機動戦士ガンダムSEED~逆行のキラ~   作:試行錯誤

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 戦闘でもないのに、めっちゃ長くなってます。
 休みつつゆっくり読んでくださいませ。


不器用な逆行者 3

 

 

 夢を見ていた。

 過去の夢……彼にとっては過去、と言えるのだが、結果としては未来の出来事。

 

 71年の今、まだ先である74年の事を過去……というのは妙な話なのだが、少なくとも彼……キラにとってはそれが現実だった。

 本人にも何故そうなったのか、何故こうなっているのかの理由が分からない不可思議な事態。

 だが、現実だ。

 

 キラにとっては、あの74年は《過去》なのだ。今は。

 

 その夢を見ていたのである。

 

 自分が生きていた未来。

 2度の戦争が終わった後に、残った現実。

 ようやく周りに目を向ける余力が出てきて、そして本当の意味で目にした、疲弊した世界。

 その夢だ。

 

 歴史、人種、地域、食物、エネルギー、荒廃……戦争の火種は全く無くなっていない現実だけが、そこにはあった。

 無くそうと努力をして、何とかしなければと試み、そして余りにも解決する事ができない現状に愕然としてしまったのだ。

 

 カガリが悩んでいるのに何もできない。どうするべきか。

 ラクスのプラントにおける影響力は増しているのに、コーディネーターとナチュラルの対立が止まらない。

 どうするべきか。

 

 未だ残るブルーコスモスの過激派と、プラントの隠れた強硬派……それに少しずつ増えていく同調者達。

 どうするべきか。

 

 少しずつ増えていく不満。固く冷たくなっていく人々の表情。

 余裕がなくなり追い詰められていく様々な者達。

 

 そういう事に気付いて、やっと気付き始めて。そして、こうなった。

 どうするべきだったのか。

 

 あれでは駄目なのは分かる。あれでは駄目だったのだ。

 

 だが、どうするべきなのか。《ここから》どうするべきなのか。 

 戻ってきたここから、どうするべきか。

 それが全く分からない。

 

 そもそも自分の周りの事すら十分に行き届いていないのに。

《世界》を何とかする事など、本当にできるのか。

 

 思考とは言えない、ぼんやりとした感覚の最中。最後の光景が訪れる。

 自分が撃たれたのだ。

 眺める先で、撃たれて倒れた自分が目に映ったのだ。多くの人々からの罵声と殺意が渦巻く光景。

 

 キラはそれを眺め続ける。

 自分は彼らの大切な人を撃ったのだ。これが結末ならば受け入れるしかないだろう。

 

 だが、自分は何かの役に少しも立てなかったのだろうか、とも思える。

 自分が生きている事を許せない人達がいる。ならば、自分が倒れた後は、治まっていてほしいと。

 

 せめて自分が居なくなって、少しは《何か》が良い方向に向かってくれただろうか。と。

 向かっていてほしい、と思えるのだ。

 

 憎しみをばら蒔いてしまった……自分の人生がそれだけだったとは思いたくないのである。

 

 自分の死を眺め続けるキラだが、その背中に何かの意思が、まとわりついている事には気付かない。

 

 人の、執念や、怨念……あるいは希望や願い……とでも言えるのかどうなのかは、はっきりしない。しないのだが、とにかく、何かの、多くの《意思》と思える物が、まとわりついている事には気付かないのだ。

 

 死んだ自分と、それを眺める自分の背中に、黒い何かと、光る何かがまとわりついている事に。

 

 多くの《誰か》から見られていると、ごくわずかに感じとれた。それだけしか感じなかったのだ。

 

 

 朧気な風景が閉じていき、意識が目を覚まし始める。

 

 見えている光景が閉じる一瞬だけ、誰かが泣いている声が聞こえた気がした。

 

 誰だろうか。この声は………………ラクス……?

 

 

 

 

 キラはぼんやりと目を開けた。

 

 白い壁が視界に入ってくる……いや、天井だろうか?  横になっている感触がある。寝ていたのか。

 

 妙に狭い。《それ》が自分の視界だと気付くのに数瞬かかった。

 半分無いのだ……左の視界が無い。

 

 それが、キラの意識を軽く困惑させていた。

 この《狭い》風景は何なのだろうか、と。

 

 さらに数秒、あの《泣いている声》は、誰の物だったのだろうかと考えた。

 自分の死を見ていた気がするのだが……最後に誰かの声が聞こえたような。

 助けを、求めていた……?

 

 明瞭にならない意識が、キラに曖昧な思考をさせていた。ただ、それもわずかの間だ。

 

 徐々に自分の記憶が途切れた状況を思い出す……直後に恐怖が襲ってきた。

 そうだ。自分は。ここは、今は……?

 

「……アークエンジェル……っ!? 先遣隊はっ!」

 

 キラの意識が冷水を浴びたように跳ねた。

 目が完全に覚める、背筋がぞっとしたのだ。

 

 戦闘中だ。何を腑抜けているのか。

 

 戦意が心身を臨戦態勢へ引き上げる。

 キラは自分の意識を叩き起こし、さらに飛び起きようとして、支えにした手が滑った。

 

 感覚がおかしい。指先が鈍る。何だ?

 

「……なっ、これ……?」

 

 キラは起き上がれなかった。

 混乱しながら自身を見ると、どうやらベットに拘束されているらしいと分かる。

 拘束と言っても、縛っているという物ではなく、無重力対策に軽くテープで固定されているだけだ。

 

 とにかくも慌てたキラがそれを外そうと試みると、横から声がかかってきた。

 

「待て待て! ……落ち着けヤマト! 大丈夫だ!」

 

「しっかりしろ。状況、分かってるか? テープは外してやるから、ほら。

 とりあえず無茶するな……今、医務官を呼ぶからよ」

 

 固定テープを外してもらって、キラは自由になる。

 戸惑いながら上半身だけを起こした彼が見たのは、医療器具が並ぶ部屋……医務室だ。

 

 アークエンジェルの医務室で、キラは目を覚ましていた。

 

 事態が飲み込めないまま、とにかく立ち上がろうとしたキラを、安堵と共に押し止めたのは保安部の人間……「麻酔が効いている」「まだ休んでろ」と声をかけてきたのは二人組だ。

 

 雑談する程に顔馴染みになった、あの二人だった。

 

――保安部の者から、表だってキラを憎悪する態度が出てしまった者がいる――そう報告を聞いたナタルの配慮である。

 

 ただ、それらを全く把握できていない……意識を失っていたキラは不安、焦りを隠せなかった。

 今、何がどうなっているのか。

 

 アークエンジェルは、先遣隊は、ザフトは。

 

 戦闘中に意識が途切れたのを完全に思い出す。

 自分は死んでいないようだが、それは、周りが無事だという保証にならない。

 

「僕は、どのくらいこうして……? 皆はどうなってますか? ストライクで出る必要は?」

 

 やる事は幾らでもあるはずだ。

 自分はここで横になっていていいのか。

 麻酔の類いは使わないで、叩き起こしてくれと頼んでおいたのに……。

 

 起きたばかりだが、必要とあれば動くと主張し出したキラを二人は強引に抑え込む。

 大丈夫だと。

 戦闘は終わったから、とにかく、今は休めと。そう言った。

 

 それでも右目の奥に恐怖を抱えるキラに、二人はゆっくり話を始める。

 

「まず、とにかくアークエンジェルは無事だ。お前がここで寝てるだろう?

 今は……まあ、艦の態勢を立て直しているよ。とりあえず敵はいない、それは確かだ。だから、落ち着け」

 

「先遣隊は……残念だが、ほとんどやられちまった。

 けど1隻は助かったよ。お前が助けに行ったモントゴメリだ。

 指揮官の中佐殿が、お前に是非とも礼を言いたいとさ」

 

 何とかといった事務次官も、お前に会いたがってたよ……そう言われて。

 その意味を理解したキラは、力が抜けた。

 

「無事、ですか……フレイの……」

 

 多分、戻ってきてから初めて、本当に力が抜けた瞬間だった。

 重かった重かった……重かった何かが、軽くなった。

 

 アルスター事務次官、フレイのお父さんが生きている。

 フレイのお父さんが。

 今度は、生きているのだ。

 

 間違いなく助けられたのだと、分かった。

 

「……よかっ……」

 

 キラはそう言いそうになり、口を閉じる。

 気を抜いた。それを恥じたのだ。

 

 良かった、と言いそうになり。口を閉じたのだ。

 

 何を喜ぼうと言うのか。

 他に多くの人が亡くなっているのに。何がいいのか……そう感じてしまったのだ。

 沢山のザフト将兵を、殺害しておいて。

 

 喜んじゃいけない。

 震える口元を、歯を食い縛って黙らせる。

 

 終わっていない。自分のやるべき事はまだ何一つ。

 揺れてしまった感情を、キラは心の奥底に押しやった。

 

 喜んでいいのはフレイだ。彼女が喜んでくれるなら、それでいいだろうと。

 自分の感情は固く保った。

 

 目に浮かんでくる涙を拭うと、キラは気持ちを切り替えに入る。

 ゆっくり、大きく呼吸をした。

 

「…………すみません。それで……他には? 何か、やらなくてはいけない事はありませんか。

 僕は本当に寝ていてもいいんですか?」

 

 一旦は臨戦態勢に入ったキラの体が、その必要なしと、落ち着きを取り戻す。

 すると今度は気分が悪くなってきた。

 

 妙な苦しみと、嫌な頭痛がある。

 頭《痛》……と言うほどの、明確な痛みはないのだが、頭の中に嫌な何かがあったのだ。

 

 異常はないか? と問われたキラは、感じる不調を無視した。

 自分の体の事などどうでもいい。それよりも優先すべき事がある。

 幾らでもあるのだ。

 

 新しく巻かれ直した包帯……それで左目の周辺が隠れているキラの顔。

 その表情が強張っていると、保安部員の二人は感じた。

 

 寝ている最中は年齢以上に幼かった顔が、既に固く引き締まっている。

 何をそんなに思い詰めているのか。

 

 大戦果により味方を助けたのだ。少しは休んだとしても誰も文句は言わないはずだ。

 

 今は別室で……キラと鉢合わせられないと、別の部屋で民間人を……怪我人の対処に当たっている医務官。

 彼が来たら、鎮静剤でも投与してもらい、無理矢理にでも寝かせるべきではないのかと思い始める。

 

 ただ、それを彼らが判断する事はできない。

 複雑そうな顔をした少尉……ナタルから言い含められているのだ。

 

 任されたのはキラの警戒。

 

 これまで通り、完全に自由にはさせない事。しかし何かがあった際は、手荒に拘束はしなくてもいいとの変化。

 そして。

 必要とあれば状況を知らせてやれ、と。モビルスーツにも、許可を取れば手を付けてよいと。

 

 彼らは、キラを止めるのが仕事ではなくなったのだ。

 キラが望めば、それを可能な範囲で助力しろ、と言われているのである。

 

 だから彼らは自分の仕事を始める。

 

 左目を完全に失ってしまった少年……キラ・ヤマトに対して、現状の、話す事が許されている分の、説明を始めた。

 

 

 

 

 ガンカメラに映る光景は整備班や技術者を絶句させていた。

 

 収容されたストライクから、ざっと抜き出した戦闘データの話である。

 あくまでも主観的な映像でしかないそれだが、パイロット……キラがいかに凶悪な戦闘機動を取ったのかはあっさりと分かった。

 

 何せ、《絶対に見えていないはず》の、後方からの複数射撃を回避した直後に、逆に直撃を与えていくのである。

 おまけにその攻撃は正確無比。

 

 遠すぎてモニターには映ってない撃破記録、正面から……つまり照準システムで捕捉していないのに撃破したであろう記録が多数あった。

 

 アークエンジェルに記録されている敵の消失記録を合わせると、それが恐らくだが、キラの撃った結果となる……と推測できるのだ。

 

 通信ログとレーダー記録、発砲記録とその後に、敵の反応が消失していく事からの推測だ。

 推測でしかないが、ストライクに発砲記録が出る度にタイムレコード上では敵の反応がレーダー記録から消えていくのである。

 

 アークエンジェル側の記録と合わせて、じゃあ当たっているのだろう、としか言えないのだ。

 

「射撃を全手動で当てているのか……有り得ないだろ……宇宙戦闘なんだぞ……」

 

「……高速運動してる敵2体を同時に撃ち抜いてやがるぞ。どこ見て撃ってんだよ、こいつ……」

 

 ストライクという機体の、限界レベルの性能の発露。その結果。

 それがここに映っている。

 何なら、キラの反応に追随しきれない部分すら散見されるのだ。

 

 モビルスーツ12機撃墜。艦艇2隻撃沈。加えて、推定5機を撃墜と見込む。

 

 良くも悪くも技術屋気質……その彼らをすら、ただただ困惑させる映像と記録が、端末には映し出されていた。

 

 

 それを横目に、当のX105……ストライクを見上げる二人の姿があった。

 一人は整備班長のコジロー・マードック。そしてもう一人はアークエンジェル副長のナタル・バジルールだ。

 

 とにかく危機を脱した。しかし、まだ安全ではない。

 だから今、できる事からやっていこうとしていたのだ。

 

 アークエンジェル搭載兵器の修理に取り掛かろうとしたら、一番損傷が酷いストライクに自然と手が集中したのである。

 しかし。

 

「……整備班長。なるべく早く、彼らを仕事に戻してくれ」

 

 そう言ったのはナタルだ。

 必要があるから、と映像チェックをさせているはずが、ほとんど全員の手が止まり、集まって見てしまっている。

 

 彼らの気持ちは良く分かる。

 ナタルも戦闘中に《それを》見せつけられて固まったのだ。

……1分かからずに、艦周辺にいた10機の敵が無力化されたあの光景は、今でも夢ではないかと思える。

 

 それに対して、頭を掻きながら苦い顔をするのはマードックだ。

 

「ええ、ええ。やらせますよ少尉。……ですがね……」

 

 ため息混じりの返事をきっかけとして、二人の目線はストライクに向く。

 

 視線の先にあるストライク。その機体は出撃不能だった。

 いや、正確に言えば動きはするのだ。

 

 動きはする、するのだが。……各部分が、酷く損耗してしまっている。

 端的に言ってしまうと、ボロボロの状態だった。

 外から目で見るだけで、既に幾つかの関節部が歪んでいるのが分かる程である。

 

 キラの操縦がいかに凄まじい物だったか、映像を見なくてもマードックには分かった。

 

 被弾した痕がないのに、損傷だらけという……ある意味では、整備士冥利に尽きる帰還の仕方とも言えるのだが。

 ただ、パイロットの状態を思えば、マードックには喜べる部分などは無い。

 

「それで班長……マードック軍曹。ストライクは、直りそうか?」

 

 ナタルの質問には憂慮が混ざっている。聞いている彼女自身、答えを分かっているのだろう。

 実際、聞かれたマードックは黙りこむ……不可能だ。

 少なくとも、戦術指揮官の彼女が要求するレベルで修理をするのは。

 

「完全には、難しいでしょうね……」

 

 不可能、と答えなかったのは技術屋の意地だが、できない物はできない。

 ストライクの各部分では元々損耗が進んでいた。

 

 それが今回の戦闘で、ついに整備班の対応力をオーバーしてしまったのだ。

 

 本来なら《交換》する……しなくてはいけないはずの箇所が、既に、チェックリストに連なっていたのである。

 それを補修・修繕で、辛うじて優、良を維持してきたのだ。

 今は、どちらかと言えば不可、に落ちてしまった。

 部分によっては不良、否……劣悪にもなっているだろう。

 

 マードックの勘だが……ストライクの状態を数字で出すのならば全体で90から85、それを維持していた物が、今では65から50以下に落ちていると言える。

 

 いくら前線とはいえ、精密兵器でこんな数字ではもはや動かないのと一緒だ。

 部品損耗どころか、下手をすると基礎フレームや、関節構造に許容不可能な歪みが出ている可能性まである。

 

 それでもマードックに言い訳は許されなかった……彼は疲れが染み付いた顔に、笑みを浮かべてみせた。

 

「……まあ、何とかしますよ。やれるだけやってみます。やらなきゃならないんでしょう?」

 

 良いとこ7割。その状態に持っていければ御の字だな……そんな感情を隠してマードックは請け負った。

 

「頼む。班員やモルゲンレーテ技術者達には不満も出るだろうが……」

 

 ナタルは、何とか上手くやってくれ、と言うしかなかった。

 とにかく、態勢を少しでも立て直さなくてはならない。

 

 フラガのガンバレルストライクは動ける。グレーフレーム、鹵獲ジンも破損は少ない。

 ならば、ストライクを何とかしておくのは当然と言えた。……また4人全員が出撃しなくてはならないなど、考えたくもないが、考えない訳にもいかない。

 

 恐ろしい事に可能性が0ではないのだ。

 

 フラガとアサギが進めている敵兵器の鹵獲……回収したそれらを流用していいと、ナタルはマードックに伝えた。

 

 補給物資を積んで来てくれた先遣隊、その1隻であるモントゴメリだけは無事。

 加えて、そこら中に浮かんでいるザフトモビルスーツや連中の装備していた銃砲類、弾薬がそれなりにある……整備班の仕事は増えるが、それは数少ない朗報だった。

 

 

 マードックと口早に打ち合わせを進めていると、保安部員の一人がナタルに近づいてきた。

 忙しい副長に変わって艦内電話を受け取ったらしく、伝言を伝えてきたのである。

 

 キラが目を覚ました、と。

 

 それを聞いたナタルは、ほんの少し……ごくわずかに眉をしかめて、一瞬だけ無言になる。

 安堵のような、苦悩のような表情。

 数秒、そんな顔をした。

 

 珍しい事に、ナタルにしては本当に珍しく、静かにだが、大きく息をついた。

 

 それでも、直ぐ様いつもの生真面目な顔になると、マードックに「……とにかく、よろしく頼む」と任せて格納庫から踵を返し始める。

 

 ナタルの気は正直、重かった。が、行かねばならない。

 

 そこにマードックの控えめな声がかかる。

 

「ああ、少尉……! ストライクですが、推進材は? ……まだ、減らしておくんですかね?」

 

 あまりやりたい事ではない。マードックはそんな顔をした。

 何の話かと言えば、ストライクに積まれていた推進材。その積載量に関する話だった。

 

 最近、キラ機に積まれていた推進材は通常時の半分以下、それだけの量しかなかったのである。

 

 正味3割あるかどうか……物資の不足もあったとは言え、通常ならばパイロットから撃たれそうな仕打ちだ。

 フラガ機の方は8割9割を維持していたのだから、不公平極まりない。

 ただ、キラはそれを受け入れていた。

 

 スパイの疑い。更には敵前逃亡の可能性。アークエンジェル側としては仕方ない面もあったからだ。

 キラが黙って受け入れてくれていたから、そんな事をやっていたが。

 やれていたが。

 しかし、もうそんな事を言っていられる状況ではなくなってしまった。

 

 ナタルの半分だけ振り返った横顔には、複雑そうな表情が浮かんでいた。

 

「……いや、もう制限は加えない。ストライクの推進材は可能な限り積んでおいてくれ」

 

 マードックはナタルの対応に軽口は入れなかった。

 言葉少なめに「じゃあそれでやっときますよ」と仕事に取り掛かってしまう。

 

 ナタルはそのあっさりとした対応をありがたく、そして同時に、気を使わせてしまった自分を情けなく感じた。

 

 マードックは今、明らかに彼女の対応と心情を気遣ったのである。

 散々キラを疑い、その行動に制限を加えながらも、実のところ労力を当てにしてきて。

 ついさっき、撃沈される程の苦境を打破してもらったからと、掌を返すやり方を。

 

 しかもそれですら、キラを信用したから……という前向きな話ではなく、更に敵襲を食らった時のリスクを、天秤にかけての判断だと言えるからだ。

 

 確証がない。

 まだ、敵かもしれないと疑わねばならない。

 

 だが、その敵かもしれない相手に、こうまで命を救われてしまえば。

 いい加減、信用も積み重なってくる。

 

 少しずつだが、明確にキラの味方をする者が出てきたのだ。

 彼らと、まだキラを信用できないとする者達の対立も、頭を悩ませる問題だった。

 

 格納庫から医務室へと向かいながら、ナタルは無言で何かを考え続けていた。

 

 

 

 戦闘が終わった直後に時間が戻る話だが。

 

 ナタルは当初、キラを殴り倒してやろうと思っていた。

 

 周辺に敵影なし、残ったナスカ級も完全に離脱したのを確認。

 モントゴメリにフラガ機が直衛として合流……アークエンジェルとの合流が確実になった所で、マリューとナタルは何とか動き出す事ができた。

 

 コープマン中佐との通信、割り込んでこようとするアルスター事務次官。

 アークエンジェルの迎撃態勢の立て直し。ダメージの応急修理。

 疲弊したエンジンへの対応。

 

 散々振り回してしまった避難民への謝罪と説明。

 転倒、人同士・壁への接触で怪我をした者への治療処置。

 

 運悪く……いや、運良くと言うべきか、撃沈された艦艇から投げ出されるように脱出できていた先遣隊のわずかな将兵達……その生き残り。漂流している彼らの出している救難信号への救助。

 

 将校がたった3名のアークエンジェルは、後始末に多大なる苦労が発生してきてしまったのだ。

 生きているからこその贅沢、と言われれば言い訳は見苦しいが、苦労は苦労である。

 

 コープマン中佐と、アルスター事務次官。そしてオーブ避難民への対応は、艦長であるマリューが受け持つ事になり。

 

 宇宙を漂流してしまっている将兵の救助、周辺の警戒、同時に、回収できそうな機材・装備類の対応はフラガとアサギ、作業ポッド班。生き残っていたモビルアーマーの残存機が。

 

 残ったナタルが、必然的にアークエンジェルの態勢に関する事を受け持つ事になり。

 そして、その彼女が最初に考えたのが、キラを殴り倒してやろうという事だった。

 

 人を馬鹿にするのにも程がある……それがナタルの心情だった。

 あれだけの戦闘能力があるなど、全く聞かされていないのだ。

 

 強いとは思っていた。超一流のパイロットだと感じてもいた。

 だが、それをすら飛び越える程の力だったのだ。今回見せ付けられた物は。

 

 ブリッジから格納庫へ向かう時の彼女は、明らかに激怒していた。

 

 必死で対応をして。

 必死で対応して必死で戦って。

 そして、これまでかと覚悟を決めかけた直後に、横から出てきてあっさりと事態を解決をされよう物なら。

 収まらないのは当然である。

 

 キラ一人でほとんどやったのだ。

 解決してしまったのだ。

 

 そもそもあの戦闘能力があれば、もっと早い内から……それこそ、ヘリオポリスやアルテミスで幾らでもやりようがあったのではないか?

 わざわざアークエンジェルを苦境に引きずりこんで、人を馬鹿にしていたのではないか?

 

 ナタルはキラの異常な戦闘能力を、これまでの対応と合わせてそう感じてしまったのだ。

 

「……許しておけるか……!」

 

 助けてもらった事に対する感謝は当然ある。

 しかし、それよりも、だ。

 

 あまりにもあり得ない戦闘能力……それに対してナタルは、キラへの疑念と怒りを爆発させてしまったのである。

 理屈ではない。

 

 今の今まで手を抜いていた……。キラのやり方を《そう思えてしまった》ナタルは、格納庫に近づくに連れて更に収まらなくなっていたのだ。

 

 それが一転したのは、ストライクが収容された時の事。

 

 自力で動かずにフラガ機に収容をしてもらったキラのストライク。

 それを見てナタルはコックピットへ向かおうとして、そこで、周りの騒ぎに気が付いた。

 

 キラの反応が無い。

 フラガがそう言うや否や、整備班や医務官、保安部員が強烈に慌て出したのである。

 

 怪我をしたと聞いただけのナタル、そもそもまだ、それすら聞かされていなかったフラガ。

 そして格納庫でキラの状態と無茶苦茶な応急処置を見ていた面々との違いだった。

 

 コックピットが外から開放され、キラが引っ張り出されるように姿を見せるとナタルもフラガも絶句した。

 

 顔半分……左側を固めるように包帯と凝固ジェルで締め上げられたキラの顔……ヘルメットも被らずに気絶している彼の、そんな状態が目に入ってきたのである。

 

 見えている顔の部分、その色は真っ青。

 ぐったりとして、少しも動かずに運び出されていくキラ……その姿。

 

 その姿を見て、ナタルは流石に恥を覚えた。

 

 楽な戦いなどではなかった……キラも必死でやったからこその今なのか、と。

 致命的な状況を死にもの狂いの執念でひっくり返してきたのであろう、キラのその姿を見て。

 ナタルは恥を覚えたのである。

 

 穴があったら入りたいとは言うが、それが、大袈裟な表現ではない事を彼女は知ったのだ。

 

 フラガからはその場で、「どういう事か」「負傷しているパイロットを放り出すなんて何を考えてやがる」と怒鳴りつけられ、ナタルは言い訳をしなかった。

 

 民間人との接触で怪我をした、そうと聞かされてフラガは顔がひきつった。

 キラの立場を擁護しきれなかったのはフラガも一緒だ。

 しかし、まさかこんな時に、こんな事が……不手際だった。

 

 だとしても、彼らには自己嫌悪や反省の時間も許されない。

 

 フラガは「……とにかくやる事をやってくる、話は後だ」と、そう言い放ち、また発進していった。

 アサギに比べて疲労が著しいトール……グレーフレームを帰艦させると、救助や回収に向かったのだ。

 

 初陣でとんでもない目に会わせられたトール・ケーニヒ。

 友人のためにと、モビルスーツに乗ってくれている彼の帰艦をナタルは素直に労った。

 

 恐怖と疲労と緊張で固くなっている彼を。救助作業に向かいます、とまだ気を張って見せているトールを、休むように指示を下したのだ。

 

 役に立てなかったと肩を落とすトールに、ナタルは羨ましいと感じてしまう。

 友達と味方の事しか考えていない真っ直ぐさをだ。

 

 更にナタルを自己嫌悪させたのは医務官からの確認だった。

 医務官は迷った末にナタルへ確認を入れてきたのである。

「処置をするにあたり、キラに対して鎮痛剤、麻酔の類いを使用して構わないか」と。

 

 ナタルは当たり前だと言いそうになったが、意識の混濁を許容できないとキラが主張したとの報告……加えて、キラ本人からの話が思い起こされてしまった。

 

 キラは、次の戦闘も予見しているのである。

 

 ザフトが第8艦隊に仕掛けてくるのだ。となれば、また遠からず戦闘になる。

 その時にもキラが出てくれるのかもしれない。

 出た方が良いのだと、主張してくるかもしれないのだ。

 

 ならば、麻酔の効果時間によっては打たない方がいいのではないか。

 冷酷極まる判断だが、キラ本人が望みそうなのである。厄介だった。

 

 最後には自分でスパイだと発言してしまったとの証言まで上がってきたのである。

 状況を聞けば、場を納めるためだと予想は付くが、今度はオーブでのキラの立場が、危険な物になってしまっている。

 

 これで、もう何も無かった事にはできなくなってしまった。

 だとしても独房には入れる気は起きない。

 

 そんな事が次から次へとナタルに降りかかり、そしてどうした物かと今後に悩んでいる時に、連絡がきたのだ。

 

 キラが目を覚ました、と。

 

 想像以上に早く意識を取り戻した物だ。

 とにかく起きてくれた……そういう安堵と、何を話せばいいのかという迷いがある。

 

 今度は何を話してくるのか。何を話せばいいのか。

 

 解決できない問題を山程抱え込み、一つも解決できないまま更に大きな問題に向かわねばならない。

 

 そんな迷いや鬱々とした何かを持ちながら、とにかく、それでもキラに会わねばならないと考えて、向かっているのが今のナタルだった。

 マリューやフラガを待っている時間もないのだ。

 

 

 

 まだ、脱出挺に乗っている者、怪我の治療のために適当な部屋に振り分けられている者。

 それが多数であればアークエンジェルの居住区に、人の気配はほぼ無いと言っていい。

 

 にも関わらず、一画……兵士用のエリアでは大きな声が響いていた。

 

「……馬鹿ぁ! 戦うなんて聞いてないわよ!」

 

 パイロットスーツを半分着たままのトールは怒られていた。いや、泣かれていた。

 ミリアリア・ハウにしがみつかれて、怒られながら泣かれていたところだった。

 

 酷く疲れながら「パイロットにはなっただろ……?」と言ってしまったトールをひっぱたいて、その後は大泣きしているのがミリアリアという少女だった。

 

 そういう態度を取られれば、トールにはミリアリアをひたすら宥めるしか選択肢はなかった。

 

「悪かった。悪かったよ、ミリィ。時間がなくって、ごめん。悪かったって……」

 

 トールの姿が見えず、ブリッジにも入れなくなったミリアリアは嫌な予感はしていたのだ。

 だが、まさか本当にトールが戦いに行っているなど想像していなかったのである。

 たった数日の訓練でそんな事はあり得ないだろうと。

 

 戦闘が終わったと聞かされた後に、トールが保安部員に付き添われて姿を現せば、友人達は驚愕するしかない。

 実際に出撃していたと言われれば。

 

 兵器のパイロットとして志願した……そんな説明で納得してしまえる程彼らは、特にミリアリアは大人になっていないのだ。

 恋人が戦争に出ていたと聞かされれば、ショックを受けて当然である。

 

 キラ、トールの変化。そしてブリッジから何回か見た戦闘の光景は、ミリアリアに《命のやり取り》という生々しさを急速に感じさせていた。

 

 まだまだ若い恋人達の真剣な、かつ、どこか微笑ましいやり取りを聞いていたカズイは、ミリアリアが多少は収まったのを見てトールを労った。

 

「まさかトールが戦ってたなんてね……よく出たよね。やられちゃうとか考えなかった訳?」

 

 微妙に責めているのかと思える言葉だが、恋人を宥めるトールは言葉少なめに答えただけだった。

 そんなに大した事はできてない、と。

 

「自分勝手な事して……! 心配したんだから!」

 

「うん、悪かった……」

 

 ミリアリアを宥め続けるトールを見て、カズイは少々、居心地が悪そうにする。

 サイとフレイが居ないのだ。

 

 何でも、フレイの父親が来ているらしく、彼女は大喜びで会いに行ってしまっていた。

 サイもその付き添いである。

 トールとキラを、サイはかなり心配していたが、さすがに婚約者を放り出すのはできなかったらしい。

 

 すぐに戻ると言い、フレイと一緒に行ったサイ。

 カズイは何だか、皆がバラバラになったような気がしていた。

 大体、キラの事を誰も教えてくれないのだ。

 今、この艦がどうなっているのかも。

 

 だから軍なんかは信用できないのだ。

 

 キラとトールの友人だから……という大雑把な理由でのいち早い居住区への移動だけは許されたが。

 内実は、そこまで手厚く構ってられないという、中々に切実な理由だった。

 

「……キラ、大丈夫かな」

 

 トールがぽつりと漏らす。

 彼は今さっき、キラが負傷したまま出撃したのを聞かされたのだ。

 キラの話題が出た事で、カズイも疑問を持ち出してきた。

 

「……やっぱさあ、キラって」

 

「何だよ」

 

「普通はさ、片目になっちゃったら、パイロットなんてまともに戦えないんだってさ」

 

 カズイはオーブ軍人が話しているのを聞いたらしい。

 多分捨て駒に近い扱いになるだろう、という話を。

 

「それがいきなりあんな事になって、なのに……」

 

 カズイの、歯に物が挟まったような物言いをトールは察した。

 キラはやっぱり自分達と違うのではないか、と言いたいのだろうと。

 

 トールはフラガから褒められて帰ってきたのだ。

 良くやったと。

 

 フラガはトールとアサギを良くやった、よく生き延びてくれた、と手離しで誉めたのだ。

 整備班の面々も、保安部の者達も副長も、誉め、そして労ってくれた。

 

 トールもアサギも照れ臭そうにしながらも、恐怖と緊張で震えながらも、良かったと喜んだ。

 少しは役に立てたのかと。

 

 だが、こうして落ち着いてくるとトールにはよく分かる。

 自分は本当に大した事はできていないのだと。

 

 別に自惚れていた訳ではない。

 特にフラガはそういう気配が出れば、トールもアサギも容赦なく張り倒した。

 敵を舐めて死んだ新兵はそれこそ幾らでも居ると。

 

 モビルスーツへの真剣さが薄れ、機械への慣れが出る度にトールもアサギも強烈に怒られていた。

 お前らが乗っているのは戦闘兵器だぞと。

 

 だから、トールは自惚れていなかった。慎重に、慎重に行ったのだ。

 だいたい余裕なんかありはしない。

 出撃となれば体は勝手に震えてしまっていた。訓練とは全然違うのである。

 

 背中合わせになったアサギのジンと一緒に、必死で火線を敷いた……最後の方はもう、滅茶苦茶に撃ってただけだ。

 

 そしてやられそうになった。

 驚くような動きですり抜けて寄ってくる3機のジンに、接近戦を仕掛けられそうになったのだ。

 

 対応できない……乏しい経験からでもそれが分かって、諦めかけた。

 そして相手が大破、爆発したのだ。

 

 トールもアサギも何が起きたのかは全く分かっていなかった。

 いきなり居なくなった敵を探して、あちこちを見回して。そして気が付いたら、近くに寄ってきてくれていたフラガから褒められていた。

 もう終わったぞ。良くやった……よく生き延びてくれたと。

 それがトールの初陣だった。

 

 何もできなかったのだ。

 

 戦闘の興奮から少しでも落ち着けば、いかに自分は駄目だったか思い起こされてくる。

 

 あれだけ訓練したと思っていた射撃は当たらず、びっくりするような相手の動きでいちいち固まり、レーダーもろくに把握せずにひたすら目の前を撃ってただけだ。

 

……もちろん、フラガやナタルからすればトールとアサギは十分に良くやったと言える。

 彼らの仕事はエンジン部を守る事であり、敵の撃破ではなかったのだ。

 数日の訓練で3機の敵モビルスーツを相手に、味方が来るまでの時間稼ぎをした。

 大した物である。

 

 だがトールは、キラと自分を比べてしまっていたのだ。

 

 グレーフレームに乗ってみて、戦ってみて、やられそうになってみて分かったのだ。

 いかにフラガが遥か上の世界に居るのか。

 友達と思っていたキラが、どれだけ凄まじい事をやり続けて来たのか。

 

……全然駄目じゃんか、俺。

 

 友人のためと言いながら、全く役に立てなかった事をトールは思い知らされてしまっていた。

 

 ナチュラルと、コーディネーター。

 

 カズイの言いたい事を、トールはトールなりに、これまでとは違う感情で受け止めていた。

 

 

 

 

「……周辺に敵影は、無し……熱探査も異常なし」

 

 アークエンジェルのブリッジに、トノムラの声が響いた。

 

 ダメージコントロールや、艦内体制の再構築など。

 仕事は幾らでもあり、ここには次々と指示を求める声と、各部署からの報告が上がってくる。

 しかし、ついさっきまで轟音と振動、指示を叫ぶ声が飛び交っていた事に比べれば、静かなものだった。

 

 クルー達も気が抜けたようにシートの背もたれに体重を預けて脱力している。仕事は言っては悪いが片手間だ。

 軍艦にあるまじきふざけた態度だが、それでも叱責はない。

 

 何故なら指揮官であるマリューとナタルは席を離れているのである。

 とんでもない事だが、今、ブリッジを預かっているのはノイマン曹長だ。

 周りと同じく脱力の気配が強い。無論、仕方のない事情がある。

 

 指揮官の3人は山積みとなった仕事に手分けをして対応しているのだが、それですら手が回っていない。

 先遣隊指揮官、コープマン中佐との詳細な打ち合わせが、友軍の救助で後回しになっているのが現状なのである。

 

 とは言え。

 さっさと動きたい、ここを離れたい……それがブリッジクルーの本音だった。

 こんな宙域で止まって友軍の救助や物資の回収など、命が幾つあっても足りないと思っていたのだ。

 

 助けるのは当然、足りないなら回収して当たり前……それが敵の支配領域でさえなければ……幾らでも時間はかけたい事柄だろう。

 しかし、こっちが沈んでしまえば救助も何も無いのである。

 

 それでも留まる判断をしているのは、動こうにもエンジンの状態が深刻だったからだ。

 休ませないと危険なレベルになってしまっている。

 

 つまり今のアークエンジェルは無防備に近かった。

 

 移動したいが、そこで敵に遭遇したら今度こそ沈む。

 だから、とりあえずは周辺に敵がいないここで警戒をして、少しでも態勢を建て直そうとしているのだ。

 

 留まる方が危険では? と言う者ももちろん居たのだが。

 戦力も弾薬も乏しい状態で、まだ敵がうろつく中をあと少しだから移動しろと言われれば、大抵の者はちょっと待ってくれと言いたくもなる。

 心情の問題だ。

 

 どうせ、アークエンジェルのエンジンは休ませなければならないのだ。

 だったらいっそ、味方を救助しつつ使えそうな物を片端から拾っておこう、と……ある種の自棄になりかけていたのがアークエンジェルとモントゴメリだった。

 

 ただ、そこまで追い詰められていながらも、二隻の艦艇の、ブリッジクルーにだけは絶望感は少なかった。

 

 キラの戦闘能力を真正面から見た者達だからだ。

 

 常識外れの代物だろうが何だろうが、頼れる物があると人間は意外に落ち着ける物だ。

 

 ただ、アークエンジェル操舵手のノイマンは、その空気をあまり良い物ではないと感じていた。

 

 キラに頼るしかないと言えばそれまでだが、だからと言って、頼りきりでは、いざと言うときに動けなくなってしまう……。

 今の空気では、とてもクルーを追い詰めるような、そんな事は口に出せなかったのだが。

 

 それにノイマンは忘れていない。

 自分から、ヤマトは出せないのか? と言った事を忘れていないのだ。

 あの苦境に当たり前のように放り込んでしまった。

 

 いい加減に、信じるのか、突っぱねるのかを考えねばならないのではないかと、考えたのだ。

 

 助けてもらった義理を通さなくてはならない。

 

 

 

 

 恐らくは数百、数千の恨み言と疑問をぶつけたいであろうコープマンだが、彼はそれをぐっと飲み込んでいた。

 

 アークエンジェルの艦長を代行しているマリュー・ラミアスから、内密に話をしたい問題があります、と言われて乗艦しに来ていたのだ。

 

 避難民への説明と説得……謝罪や、帰国の保証に対する確約にはかなりの苦労をしたのだろう。

 結構な時間を待たされてしまった側のコープマンが、思わず気遣う位には憔悴していたマリューの顔。

 それが目の前にはあった。

 

 広いとは言えない一室にはコープマンとマリューしかいない……苦悩を隠せないマリューが躊躇いがちに話してきた内容、それは強烈な物があった。

 

 コープマンは嫌な予感はしていたのだ。

 護衛の者や、佐官クラスには付き従って当然の側付きの士官、そういった者まで全員を人払いして欲しいと言われた時に、とにかく、嫌な予感はしたのだ。

 

 文民統制を盾にされれば、前線にまでくっついてきたアルスター事務次官にも、かなりのところまで話さなくてはならないのだとしても、それでもマリューからはとにかく、まずは内密にと、念押しされたのである。

 

 差し出された航海日誌を読みながら、マリューから聞かされた話は正直、コープマンの手に余った。

 

 予め通信で聞いていた話と、実際に聞く詳細が違うのは仕方ない。

 それにしても見聞きするにあたって、どれもこれも面倒極まりない事ばかりなのだ。

 

 中でも特大に厄介な問題は、予想通りにヤマト准尉……キラ・ヤマトの件だと言える。

 

 同情できる点は多い。

 しかし、民間人とするには無理のある言動、実績だ。

 よくも射殺しなかった物だと言える位には、微妙も微妙な案件の連続が記録されている。

 

 コープマンがキラに対する判断を付けかねていると、マリューは躊躇いがちに、航海日誌にも記していない更に複雑な話もある、と報告してきた。

 だからキラへの対応・処遇は、できれば、本隊との合流まで保留して欲しいと。

 

 そう聞かされてコープマンは不快感を露にする。

 

「……ハルバートン提督に、直接お伝えしたい内容……? ラミアス大尉。貴官は、自分の言っている意味が分かっているのか?」

 

「はい、中佐……その、大変失礼な事とは分かっていますが、どうしても……」

 

 畏まられて、コープマンは不機嫌そうに押し黙った。

 本職ではなく、いかにも技術屋上がりと言った彼女の口調も気になるが、それは一旦どうでもいい。

 それよりも、だ。

 

 今、自分はとんでもない事を言われたのだ。

 

 お前は黙ってろと言われたのである。

 命令とは言え、助けに来たのだ。

 にも関わらず、細かい事情は聞くな。黙ってろと言われたのだ。

 

 言い方や態度の問題ではない。

 最上位者からの、沈黙していろと言う命令が出ている訳ではないのに。

 大尉が、中佐に話す訳にはいかないと判断した、と、そう言われたのだ。

 

 互いに軍人のはずである。

 より上からの指示でもない限りは、その場における上位者に従うのが大原則なのだ。

 

 戦闘中の事は仕方ないにしても。今のは。

 

「……どうしても、開示できない話だと言うのかね?」

 

「申し訳ありません……」

 

 普通であれば、マリューは処罰されるか立場を更迭されるかの話だった。

 その位の無礼な話をコープマンはされたのである。

 

 マリューもそれは覚悟の上なのか、とにかくキラの命だけは何とか助けて欲しいと頼んできているのだ。

 

 ただ、ハルバートンという男は優秀だった。

 その彼が、ここに送り込んで来たコープマンという人間が、無能の訳も無いのである。

 

 官僚と言う後方のスタッフをくっ付けられ、限定された戦力で、敵の支配宙域に友軍支援に送り込まれるような男は、無能ではなかったのだ。

 

 コープマンは不快感を見せながらも、それを、疑念や憤怒といった物を、自分の内面に押し込んで見せた。

 何を優先するべきなのかを、彼はしっかり考え、実行してみせたのだ。

 

「……確かに、ここで艦外の人間がゴチャゴチャ言っている場合ではないのだろうな」

 

 部下が多数戦死している。

 何故ここに来たのか、何のために送られたのか。

 せめて、戦わねばならなかった理由を聞かねば、兵士は納得のいくものではない。

 

 指揮官は部下に向かって、お前は何かの役に立ったと、言ってやらなくてはいけないのだ。

 

 それを分かっているコープマンは、それでも……黙る事にした。

 

「分かった。事情が複雑なのは理解した……では、それはハルバートン提督にお任せする事とする。

 ラミアス大尉は現職責において、最善を尽くすように。アークエンジェルは移動準備と救助を進めてくれ」

 

 必要とあれば中佐権限での通信コード……ハルバートン提督専用の秘匿回線に繋がる艦隊ネットワークのコードも教えよう……そう言って引き下がってくれたのだ。

 

 外から来た人間に好きにやられると腹が立つものだからな……鉄の理性を見せ、そのように笑ってくれるコープマンに、マリューは頭を下げるしかなかった。

 

 

 

 

 






 分けようかとも思いましたが、まとめて投稿しました。
 今回は3ヶ月も待たせずにすみました。

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