それは愛にも似た、   作:pezo

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第四章 夜の女 二

 

 

****************

 

 

 

「無名兵士なんてたくさんいるわ。だって調査兵なんて身よりもない人間も多いじゃない」

 

 

甲高い声が耳を突いて、リヴァイは遠慮なく舌打ちをその女に披露した。まだ幼さの残る女――リザは、「やだやだ。気が短くてやだわ」とため息を漏らす。

 

 

「なんで、私があんたなんかの相手しなきゃいけないんだか」

 

「それはこっちの台詞だ。てめぇも客には少しくらい愛想良くしたらどうだ」

 

「調査兵以外には愛想はいいわ。私これでも、No,2だから」

 

「シシィの次じゃねぇか」

 

「シシィはいいのよ。あの人は私のものだから」

 

 

一夜の愛を囁き合うはずの店内の奥で、ひそやかに紡がれていたのは、そんな言葉の応酬だった。

 

その日、休みに出る前のシグリに渡されたエルヴィンからの伝言を持って、リヴァイはシシィの店に来ていた。その店の扉をくぐるのは、あれから数度目である。

 

 

「あなたも最近来すぎなんじゃない?何度来たって、シシィはあなたのものにはならないわよ」

 

「俺は仕事だ」

 

 

ふん、とそっぽを向いたリザは幼い頬を赤く染めながら、「あのダグラスっていうやばそうな奴もそう言ってたわ」と酒を仰いだ。客に注がずに自分で飲む女があるか、とリヴァイは思う。

 

 

「ダグラスはやばい奴よ。それもかなりね。それでもシシィは調査兵には他のお客様より贔屓にするんだもん。最悪よ」

 

 

シシィのもとを訪ねたものの、彼女は接客中だからということで、つけられたのがリザである。なんだかんだ、彼につけられるのはいつも彼女であったから、図らずもお互いに遠慮がなくなりつつある。しかし、常に言い放たれる調査兵団への悪口に辟易して、リヴァイは近くを通りかかった男性給仕に声をかけ、リザをひっこめるように言った。

 

 

「もういい。お前は下がれ」

 

「何よ、私の酒は飲めないっていうの?」

 

「そもそもお前は俺に酒を注いでいない」

 

 

食い下がるのは彼女が幼い証拠だ。ガキはイヤだ、とはき出したリヴァイのため息を拾い上げ、助け船を出したのは店主のアリスだった。

 

 

「リザ。下がりなさい」

 

 

低い、しかし優雅な声。相変わらず優雅な所作でリザの髪をなで、彼女を店の奥へと促せば、リザはしぶしぶそれに従った。

 

 

「ごめんなさいね。いつもいつも。あの子、あれで貴方に懐いているようだから、私もついあなたにつかせてしまうの」

 

 

笑いながらリヴァイの隣に座って、酒を注ぐ。からりと揺れる上質な氷に、リヴァイは礼を言ってその酒を受けとった。

 

 

初見では男性でありながら女性の姿をする彼女に驚きはしたものの、彼女の心遣いと優しさは、リヴァイには心地よく、店の中では数少ない話ができる人間となっていた。

 

 

「調査兵団が嫌いなわけじゃないのよ。もちろん、多くの人がそうなのと同じで良いイメージは持っていないけど、そうじゃなくて、シシィが調査兵にとられると思ってるの」

 

 

わずかに笑う顔は、まるで母親のような慈愛に満ちた表情だ。

 

 

「シシィは調査兵の客が多いのか?」

 

 

問えば、首を横に振った。むしろ、調査兵の客は店にはほとんど来ないという。

 

 

「間違えたわね。調査兵、というより、ダグラス。かしら」

 

「ダグラス?」

 

「ええ。彼に、シシィがとられると思ってるの。シシィは彼に傾倒しているところがあるから」

 

 

言われて、なるほどと頷く。数度しか会ったことはないが、その間に彼の女がダグラス――エルヴィン・スミスに何らかの大きな感情をもてあましていることに、なんとなくリヴァイは気付いていた。

 

 

「あの二人は、そういう関係なのか?」

 

「恋人同士?そういう関係ではないと思うわ。でも……もっと厄介かもしれない」

 

「厄介?」

 

 

そうね、と静かにアリスは細い目をさらに細めてリヴァイを見た。少しだけ彼を観察するように見つめて、「あなたなら」と呟いた。

 

 

「シシィ。あの子は二年ほどまえにこの店に来たの。それからここの子として働いてるんだけど……。あの子を連れてきたのは、ダグラス……エルヴィンだったわ」

 

 

それは、多くの犠牲者を出した壁外調査から一月ほど経った頃だったという。

 

 

冷たい雨が、シガンシナの籠の中に降り注ぐ日だった。朝が近づいていた頃合い、店を閉めようとしていた頃に、エルヴィンが痩せこけた彼女を抱きかかえてやってきたという。

 

 

「彼はあの子がどこから来たのか、何者なのか、なぜ彼が連れてきたのか、何も言わなかった。ただ、しばらく預かってくれとだけ言って置いていったの」

 

「……どこの出身か、それも分からないのか」

 

「ええ。全く記憶がないというわけではないのだけれど、今でも彼女は故郷のことはほとんど話さないわ。ただ、帰るところも頼る人もいないのは事実みたいね」

 

「地下街とか」

 

「私もそう思ったわ。もしくは地下で売られていたとか。でも、その割には肌もキレイで身体もキレイなの。教育も素養もしっかり身についてるし、まるで貴族のお嬢様みたいに上品だし。色々と憶測はできるけど、彼も彼女も何も言わないから、それでいいのだと思ってるわ」

 

 

アリスの長い睫が、少し伏せられて、その影が頬に落ちた。

 

 

「でも、あの二人を見てると、これでいいのかしらって思う事も多いの。二人とも、お互いに色々と思うところがあるみたいなのに、本音で語り合っていない。そんな気がして。私は女性の味方だからね、シシィの……あの子の本当の笑顔を見たいわ。……レヴィ、あなたなら、もしかしてあの二人のこじれた関係に、風穴を開けてくれるんじゃないかって」

 

「俺はただの奴の部下だ」

 

「……そうね。ごめんなさい、余計な願望だわ。忘れてちょうだい」

 

 

店の主人が働く給仕たちを子供のようにかわいがる様子は、地下街でもよく見られた。そんな人情味ある店主の店の女たちは、どいつもこいつも、悪くない表情をしていた。そんなことを言えば、アリスはありがとう、とくしゃりと笑った。

 

 

「シシィ、か。あいつの本当の名前じゃないだろう。あれは、なんていう名前なんだ」

 

 

アリスは、本当の名前かどうかはわからないけど、と言葉を置いて、

 

「ここに初めて来たときの名前は「マリ」。そう言ってたわ」

 

 

――マリ。

 

 

その言葉の響きを口の中で確認したとき、「レヴィ!」と明るい女の声がリヴァイを呼んだ。

 

 

「お待たせしてごめんなさい。ママ、ありがとう。レヴィとお話ししてくれてたのね」

 

 

マリという名前を持っていたその女が、いつもの黒いドレスを身にまとって笑顔で彼らの席へと走ってきた。アリスは「さっきの話はシシィには内緒ね」と笑って、彼女と入れ違いに店の奥へと歩いて行った。シシィはいつものように笑って、リヴァイの横に腰掛ける。

 

 

「ダグラスからの伝言だ」

 

 

彼女の言葉を待たずに早速、シグリから手渡されたメモを渡せば、シシィは静かにそのメモへと視線を落とした後、それをランプの火にかざして静かに燃やした。残ったのは僅かな灰だけである。

 

 

「あなた、中身は見てる?」

 

 

いいや、と首を横に振れば、「見ないの?」と問われたので、「見ろと言われていない限りは見ない」と返した。

 

 

「まあ、単純なことよ。ラング商会と、この前の憲兵団のこと。伝えてくれる?」

 

「ああ」

 

 

彼女の情報網はなかなか優れていた。店に来る連中は商会や兵団の幹部、もしくは貴族など、ある程度金のある連中だった。情報は、そうした連中に集まりやすい。彼女は接客のなかでそうした連中から、様々な情報を収集していた。ラング商会の噂も、シガンシナやマリアの商会の連中のあいだではかなり有名になっているらしい。

 

 

「あなたも当事者だったらしいから知ってると思うけど、ロヴォフはダグラスにはめられて没落したわ。ザックレー総統がロヴォフの不正を暴いたときに、ロヴォフと癒着関係にあったラング商会も告発されたの。癒着の代償は、商会の資金の何割かを兵団へと寄付するということで片がついたけど、それからかなり経営は厳しいようね。それでも最近までは粘っていたようだけど、もう従業員もほとんど解雇されて、事実上の解散状態よ。……つい先日、会長の奥様と一人娘が自殺したそうよ」

 

 

「自殺?」

 

 

「元従業員からかなり悪質な嫌がらせがあったみたい。今はもう、会長ひとりきり、というところ。彼と数人の側近がシガンシナに来ている、という情報もあるけれども真実は分からないわ。どちらにしても、彼がもう調査兵団やダグラスに何かできる力はほとんどないと言っていいんじゃないかしら」

 

 

 

ふう、とシシィは息を漏らした。横顔が、少し疲労の色を宿している。その顔を見ていれば、女はリヴァイにふと笑って、「ダグラス。あの人、とても悪い人よね。あんな生き方じゃ、命がいくつあっても足りないわ」と嘆いた。それは大いにリヴァイも同意する。

 

 

「憲兵団の方は」

 

 

「そちらは、この前の人たちがまた絡んできてないかっていう心配だけだったわ。ダグラスに大丈夫よって伝えておいて」

 

 

「わかった」

 

 

 

仕事は終わった。席を立とうとしたが、それをひきとめられる。

 

 

 

「もう少しゆっくりしていって。いつも早く帰っちゃうから寂しいわ」

 

「仕事がある」

 

「ダグラスみたいなこと言うのね。でも、あまり早く帰ると怪しまれるわ」

 

 

女のきらきらとした大きな瞳を見て、それもそうか、とリヴァイは思いなおした。まだ彼女と話して数分しか経っていない。

 

 

「マリ」

 

 

その名前を呼んだのは、特に何か意味があったわけではない。ただ、彼女と上っ面の甘い言葉を囁き合う気は毛頭無かった。だから、というわけではないが。

 

 

その名前を呼べば、女の本心に触れることができるかもしれない、という身勝手な好奇心だった。

 

 

案の定、彼女は目を丸くして驚きに身を固くした。そして、「ああ、ママが……?」と得心したように頷き、次に切羽詰まったような顔をしてリヴァイの手を握った。

 

 

「レヴィ。その名前、絶対に口にしないで。できることなら、忘れて」

 

「何故だ」

 

「その女はもう死んだのよ。生きていては都合が悪いの」

 

 

 

身を乗り出す女に反して、リヴァイはソファの背もたれに肘をついたままの姿勢で、黙したまま彼女の怯えたような瞳を観察した。

 

 

「何があった」

 

「あなたには言えないわ」

 

「何か力になれるかもしれんぞ」

 

 

何故そんなことを言ったのか、リヴァイ自身もよくわからない。ただ、特に意味もなく、単に彼女の揺れた瞳をさらに揺らしたかっただけなのかもしれない。

 

 

は、と改めてリヴァイを見つめた怯える瞳に、いつかの夜、腕の中に閉じ込めたシグリの混乱した瞳を思いだした。

 

どうやら自分には、感情を押し殺して笑う澄ました女の矜持を崩すことに、いくばくかの愉悦を感じる趣味の悪さがあったらしい、と今更ながらに気付く。

 

 

一瞬、リヴァイを見返した女の濡れた双眸が、きらりと煌めいた、気がした。

 

 

 

「私の叔父の死について、知りたいことがあるの」

 

 

「叔父?」

 

 

女が無表情に言った。

 

 

 

「ええ。レオン・アーレント。私の叔父の名前よ」

 

 

 

 

シグリ・アーレント。彼の副官の名前と同じ。アーレントという姓に、少し、何かが繋がったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 


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