学園ヨルハ   作:A.K.ミラー

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第八話 ― それがどんな真実でも

 恋愛関係の悩みを相談したいという16D(シックスティーンディー)に付き合って。

 9S、2B、6Oの三人は、ヨルハ学園近くの「喫茶サルトル」にやって来ていた。

 シルクハットをかぶったボールヘッド型の機械生命体のマスターが営む喫茶店だ。

 同じく機械生命体のウェイトレス達は出自が彼のファンらしく、店舗規模に反して数が異様に多い。

 マスターは留守がちというか、ほぼ店にいないので、実質的に彼女らが店を回しているようなものだった。

 

『実存は本質に先立つものだ。』

『まず第一に理解しなければならないことは、自分が“理解していない”ということだ。』

『すべての答えは出ている。“どう生きるか”ということを除いては。』

 

 壁紙にやたらと書き込まれた格言の引用がうるさい。

 四角い木製のテーブルの四人席に座り、注文を取りに来たウェイトレスに、

 

「じゃあ私は“存在と無”、ホットで!」

「私は、“真理と実存”を……コールドで」

 

 対面に座る6O、16Dの二人がオーダーを告げたのに続いて、

 

「じゃあ、僕は――」

 

 と、9Sも注文しようと口を開きかけたのだが。

 ふと、S型(スキャナーモデル)の真実を追求する本能が、隣でまごついてる2Bの気配を感じ取った。

 彼女は困惑した様子で、メニューを懸命に見つめているようだ。

 ああ、そうか。――と9Sは悟った。

 2Bはこの店に来るのは初めてだった。

 ここのマスターはコーヒー豆のブレンドの種類に“存在と無”だの“真理と実存”だのと変な名前を付けるせいで、初見だとメニューを見ても何をどう注文したら良いのかわからないのだ。

 

「2Bは、僕と同じもので良いですか?」

 

 助け船を出すと、2Bが顔を上げて、ホッと安堵した気配を漂わせる。

 

「……うん。じゃあ、お願い」

「じゃあ、“弁証法的理性批判”を、ホットで2つ」

 

 任されて、一番飲みやすいブレンドを注文する。

 対面から6Oが「どうして自分は気づけなかったのか」と、口惜しげな視線を向けてきていたが。

 

「……それで、悩みというのは?」

 

 コーヒーが運ばれてくると、9Sは切り出した。

 

「はい……先ほどもお話した通り、私、今付き合ってる人がいるんですけど……」

「あっ、それって11B(イレブンビー)先輩のことですか?」

 

 両手をぱちんと合わせて6Oが横槍を入れる。

 三人の中では彼女が一番相談を受けるのに乗り気だった。(どう見ても興味本位だったが)

 おどおどと気弱な雰囲気の16Dは、6Oの指摘に動揺した様子で、

 

「え、そう、ですけど……」

「やっぱり!」

「……あの、先輩も私も普段は秘密にしてる筈なんですけど、どうして知ってるんですか?」

O型(オペレーターモデル)ですからね。そういうのはなんとなくわかっちゃうんですよね~」

 

 言い当てた6Oは得意げだ。

 16Dが心配そうにおずおずと問う。

 

「あの、もしかしてなんですけど、“アンドロ小町”で晒されてたりするんでしょうか……?」

 

 6Oは苦笑しながら手を振って、

 

「あはは、それはないですよ。あくまで私の個人的な情報網と“勘”の成果です。というか、“アンドロ小町”なんて作り話とネタ投稿ばっかりで信憑性皆無なので、情報源としてはあてになんないですよ? この前も“弟のパンツの柄大公開!”みたいな感じで写真を載っけてた人が居ましたけど、ああいうのって絶対ネタで自分で男物のパンツ買って写真アップしてるだけで……って、9S? どうしたんですか?」

「……頭が痛いの?」

「いや……なんでもないので話を続けてください」

 

 思わぬ場面でダメージを受けた9Sが額を押さえながら続きを促すと、「それで、悩んでることなんですけど……」と16Dが本題に戻る。

 まだ心配そうにこちらを覗き込んでいる2Bには、大丈夫、と手で合図を送って。

 

「……最近先輩の様子がおかしいんです」

「おかしい?」

「用事があるとかで、たまに私を置いてどこかへ行ってしまうんです……なんの用事か訊いても答えてくれないし、もしかしたら浮気されてるんじゃないかって……気が気じゃなくて……」

「ふぅん、怪しいですね」

「でしょう!?」

 

 適当な相槌を打った6Oに、16Dがガバッと詰め寄った。

 

「6O、適当なこと言わない」

「ご、ごめんなさい……」

 

 2Bに窘められて、6Oがシュンと肩を竦ませる。

 

「今週の土曜日の夜もずっと前からデートの約束をしていたんですけど、今日になって大事な用事ができたからって急にキャンセルされて……理由を聞いたらやっぱりはぐらかされて……おかしいですよね。……どうして? どうして私には言えないの……? 私のデートより大事な用事ってなんですか……? おかしいですよこんなの……絶対、こんな……こんなのって……!」

「し、16Dさん?」

 

 16Dの声が震えて次第に大きくなっていく。

 不穏な気配に9Sが彼女に呼びかけるが、彼女は両手で顔を覆うと、

 

「絶対浮気ですよね!? 私捨てられる寸前ですよね!? “お前のことは()が守る”なんて、いつも言ってくれてたのにっ!! あんなに愛し合ったのに……っ!!」

「お、落ち着いて……」

「まだ浮気と決まったわけじゃないですよ!」

 

 半狂乱の16Dに2Bがおろおろと声をかけて、6Oが肩に手を置いて落ち着かせようとする。

 9Sは彼女の変わりようと微妙な爆弾発言っぷりに若干引いていた。

 店内の客入りはまばらだが、流石に周囲の目が気になる。

 

「私……一体どうしたら……っ!」

 

 すすり泣く16D。その背をさする6O。どうしたらいいかわからない様子の2B。

 9Sは考えた。

 まだ浮気と決まったわけじゃない。

 このままここで話し合っていても埒が開かない。

 真実を明らかにしなければ、何も解決しないだろう。

 そう結論づけて、

 

「……わかりました。その人が浮気しているかどうか、僕が調査しますよ。S型(スキャナーモデル)ですから、そういった調査はお手の物です」

 

 本当は浮気調査なんかに使ったらS型の性能が泣くが。

 

「あ、私も協力しますよ!」

「私も」

 

 9Sの申し出に、興味本位全開の6Oと責任感の2Bが続いた。

 

「皆さん……」

 

 16Dは顔を上げて、鼻をすすって、涙を拭うと、

 

「……有難うございます。どうか、よろしくお願いします」

 

 言って、しずしずと頭を下げた。

 

 ◆◇◆◇◆

 

 見渡す限り広大に、巨大に(そび)え立つ鉄骨とコンクリートの威容。

 赤さびた縞鋼板の床を歩けば、カツカツと甲高い音が鳴る。

 そこは“工場廃墟”と呼ばれる場所。

 かつて人類が兵器製造工場として建造し、人類滅亡後は機械生命体の製造拠点になっていた時期もある。

 その入り口前の広場に、9S、2B、6Oの三人は立っていた。

 6Oが訊ねてくる。

 

「本当にこの中なんですか、9S?」

「ええ、その筈ですよ、追跡マーカーはこの中を指し示していますから」

 

 土曜日の夜。

 16Dの恋人である11Bが、本来は今日の予定だったデートをキャンセルした理由である“大事な用事”――その正体を突き止める為に、9Sは学園にいる時にポッド153に命じて彼女に追跡マーカーをあらかじめ付けておいたのだ。

 結果、11Bの居場所を示すマーカーが停まったのがこの場所だった。

 ちなみに16Dはというと、もし浮気の現場を見てしまったりしたら正気を保っていられないとのことで、明日の調査結果報告まで自宅で待機して貰うことになっている。

 

「恋人とのデートをキャンセルしておいてクラブ(・・・)に居るって……浮気濃厚ですねぇ」

 

 内部から、ドゥン、ドゥン、ドゥン、と重低音を漏らす工場廃墟を眺めながら、6Oが言う。

 

「まあ、まだわかりませんよ」

 

 9Sは肩を竦めた。

 そう――“クラブ”だ。それが今の工場廃墟の在り方だった。

 正確には、工場廃墟の敷地は非常に広大なので、状態の良い一部の建物を改装して使っているのだが。

 旧世界の資料にはこうある。

 クラブとは、かつて人類が音楽の集団鑑賞を建前に、主には“交流(であい)の場”として運営していた施設だ。ナイトクラブ、ディスコテークなどとも呼ばれていた。

 大音響の音楽が流れる広めの屋内に男女が集まって、身体を揺らして踊る。

 区分は飲食店で、アルコール飲料――お酒も提供される。

 純粋に踊るのを楽しみとする者もいれば、出会いを求めてくる者もいる。

 アンドロイド達がその文化を復興した現在(いま)も、大体同じ感じだ。

 この地域のメジャーな“週末の娯楽”のひとつになっていて、ヨルハ学園の生徒も結構来るらしい。

 

「私、クラブに来るのは初めてなんですよね」

「そうなの?」

「ええ、よく行ってる友達は居ますけど、私は来たことなくて。2Bさんはどうですか?」

「私もない」

「ドレスコードは大丈夫だと思うんですけどねー」

「ドレスコード……そんなのあるんだ」

 

 6Oと2Bが言葉を交わし合って、それぞれ自分の格好を見下ろし始める。

 もちろん普段ヨルハ学園で見かける制服姿ではなく、私服だ。

 6Oはぴちっとしたパンツスタイルで、2Bは黒のワンピース。

 いずれもよく似合っている。(6Oが調子に乗るので口には出さないが)

 自分の服装も半袖のポロシャツにチノパンで、まあ、ドレスコード的には問題ないだろうと判断する。

 

「……ふぅ」

「なんですか、ひょっとして初めてのクラブで緊張してるんですか? 9S?」

 

 小さくため息を吐いたところを、目ざとく6Oに見咎められた。

 だが誤解だ。9Sは小さくかぶりを振ると、

 

「いや、ちょっと疲れてて」

「なんで入る前から疲れてるんですか……」

「大丈夫?」

 

 6Oが怪訝な顔になり、2Bが心配してくれているが、詳しく事情を説明するのは恥ずかしい。

 ここに来る前に姉の21Oと一悶着あって疲れているというのは……。

(出かけるってこんな時間に? 夜遊びですか? そういうのお姉ちゃんは感心しませんね、たしかに、貴方だってもう年頃の男子、多少ハメを外すくらいは仕方ありませんが――)

 

「……大丈夫です。さあ、行きましょうか」

 

 気を取り直して、クラブ“工場廃墟”の入り口へと向かう。

 入り口の黒服の機械生命体――門番(バウンサー)のボディチェックを受けて、受付で三人分の料金を支払うと、分厚い鉄のゲートが重い駆動音を響かせて開いた。

 

 ◆◇◆◇◆

 

「――――ね」

「?」

「――せんね」

「え? なんですか?」

「うーごーきーまーせーんーね!!」

「痛っ! そこまで叫ばなくても聞こえますよ!」

 

 6Oに耳元で大声を出されて、9Sが片耳を手で押さえながら抗議する。

 円筒形の広い室内は大音声で音楽が流れているせいで声が聞き取りづらい。

 身体に響く重低音、暗い室内を飛び交うレーザーライト。

 DJブースを中心として、フロアで音楽に合わせて踊る者達。

 アンドロイドと機械生命体が入り混じっている。

 ロボットダンスを踊る機械生命体がいたりして、なんだかシュールだった。

 バーカウンターの近くには乾杯して騒いでいるグループもいる。

 そんな連中から距離を置くように、9S達三人は壁際に佇んでいた。

 6Oだけは楽しげに身体でリズムを取っているが、2Bと自分はどうしてもまごまごとしていて、いかにも不慣れという感じが否めない。6Oがたびたび一緒に踊ろうと2Bをフロアへ誘っていたが、その度に断られていた。

 尾行している対象――11Bの行動はと言うと、6Oの言うとおり奇妙だった。

 三人から少し離れた壁際にいるのだが、ひとりぼっちで、誰と話すでもなく踊るでもなく、ずっと壁に背を預けてじっとしている。

 全くと言っていいほどクラブに居ることを楽しんでいる風には見えない。

 まるで、ただ時間を潰しているだけとでもいうように、無表情にそこにいた。

 

「てっきり中で浮気相手と待ち合わせしてると思ったんですけどね~」

「……浮気してて欲しかったみたいな言い方ですね」

 

 あてが外れて少し残念そうにしている6Oを内心ジト目で見やる。

 ちなみに、11Bは女性型アンドロイドだった。

 一人称が“俺”というのは、彼女の男勝りな性格を表しているのだろう。

 同性型同士で付き合っているというのは、男女という生物学的性差による機能制限のないアンドロイドの間では別段珍しいことでもない。それでも人類から与えられた男性型・女性型という区分や、男性・女性に特有の気質といった概念をアンドロイド達が捨てなかったのは何故か。居なくなってしまった人類(かみ)への憧憬か、崇敬か、執着か。それとも種族としての同一性・一貫性を損なうことへの(機械生命体にはない)恐怖か。

 ――と、逸れかけた思考を正して、9Sは6Oの言葉に続いた。

 

「クラブに来て楽しんでいるという風でもないですよね。一体何の為にここに居るんだろう……」

 

 謎が提示されると、S型の本能が疼く。

 浮気相手と会うわけでもなく、クラブ自体を楽しんでいるわけでもない。

 別の目的があってここに居るのだとしたら、それはなんだ……?

 その答えは、結局9Sが探るまでもなく、程なくして向こうの方からやってきた。

 

「音楽が……」

 

 最初に気づいたのは2Bだった。

 音楽がフェードアウトしていく。

 

「もうおしまいですか? 朝まで続くって聞いてたんですけど」

 

 6Oが不思議そうに呟く間に音楽は止まり、レーザーライトの光も失われて真っ暗になった。

 急に止まったわけではないので、停電ということもないだろう。

 他の客はというと、驚いてざわついている様子もなく、逆に何かを待っているように静かだ。

 そこへ――

 

『はい、皆さん盛り上がってますかー? ショウケースの時間ですよ~!』

 

 と、ぱっとスポットライトが灯り、マイクを手に持った女性型アンドロイドが照らし出された。

 彼女がいるのは他の場所より一段高くなったところ――つまり“ステージ”の上だ。

 他の客が彼女を拍手と声援で迎えるのにつられて、9Sたち三人も拍手をしたところで。

 6Oが納得したという風に言った。

 

「ああ、ショウケースがある日なんですね」

「6O、知っているの?」

「ええ、友達から聞いた話によれば、日によってはただ音楽を流すだけじゃなくて、ステージでバンドが演奏したり、ダンサーがパフォーマンスをしたりといったショウをやるイベント日があるらしいので、たぶん今日はそれですね」

「なるほど……」

 

 今ステージ上にいる彼女は司会進行を務めるMCということらしかった。

 

『では本日の出演者をご紹介いたしましょう! ヨルハ学園出身のアイドル――』

 

 MCの彼女が出演者を紹介する傍ら、9Sはふと11Bの方を見やって、

 

(…………居ない?)

 

 壁際に居た筈の彼女の姿が消えていることに気がついた。

 

(マーカーは……良かった。どこかに行ってしまったわけじゃないのか……)

 

 マップ上の追跡マーカーを確認して、胸を撫で下ろす。

 しかし、だとしたらどこに居るのだろうか?

 室内を見渡しても、マーカーのある位置は人混みに紛れてしまっていてよく分からない。

 MCの口上が終わると同時――

 

『ハーイ! 皆さん、いつも僕を応援してくれてありがとう! みんなのアイドル、42Sでーす!』

 

 ステージの照明が始まって、流れ出した音楽と共に少年型のアンドロイドが飛び出して来た。

 天然パーマの淡い金髪、ツリ目の碧眼――絵に描いたような美少年だ。

 

「きゃあああああああっ!! 42Sきゅーーーーーーん!!」

「こっち向いてぇーーーーーっ!!」

 

 客側から黄色い声が上がり、彼がその声に応えてにこやかに手を振り返す。

 

「ああ、あれ42S先輩じゃないですか」

 

 隣の6Oが言った。

 

「6O、知ってるんですか?」

「うちの放送部のOBで、けっこう有名な先輩ですよ。今24Dがやってるお昼の放送も、前は42S先輩の番組だったらしいです。卒業後は地下アイドルとして活動してるって聞いてたんですけど、こんなところでやってたんですね~」

「へぇ……」

 

 しかしまあ、地下アイドルとはいえすごい人気だ。

 観客からの声援の“圧”がもの凄い。

 

『じゃあ一曲目、歌わせていただきまーす! 皆さん準備はいいですか~っ?』

「うおおおおおおおおおおんっ!!!! 42Sきゅぅぅぅーーーーんッ!!」

 

 ……いや、よく聞いたらさっきから声援の音量を際だって押し上げているアンドロイドが一人いる。

 ステージのド真ん前でペンライトを振って、飛び跳ねながら黄色い声を上げまくっている彼女は――

 

「11B、先輩……?」

 

 見失ってしまっていた11Bだった。

 怪訝な声を上げた9Sに6Oが反応して、

 

「あ、本当だ。あれ11B先輩ですね……」

アレ(・・)が……? 随分様子が違うみたいだけど……」

 

 隣の2Bと共に、なんと言って言いかわからないというような表情で、その光景を見つめる。

 

『ラララ~、天使は歌うよ~♪』

「うきゃあああっ!! 4・2・S! きゅーんきゅーーーーーーーーーーんッ!!!!」

 

 11Bはというと、42Sの歌に合わせて奇抜な合いの手を入れている。周りの観客が引くほどの。

 とても普段一人称が“俺”の彼女とは思えない豹変っぷりに、9Sは頬を引きつらせて、

 

「つまり、11B先輩がデートをキャンセルした大事な用事って……」

 

 結論に達した。

 

 ◆◇◆◇◆

 

 夜が明けて、日曜日の朝。

 喫茶サルトルに移動した9Sたち三人は、調査結果の報告のため、16Dを待っていた。

 四人席、テーブルに頬杖をついた6Oが言う。

 

「結局、浮気じゃありませんでしたね……」

「そうですね……」

 

 9Sが相槌を返す。

 昨日はクラブで慣れない徹夜をしたということもあり、三人とも寝不足で疲れている。

 9Sとしては、このあと家に帰って姉の21Oと対面することを考えると頭が痛かった。

 

(結構強引に振り切って出てきちゃったからなぁ……泣かれたらどうしよう……)

 

 隣では2Bがカクンと船を漕いではハッとなってこっそり姿勢を正すというのを繰り返していた。

 素知らぬ顔でバレていないか周囲の様子をチラチラと伺っているようだがバレバレだ。

 

「“浮気”ではありませんでしたけど、でも……」

 

 結局あの後11Bの様子を夜通しずっと観察しつづけたが、42Sと11Bはアイドルとファンという関係以外の何者でもなかった。二人が接触したのもライブ終わりに11Bがサインと握手を求めに行った時くらいだ。

 結論としては、11Bは単に42Sの熱狂的なファンなだけで、浮気はしていない。

 とはいえ、だ。

 

「恋人とのデートを反故にしてまでライブに行くほどのファンって、どうなんですかね……? しかも、それを恋人に秘密にしているというのは……」

 

 隠しているということは、浮気ではなくとも本人がやましく思ってはいるということだ。

 9Sは嘆息して、

 

「16Dさんに報告するの、気が重いですね……」

 

 なんと説明して良いやら。

 “浮気はしていなかった”ということだけ伝えるのか。

 それとも恋人とのデートよりアイドルのライブを優先していることまで伝えてしまうのか。

 自分の言葉が二人のその後の関係を左右してしまうかもしれないと思うと気が進まない。

 隣の2Bが口を開いた。

 

「真実を知ったからには、言わないと」

「……それが、どんな真実でも?」

 

 問い返すと、2Bは頷いて。

 

「これは二人の問題だから、それが良いとか悪いとか私達が判断するべきじゃない」

「……そう、ですね」

 

 まあ、正論だった。真面目で不器用な正論ではあるが、2Bらしい。

 2Bがそう言うのならそれで良いか、と9Sも心を決める。

 そこへカランカランとドアベルの音が響いて、16Dがやってきた。

 

 ◆◇◆◇◆

 

「そうですか……浮気じゃなくて、42S先輩の追っかけで…………」

 

 一連の説明を聞いた16Dがその話を反芻するように呟いた。

 目隠し型の電子メガネをしている為に表情は判断しづらいが、声が沈んでいるように思う。

 コーヒーカップ辺りを見ていた視線が下がって、そのまま段々と俯いていく、唇を引き結んで。

 そして――

 

「くっ……」

 

 背を丸めて肩を震わせ始めた。

 

(……泣いてる?)

「16D……」

 

 6Oが宥めようとしてか、彼女に呼びかけながら背中に手を置こうとする。

 だが――

 

「くふっ……ふふふふふ……」

「え」

 

 予想外の事態が起きた。

 堪えきれないという風に身体を震わせている16Dは、どういうわけか……笑っていた。

 目の前の光景に唖然としてしまっている9Sたちを尻目に、16Dの口角が次第に吊り上がり、

 

「ふふふっ、くふっ、あはっ、あははっ、あははははははははっ」

 

 ついには顔を上げると、哄笑を上げ始めた。

 おかしくて堪らないという風に、両腕で身体を抱くようにして。

 狂気を感じる。

 

「……何がおかしいの?」

 

 2Bが訊ねた。

 

「だって、先輩の気持ちが私から離れてしまったわけじゃないんでしょう? なら、喜ばしいことじゃないですか。それに、普段あんなに勇ましく振る舞っていた先輩が、“ドルオタ(・・・・)”だったなんて…………フフッ」

 

 おかしそうに、16D。

 

「頼りになる先輩を演じたいみたいだったから、私もこんなもの(・・・・・)をつけてまで弱い女を演じて我慢してましたけど……そんな弱みがあるのなら……ククッ」

 

 しゅるり、と衣擦れの音を響かせて16Dが電子メガネを外す。

 メガネの奥に隠れていたのは、自信に満ちあふれた気の強そうなツリ目だった。

 確かにこれがメガネに覆い隠されていなければ、誰も彼女が内気だと思わないだろうというような。

 素顔を晒した彼女はすっきりとした様子で、

 

「くふ、ふふふ、これで攻守逆転できそうだわ。私、本当はリードしたいタイプだったのよね」

 

 嬉しそうに微笑んで、艶然と髪をかき上げる。

 見た目だけでなく、口調まで変わっていた。

 目の奥が妖しい光でぎらついている。

 豹変した彼女に圧倒された9Sたちが言葉を失っていると、

 

「……さて、ちょっと先輩と話をつけてくるわね♪ 相談に乗ってくれてありがとう♪」

 

 16Dが立ち上がって手を振ると、るんるんとした足取りで店を出て行ってしまった。

 カランコロンとドアベルの音が鳴った後、静寂だけが残る。

 三人はしばらく呆然と見送って。

 

「アレで本当に良かったんでしょうか……」

「さあ……本人が喜んでいるなら良かったと思うけど」

 

 呟くように問いかけた9Sに、2Bが小首を傾げて言う。

 

「……2Bって意外と大雑把ですよね」

 

 後日――電子メガネをやめて大胆なイメチェンを遂げた16Dと、完全に彼女の尻に敷かれてしまった11Bの姿が校内でたびたび目撃されるようになった。

 力関係が入れ替わっても、結局、彼女らは大変幸せそうだったという。

 

 

(つづく)




次はA2視点回でしょうかね……

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