「嫁よ、入っても良いか?」
「...........」
「入るぞ」
響介は引き籠っていた。個室にはトイレも完備してある上に冷蔵庫、簡易的ではあるがキッチンも有る。きっと響介は戦いが終わるまで引き籠り続けるだろう。下手に何でも出来るが故にこうなってしまうのだ。
「....レトルトしか食べてないではないか。そんな事では栄養が偏るぞ。少し待っていろ、ドイツの料理を食べさせてやろう」
そう言ってラウラは料理を始める。とは言え、材料など全て有り合わせな上に下拵えも出来ていない。ジャガイモとベーコンが有ったからジャーマンポテトを作り、林檎やパイを作る材料は奇跡的に有ったのでアプフェルクーヘンというアップルパイの様なものをオーブンに入れ、2人分の珈琲を持って響介の向かい側に座る。
「大体は雪菜から聴いた。....怖いのだな?」
「.....あぁ」
絞り出す様に漏れた小さな声は、静かな部屋に良く響いた。
「怖いよ、勿論。何もかもが怖い。人を殺すのも、皆が死ぬのも、俺が死ぬのも、全部怖い。でも...俺が殺意に呑まれるのが、一番怖い」
「何故だ?私には解らないんだ。何故怖いのか教えてくれ、嫁よ」
「夢に、出るんだ」
「夢?」
「そう、夢だ」
響介の顔を良く見れば、その目の下にはくっきりと隈が浮き出ていた。もう何日も満足に寝られていないのだろう。唇もガサガサになり、食事もレトルトな為に不健康この上無い。
「今まで殺した人間の怨念や屍が迫るんだ。『お前もお前の仲間も早く此方に来い』ってな。夢の中で、俺は逃げてるんだ。ひたすらに、形振り構わずに。でも、いずれ捕まって手足をもがれる。そして達磨になった俺を見て嘲笑い、死者の世界に連れていく。いつも其処で目が覚めるんだ」
「とんだ悪夢だな」
「そうだろ?....本当、そうだよ」
それは自責の念なのだろうか。と言うより、殺戮本能で構成されていると言っても過言ではないドミナントが、そんな感情を抱くのか不思議である。
「だが、私はお前に――」
「俺は殺人鬼だよ、ラウラ。皆はそうじゃないって言ってくれるけど、俺は殺人鬼だ。何も知らない子供から抵抗も出来ない老人まで手に掛けた。父さん、母さんと助けを呼んで叫ぶ子供の手を肩からもぎ取って、断末魔の声を上げる様を笑って見届け、助けを乞う老人に背を向けて安心しきった所で上半身と下半身を斬り飛ばした。返り血で返り血を隠し、断罪の刃をへし折って刺し返す。俺は、悪魔だよ」
「....なら、お前は悪魔なのだろうな。だがな、お前は悪行しかして来なかった訳じゃない。沢山の人々を助けてくれた。命を救った。そして、私に未来を歩ませてくれた。何人もの人を殺めたお前は【悪】だろう。それでも、お前は【絶対悪】ではないんだ」
「【絶対悪】?」
「そうだ。生涯1つの善行も行わず、救いすら求めない、自ら悪で在ろうとする存在。それが【絶対悪】だと私は思う」
「....悪も正義も、俺には無い。どんな大義名分を掲げようとも、俺の本心は殺したいだけだ。それが俺の本質なんだから。許される訳が無いんだ、お前も俺なんて――ふがっ」
ラウラは立ち上がり、アプフェルクーヘンを皿に乗せて持ってくる。そして口に程よい大きさに取り分けたアプフェルクーヘンを無理矢理押し込む。喋ろうとしていた響介は驚きながらもしっかりと咀嚼し、飲み込む。林檎の優しい甘さと少しだけ感じる酸味はちょうど良く、響介の心に少なくない癒しを与える。
「自分なんて、とかそういう言葉は禁止だぞ」
「だけど――もがっ!?」
「それも禁止だ」
響介が自分を貶めたり言い訳の様な言葉を紡ぐ度、ラウラは響介の口にアプフェルクーヘンを押し込んでいく。少し熱いが、美味しい事には変わりが無い。響介は空腹も相まって押し込まれる度にモグモグと口を動かして空腹を満たしていく。
「あのな、響介」
「.....なんだ?」
「私にとって、お前が一番だ。お前が何を選ぼうと、私はお前に幸せでいて欲しいしその隣に在るのは私でありたい。お前が自分の行動で自分を傷付けるなら、私が赦す」
「お前が、俺を...」
「そうだ。きっと楯無も雪菜もそうするだろう。私達はお前が殺人鬼だろうが何だろうと、いつでも共に在る。お前が地獄に堕ちるなら私達も堕ちる。...それだけは覚えておいて欲しい。私達はお前が望まない事は決して強制しないし、絶対にさせない。私達は常に味方だ」
「............」
「ご飯は置いていくぞ。では、またな」
響介は1人部屋に置いていかれる。机に置かれている、まだ温かいジャーマンポテトを噎せながら掻き込む様に食べ、アプフェルクーヘンと珈琲を一気に平らげると再び頭を抱える。
「.....俺は、幸せを享受して良い人間なのか....?」
悩みはまだ晴れない、祈りは未だに喪われたまま。