それは愛にも似た、   作:pezo

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エピローグ もしくは序章

エレン・イェーガーが団長室の扉をノックしたとき、中から出てきたのは、部屋の主人ではなく、その副官であった。

 

 

「あ、クシェル副官!!リヴァイ兵長からの報告書を、エルヴィン団長へお持ちいたしました!!」

 

 

短い黒髪の女性は、「ああ」と朗らかにその新兵に笑って、人差し指を口に添えて言った。

 

 

「申し訳ない。今、ちょっと……」

 

 

「リヴァイ兵長から、エルヴィン団長の指示を仰ぐように言われたのですが……出直した方がよろしいでしょうか!?」

 

 

大きな声で尋ねるエレンに、副官はしぃっとたしなめて、「声は落として」と彼を団長室の中へと招き入れた。

 

 

入室して、エレンは副官のその言葉の意図をようやく悟った。

 

 

「最近徹夜続きだったからね。少し休んでもらったんだ。こうなったらしばらくは起きないと思うけど、静かにね」

 

 

常に兵士の範たる厳格な態度のあの団長が、ソファにその逞しい身体を横たえて眠りに落ちていたのだ。

 

 

珍しい光景に、エレンはまじまじと見入ってしまった。

 

 

「報告書を。私で見れるものは見ておこう」

 

 

「はい!」

 

 

差し出された椅子に座り、今度は副官が報告書に目を通すのを見つめる。

 

変人揃いの調査兵団のなかでも、エレンには、この団長と副官の二名は幹部の中でも常識人の類に見えた。

 

調査兵団という厳しい集団をまとめ上げているだけあって、エルヴィン団長は、まさに兵士の中の兵士と、一目見てわかるほどの威厳を持っている。

 

そんな彼のとなりに常に控えているのは、この女性、クシェル副官であった。リヴァイ班の先輩方であるペトラやオルオ曰く、この線の細い一見頼りない風貌の女性兵士は、シガンシナ陥落時の英雄として名高い「戦女神」であるという。

 

 

 

リヴァイ兵長が人類最強として英雄化されたのと同様、彼女は放棄されたシガンシナから、取り残された負傷兵と民間人を救った女神様として神格化されているといっても過言ではない。

 

 

それを揶揄して、エレンの同期の慈悲深いらしい少女が「女神」と呼ばれることがあるが、もとはクシェル副官の通り名である。

 

 

人類最強が、イメージに反して粗暴で潔癖症、そして小柄であったのに対し、戦女神はそのイメージ通りであったとエレンたちは噂した。

 

 

美しく、慈悲深く、そして兵士としても強く優秀な女神。

 

 

審議所の一件の際、リヴァイ兵長にやられた傷を、まず真っ先に手当てしてくれたのはこの副官だった。手当ての最中に、探究心を滲ませていたハンジ分隊長とは異なり、ただ慈しむように触れてくれたこの副官の優しさは、あの時のエレンにはひどく身に染みた。

 

 

「ん?どうしたの?」

 

 

「あ!いえ!失礼いたしました!!」

 

 

咄嗟に敬礼をする。リヴァイ兵長ならば、すぐさま躾と称した拳が飛んできてもおかしくなかった。

 

 

しかし副官は少しだけ笑って、報告書を脇においてエレンに向き合った。

 

 

「エレン、リヴァイ班はもう慣れた?大変なことはない?」

 

 

労わるような笑みに、五年前に亡くした母を一瞬思い出し、エレンは恥ずかしさに少し顔を赤らめた。

 

 

 

「先輩方は優しく教えてくださいますし、問題ありません」

 

 

「……君の上官は厳しいだろう?大丈夫かい?」

 

 

「はっ!!厳しい方ですが、丁寧に教えてくださるので、大丈夫、です……」

 

 

古城での日々を思い出す。まだ配属されてから一週間も経っていないが、いまだあの掃除地獄から逃れられていない。掃除の未熟を、あの圧迫感ある上官に咎められることもまだまだ多い。

 

 

己の不甲斐なさにしゅん、と項垂れてしまったエレンに、クシェル副官は目を丸めて「頑張ってるんだねえ」と労ってくれた。

 

 

審議所の威勢はどこへやら。クシェルに言わせてみれば、「どんな躾をしてあの化け物を手なづけたのか」と彼の上官に呆れが出るばかりである。

 

 

「……あなたに課せることばかりで言えた義理じゃないけど、くれぐれも無理はしないでね」

 

 

「いえ!人類のためなら!これくらいどうってことありません!!」

 

 

 

 

「……ほう。これくらい、とは余裕だな、エレン」

 

 

 

 

元気よく答えたエレンの背後で、ここにはいないはずの上官の声がして、哀れな新兵はきゅう、と妙な声を出して飛び上がった。

 

 

「あれ?リヴァイ兵長。いつの間に」

 

 

「報告書を一枚渡し忘れてな。しかし、あれはなんだ」

 

 

鋭い三白眼が、咎めるようにソファの上の寝こけた団長を顎で指して言った。

 

 

「徹夜続きでお疲れなんです。しばらく休ませてあげてください」

 

 

「…………徹夜続き、か」

 

 

エレンは目の前の生きる伝説二名を前にして、高鳴る鼓動を表に出すまいと直立不動の姿勢を崩さない。

 

 

シガンシナ陥落前から兵団にいるこの二人もまた、何度も死地をくぐった旧知の仲であろうことは、想像に難くないが、こうして二人が話している場面を見るのはエレンは初めてであった。

 

 

団長を間に挟み、この三人が揃う場面は多いものの、両脇の二人が言葉を必要以上にかわすところは、先輩方もあまり見たことがないと言っていたので、てっきり仲があまり良くないのだと、エレンは勝手に想像していた。

 

 

だが、クシェル副官の、丁寧ではあるが、どこか気心知れた話し方からしても、決して仲が悪いというわけではなさそうだった。

 

 

 

「てめえもか、クシェル」

 

 

「はい?」

 

 

突然リヴァイ兵長から投げられた言葉に、副官は黒くて大きな瞳を白黒させた。まるで子どものような飾り気のない反応は、エレンに気安さを感じさせる。

 

 

「お前も徹夜続きなんだろう?そんな腑抜けたツラしやがって。本部はえらく忙しいらいしな」

 

 

「え?あ、そうですか?それは失礼しました」

 

 

己の頬をぶにぶにといじる副官は、エレンが見る限りは疲労の色はかけらも感じられない。

 

 

が、リヴァイ兵長はカツカツと踵を高らかに鳴らして彼女に近づき、その小さな頭をがしりと片手で鷲掴んだ。

 

 

「リヴァイ兵長!?」

 

 

さすがの行為にエレンも驚きを口にしたが、クシェル副官はさらに驚いたらしく、痛みと驚きの感情を妙な悲鳴で訴えていた。

 

 

「そんな状態で、今鎧や超大型が侵攻してきたらどうする?フラフラの状態で戦うってのか?体調管理は兵士の基本だろうが」

 

 

リヴァイ兵長は苛立った声で、みしみしと音がするのではないかと思うほど強く、副官の頭を握りながら、振り返ってソファの団長へ声をかけた。

 

 

「おいエルヴィン!そこどけ!お前は仮眠室で寝ろ!クシェルはそこで仮眠をとらせる」

 

 

その苛立った声に、眠っていたはずの団長は、堪え切れないといった風に、くすくすと笑いながら、ゆっくりと身体を起こした。

 

 

 

「エルヴィン団長?!起きてたんですか?せっかく寝てくれたのに!!」

 

 

 

悲壮な叫びを漏らしたのは頭を握り潰されかけている副官である。団長はソファに座って「いや、途中で起きてしまってね。すまない」と笑った。

 

 

 

「人払いをしておく。テメェらはしっかり休め。新兵に情けねぇところ見せてんじゃねえぞ」

 

 

 

リヴァイ兵長は、クシェルの頭から手を離し、その優しい手から報告書を奪い取り、「行くぞ、エレン」とエレンを連れて団長室を後にした。

 

 

 

どうやら、自分にはわからない関係が彼らにはあるらしい。エレンは上官の背中を見て、ふと思った。

 

 

その絆に、少しだけ羨望を覚えながら、孤独な化け物の子は、訓練へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「気を使わせてしまったね、エルヴィン」

 

 

「せっかくの兵士長殿の心遣いだ。存分に休ませてもらおう。彼のいう通り、我々は少し休息が必要だ」

 

 

 

欠伸を噛み殺しながら、エルヴィンは立ち上がった。自分にかけられた毛布を手に取り、彼女へ礼を述べた。

 

 

「君もかなりしんどそうだ。悪いな。全く気づかなかった。ソファで大丈夫かい?気にしなければ、仮眠室のベッドで寝た方がいいと思うが」

 

 

「そんな濃い隈作った人に言われてもね……。ベッドはあなたが使って」

 

 

彼女はそう言いながら、執務室の奥にある仮眠室の扉まで、彼の後をついてきた。

 

 

ん?とエルヴィンが不思議に思って、小さな彼女を振り返ると、彼女は目ざとく、彼の懐の書類をするりと抜き取った。

 

 

「寝付きの悪い人は、一人で寝かせられません。ちゃんと寝るまでしっかり見張っておきますから、観念して仕事のことは一旦忘れて」

 

 

仮眠室で仕事をしようとしたエルヴィンは、困ったように笑って、「子どもじゃないんだが」と頬をかいた。

 

 

「子どもじゃないんだから、さっさと寝てください!」

 

 

叱りつける様は母のようだが、エルヴィンがちらりと見れば、やはり彼女の笑顔もかなり疲労が積もっているようだった。疲れていても笑うものだから、なかなか気づかれにくい。

 

 

しっかり見ておいてやるべきだな、と自分のことは棚上げにしてエルヴィンは、ベッドの中へするりと身を滑らせた。

 

クシェルはそのベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛けた。

 

 

「……本当に寝るまで見張るつもりか?」

 

 

「前科があるからね。今日は観念しなさい。団長殿に倒れられたら困るんだから」

 

 

 

はは、とエルヴィンは笑った。こういう掛け合いも、もう幾度となく繰り返してきた。

 

 

「せっかくだから、一緒に寝るか?」

 

 

ちらりと布団を上げて誘えば、額をぺちりと叩かれた。

 

こんなやり取りももう何度目だろう。

 

 

 

「いい加減、リヴァイに嫉妬されるな」

 

 

「まさか。あれが?」

 

 

「あいつはあれで独占欲が強いと思うが。お前は自覚ないのか?」

 

 

さあ、とクシェルは首をかしげた。彼女の目尻が眠たそうに下がっている。

 

 

「リヴァイはあなたのことが大好きだからね。私が怒られることの方が多いよ」

 

 

「ほー。そうか」

 

 

 

答えるエルヴィンも、だいぶん意識が朦朧としている。数日ぶりの布団の威力はすごい。

 

 

 

「私もそう。あなたのこと大好きよ」

 

 

 

エルヴィンがぱちりと目を開けて見れば、彼女はすっかり瞼を閉じている。まだ眠ってはいないが、もう時間の問題だろう。寝ぼけて素が出ているのか。

 

 

言葉遣いも本来の彼女の、女性らしいものになっている。

 

 

 

「忘れないでね、エルヴィン。あなただけじゃないから。私も、この世界の答え合わせがしたいと思ってる、裏切り者だから」

 

 

 

ぼんやりとした思考の中、エルヴィンはその女性の顔を見つめる。

 

 

「人類のためじゃなくて、自分の私利私欲のために部下を死地に向かわせてるって?」

 

 

それは俺のことだ、とエルヴィンは思う。クシェルはそれにうん、と頷いた。

 

 

 

「忘れないでね。私も、あなたと同じよ。同じ、悪魔になるから……」

 

 

 

かくり、と首が傾く。言葉の続きは、要領の得ない音として夢の中へと消えていったようである。

 

 

 

ふぅ、とエルヴィンは大きくため息をついた。

 

 

 

彼女には、自分の力不足で知らずのうちに「父親殺し」の罪を背負わせた。

 

己の浅はかな欲のせいで、大切な人を失いながらも、いまだその欲にとらわれている。

 

 

そんな自分をさらけ出して、エルヴィンの孤独な罪悪感を癒そうとしてくれる彼女に、「まいったな……」とエルヴィンは頭を抱えた。

 

 

 

彼は重たい身体を起こしてベッドから抜け出し、椅子で眠ってしまった副官を抱き上げた。

 

 

そっとベッドに横たえてやる。あどけない無防備な寝顔に「まいったなぁ」と再度呟いた。

 

 

 

こんなに優しいから、どうにも彼女を側から離しがたくなるのだ。彼女がまるで新兵の女性のように、淡い恋心でもエルヴィンに持っていてくれれば、エルヴィンはすぐさま彼女を遠退けることができるのに。

 

 

ただ、妙なあたたかい優しさをたまにくれるだけだから、それに甘えて、ついつい副官の立場を彼女の定位置にしてしまう。

 

 

黒髪を撫でてやって、彼女を想う小男を思い出す。彼らの関係も、いまいちよくわからない。それこそ、惚れた腫れたの甘いだけの関係なら、即刻エルヴィンは二人の立場を考慮して、クシェルを異動させていただろう。

 

 

だが、どうにも殺伐とした雰囲気も、彼らの中にはある。だからこそ、信頼して仕事を頼めるのだが。

 

 

 

エルヴィンは、鈍くなってきた思考のまま、仮眠室のソファをずりずりとベッドの隣へと並べた。

 

 

 

たまに、この愛しい異邦人と眠ることくらい許されるだろう、と寝ぼけた頭で思い、ソファに横になった途端、事切れたように眠りについた。

 

 

 

 

起きてから、彼は再びその愛しい異邦人と、これまた敬愛する地下街の英雄を、無慈悲に死地へと送る算段を立てていく。

 

 

今度の壁外調査ではある程度の仲間が死ぬことになる。クシェルもまた、その頭数に入れる必要が出てきていた。運が良ければ助かる見込みはあるが、悪ければ彼女の命は切り捨てなければいけない。

 

 

そう、考えながら、エルヴィンは己の無慈悲さに失望も覚えながら眠りについた。

 

 

 

優しい風が窓から入り、並んで眠る団長と副官の、わずかな平穏な時間を包んでいく。

 

 

 

 

エルヴィン・スミスは知らない。

 

 

 

その異邦人や、地下街の英雄が、なぜ彼に命を預けて戦うのか。

 

 

殺伐として、命を捨てることも、捨てさせることも厭わないにもかかわらず。

 

 

それはまるで、愛にも似た、信頼ゆえであると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本作はこちらで完結です!

ここまで読んでくださった方、お気に入りに登録してくださった方、感想をくださった方、本当にありがとうございます!!


自己満足だけで、初めてこんなカタチで書き始めたので、なかなか読んでもらえることはないだろうと思っていましたが……。読んでくださった方がいれば、本当になみだなみだ!!


設定も原作からあえて変えたところもあったり、至らないところも多数あったかと思います。

今回、これを書こうと思ったのは、あのエルヴィン・スミスの生き方に心を掴まれてしまったから!彼の幸せとは何だろうとか色々考えた結果、彼と同じ罪を犯した人物を側に置いてやりたいと思ったところで、書き始めました。

ただ、彼を幸せにすることは叶わなんだ……!

リヴァイがメインになってしまった…笑


エルヴィンを書こうと思って書き始めたのに、エルヴィン書けなかったことや、シグリがちょっと良い子すぎたことが心残りです。

ただ、うっかり最後まで生き延びたエーミールは、自分の中では素敵な存在になりました。アルミンが出てきてくれたのも嬉しかった。誤算だらけの本作でしたが、この二つの誤算は、書く楽しみを味わわせてくれました。


本来は男性兵士を主人公にして、シグリは脇役にしようと考えていたのですが……。


また、書けたらいいなぁ。。


こんな、自己満足だらけのつまらぬ話にお付き合いくださった方がいらっしゃれば!まっこと感謝します!


では!ありがとうございましたー!!

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