「……仁奈。」
杏おねーさんの言う通り、公園にはママが居ました。
仁奈を見て、悲しそうな顔をしていました。
また仁奈は、ママを悲しませてしまったのでしょうか。
「ご飯は、ちゃんと食べてる?」
悲しそうな顔のまま、ママが仁奈に聞きます。
今日は、イライラしてないみたいです。
ちょっと、ほっとしました。
「はいです。」
杏おねーさんの料理もきらりおねーさんの料理も、とってもおいしいです。
「ちゃんと、寝られてる?」
「ぐっすりですよ。」
泣いてもいいって、言ってくれました。
あの日から、夜に起きることは無くなりました。
泣きたくなったら、2人のところで泣けばいいのですから。
「ちゃんと、楽しい?」
「すっげー楽しいですよ。」
きらりおねーさんにぐるぐる回してもらうのも。
杏おねーさんと一緒にいたずらするのも。
とても。とっても。楽しいのです。
泣いちゃうくらいに、楽しいのです。
「……寂しく、なかった?」
大丈夫でごぜーます、寂しくなんかねーですよ。
杏おねーさんも、きらりおねーさんも、仁奈に優しくしてくれやがります。
だから、大丈夫ですよ。
そんな言葉が漏れるのを、必死に堪えます。
杏おねーさんは言っていました。
今日くらい、我が儘を言おうって。
「……寂しかったですよ。」
だから。本当のことを言いました。
「……ずっと。寂しかったです。」
杏おねーさんときらりおねーさんが、優しくしてくれたのは本当です。
それが嬉しかったのも本当です。
でも。
それでも、寂しかったのです。
「……ごめん。」
ママは、いっそう悲しそうな顔をしました。
仁奈が寂しいと言うと、ママは悲しんでしまうようです。
それが、我が儘を言うということなのでしょうか。
「仁奈、わからねーです。
どうして寂しいのか、わからねーんです。」
ママを悲しませるのは、嫌です。
ママのこんな顔を見るのは、嫌です。
「誰も居ないのが嫌でした。
ひとりぼっちが嫌でした。
誰かが居れば、寂しくねーって、思ったんでごぜーます。」
でも。でも。
それでも、最後かもしれないのです。
「でも。それでも寂しいんでごぜーます。
独りじゃねーのに。おねーさんたちが、居てくれるのに。
楽しいのに。嬉しいのに。
それでも、寂しいんでごぜーます。」
それが、一番嫌でした。
「なんで仁奈、寂しいんでやがりますか?
どうやったら、寂しくなくなるでごぜーますか?」
仁奈は我が儘を言い続けます。
本当のことを言い続けます。
思っていることを、そのまま言い続けます。
寂しいと、言い続けます。
ママは何も言わないまま、仁奈の方へ歩いてきました。
ゆっくり。ゆっくり。
仁奈が好き勝手に言ったから、怒っているのかもしれません。
怒っているから、殴られちゃうかもしれません。
殴られちゃっても、仕方ないです。
痛くても、それでもいいです。
仁奈は、久しぶりに。本当に久しぶりに。
ママに、素直な気持ちを言えたのですから。
「……。」
ママが仁奈の目の前までやってきました。
仁奈はかたく目をつむります。
両手をぎゅっと握りしめます。
歯を強く噛み締めます。
きっと来る、痛いもののために。
仁奈のほっぺたに、何かが触れました。
仁奈の身体は、勝手にびくりと震えます。
でも、それだけでした。
その次にあると思っていたものは、来ることはありませんでした。
ほっぺたに触れた何かは、仁奈の後ろに回りました。
それは後ろから、仁奈を押してきました。
このままでは、ママにぶつかってしまいます。
だから、ぐっと踏ん張ります。
そうしていると、顔にも何かが触れました。
あったかくて、サラサラしていて。
それが何なのか、すぐには分かりませんでした。
「……仁奈。」
ママの声が聞こえます。
仁奈の、真上からでした。
どうして真上なんでしょう?
後ろにある何かが、更に仁奈を押します。
仁奈の身体は、サラサラしているものに押しつけられました。
そっと、目を開きます。
ママが着ていた服の色でした。
サラサラしているものは、ママのお洋服でした。
あったかいものは、ママでした。
「……ごめん。」
ママは、泣いていました。
泣きながら、仁奈を抱きしめていました。
やっぱり仁奈は、ママを悲しませてしまったのです。
「ママ、その、ごめんなさいです、仁奈が、」
慌てて謝ろうとします。
仁奈を、抱きしめてくれました。
ウサギじゃないのに、抱きしめてくれました。
モフモフじゃないのに。抱きしめたって、気持ちよくないはずなのに。
それでも、抱きしめてくれました。
抱きしめられるのは、嬉しいです。
嬉しいです、けど。それ以上に。
ママに泣いてほしくありませんでした。
仁奈が抱きしめてほしかったのは、笑っているママなのです。
「ううん、違うの、これは。ママが、悪いの。」
ママの手の力が、もっと強くなります。
仁奈は声が出せなくなってしまいました。
出そうとしても、くぐもった音だけ。
少し、痛くすらありました。
でも。どうしてでしょう。
この痛みは、嫌ではないのです。
ぜんぜん、嫌なんかじゃないのです。
「ごめんね、仁奈、ごめんね、」
ママはごめんねを繰り返します。
どうして謝っているのでしょう。
謝っているということは、悪いことをしたということで。
でも、ママは悪いことをしたのでしょうか?
「……っ、ぷぁっ!」
このまま、ぎゅってしてもらったまま。
それでもいいかな、って、思ってしまっていました。
でも。やっぱり、嫌です。
ママが泣いているのは、嫌なのです。
仁奈は両手を思い切り突き出して、ママから離れました。
あったかいものが無くなって、途端に寂しくなってしまいます。
すかさず息を吸い、ママを見ます。
「……ママっ!」
我が儘。
してほしいことを、我慢せずに言うこと。
そんなの、いっぱいありました。
抱きしめてください。
側に居てください。
遊んでください。
優しくしてください。
いつか、迎えに来てください。
いっぱいありすぎて、何を言えばいいのか分かりませんでした。
今やっと、決めました。
仁奈が、ママにしてほしいこと。
「笑ってくだせー!!」
ママは、びっくりしていました。
ママの泣く声が止まっていました。
すごいです。これが我が儘というものなのでしょうか。
「……仁奈っ!」
と、思ったのも束の間。
ママは再び、仁奈を抱きしめます。
さっきよりも、ずっと強い力で。
「ごめん、ごめんね……!」
どうしてでしょう。
仁奈が笑って欲しいと言ったら、ママはもっと泣いてしまいました。
もっと謝られてしまいました。
我が儘というのは、どうやらとても難しいもののようです。
「……大丈夫でごぜーます。」
ママの声を聞いていると。
杏おねーさんが抱きしめてくれたのを思い出しました。
泣き止むまであやしてくれたのを、思い出しました。
仁奈も、ママと同じように泣いていたのでしょうか。
杏おねーさんと同じようにすれば、泣き止んでくれるでしょうか。
「泣いても、いーです。……ですから。」
ママの背中に手を回します。
とん、とん、と。優しく叩きます。
ふんわり笑って、ママの目を見ます。
ちゃんと、できているでしょうか。
「……いつか、きっとっ。」
あれ。
何ででしょう、そうやっていると。
仁奈も、泣きたくなってしまいました。
悲しくなんてないのに。
この痛みは、嫌なものじゃないのに。
仁奈が泣いてちゃ、駄目なのに。
なんで。なんで。こんな。
「笑って、くだせー。」
仁奈もママも、涙が止まりません。
このまま、涙が枯れてしまったら。
笑えるようになるでしょうか。
笑ってくれるでしょうか。
「仁奈、ママの笑ってる顔、見てーです。」
いつか笑ってくれるなら。
その時は、仁奈も一緒だったらいいな。