それは愛にも似た、   作:pezo

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第十三章 シガンシナ陥落

 

マリア内地へと繋がる門扉が音を上げて解放される。

 

 

シガンシナ区の街並みを後ろに、住民たちが遠巻きに見守る中、エルヴィン団長率いる調査兵団は初めての壁外調査から戻ったその足で、内地へと向かっていた。

 

 

壁外調査では決して死者はゼロではなかった。だが、その数は今までの兵団史上最も少なく、初めての壁外拠点も設置することに成功した。その快挙はまさに初めての勝利とも言えた。

 

 

帰還の際に、今までにない期待感と高揚感が兵士たちのなかにしっかりとあった。住人たちの罵倒も、この日ばかりは彼らの心を傷つけなかった。

 

マリア内地へ行軍を進めた際、調査兵団はその兵団旗をいくつか大きく掲げた。

 

 

風になびくその自由の翼に、英雄たちは行軍していく。

 

 

「エルヴィン団長。ガスと刃の補充はどうしましょう」

 

 

先頭を行く金色の団長に、後ろで控えていた黒髪の女が問う。エルヴィンは少し思案した後、前列から順に補給しながら進むことを支持した。内地の兵営へと一旦帰還して、その後、さらに内地へと進むことになるが、限りある補給物資は使うべきと判断した。急を要することはないため、行軍しながらの補給で問題はないだろう。

 

 

「こんな内地で補給の意味はねえと思うがな」

 

 

彼の隣で行軍していたリヴァイの呟きに、エルヴィンは前を見据えたまま、「有事の際のためだ」と言った。

 

 

昨年の門扉解放による巨人の侵入は、エルヴィンを含めた数人の調査兵に危機意識を募らせた。

 

 

壁外ならまだしも、壁の中にいるときの気の緩みや、有事の際の動き方は今までまったく考慮されてこなかった。エルヴィンはそれに危機感を覚え、壁内であってもある程度の緊張感と、備えをするようにと兵団内の教育をし直していたところである。

 

駐屯兵団もそれは同じであったが、調査兵団ほど危機意識は伝達していないらしく、見張りはきつくなったものの、昼間から酒を飲む兵士がいなくなることはなかった。

 

 

 

 

兵団旗を高らかにあげた、気狂いの英雄たちの行軍がマリア内地を進む。

 

 

 

その報せが、駐屯兵の早馬にてエルヴィンへと告げられたのは、もうすぐマリア内地の兵営へと着くという頃合いだった。

 

 

 

 

「シガンシナ区の門扉と、ウォールマリア内地の門扉が巨人によって破壊された!!巨人多数襲来!!ウォールマリアは放棄される!!調査兵団は住民の避難へとまわってくれ!!」

 

 

 

血に塗れた薔薇の紋章のマントが、緊急事態を知らせていた。

 

 

 

 

 

 

「エルヴィン!先遣隊を出せ!」

 

 

いち早く反応したリヴァイが馬の首を返して、短く叫んだ。数人、彼と同様、先遣隊を申し出る。

 

 

エルヴィンはさらにハンジ・ゾエの班も加えて、先遣隊としてシガンシナ区へと向かわせる指示を下した。

 

 

 

「エルヴィン!私も先遣隊へ!!」

 

 

 

言ったのは、彼の副官であった。黒い双眸が不安に揺れている。一瞬、エルヴィンは黙したが、「わかった。リヴァイの指揮に従え」と許可を出す。

 

 

 

その指示が降りるや否や、リヴァイとハンジ率いる先遣隊は全速力で馬を駆けてシガンシナ区へと向かった。

 

 

 

「まさか……壁が破られるなんて……」

 

 

 

 

兵士の呟きは、団長の指示の声にかき消されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

調査兵団の先遣隊がシガンシナ区の壁付近へと近づいた頃、彼らはようやく数体の巨人を目視した。

 

 

川に浮かぶ大型船には、シガンシナ区からの避難民たちが所狭しと乗船しているが、乗り切らない者たちも大勢いた。

 

避難が間に合っていないことは誰の目にも明らかだったが、マリア内地へと続く門扉はぽっかり穴を開けており、そこから何体もの巨人が歩いて来ていた。

 

 

絶望とは、今この時を指すのだろう。副官である女は舌打ちしながら思った。

 

 

「ハンジ!お前は船に向かう巨人を足止めしろ!俺の班はマリア門扉付近に行く!」

 

 

「了解!」

 

 

リヴァイによる短い指示に、ハンジ率いる十名近い兵士たちが逸れて川付近へと猛進していく。

 

 

「クシェル!!」

 

 

 

リヴァイの声が女の、新たな名前を呼んだ。

 

は、と我に返った女は指示を仰ぐ。

 

 

 

「お前らはシガンシナ区へ入って、住民の避難状況を確認しろ!!無理はするな!」

 

 

「了解!!」

 

 

リヴァイ率いる班の援護をうけて、クシェル率いる班員たちは、壁付近まで馬で近づき、アンカーを放って、壁を超えた。

 

 

 

鳶のような速さで50メートルもの壁を飛び越えた彼らの視界には、変わり果てたシガンシナの街並みが入って来た。

 

 

整然と整えられた街並みのなかに、破壊された壁の破片と思わしき岩がそこかしこに家屋を潰している。

 

ざっと目視出来ただけで巨人の数は数十体にも及んでいる。

 

 

「……もう、こんなに……!!」

 

 

地獄とは、このことを言うはずだ。つい数時間前までは平穏を保っていたシガンシナが、今や巨人に占拠されている。

 

 

家屋のところどころに、夥しい血痕の跡がある。

 

 

ぎりり、と唇を噛み締めて、彼女は叫んだ。

 

 

 

「二手に分かれる!三班は東の壁沿いに被害状況を確認しろ!助けられる者は助けろ!指揮はエーミールに任せる!二班は西だ!私に続け!!」

 

 

 

西の壁沿いの歓楽街。そこには、彼女の数少ない居場所がある。

 

 

アリスとリザの店だ。

 

 

壁沿いを飛びながら、班員とともに街並みを目配せする。

 

 

人々の叫び声が聞こえてもおかしくないが、シガンシナの街中は不気味に静まり返っている。聞こえるのは、巨人どもの足音と、時折、ぞっとするような骨を噛み砕く音である。

 

何度も壁の外へ出ているはずの彼女たちにも、生理的な恐怖が襲う。

 

 

クシェルは前方の歓楽街の中に巨人を見つけ、恐怖を追い払うように指示を出した。

 

 

「前方、10メートル級一体!ドミニク!援護しろ!」

 

 

「はっ!!」

 

 

 

背の高い屈強な兵士が一人、髪の長いその巨人の気を引きつける。その隙に、クシェルが背後よりうなじを削いだ。

 

 

 

「お見事です!」

 

 

「周囲に生存者がいないか確認しろ!」

 

 

 

目視出来た範囲ではこの付近に数体の巨人が向かっていた。

 

 

つまり、人間がいる可能性がある。危険はあるが、街中での立体機動は調査兵にとっては幾分有利である。まだ戦えると判断して、クシェルは生存者がいないか声を張り上げた。

 

 

 

「誰か!!生存者はいないか!!誰か!!いないのか!?」

 

 

 

家屋の壁には血がこびりついている。人の気配はない。クシェルは、いつもの見慣れた道を走り、アリスの店へと向かった。

 

 

「アリス!リザ!いないのか!?」

 

 

 

「副官!危ない!!」

 

 

 

ついてきていた部下の声に、思わず飛べば、間一髪5メートル級の巨人が彼女のいた場所に飛び込んで来ていた。家屋をなぎ払いながら倒れるその巨体に、言いようのない怒りがこみ上げて、彼女は飛んだ勢いを生かして、巨人にアンカーを放って、その無防備にさらされたうなじを削いだ。

 

 

が、着地に失敗して、転げ落ちる。遠くで部下の声が聞こえる。早く立ち上がらなくては。

 

 

そう、顔を上げた先に、人間の手首が落ちていて思わず小さな悲鳴を上げた。

 

 

 

男の手首のようで、筋肉質な手が、血の海の中に転がっている。流血量からして、手の持ち主は生きてはいないだろうと思いながら身体を起こして、その手首の傷跡に目を奪われた。

 

 

 

ーー壁外調査のときに怪我をしてね。

 

 

 

記憶の中のアリスの手首の、深い切り傷。

 

そして、その目の前の男の手首には、傷と、そして丁寧に赤く色付けられた爪。

 

 

 

まさか。まさか。そんな。

 

 

 

ガタリと、店の扉の開閉の音がして、クシェルが視線をあげたそこには、3メートル級の巨人が彼女をみつめながら、食事をしている姿があった。

 

 

 

食い散らかして、口から落ちたそれは、人間の胸から上の上半身だった。

 

 

 

その恐怖に引きつった死体の醜い顔には覚えはなかったが、その綺麗なブロンドの長い髪には、嫌という程見覚えがあった。

 

 

 

「リ、ザ…………」

 

 

 

 

その時の記憶は、彼女にはあまりない。

 

 

 

 

気づけば、彼女はうなじを削いだ巨人の上で何度も何度もその刃を蒸発していく体に突きつけていた。

 

 

 

蒸発していくその醜い骨が視界に入った時、ようやく我に返った。

 

 

 

「副官!!この付近には生存者はいませんでした!うっ……!」

 

 

 

部下が言葉に詰まったのは、食いちぎられた死体を目にしたからではない。蒸発しない血を頭から被った上官の鬼気迫る姿に、思わず絶句したのだ。

 

 

 

クシェルは顔を外套で少し拭った後、エーミールの班と合流することを指示した。

 

 

 

 

 

 


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