのだ。色欲には勝てず、判断が鈍って殺された。まるで歴史上の人物の様に呆気なく。だが雪菜は何か釈然としない。何か決定的に違う。何かが歪んでいる。その違和感の原因は直後に分かってしまった。
「え.....?」
そう、雪菜は毒薬を使っていないのだ。使ったのは媚薬の注射器、しかし響弥は死んだ。アナフィラキシー・ショックが起きたと言えばそれで終わり。だが、違う。
「お前、どっからの刺客だ?変な行動を起こせば殺す」
「更識くん...どうして...?」
そう、雪菜は響弥の『右腕』に注射器の針を刺した。普通の人ならば抗い難い性欲に浮かされ、獣の様に雪菜を犯しただろう。だがそれは
「俺の右腕はちょっと特別製なんでな。そういうのは効かねぇんだよ」
「そう、ですか...任務にも失敗しましたし、もう終わりですね。帰っても殺されるでしょうし、どうぞ通報でも何でもしてください」
「質問に答えろ。お前は何処からの刺客だ?」
「....フランスのIS開発大手企業、とでも言えば良いですかね?」
「.......デュノア社、か?」
「そうですよ。さ、煮るなり焼くなり好きにして--って、更識くん...?」
「座れ」
「いえ、でも...」
「座れって言ってんだよ」
「.....はい」
流石に隣ではなかったが、机の向かいに雪菜を座らせて響弥は喋り始めた。感情を極限まで押し殺して。
「お前の過去を聴かせてくれ。先ずはそれからだ」
「.....分かりました。始まりは--」
雪菜は語った。自分が味わってきた、暴力と侮蔑と死に溢れた日常を。友達なんて居らず、翌日には顔見知りが死体となっていたり、2度と見掛ける事が無くなった事。マトモな食事など与えられず、服も襤褸切れ1枚が当たり前だった事。紛争地域に放り込まれ、人を何人も撃ち殺し、刺し殺した事も。全て話した。自分が味わってきた日常を隠す事無く、全てを。
「--これが、私の味わってきた日常です」
「.....俺は、俺の本当の名前は『更識響弥』じゃない。デュノア社が建てられた場所、其処は元々『赤羽農園』っていう大きい農園が有ったんだ」
「確か、穏便に済ませて退去して貰ったのでは?」
「そんな風になってんのか、あの事件は。...本当は全然違うんだぜ?俺の父親は従業員の事を考えて退去を拒み続けた。そして痺れを切らしたデュノア社が...多分政府も絡んでるが、実力行使に出た。社長の家族全員を殺した。いや、母親は殺害された後に遺体を持っていかれ、妹は誘拐された。父親は恐らく殺された」
「何故更識くんが...いや、まさか貴方は...」
「そして長男...赤羽響介は右目と右腕、左足を失って生き延びた。そして名前を『更識響弥』に変えて今の今まで生きてきた。...俺もお前と同じ、人生を歪まされた人間なんだよ、舞原」
「そんな....そう、だったんですか」
雪菜にとって初めてだった。今まで相手の身の上話を聴かされた事はあった。それでも自分と同じ様な経験、更に自分が味わってきた苦痛の更に上を行く苦痛を味わった人間を見る事が。雪菜と同じ様な経験をした『子供たち』は
「今の俺なら、舞原を助ける事が出来る。
「それは良いですね。...本当に」
「だから後はお前次第だぜ、舞原」
「私、次第?」
「あぁ。結局自分から『生きたい』と思えなきゃ、助けても鼬ごっこになる。助けても自殺に走ろうとする、そしてそれを防ぐ。俺はそんな押し付けは嫌いだ。だから選べ、舞原。このままデュノア社の
「そんな事、出来るハズが無いです!」
雪菜は叫んだ。無茶な選択を迫る響弥に対して。デュノア社は世界シェア第3位のISを開発した会社だ。他の国とのパイプは勿論、国の重役との公言出来ない様な黒いパイプだって持っている。そんな大企業相手に、たかが1人の学生が抗えるハズが無いから。自分の安全より、響弥の事を考えるが故にだ。これ以上の不幸を味わって欲しくない、そんな真っ直ぐな願い。
「貴方はもう辛くなっては駄目なんです!私は何より、貴方ほど優しい人が傷付くのは嫌なんですよ!もうそんなに辛い思いをしたんです、これからは幸せになんなきゃ...私なんかに構わないで、知らないフリをして幸せに--」
「ふざけんな!!」
「え....?」
「俺が辛くなっては駄目?俺からすりゃ、お前が傷付く事が辛いんだよ!俺ほど優しい人が傷付くのが嫌だ?お前ほど悲しい
その言葉を聴いて、雪菜の両目からは大粒の滴が流れ落ちる。1度流れた滴はもう抑えが効かず、ボロボロとその柔かな頬を濡らしていく。嗚咽と共に放った言葉は、今まで心の奥底で殺してきた言葉だった。
「私を、助...けて、下さい」
「任せろ、俺が護る。お前は俺の専属の開発者だ。お前が契約を保ち続けてくれるなら、俺はお前に寄り添って護り続ける。だから、誰よりも先に俺を頼れ」
「....なら、1つだけ、良いですか....?」
「あぁ、何でも言え」
「その、一緒の部屋に、住んでくれませんか...?」
「...............」
響弥は思考を加速させる。何でも言え、俺を頼れと言った手前、この頼みを却下する事は先程までの自分の発言を打ち消す事になる。しかし男女が一緒の部屋に住むというのもお互いの貞操...ひいては響弥の理性が保つかも分からない。しかしデュノア社が襲撃してくる可能性も充分に有り得る。雪菜の命の大切さと自分の理性を保ち続ける事、この2つを天秤に掛ければ、答えはたった1つだった。
「......駄目、ですか?」
「いや、任せろ。絶対に叶えてやる」
美少女の雪菜と住むという刺激満載の毎日を、響弥は無事に乗り切れるのだろうか....