それは愛にも似た、   作:pezo

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第三章 二人の女と、二つの商会 三

 

 

*****

 

 

防水性の長靴に、肘まで覆った手袋。頭に布を巻いて、同じく白い布を顔にも巻く。ホコリやカビを誤って吸い込まないように。

 

 

兵団支給の割と高価な掃除用具を持ったフル装備で扉を開けようとして。

 

 

「…………」

 

 

ノブを持つ手を引っ込めて、一歩下がった。

 

 

「あれ、リヴァイ?」

 

 

彼が下がったのと、勢いよく扉が開いたのはほぼ同時であった。ほとんど同じ高さにある黒い双眸がくるりと彼を認めて、首を傾げた。

 

 

「ああ、悪かった、シグリ。来客だったか」

 

「……ああ、掃除かい?」

 

 

謹慎四日目。つまり、あの暴行事件から四日目。あの夜以来、久方ぶりに顔を合わせた女性兵士は、目の前に突如現れた小男の完全装備を見て、目を白黒させながら頷いた。

 

 

彼女の後ろを見れば、エルヴィン分隊長とスーツを着た長身痩躯の初老の男性が立っている。

 

 

「おお、もしかして、君が例の?」

 

 

初老の男性が、リヴァイを見て好奇心に満ちた表情で問うた。答えたのは分隊長である。

 

 

「ええ。彼が地下街育ちの者です。リヴァイ、ハロルド商会の会長、クルト・ハロルド氏だ。挨拶しろ」

 

 

硬質な分隊長の指示に、リヴァイは頭と顔の布を取り、「リヴァイだ」とだけ言って、右手の拳を心臓へと置いて敬礼をとった。

 

 

「私のハロルド商会はまだシガンシナ区を中心としている小さな商会だけどね、実は行く行くは地下街へも商売を広げたいと思っているんだ!」

 

 

男はリヴァイに一歩歩み寄って、両手を広げて言った。年の割に妙に希望にきらめいた表情に、リヴァイは思わず後ずさった。

 

 

「この春にローゼとシーナにもそれぞれ店舗を拡大してね。そろそろ地下街にも、と考えている。今は暗黒街化している地下街だが、資金の流入なども明らかにして、正式に商売をすれば、必ず大きな利益が生まれる。地下街出身の商人は非常に優秀だからね。彼らを正式に地上で雇い入れ、地下街をひとつの大きなマーケットにして、その富を再分配すれば、きっともっと大きくて、健康的な市場が、」

 

「ハロルド氏、そろそろお時間が」

 

 

穏やかに笑って制止したエルヴィンに、長身の男はははは、と照れくさそうに笑ってリヴァイにひとつ謝罪した。

 

 

「すまんね、どうにも先走りすぎるクセがあるんだ。君ともまた話がしたいな。覚えておいてくれ」

 

「……ああ」

 

 

目尻の深い皺が、笑顔にあわせてさらに深く刻まれる様は、どうにも人好きのする顔である。「お送りします」と先をうながしたシグリの後を歩きながら、「ごきげんよう」と笑って去って行く姿は、商人というよりかは道化のようにも見えた。

 

 

「…………あれはなんだ」

 

 

「シガンシナ区で最近力をつけてきている商会の会長だ。近々調査兵団にも物資の援助をしてくれると言うので話を聞いていたところだ。地下街に興味があるらしい」

 

 

「地下街に興味のねぇ商人はいないだろうよ」

 

 

「ハロルド氏はなかなか人情家としても有名だ。地下街を市場化させることで、搾取されている地下街出身者の状況改善なども考えているらしい」

 

 

一筋縄ではいかない話だろう。地下街は中央の貴族などの欲望が渦巻く世界だ。「物好きなやつもいるもんだ」と漏らした。

 

 

「話は変わるが、リヴァイ。その格好はなんだ」

 

 

白くて清潔な布を、頭に巻きながら、「何をわかりきったことを聞くのか」と思いながらリヴァイは碧眼の男を見上げた。

 

 

「掃除だ」

 

 

 

「なるほど。掃除か」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

***

 

 

「おい、リヴァイ!!お前、今日は副官と同衾の日だよなぁ~~」

 

 

「ちょっと聞かせろよ、いろいろさあ」

 

 

 

謹慎中の掃除は禁止だと冷たく命令され、掃除道具一式奪い取られたリヴァイが、部屋へ戻る道中、同年代の同僚の男たちが気さくに話しかけてきた。

 

 

「副官、今日謹慎から戻ってくるんだろ?と、いうことは、今日は二人きりの夜!」

 

 

「話すことは何もない」

 

 

冷たく突き放して、機嫌の悪さを示そうとも、その同僚の男二名は、気にせずリヴァイの肩を組んでにやにやと下卑た笑顔を見せてくる。

 

 

「何にもないことないだろ~?あの美人と同室で何もないなんて、お前不能か?」

 

 

右から口汚くツバを飛ばしながら言う男は、短く刈り上げた黒髪を撫でながら「羨ましいなあこのやろう」と笑った。リヴァイを挟んで左側にいる茶髪の長髪の男は、「何もなくてもいいからさ、何か聞かせろよ。あの人、普段部屋でどんな感じなんだ?」と抑えられない好奇心に顔を上気させながら尋ねてくる。

 

 

「アルバン、エーミール。俺にも選ぶ権利はある」

 

 

同じ分隊の仲間である彼らは、先の調査でリヴァイの戦いぶりを見てからというもの、何かと話しかけてくるようになった物好き共である。多くの兵士がリヴァイを遠巻きに見つめることが多い中、真面目さからはほど遠いひょうきんな性格のこの二人には、リヴァイの絶対零度の対応はほとんど効かなかった。

 

 

この時も、無遠慮に肩をばしばしと叩いてくる黒髪短髪のアルバンと、甘いマスクをしながらも下のことしか頭にない長髪のエーミールは、リヴァイの拒絶をものともせず絡んできた。それが鬱陶しく感じる一方で、掃除の禁止を言い渡されたときの苛立ちが徐々に鎮火していくのがわかって、リヴァイは彼らを無碍にすることはやめた。

 

 

「生活感のかけらもねぇ芯からの調査兵に勃つわけねぇ」

 

 

彼女が謹慎を受けて兵舎を出て行くまでの数日。熱にうかされたもうろうとした意識のなかで、目を覚ませば必ずそこにはシグリの姿があった。特段、世話をしてもらった記憶はない。ただ、その女は常にリヴァイに背中を見せて机にかじりついていた。まるで何かにとりつかれたような熱気に、心底辟易したのは事実だが、あの熱は、自分が否定できるものではないとも思い知った。

 

 

彼女の右手首は、治らない炎症を起していると知ったのは、リヴァイが彼女の部屋で寝るようになって二日目の夜だった。壁内の歴史を精査し、彼女の目にうつる物語として再び書きおこしていく途方もない作業。果たして意味があるのかも不明な作業によって、彼女の利き手の首は時折激しい痛みを訴えるのだという。自ら筋肉の炎症をおさえる注射を手首に打つ様子は、今でもリヴァイの目に焼き付いて離れない。

 

 

――動かすのが大事なんだ。だから立体機動は丁度良いリハビリになる。でも、こうして毎日ペンを握っていると、どうしても固まって炎症がひどくなるからね。たまに注射で薬を直接筋肉に打ち込むようにしてるんだ。

 

 

笑いながら女は明るく言っていた。それでも薬を注入されている右手が痛みに震えていたのは見間違いではない。

 

 

「……あれにどう欲情できるんだ」

 

 

アルバンとエーミールは、「言うねえ!」と目を白黒させている。無駄に腹やら肩やらを散々どつかれて、「生活感がねぇのはテメーもだろ。俺はあんな美人だったら、どんな中身でもいいと思うけどなぁ」とアルバンが言えば、「一発だけでもなぁ。それだったらいいじゃねぇか。あの人さ、夜って、もしかして、」とエーミールがさらに鼻の下を伸ばしながらアルバンに妄想を吐いた。息が荒くて気持ち悪い。

 

 

「エーミール。お前、彼女はどうした。あのよく話に出てくるブロンドの女だ」

 

「何言ってんだリヴァイ。あの子はお前、前の調査で食われたよ。なあ、エーミール」

 

「そうだぜ~。だから慰めてくれよリヴァイちゃん」

 

 

突然の真相告白に驚き息を詰めれば、甘いマスクが猫なで声で迫ってくるものだから、思わずリヴァイは彼の顔を手の甲で払った。つれない態度に、エーミールが大げさに鳴き真似すれば、「おお可哀想に。今日はいい女がいる店紹介してやるぜ、このアルバン様が」と二人はゲラゲラ笑いながら、リヴァイに手を振りながら訓練場へと向っていった。

 

 

二人は肩を組みながら、何がおかしいのかまだ笑っている。奴らはいつも笑っている。自分たちの女の話をしながら。兵士や街の女の話をしながら。

 

 

 

 

「賑やかだな」

 

 

二人とは打って変わって、低く落ち着いた声に振り向けば、長身の屈強な兵士の一人、ミケが書類を片手に立っていた。

 

 

「部屋に戻るのか」

 

「ああ……」

 

 

いつから後ろにいたのだろうか。鼻もきくが、耳も良いミケは最初から聞いていたのかもしれない。

 

 

「体調悪そうだな」

 

「そうでもない。昨日、酒を飲んだから少しぶり返してはいるが」

 

「――あいつらのこと、潔癖のお前は軽蔑するか?」

 

 

ミケが、先を歩いて行った兵士の背中を見ながら尋ねた。窓から、風が彼の長い前髪を揺らす。

 

 

「調査兵はいつ死ぬか分からない。エルヴィンやキース団長のように、女や家族を作りたがらない潔癖な者もいるが、あいつらみたいに女でその恐怖を埋めようとする者も多い。調査兵同士でもよくある話だ」

 

 

死へ向うために、怖れをかき消すために、誰かの肌に縋ることは決して悪ではないとミケは言う。その恐怖と孤独を理解し合えるように、調査兵同士で仲良くなる者も少なくないらしい。

 

 

「お前もそうなのか」

 

 

問えば、ミケは少し驚いたようにリヴァイを見下ろして、少し唸った後、「そうかもしれないな」と薄く笑った。

 

 

「エルヴィンのように強くはなれないな」

 

「……あいつも、懇意にしてる商売女はいるようだったが」

 

 

ああ、とミケが頷く。

 

 

「シシィ、だったか?あれは違うだろう。……しかし、お前も、誰かすがれる相手ができればいいな」

 

「冗談やめろ」

 

 

ん?と不思議そうにミケが首を傾げた。この大男は普段はかなり穏やかな性格らしい。地下街にきたときにリヴァイの顔を泥水に伏せた男と同一人物には思えない。

 

 

「シグリなんかいいんじゃないか?」

 

「やめてくれ。聞いてたんだろう?」

 

 

冗談だ、と笑う。

 

 

「でも、あれは「受け容れられない」という意味じゃないんだろう?」

 

 

悪戯っぽくにやけた顔に、ひとつ冗談交じりに蹴り上げたら、今度は大きくミケは笑った後、悪かった、と謝って、

 

 

「これ。シグリがまとめた書類だ。お前とハンジのあの討論会のまとめだ。目を通しておくといい」

 

 

手に持っていた書類を手渡して去って行った。

 

 

 

 

 


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