テテフ
ジラーチ
グレイシア
異論は認める。
人は死の危機を目前にした時、走馬灯のようにこれまでの記憶が呼び起こされると言われているが、シロナに限ってはそのような事はなく、逆に己の思考が冴え渡っていくのを如実に感じた。
どうする事もできぬ集中砲火を前に、すくみあがるような絶望がシロナのボーマンダを支配した。それでも、シロナだけは傷つけまいと真紅の両翼を広げる。一方でシロナは、少しでもボーマンダを傷つけまいと、持っているスペシャルガードを全てボーマンダに使う。一時的ではあるものの、ボーマンダの特防が大きく底上げされる。
シロナが三つ目のスペシャルガードを使ったと同時、過剰火力とも言える洗礼がボーマンダを陵辱する。
慣性に抗う事など出来ず、シロナは急激に減速したボーマンダの上から放り出されてしまう。彼女は思わず甲高い悲鳴をあげてしまうが、それによって状況が好転する事など無く、その身体は地へと引き寄せられていく。先ほどまでボーマンダと共にいた、雲の一つもないアローラの晴天が、凄まじい速度で遠ざかって行く。
シロナは、最後までボーマンダの無事だけを祈っていた。
地へと叩きつけられるまでの一瞬が、とても長く感じられる。想像したくもない、来たるべく悲劇の恐怖に、シロナの全身が小刻みに震える。
(そろそろね……)
シロナは強く目を瞑り、身体を
(あたしは……助かったの?)
シロナがゆっくりと瞼を開くが、自身の髪が視界を覆い尽くし、状況を把握する事は叶わない。だが、背中から自分の物ではない、別の体温が混ざっていくような感覚をシロナは覚えた。
誰かが己の身を受け止めてくれたのだ。満身創痍のボーマンダか。島にいたポケモンたちか。あるいは……
徐々に落ち着きを取り戻すと共に乱れた呼吸をしていたシロナは息苦しさを覚え咳き込んでしまう。
どうしてこんな事に……そう己の身に降りかかった災禍を恨めしく思うシロナだが、一切の告知もなくボーマンダに乗ってこの島に急接近した事に原因があったとは、露ほども自覚していない。
ふと、暖かな光が瞼を刺激する。条件反射的に目を開くと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたマキナが、自分の顔を覗き込んでいた。
「何してるんですかシロナさん」
「……それはあたしのセリフよ。死ぬかと思ったじゃない。なぜ攻撃をしてきたの?あなたのせいでボーマンダが……」
そこまで言葉にして、シロナはハッとなる。
ボーマンダは……自分を守ろうとしてくれたボーマンダはどうなった。
シロナは慌ててパートナーの姿を探す。ボーマンダは目も当てられぬ程の傷を負い、自分のすぐ近くで力無く地に伏せていた。
「っ!!」
シロナは振り解くようにしてマキナの腕の中から飛び降りる。そして、一目散にボーマンダの元へ足を急がせ……ようとするも、盛大に転倒してしまう。
「痛っ!?なによもう……」
打ち付けた腰をさすりながら足元を見やると、数粒のポケマメが転がっていた。
仕組まれているのではないかと疑わずにいられない程の負の連鎖に、若干の苛立ちを覚える彼女であったが、息絶え絶えといった様子のボーマンダを見ると、またしても気が気でなくなる。
焦燥に駆られるシロナは、げんきのかたまりをうまく取り出せない。もたつくシロナを見かねたのか、マキナがげんきのかけらとまんたんのくすりを取り出し、ボーマンダに使用する。嘘のように怪我が癒え、みるみるうちに瀕死状態にあったボーマンダが元気を取り戻していく。
「シロナさん。謝って済む事ではありませんが、此度は申し訳ありませんでした」
シロナは混乱していた。感情のままにシロナとボーマンダを攻撃してきたマキナが、シロナのボーマンダに高価なきずぐすりを躊躇なく使ったあげく、こちらが求める前に謝罪をしてきたのだ。
そして、マキナに対して強い敵意を剥き出しにしていたボーマンダに、このアローラでも少数しか出回っていないと言われている『虹色のポケマメ』を与え、真剣な面持ちで「すまなかったな」とボーマンダを宥めていた。
ものの数秒の間に、ボーマンダはすっかりマキナに懐いていた。
周囲にいるマキナのポケモンに対しては、ボーマンダのいじっぱりな性格がそうさせているのか、相変わらず威嚇を振りまいているが、マキナに対してはそれなりの時間を共にしてきたかのような距離感で、さらなるポケマメをマキナに所望している。
シロナからしてみれば、ボーマンダはガブリアスや他のポケモンたち同様、
気の強いシロナのボーマンダと、種族的にも温厚な個体の多いマキナのカイリューは波長が合うのか、どちらともなく遊び始める。のびのびとしたこのリゾートが彼らをそうさせているのか、それとも…
目の前の光景に呆気に取られていると、マキナが苦い表情でシロナに話しかけてくる。
「シロナさん、私に全面的な非があった事は認めますが、今回のようにポケモンに乗っていきなり現れるのは勘弁していただきたい。ここは野生ポケモンが来ることが多く、まさか人が乗っているだなんて基本的には思わない。お訪ねする際は予めお教えいただくか、船舶等でお越しください」
なんのことはない、マキナはシロナを攻撃しようとしていたわけではなく、単に野生のボーマンダが襲いかかってきたのだと勘違いをしていたに過ぎないのだ。
トレーナーのいない野生のボーマンダは、所構わず火を吐きまくるようなポケモンだ。特に、コモルーから進化して、空が飛べるようになったばかりのボーマンダは、歓喜のあまり周囲を火の海にしてしまう、ちょっとやってられないような暴れん坊っぷりを見せる。
そんな野生ポケモンが自らのプライベートリゾートに突入を仕掛けてきたともなれば、彼がボーマンダに攻撃をするのは正当防衛に過ぎず、彼には何一つとして非がなかったと言っても、誰も否定はできまい。
「ごめんなさい。これからは前もってあなたに
一瞬、マキナが『電話』という単語に思わず顔を顰めていた事に、後ろめたさ故に彼の顔を見れないでいたシロナは気づかなかった。
「……電話である必要はありませんが、ポケチャットなどでひと声かけていただきたいですね。あまり人に
マキナの言う『見せたくないもの』が、彼がポケモンたちだけに見せている『あの
言うまでもないが、真実は全くもって違うのだが、この時のシロナにその誤解を解消する術はない。
(マキナ……あなたは、ポケモンにしか心を開けないでいるのね)
言うまでもないが以下略。
マキナのポケモンたちにしか見せないはずの表情を、二度に渡って覗き見をしてしまったシロナは少なくない罪悪感を覚える。同時に、世間からは冷たい人間だとこき下ろされ続けているマキナの『本当の
「今はなんとも無いかもしれないですが、シロナさんもどこか痛めているかもしれません。
ニコリともせず平坦な口調でマキナがそう言うが、わざわざ自分からシロナを招き入れるような事を言っているのだから、邪険に扱われているわけではないのだろう……そんな事を考えながら、シロナは首を縦に振る。マキナの家に興味があるのも事実だ。
もし仮に、逆にシロナの家に行きたいなどとマキナが言い出したら、シロナは全力で拒否しているだろう。彼女の家は、とてもに人に見せられるものではなく、チャンピオンであると同時に考古学者でもある彼女の、山のような資料と書籍が、文字通り山を築いているのだ。散らかっているという表現では生易しすぎる。
マキナがライドギアに登録してあるポケモンを呼び出すと、一匹のエアームドが現れる。
「家は隣の島にあるので、空を飛んで移動します。……本来ならば二人乗りは危険ですし、ライドスーツの着用が義務付けられていますが、そこまでスピードを出すわけではありませんし、敷地内の移動です。問題はないでしょう。ですが、しっかりと掴まってください」
マキナはエアームドに装備された『騎乗具』に掴まれと言ったのだが、よく理解していないシロナは、二輪車の二人乗りでもするかのように、マキナの腰に腕を回し、強く抱きしめる。何がとは言わないが、シロナの色々と凄いものが、マキナの背中に押し付けられる
「海の香りが気持ち良いわね」
「ええ……とても気持ち良いです。こんな体験は、きっと後にも先にもないですね」
「………?マキナはこのリゾートに住んでいるのだから、後にも先にもあるでしょう?」
「気にしないでください。こちらの話です」
よく分からぬ事を言うマキナに首を傾げるシロナだったが、そうこうしている間に、きのみ畑の広がるあの島が見えてくる。
シロナはマキナにならってエアームドから降りる。きのみやドレディアたちの甘い香りが漂うきのみ畑を横断していると、一匹のドレディアが駆け寄ってくる。
ドレディアはモモンのみを抱えており、それをマキナに差し出している。モモンのみを受け取ったマキナは、礼を述べるとやや控えめにドレディアを撫でる。シロナの前なので遠慮をしているのだろう。マキナは「私はいつでも食べられる」と言い、そのままシロナに横流しをしてきたが、甘い物に造詣が深いシロナは喜んで受け取る。
「こんな平和なポケモンたちもバトルで戦うだなんて、想像もつかないわね」
おもむろにそう口にしたシロナに対して、マキナは静かに首を横に振る。
「…コータスと並べると恐ろしい事になりますよ、彼女たちは」
なぜここでコータスが出てくるのか、シロナには皆目見当もつかないが、他ならぬマキナが言うのだからきっとそうなのであろう。なにせ、マキナは無敗だったシロナをたった三匹のポケモンで倒し、公式戦では一度たりとも黒星をつけられた事がないのだ。
そのくせマキナは、ルールの無い変則マッチは一度も行った事はなく、公式戦でお馴染みの『
きのみ畑を抜けると、いよいよ彼の家が見えてくるのだが、先の墜落事故によって完全に失念していた事実をシロナは思い出す。
「……ねぇ、襲ってこないわよね?」
珍しく恐怖心を露わにするシロナが指差す先には、いのちのたまを咥えたサザンドラが惰眠を貪っている。
さすがにここまで近づくと、サザンドラは目を覚ます。見慣れぬシロナの姿を目にしたサザンドラが、敵意を剥き出しにして咆哮をあげる。
「あたしはまだ死にたくないわ」
「こいつで余裕」
無駄にダンディな声でそう即答したマキナが、サザンドラに向かってモンスターボールを放り投げる。ボールの中から現れたのはマリルリだ。
興奮した様子だったサザンドラの動きが、マリルリを目にした瞬間にピタリと止まる。さらに、マリルリが『はらだいこ』を打つと、サザンドラは脱兎の如く逃げていってしまった。
「不思議な事もあるのね。あのサザンドラがこんな小さなポケモンを恐れるなんて」
「よく見かける光景ですよ」
にべもなくそう言い放つマキナが、シロナには可笑しくて仕方なかった。
外部からの脅威に対しては無慈悲ではあるとは言え、やはりこの島は信じられないくらいに平和だ。
パチパチと火花を散らし、おかしな挙動を繰り返しながらも雑草を刈り続けるカットロトムに、やはり気づかなかったシロナはそんな事を考えていた。
片付けがしたいから少し待っていてくれと言われたシロナは、マキナの言葉通り家の前で待つ。
マキナが家に入って行く際、ドアの隙間から何か
「良かった。家が片付いていないのは、あたしだけじゃないのね」
胸をなでおろすように独り
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マキナの家はとても広く、とても綺麗な内装をしていた。家具が充実しているのは勿論の事、窓から望める一景も素晴らしいの一言だった。家の周りを飛んでいるペリッパーやムクホーク、ファイアローも彼のポケモンなのだろう。
部屋の上部にはシャンデラが浮遊しており、独特な美しさを持つ青い炎が、窓から遠い部屋の奥を明るく照らしている。
マキナがボールからグレイシアを出してやると、グレイシアはソファーにちょこんと座り、大人しくテレビを鑑賞し始める。
他にもいくつかのポケモンが思い思いにくつろいでいるのだが、彼の象徴とも言えるポケモンが見当たらない。代わりに、間抜けな表情をしたサルの人形が、狂ったようにシンバルを叩き続けているのだが……
「アロフォーネはどうしたの?」
「彼女は基本的に夜行性ですからね。ぐっすりと眠って………失礼、飲み物を淹れてくるので楽にしていてください」
急に仏頂面になったマキナは、そう言い残すと奥に設えられたキッチンの方へと向かって行く。不思議に思うシロナではあったが、テレビに夢中になっているグレイシアを眺めながら、少しリラックスをする。グレイシアもシロナに見られている事に気づいたのか、警戒しながら、シロナの事を見ている。グレイシアのひかえめな性格も相まって、シロナに興味はあるようだが、なかなか近づこうとしない。
「おいで」
そんなグレイシアにシロナが声をかけると、おずおずといった様子でシロナに近づく。シロナが
シロナは百戦錬磨のポケモントレーナーだ。ポケモンの扱いに関しては、この世界に来たばかりのマキナと比較すると、シロナの方がはるかに
『ますた、わたしがねむっているあいだに、おんなをつれこむとは、とんでもないちくしょうですね。しっとのあまり、このほしのすべてをはかいしつくすところでした』
「そんなんじゃないから。シロナさんがアポ無しで突入してきただけだから。そんな事で世界滅ぼさないでください」
『だまらっしゃい。ますたは、あるくかはんしんです』
「もともと下半身は歩く為のものなんですがそれは……。というか、あの馬鹿みたいな顔でシンバル叩き続けてるサルの人形なんとかしてくんない?恥ずかしいからやめて欲しいんだけど」
『ばるばとす・にじゅうさんせいです。そのあっとうてきな、やかましさと、うざさは、たのついずいをゆるしません』
「名前と容姿のギャップが激しすぎる。迷惑なんでバルバトス君は帰って、どうぞ」
『ますたは、すけこましですからね。いいふんいきにしてしまうと、しろなは、ますたにめろめろのぬれぬれになってしまいます。だからこうして、あたまのなかぱっぱらぱーな、しろながてんかいする、ももいろくうかんをほうかいさせているのですよ』
「濡れ濡れ言うな。あと頭パッパラパーはあまりにも失礼すぎる」
『ますたにすりよる、いじきたないおんなどもは、かえって、どうぞ』
「ヤンデレの厨ポケに死ぬほど愛されて辛い」
……現在進行形でマキナが自分のポケモンに振り回されているという事実を毛ほども知らないシロナは、この家をとても気に入っていた。
一方で、アローラにしか生息していないと言われているリージョンフォームの研究と称して、シロナがマキナの家に入り浸ろうと密かに画策しているという事実を、この時のマキナには知る由もなかった。
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マキナが入れてくれたエネココアを口にしながら、シロナは考えていた。
(マキナ…あなたの事を知れば知るほど、あたしはあなたの事が分からなくなる)
いかにマキナが自分のポケモンに愛情を注いでいるか……このリゾートを見ただけでもシロナには分かるのだ。それ故に、あの論文に綴られた言葉が、どうしてもシロナの中で引っかかるのだ。
「して、シロナさんは私に一体なんの用があったのですか?」
「ちょうど今、考えていた所よ。マキナ、あなたは何故、あの論文に『ポケモンは数字』だなんて言葉を残したのかしら?」
ポケモンはポケモンであり、断じて数字などではない。この言葉はシロナにとって、とても理解のできるものではなかった。
「やはりシロナさんは読んでいましたか……申し訳ありませんが、それをお教えする事は出来ません。一応言っておきますが、オーキド博士に尋ねても無駄です。それだけは誰にも教えるわけにはいきませんからね」
「どうしてかしら?」
「誰も知らない方が幸せなんですよ。その数字は」
当然、そんな言葉で納得のできるシロナではなかった。
「なら、今からポケモンバトルよ。あたしがポケモンバトルに勝ったら教えて」
「……いいでしょう。ただしルールは
「望むところよ。あの時の雪辱を果たせていないんだから。…楽しいバトルにしましょう」
シロナの心は震えていた。あの日から、マキナに勝つことだけを考えて、ポケモンたちとさらなる鍛錬を積み重ねてきたのだ。もはや、マキナ以外のトレーナーなど、シロナにとってはまるで相手にならないレベルにまで、彼女は腕を上げている。
(あたしは、あなたに負けて強くなった。だから、あなたもあたしに負けて強くなりなさい)
今までのチャンピオン・シロナは、もうここには居ないのだ。
今話でバトル描写があると言ったな?あれは嘘だ(全裸土下座)