それは愛にも似た、   作:pezo

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第六章 拳銃と海

 

 

ひゅるりと風が鳴る。

 

 

兵団本部の中央にある広場にも、風は冷たく吹きすさんでいた。四方を囲む石造りの頑強な建物のなかでは、双翼のシンボルを背負った者たちが慌しく右往左往していた。

 

 

リヴァイは風に捲れた白い布をおさえながら、死体の搬送を続けている。ふと顔を上げれば、高々と掲げられた双翼をあしらった兵団旗が一様に風にはためいていた。

 

 

壁外調査から戻ったころにはまだ空高くあった日の塊も傾き始めている。夕刻に近づくにつれ、風は強くなっていた。空気が橙色へとゆっくりと変わっていくなか、まだ調査兵たちの仕事は終わらない。

 

 

「リヴァイ」

 

 

兵士の遺体を布にくるみ、ゆっくりと広場へと搬送しているとき、彼の背後から声をかけたのは、副官のシグリであった。壁外で見た時とはまた違う、厳しい表情の中に少しの悲哀を混ぜたような女の顔がリヴァイを見つめていた。

 

 

「会議は終わったのか」

 

「ああ。もうすぐ班長以上の会議が始まる。リヴァイ、あなたも出席するようにとのことだ」

 

 

分隊長からのその指示に、リヴァイは死体の搬送を一緒に行なっていた兵士に一声だけかけて、彼女のもとへと歩み寄った。どうにも足が重いのは、死体の搬送を何時間も続けていたからか。ふと、目の前に差し出された清潔そうな白い布に顔を上げれば、その副官はリヴァイの手を見ながら、「血がついている」と言った。

 

 

いつの間についたのか。

 

 

両の手にこびりついた誰のものかもわからぬ赤いそれは、すっかり乾いていて、布でこすってもリヴァイの手から落ちてくれない。

 

 

「手を」

 

 

立ち止まって、シグリは腰から下ろした水袋を取り出して、リヴァイの手をとった。生ぬるい水が、手のひらに落とされるのを見ながら、彼は両手をこすりあわせて布で拭えば、今度こそ赤いそれは落ちていった。

 

代わりに、真っ白の布が鮮やかに赤く滲んでしまった。

 

 

「悪い。また、新しいものを返す」

 

「いいよ。どうせいつか汚れるさ」

 

 

返す女の声は常より硬く、低い。言葉少なに、「執務室へ行こう」と歩き出した女は、リヴァイを振り返りながら、少しだけ躊躇って尋ねてきた。

 

 

「ミリアの死体がない。アルバンは?」

 

 

アルバンの連れ合いであったミリアは、彼女の班員だった。生きていれば、リヴァイと同じく遺跡調査に同行するはずであった兵士である。シグリの班は、死者は彼女だけであった。

 

 

リヴァイは、ミリアの上半身の欠けた死体にすがりつく惨めな兵士の姿を思い出す。

 

 

「戻っていない」

 

 

短く答えれば、その女は黒い瞳を数回瞬かせた後、「そうか」とひとつ頷いただけだった。一瞬震えたように見えた眉も、リヴァイが見やった次の瞬間には、冷静な色を取り戻している。アルバンを「捨て置け」と命じた上官の感情は、表情からは読み取れなかった。

 

 

「今回は死亡者が少ない。陣形の効果が出ている」

 

 

呟いた上官は、それでも哀惜の色が濃い。死者を数に換算した女に少し苛立ち、リヴァイが、

 

 

「あれが少ないのか」

 

 

と広場に一面に並べられた白い布でくるまれた死体を振り返ったが、女は前だけを見て一切死体を見ることはなかった。

 

 

「エルヴィンだ」

 

 

視界の先に、その金色の上官を認める。隣に、ハンジが何やらまくし立てている。先んじて班の状況を報告しているらしい。その二人のもとへ向かうシグリに、リヴァイは思わず声をかけていた。

 

 

「アルバンは連れ戻すべきだった」

 

 

女が振り返る。

 

眩しそうに細められた暗い色の瞳が、夕焼けにきらきらと輝いている。リヴァイはそれを、頭の隅で「きれいだ」と感じた。彼女の瞳は、己にない輝きがある。リヴァイはいつもそう思っている。なぜか、それはとても美しいもののように思えた。

 

 

「あいつは優秀な兵士だった。捨て置くべきではなかった」

 

 

その美しい女が捨て置いた兵士を思う。問われたその女は、何か言おうと口を開いたが、不意にその表情をこわばらせた。

 

その視線は、リヴァイを超えて、さらにその先。本部の塀の向こうへと注がれている。リヴァイがその視線につられて、背後を振り返ったのと、シグリが叫んだのはほとんど同時だった。

 

 

「エルヴィン!伏せろ!!」

 

 

一瞬の後に、空気をつんざくような甲高い銃声がひとつ、広場に響き渡った。音が響いた瞬間に、リヴァイは瞬時に柱の陰へと転がり込んだ。

 

 

「南南西の方向!狙撃だ!!」

 

 

短く叫んだのはシグリである。両手に黒い拳銃をかまえ、ハンジをかばって伏せているエルヴィンの前に立っていた。

 

 

「シグリ!」

 

 

上官の盾とならんとするその兵士を呼べば、彼女は舌打ちをしながら、塀の外へと向けた銃口をゆっくりとおろした。

 

 

「駄目だ。逃げた」

 

 

ぽつりと呟かれた声が、やけにはっきりとリヴァイの耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………シグリ。その拳銃」

 

 

 

ハンジとエルヴィンが狙撃犯の追跡、そして兵団全体への警戒態勢の指示、そして団長への報告について迅速な命令を部下たちに下しているなか。

 

盾として優秀な働きを行なったその副官の持つ拳銃に、リヴァイの視線は釘付けとなっていた。

 

 

「なんだ。その拳銃は。連発式?兵団のものじゃねえな。お前のものか?」

 

 

護身用に、と地下街で拳銃を持ったことは何度かある。地下でやりとりされる密輸品のなかには、拳銃が紛れ込んでいたことも珍しくなかった。だから、リヴァイはそれに対してはいくらか見識はあるはずであった。しかし、彼女が持っていたそれは、今までリヴァイが目にしたことのあるどの種類とも異なっていた。

 

引きあげられた引き金の先。どう見てもそこには、何発かの銃弾が装填されているように見える。彼が今まで見たことのあるものは、単発式のそれである。

 

 

――連発式の拳銃。

 

 

拳銃を持った女は、引き金をおろし、安全装置をかけた後、リヴァイの視線から隠すように兵団のジャケットの中へとそれを仕舞い込んだ。

 

 

 

黒くて底の知れぬ瞳が、夕陽の色に輝いている。その瞳が、リヴァイを見返す。

 

 

 

「シグリ。それは、」

 

「兵団のものじゃない。私物だ」

 

 

 

それは、壁内では見たことのない形をした拳銃であった。

 

 

 

 

 

 


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