「逃げないか?俺とお前の、2人で」
響介が苦しみながら見せた、弱さだ。この言葉の全てに響介の望みが凝縮されていると言っても良い。好きな人と、自分を好いてくれる人と共に世界の何処かへ逃げて、平和に人生を終わらせたいという叶わぬ願いを。
しかし、世界は響介に戦いを強いる。その強さが、業が、因果の全てが響介を戦いへと導いてしまうのだ。
「誰も知らない様な場所に行ってさ、力を合わせて暮らそうぜ。喧嘩もするだろうし、色々有るとは思う。だけど、きっと上手くいくって思うんだ。なぁ、ダメかな?」
そもそも響介だって16歳の子供なのだ。ただ小さい頃に戦いに巻き込まれただけで、義手と義足と義眼を使っているだけで、それだけだ。肝心の精神は度重なる戦いと人殺しに耐えられる程麻痺してはいない。直視出来ない故に記憶を灼いている。だが、
幾ら記憶を灼き捨てようとも、刻まれたトラウマが消える事は無い。無意識下で無自覚に響介の精神を蝕み、そしていつか響介を壊す。雪菜を始めとする響介を好く者達の存在も、残酷な言い方だが所詮は延命に過ぎない。響介に必要なのは休息だ。それも1週間や1ヶ月なんて短期間ではなく、年単位の休息が。
しかし、もしもそれ程に休息を取れたとして、また響介は人を殺めねばならなくなるのだ。そうなれば結局同じことの繰り返し、精神の摩耗は再び始まり、最終的には壊れてしまう。それを理解しているからこそ、響介は雪菜に「逃げよう」と提案したのだ。
「....それも、悪くないですよね。こんな面倒な因果も才能も捨て去って、2人で好きに暮らせたら良い。悪くないなんて話じゃありません、ソレを率先して選びたい位です」
「だろ?だからさ――」
「でも、駄目なんです。私達は逃げられない。響介くんと私はこの戦いを終わらせなければならない」
「そんなのおかしいだろ!?このクソみたいにいがみ合ってる世界は大人が創り出した世界だ!今、奴等がこんな計画を立てたのも、それを実行する為の
そうだ、響介の言う通りだ。ISが造られた事の始まり我慢を知らなかった
響介はフランスで何不自由無い生涯を過ごしただろう。雪菜は両親が死んでしまう事は避けられないかも知れないが、少なくとも幼い頃に人殺しを犯さなくとも済んだだろう。一夏も箒も鈴もシャルロットもラウラもセシリアも楯無も、そして簪ですら、ISが無かったらもっと良い方向の人生を歩めていただろう。
だが現状は違う。全員の人生は少なくともマイナスの方向に転び、
何度も見て見ぬふりをした。だが、もう誤魔化しきれない。今まで鬱積していた不満がぶちまけられる。何故自分が、何故雪菜が、何故皆が苦しまねばならない?顔も思い出せない『彼』は何故死ななければならなかった?どうして俺の身体はこんなになっても戦いを続けている?
響介の心情は疑問で埋め尽くされた。自分の為、他人の為、殺めた命の為。そもそもISさえ無ければ死ななくても良かった命だ。響介が犯した罪業は、結局全て束によって課されたと言っても過言ではない。
「その通りなんだよ、響介くん。私にだって分かんないもん。笑えるよね、私達じゃあの人達に届かない。だから傷付いて限界の君に託すんだから」
「雪、菜?」
「あはは、実は此方が素なんだよ?友達だって言われても、私は信じきれなかった。だから口調を偽ったの。でも、響介くんなら曝け出せると思った。変、かな?」
「んな事ねーよ。俺しか聴いた事が無いなら、嬉しいことこの上無い」
「.....私のISコアはね、響介くん。ある人から託された、コアネットワークに外部から一方的に接続できる『イレギュラー』なの。そしてその人の人生も、ISによって壊されていたよ」
雪菜は語る。夢の中で対話した男性との話を。彼の息子の話を、彼から言われた言葉を、そして響介が憶えていないであろう彼の正体を。そして彼に堂々と切った啖呵を。
「だから私は戦うんです。世界に巣食う老害に目に物を見せる為に。そして上から引き摺り下ろして、私達若者が上に立つ為に。君の目の前で死んだ、彼みたいな人を2度と増やさない為にも」
雪菜は理想の為に戦える。だが、響介はそうではない。目先の目的に振り回され、騙され、圧倒的な【力】で向かう者全てを叩き潰していた。故に空洞なのだ。空洞を満たしていたのは復讐心に
だが、それならば家を燃やした村民を全員殺した時点で終わっているではないか。それでも殺戮を続けたのは、気付いていたからだ。復讐を止めれば自分の周囲に危害が及ぶ事を、誰よりも先に容易く察知したのだ。自分の事なのだから、他人の嘘や本音を見破るよりも数倍簡単なのだから。
響介の手では誰も守れない。ただ殺すだけ。それが事実なのだろう。
「俺は誰も救えない。手は届かないし、間に合わない。でも、殺す時は速く確実だ。....俺は、
「........本当に、そう思ってるの!?」
「お、おい。突然どうした、落ち着け――」
「馬鹿だよ、響介くんは!少なくとも私は救われたよ!?今も生きてる!ラウラもシャルロットも、皆生きてる!それは響介くんが戦ったから、違う!?」
「....結局それは副産物だろ?俺の殺意の矛先が偶然に救う結末になっただけ。俺自身は何とも思っちゃいない。それに、こんな手じゃ繋ぐ事すら出来やしない」
響介は人工皮膚を弾けさせ、本来の義手を露にする。菫以外の誰にも見せた事は無い、本当の姿だ。爪は獣の様に長く鋭く伸び、その手の内部には切断力を高める為の超高振動デバイスが内蔵されている。手を繋げば固く、少し動かせば爪が食い込み、そして響介がその気になれば手など簡単に切り落とせるのだ。そんな手と繋ぎたがる物好きは居ないだろう。理不尽にもたらされた力は響介を苦しめ続けている。だからいつも人と接する時に使うのは左手なのだ。無意識に傷付けまいとしているから。
「.....響介くんは覚えてないだけ。私は確かに救われたし、1度も傷つけられた事は無いよ。最善ではなかったかもだけど、シャルロットだって次善の結末になったって言ってた。ラウラが壊れずにいられたのだって、響介くんが助けたからだし、楯無さんが壊れなかったのも響介くんが一緒に居たからじゃないの?」
「....知らない。いや、憶えてない。お前の言う事を成したのが俺なら、きっと
「え?」
「憎いんだ。
怖い、怖い、怖い。自分が知らない、自分の前の自分が成した事を聴かされるのが苦痛だった。そして愛する者の知らない姿を、自分が知らない自分は知っている事実が腹立たしい。殺したくなる。だが、自分を殺すなど出来ない響介はその殺意と憎悪が混ざったドロドロとした感情を殺してきたのだ。それも、もう限界を迎えていた。
「それなら、新しい思い出を作ろう?これから、私達で」
「..............」
それでも雪菜は響介に微笑み掛ける。眩しい微笑みは今の響介には毒にも等しかった。自分の醜さを叩き付けられた様な、そんな感覚に囚われたのだ。
「響介くん?」
「...........ゴメン。俺にはもう、無理なんだ」
何度でも言おう。赤羽響介はもう、限界なのだ。