それは愛にも似た、   作:pezo

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第四章 夜の女

 

 

薄く金色が曇ったような色の短い髪が、さらりと風に揺れる様子を、ハンジはうきうきとした気持ちで眺めている。

 

観察されている男性兵士はその視線にいくばくか居心地の悪さを感じているようであったが、そのままハンジの指示通り、対象のスケッチを続けている。

 

 

「どうだい」

 

「はい。もうすぐできあがります」

 

 

ハンジが聞けば、真面目で抑揚の少ない声がすぐさま答える。無駄のなさは、無駄の多いハンジにとってはなかなか好印象のあるものだった。

 

彼、モブリット・バーナーが彼女の下に配属されてから、しばらくが経つ。まだ彼のことはよく知らないが、なかなか使える部下だと、彼女は彼を重宝していた。

 

 

「……はい、ハンジ班長。できました」

 

 

その理由は、彼のスケッチ能力の高さである。

 

 

「おぉ!!これは、空中での方向転換の瞬間かい?」

 

「はい。リヴァイさんの立体機動が優れているのは、この瞬時の方向転換に拠るところが大きいと思いまして……」

 

 

のどかな昼下がりの訓練場。「いいよ、続けて」と上官が発言を許可するのを律儀に待った上で、モブリットはスケッチを元に説明を続けた。

 

「普通、空中での方向転換は身体全体にかなりの負荷がかかります。自分自身の体重と、それに加えて立体機動のスピードが比例してプラスの負荷となります。そのため、最高速度を保ったままの急激な方向転換は危険である。これが、私たちが訓練兵で学んだ基礎ですが、リヴァイさんはそれを踏襲していません」

 

「と、いうと?」

 

「彼は最高速度を保ったまま、ほとんどスピードを緩めずに急激な方向転換、それも90度近い転換を行なっています。その際、このスケッチのこの部分、ですが……。そうです、ここ。身体を回転させることで、その衝撃を分散させているんです。おそらく、これが出来るために、巨人の身体への連続的な回転斬りが可能なのだと思われます」

 

 

冷静な分析を行なう彼の後ろ、立体機動の訓練場で、観測対象が軽やかに地面に降り立ったのがハンジの視界の隅にちらりと見えた。

 

 

「これ、私や君でも真似できる?」

 

「回転自体は……修練を積めば、可能かもしれません。その修練の方法も現実的ではありませんが……。いや、しかし物理的に不可能です」

 

「何故だい?」

 

 

モブリットはスケッチの横に、いくつかの計算式をすらりと書いた。

 

 

「これが、この回転時に身体にかかるであろう負荷をキログラムに変えた数字です。この重さに常人の肉体が耐えられるとは思えません。むしろ、今でもリヴァイさんにこの負荷がかかっているとは考えられないほどですが……」

 

 

モブリットが振り返った先に、リヴァイが立体機動のトリガーをしまう姿がある。

 

 

「あの人の骨と筋肉が、常人離れしている。そうとしか考えられません」

 

「つまり、彼の立体機動術は、真似できるものではない、と」

 

「私はそう判断します。無理に真似すれば、身体がちぎれます」

 

 

彼の肉体と技術を分析すれば、より良い立体機動の技術の発展になるのでは、と思いついたハンジの目論見が外れたことに、モブリットは暗い表情をする。しかし当のハンジは胸にわき上がる興奮を抑えきれずに、「リヴァイ!!」と満面の笑顔で彼のもとへと走り寄っていった。

 

 

「リヴァイ!!あなたはやっぱりすごい人だ!それがさっきの訓練で証明されたよ!ところで、モブリットの分析によれば、あなたの肉体と骨は常人とは一線を画しているようなんだけど、ちょっとそこのあたり、詳しく調べさせてもらってもいいかな!!?いいよね!??」

 

「近寄るな、クソメガネ」

 

 

兵団きっての逸材に走り寄るハンジは、常のごとく脂ぎった髪の毛を振り乱しながら、口からはヨダレもまき散らしている。そんな彼女を近づかせまいと、今にもブレードを抜刀しそうなリヴァイを見て、モブリットが慌ててハンジを「班長、やめてください!」と彼女を抑えにかかっている。

 

 

最近よく見かける光景である。

 

 

「おい、メガネ。それ以上近づけば、どうなるかわかってるな」

 

「……ああ、ああ~……、ごめんよ。悪かったよ。でもなぁ…」

 

 

狂犬ハンジは止まらない。しかし、リヴァイはリヴァイで、その扱いをなんとなく了解しているようで、彼の前ではハンジも少々きれが悪い。

 

 

以前、同僚のナナバにその理由を聞かれたハンジは、「いや、極端だからね、彼」と苦笑いした。一度、シグリと共に夜中に暴走したときは腹に一発入れられて気絶させられたが、ハンジは実は他にも、数回リヴァイには殴られていた。痛みはあまりないのが幸いだが、気付けば厩に放り出されていたり、食堂につるされていたり。一度、掃除中の男風呂に放り投げられたときからは、さすがにハンジも彼への対応を考慮している。

 

 

思いの外、リヴァイは暴力的で、ハンジの弱いところをしっかり突いてくる嫌がらせがうまい。

 

それが、ハンジのリヴァイへの最初の評価だった。

 

恥などほとんど故郷の便所にでも置いてきたようなハンジだが、さすがに「班長」としての役割と責任はしっかり認知している。それを危険にさらすような真似を、リヴァイはあえて他の兵士の前でやるものだから、ハンジは彼の行動を警戒せざるを得ないのだ。

 

何より、リヴァイは地下街出身のくせに、ひどく生真面目で、決してウソは言わないのだから。

 

 

――この人、いつも本気だから厄介なんだよなあ。

 

 

思う顔が、それでもリヴァイという未知の可能性を秘めた兵士への好奇心でにやけてきている。それを見とがめられて、リヴァイの顔がさらに険しくなり、彼女の後ろのモブリットが「ハンジさん、」と情けなく叫んだとき。

 

 

その一種の修羅場を中断させたのは、常識人の皮をかぶった変態とハンジが呼ぶ、副官シグリであった。

 

 

「楽しそうだね。邪魔していいかい?」

 

「シグリ!そうだ。あなたはどう思う?リヴァイの、」

 

「黙れ、メガネ!!」

 

「ハンジさん!!」

 

 

三人三様の反応に、声をかけたシグリは口を大きく開けて笑った。リヴァイがそんな彼女の可愛らしい笑顔に舌打ちして、景気の悪い表情で「何の用だ」と冷たく言えば、彼女は笑顔をそのままに彼に鍵を手渡した。

 

「今日は私は午後から明日まで休みなんだ。これ、研究室の合い鍵。一応渡しとくよ。何かあったら入ってくれていいから。あと、エルヴィンから伝言。この紙を、また例のところへ」

 

数日前から、我等がエルヴィン分隊長の命令により、彼らはひとつの研究室を与えられた。二つの部屋で仕切られたその研究室を私室として彼らは与えられたのだ。

 

ドアをくぐればそこにはリヴァイに与えられた私室が、その私室の奥の扉には、その部屋の倍は広いシグリの研究室兼私室が備えられた部屋があるという。補佐としてのリヴァイが、まるでシグリを外敵から守るような強固な配置と、プライベートも仕事に捧げよ、というかのような部屋に、多くの兵士は哀れみを含んだ顔をした。まるで気にもしていない顔をしたのはリヴァイである。その隣で、笑顔で大きな研究室に喜んだのはシグリ当人とハンジだけであった。

 

 

「明日の午後には戻るけど、それまではゆっくりさせてもらうから。リヴァイもゆっくりしてくれ」

 

 

「休暇である」と言ったシグリをよくよく見れば、彼女は兵服ではなかった。白いシャツは兵団のものだろうが、その上には可愛らしい淡いブルーのエプロンワンピースを着ているではないか。

 

さっきから遠巻きに見ている兵士達がちらちら彼女を見ているのは、こうした理由か、とハンジは微笑んだ。

 

「可愛いねえシグリ。町娘って感じ。また私とデートしてよ。ね、可愛いよね、モブリット?」

 

「え?いや、はあ……」

 

 

しどろもどろするモブリットに、「ね?」と催促すれば、「もちろん、可愛らしいであります」なんて言いながら敬礼するものだから、シグリはお世辞だと解釈して笑ってしまった。お世辞ではないのに、とハンジは口をとがらせる。

 

 

「ねえ、リヴァイ。あなたも可愛いと思うでしょ?」

 

 

賛同を求めても、この朴念仁は鼻を鳴らしただけだった。同室の上官なのだから、少々褒めてもいいだろうに、とハンジは呆れた。

 

 

「うちの男共は相変わらずつまらないね。だからモテないんだ」

 

 

勝手に言えば、下からすごい勢いでにらまれたが、ハンジは気にせず、シグリに問うた。

 

 

「休みはどこに行くの?」

 

「いつものとこ。馬を借りていこうと思って」

 

「なるほどね。じゃあ私の分も皆によろしく言っておいてくれ。気をつけてね」

 

 

うん、といつもの兵士らしい頷きではなく、それこそ町娘のように頷く彼女に、「可愛らしいなあ」とハンジは微笑んだ。

 

ハンジは、可愛らしい格好した女性にはとことん甘い。

 

 

じゃあ、と手をふって訓練場の向こうにある厩へと向かうシグリの後ろ姿を見送る。

 

 

「いつものとこって何処だ」

 

 

リヴァイが尋ねてきた。ハンジが「よろしく」と言ったところから、何か兵団関係の場所だと思ったのだろう。

 

 

 

「墓場だよ。無名兵士の墓さ」

 

 

 

ハンジが笑って返せば、リヴァイは少し驚いたような顔をして黙した。

 

 

 

 

 


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