彼女、舞原雪菜はデュノア社の密偵だ。今までやってきた事には全て理由が...社長からの指示があった。IS本体は勿論、武装1つの開発にしても多大な費用が掛かるISの開発の為、多くの現金が必要になったのだ。その為に考えたのが借金取りという手段だった。10000円から50000円くらい貸せば、どれだけの暴利だとしても借用書に双方の同意さえあれば支払いの義務が生じるのだ。警察を頼ったとして、雪菜には借用書という最強の矛であり盾である代物がある。流石に集団で報復に来るとは思っていなかったが、一応は成功したという事になっている。
その次の指示は男性操縦者に接近する事だった。金を集める事はとても容易かった反面、此方の指示にはとても頭を悩ませた。同じクラスだったなら自然に近付く事が出来ただろうが、一夏も響弥もクラスが違うのだ。接点が無いなら任務を果たす事が困難だった。その点、借金取りをしていた時に自分から響弥が接近してくれたのは幸運だったと言えるだろう。
「.........どうして、貴方は....」
今までは泣き叫んで返済期間の延長を懇願する者を見ても全く何の同情も、強いては感情の揺らぎすら感じなかった雪菜を苛んでいたのは響弥の明るさだった。
いつも面倒そうにしているが、実は優しい。誰かに助けを求められれば文句を言いながら手を差し出す。そしてこんな穢れた自分にも優しくしてくれる、そんな響弥を騙す事が『嫌だ』と拒絶の意思を感じていた。こんな経験は初めてだった。しかし、そんな『初めて』は嬉しいという感情とは全く真逆の感情を--憎悪を抱いていた。
「私が何をしたんですか.....?お父さん、お母さん...」
元々、舞原雪菜は一般人だった。それ以前に、普通に日本に住んでいた少女だった。
雪菜が小さい頃、両親とフランスへ旅行へ行った。2日目に電車に乗った際、脱線事故が起きた。隣に乗っていた両親は即死、雪菜も大怪我を負った。...が、デュノア社が死にかけていた雪菜を『保護』という名目で『誘拐』した。腹部にうっすらと傷跡は残ったが、完治した雪菜は
そして生きているとは思えなかった日々が始まった。服など与えられず、出来なければ殴られるのは当たり前だった。
1週間生き延びた先にも、地獄は待っていた。与えられる襤褸切れは薄くゴワゴワした毛布にランクアップし、食事も与えられた。とても薄く、冷たくなった豆のスープと少量の水。そしてスープに浸さなければマトモに食えない様な、堅い黒パン。1日2度支給される
次は
「私は、私の両手はもう.......」
車に50人をギュウギュウ詰めで、それが3台で運ばれたハズの子供たち。雪菜達生き残った子供たちが帰る時にはたった1台の車がガラガラに空いていた。
それからはもう楽園にも近かった。ちゃんとした服を与えられ、ISに適性があった子供にはISの訓練を、無かった者も殺さず、研究者として育てた。殺される事が無い、それだけで天国だった。フカフカと柔らかくて温かいパンと湯気が立ち上る、味がちゃんとするスープ。どちらか一方でも今までは憧れだった物が、両方ともお腹一杯食べられる。そんな毎日はとても充足していた。だが、前までは罵声を浴びせて笑いながら自分達を殺そうとしてきた大人が笑顔で接してくる毎日を気味悪く、恐怖を感じていた事も事実だった。
「はい、なんでしょう」
『新たな任務を与える』
枕元に置いてあるガラケーが振動し、雪菜に着信を知らせる。またあの冷たい声で応答していた。無表情、死んだ様な目で。
『近い内にヤツを入学させる。その為には男性操縦者が2人も居ては邪魔になる』
「どちらを殺すのですか?」
『少し難しいが、
その言葉を受けて、雪菜は下唇を噛んでから応答する。
「了解、しました」
『ならば良い。貴様は何の為に行動している?』
「...私の命と身体は、デュノア社の為に」
『それで良い』
またいきなり切れた電話。ガラケーを枕の下に置き、今更自分が下唇を噛み切っていた事に気付いた。意識した途端に鋭い痛みと鮮血が口の端を伝い、血の味が広がっていく。それはまるで、自分が抱いている感情の様に。
「....更識さん、絶月の事で相談が有ります。私の部屋に来てくれますか?」
『お、おう。少し待ってろ、直ぐ行く。...って、俺お前の部屋知らねぇんだけど?』
「では迎えに行きますね。それで覚えて下さい」
『んな滅茶苦茶な....分かった、食堂で待ち合わせよう』
「はい。では、食堂に向かいますね」
『分かった。俺も向かうから』
「それでは」
通話を切って、太股の所に付けているホルスターに注射器を2本入れる。暗部の出身である響弥は殺気に敏感である為、1本目の依存性と効果が共に高い媚薬を投与し、獣の様に自我を失った瞬間に2本目の即死させる毒を投与するのだ。雪菜は響弥を....殺す気だ。
「許して下さいね、更識さん。...貴方を殺した後なら、追って自殺出来る気がします。待ってて下さいね」
そう独り言を呟き、雪菜は食堂へと向かった。