実行犯、ラング商会会長、二週間の治療の後、釈放。
密告者、シグリ・アーレント元調査兵、壁外追放。
これが、その審議の末に言い渡された、被告人たちの処遇である。
事の顛末だけを述べよう。
実行犯よりも密告者の方が重い処罰を言い渡されたのは、訳がある。
ラング商会の会長は、駐屯兵に捕らえられてから審議に至るまで、ろくに尋問にも答えず、ただひたすらエルヴィン・スミス調査兵への恨みばかりを口にしていた。数日その状態が続いた後は、事切れたように何も喋らなくなり、食事もとらなくなった。まるで壊れた人形のように動かなくなった会長は、時折思い出したように自殺した妻子の名を呼ぶばかりであった。
医師の診立てにより、彼は精神薄弱であるとされ、責任能力は無いものと判断されて、上記の審議の結果となった。
シグリ・アーレントにいたっては、公に心臓を捧げた兵士という身分もあって、かなり厳しく尋問が行なわれた。
駐屯兵の目を盗み門扉を解放した会長へ情報を流していた罪を問われたが、その証拠は駐屯兵の調査では一切出てこなかった。
彼女への処罰の決め手は、彼女自身の自白であった。門扉解放への直接的関与は肯定しなかったものの、ラング商会との関係は本人の自白により確信的であるとされた。
「実行犯が事実上の無罪放免になったことで、人びとの怒りがシグリへ向かったんだろう。安全なはずの壁の中へ、巨人が侵攻したんだ。被害が最小限であったとは言え、その代償は誰かが取らなくてはいけなかった」
そう言ったのは、シグリの友人であり、同僚であったミケ・ザカリアスであった。
彼の言う通り、処罰が言い渡されてすぐ、シガンシナの街には号外が出され、人びとは皆、一様にシグリを悪し様に罵った。
巨人襲来の引き金をひいた悪しき女。
妻子を失った男をたぶらかし、門扉解放という罪を犯させた女。
壁の中に巨人を誘い込んだ女。
兵団を裏切った悪女。
街の住人は、記事を見て様々な女性像を思い描きながら、巨人侵攻というセンセーショナルな出来事について思いを馳せた。巨人を実際に見た少数の人びとは、その恐怖を彼女へとぶつけた。
その街の評判を肯定しなかったのは、彼女の人となりを知る調査兵たちだけだった。
彼女の処罰が言い渡された日、兵団内は壁外調査から戻った時のように暗鬱な雰囲気に満ちた。
その後、街の評判が兵団にも届いた時は、兵士たちもひどく荒れた。
その筆頭はハンジ・ゾエであった。彼女は上官の分隊長執務室を使い物にならないくらい荒らしまわった。彼女の部下であるモブリット・バーナーは、この時は上官の奇行を止めることをしなかったという。
幾人かの調査兵は、物憂いのすえ、酒に頼った。
調査兵団へと取材に来た記者たちは、キース団長が徹底的に拒否した。
彼女と仲の良かったナナバは、悔し涙を浮かべ、ミケ・ザカリアスは寡黙に怒りをこらえて日常の訓練をこなした。
その時、何事もなく平常通りに振舞っていたのは、彼女の元部下であったリヴァイと、元上官であったエルヴィン分隊長だけだったという。
彼女の壁外追放は、数日後、そのエルヴィン分隊長の指揮の元に行なわれた。
リヴァイをはじめ、彼女と旧知の兵士はその処罰執行からは外された。
「てめえの評判は最悪だったな。悪魔だの、情無しだの散々だった」
リヴァイが、紅茶をすすりながら言った。窓の外に視線をやれば、白い雪がちらつきはじめている。地下街から来た彼にとって、つい先日生まれて初めて見る雪に驚いたばかりである。
シグリ・アーレントの処罰ーー事実上の処刑が行なわれてから、数ヶ月が経とうとしていた。
「だが調査兵団の奴らはお前に同情的だった。腹心の部下を処刑せねばならない可哀想な上官ってな」
その哀れな上官は、執務机に向かってペンを忙しなく動かしている。今冬から実施される、雪中における対巨人戦を想定した訓練の内容の立案中であった。
「……何が言いたい?リヴァイ」
「あの研究室だ。いい加減なんとかしろ。埃がどれだけ溜まってると思ってる」
シグリが使用していた研究室は、その物の多さと貴重さ故に、捨てるものとそうでないものの分別が非常に難しかった。彼女の処刑が行われた後、エルヴィンとハンジ、そしてリヴァイの三人で部屋を物色したものの、彼女の取りまとめた研究報告書の多くが、彼らにとって未知の文字で書かれていた。そのため、ゴミとそうでないものの違いを判断することができず、エルヴィンの指示のもと、彼女の研究室の整理は一旦保留となったのである。
しかし、棚上げされた部屋の掃除は、ついにリヴァイの我慢の限界を超えたらしい。むしろ数ヶ月、よくぞもったものと言えるだろう。
あれから大部屋に戻されたリヴァイは、最近は兵団内の掃除野郎として、その手腕をいかんなく発揮していた。
「ああ……。そうだな。もうすぐ新兵も数人入団する予定だし、そろそろあの部屋も整理する必要がある、か」
「そうだ」
「そうか」
沈黙。
話の間中、エルヴィンは一度も顔を上げず、忙しい手も止めることがなかった。
この野郎、また聞いてねえ、と苛立ったリヴァイが立ち上がったとき、ようやくエルヴィンは顔を上げた。
そして、そうだ、いま思い出したとでも言うような顔で、
「そうだリヴァイ。ちょっと使いを頼まれてくれないか。マリア内地の墓地へ、花を手向けに行きたかったんだが、今月は全く行けなかったんだ。もうあと数日で来月になる。その前に行きたいんだが、見ての通り俺は忙しい。お前、代わりに行ってきてくれ」
まるで読み上げられた台詞のように、流暢に、しかし棒読みに告げられたその頼みごとに、リヴァイは数秒、目を瞬かせた。
エルヴィンはにこりと微笑む。新兵の女子を中心に人気のあるこの笑顔が、とんでもなく胡散臭いものだとリヴァイはもう良く良く知ってしまっている。
何をたくらんでいるのか。
思いながら、窓の外を見る。曇天の切れ間から、昼下がりのうららかな陽光が差し込んでいる。雪はちらついているが、すぐにひどくなるとも思えなかった。しかし、寒そうだ。
「……今からか?」
「今からだ。馬を走らせて1時間もあれば着くだろう。すぐだ」
胡散臭い貴公子は、滅多にない笑顔をリヴァイに向けた。
その墓地は、調査兵団設立以来の無名兵士が眠る場所だった。
壁外から戻った遺体のなかには、それが誰だったのかまったく分別のつかぬものも少なくない。
足や手のカケラなど、身元を特定できる特徴などがなければ、その兵士のカケラはここで弔われる。
また、遺体の受け取りを遺族が拒否した場合や、遺族など受け取り手がいない兵士もまた、ここに眠っている。
そのほか、遺体はなくとも、仲間の調査兵が故人をここに弔うことも、遺族の許可があれば可能である。
そうして弔われ続けてきた歴代の調査兵たちが、一様に眠るのが、その無名兵士の墓地だった。
生前、休みのごとにここを訪れていたというシグリ・アーレントもまた、今はここに眠っている。
リヴァイは墓地の入り口で馬を降り、途中で買った花を片手にその中に入った。
予想以上に広いその場所には、一面に白い石板がみっしりと等間隔に敷き詰められていた。
目の前に広がる墓標の多さに、リヴァイは一度足を止めた。よく見れば真新しい白く輝く石板から、黒っぽく薄汚れて端のかけた石板まで、新旧様々なものがあるのが知れた。
リヴァイは冬用の兵団支給の外套の襟を立てて、ひとつ身震いして足を進めた。
広い墓地の中でも、さらに奥手にあるその石板は、高台にある墓地からマリア領土を見渡せる場所にあった。
曇天が風に流れてる隙間から、陽の光があたたかに降り注ぐ穏やかなマリアの向こうに、巨人の領域との境界線の壁が続いている。
その外の領域まで、そこからは少しだけ臨めた。
リヴァイが足を止めて息を呑んだのは、その景色のせいではない。
目指す石板の前に、人影があった。細く小柄なその人は、紺色のロングコートに身を包んでいた。
艶やかな黒髪が、肩にかかるくらいまであるところと、線の細さを見れば女だろうか。
リヴァイは、高鳴る鼓動を感じながら、一度止めた足を踏み出して、その背中に近づいた。
ふ、と足音に気づいた背中が、振り向いて。
リヴァイは、捧げたはずの心臓が大きく脈打つのを感じた。
「リヴァイ」
黒曜石の瞳が振り向いた。
その人物が立つ前の石板には、最も新しい死者である、元副官の名前が刻まれている。
振り向いた女は、その石板の名前、シグリ・アーレントその人だった。