市原仁奈の寵愛法   作:maron5650

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19.どうか伝わりますように

仁奈ちゃんの母親は、私を見て怖がった。

陽が落ちようとしている中、誘拐事件があった街をうろつく娘を見て。

このままでは危ないからと、自宅に連れ帰ろうとしていた母親が。

それでも、私を見て怖がった。

娘を見捨てたとか、そんな糾弾をするつもりはない。

そんな批判は的外れだ。

ただ、怖かっただけなのだ。

自分が愛そうとする娘の身の安全など、頭から抜け落ちてしまえるほど。

私が怖かっただけなのだ。

 

「突然の訪問、失礼します。」

 

杏ちゃんの話によれば、仁奈ちゃんの母親は、仁奈ちゃんを愛そうとしていた。

母親は子を愛するものであると。

愛するべきものであると。

愛さなければならないと。

かつて愛されなかった彼女は、その考えに固執しているとすら言えた。

 

「市原仁奈ちゃんの、親御さん、ですね?」

 

彼女が私を怖がり、彼女が仁奈ちゃんを愛そうとしているのなら。

私のこの姿は、客観的に見て都合が良かった。

彼女は私を恐ろしいものとして認識している。

ならば。

 

「私は、あなたが加えた虐待行為の証拠を持っています。」

 

彼女を脅すのに、とても都合がいい。

 

「……こちらを。」

 

可哀想に思えるほど萎縮しきった彼女に、左上をホチキスで綴じた十数枚の書類を渡す。

杏ちゃんが夜遅くに少しずつ作っていたものだ。

彼女がそれに目を通していくにつれ、ただでさえ少なかった血が更に顔から引いていく。

 

 

 

「仁奈のママはね、ちょっと疲れちゃったみたいなんだ。」

 

私は仁奈に、簡単な手筈を説明する。

どうやって、仁奈の母親が仁奈をどう思っているかを知るのか。

その答えを出す方法を。

 

「だからイライラしちゃうし、だから仁奈に辛く当たっちゃう。」

 

女手1つで娘を育てるのは、きっとただでさえ大変だ。

その上、憎い相手の血が混じっている。

 

「仁奈のママも、それは良くないって思ってる。」

 

そんな我が子ときちんと向き合うだけの環境が、そもそも整っていない。

そんな状況で解決を急いでも、決して良い結果になりはしない。

きらりはそう分析した。

 

 

 

「今日は、あなたを訴えるために来たのではありません。

交渉をしに来たのです。」

 

彼女は精神的に疲弊しきっていた。

まともな判断ができないまでに。

そんな状態で、仮に杏ちゃんのような、小さい子がこんなことを言ったとしても。

相手にすることは無かっただろう。

 

「私とて、親子を引き剥がすことはしたくありません。」

 

日記の内容を聞く限り、彼女は杏ちゃんを「仁奈ちゃんと同じくらい小さい子」と認識していた。

杏ちゃんが17歳であると証明しても、それを受け入れてくれるかどうか。

納得してくれたとして、杏ちゃんを責任能力のある人物だと思ってくれるかどうか。

見た目というのは、特に話し合いの場において、理不尽なほど重要な要素だ。

私も杏ちゃんも、それを良く理解していた。

 

「あなたは非常に困窮しています。

肉体的、精神的、そして経済的に。

仁奈ちゃんと適切なコミュニケーションを取るための、前提条件を満たしていない。」

 

だからこそ、私なら都合が良いのだ。

初対面で彼女に恐怖を与えた私ならば。

彼女と会うだけで、話し合いの優位に立つことができる。

頭ごなしに否定されることも、耳を塞がれることも、癇癪を起こされることもない。

そんな状況で、彼女が加えた虐待について詳細に記された書類を渡せば。

彼女を、脅すことができる。

 

 

 

「だからさ。一回、休ませてあげよう。」

 

考えるだけの余裕が、彼女には必要だった。

仁奈と、どのように接するべきか。どのように接したいのか。

そもそも接するべきなのか。

 

「ゆっくり休んで。ゆっくり考えて。」

 

その最適解は、きっと誰にも分からない。

でも彼女は、答えを出さなければならなかった。

彼女は、仁奈を愛そうとしているのだから。

 

「それから、答えを聞こう。」

 

それがいつになるのかは分からない。

彼女が答えを出すその日は、いつになるのか分からない。

それでも。いつか答えは出る。

 

 

 

「その日まで、私が仁奈ちゃんを育てます。」

 

正確には、私と杏ちゃんの2人で。

実際のところ、育てる、なんて大層なものではない。一緒に暮らすだけだ。私達にできるのは。

私も杏ちゃんも、アイドルとして軌道に乗ってきている。

仮にすぐ失脚したとしても、3人で暮らしていくだけの資金は既に貯まっていた。

経済的な点に関しては、問題はなかった。

 

「ですが、これはあくまで応急処置です。

仁奈ちゃんには愛情が必要で、私にはそれは与えられません。」

 

仁奈ちゃんを抱きしめてあげることはできる。

叱ってあげることはできる。

料理を作ってあげることはできる。

 

「あなたがどちらを選ぼうと、私はこれ以上の干渉はしません。

仁奈ちゃんと暮らさなければあなたを訴える、といったことはしません。

一度落ち着いて、ゆっくりと考えてくだされば、それだけで構いません。

その上で、あなたが決めてください。

仁奈ちゃんと一緒に暮らすか。暮らさないか。」

 

でも、母親にはなれない。

仁奈ちゃんの母親は、今目の前に居る、この人しか居ない。

それの代わりなんて、誰一人としてなれるはずがない。

なっていいはずがない。

 

「答えが出るまで、私が預かります。」

 

 

 

「……それは、分からない。」

 

仁奈の母親が、どんな選択をするのか。

仁奈の望む選択をするのか。

それは、本人にしか分からない。

 

「だから。最後になるかもしれないから。」

 

こんな小さい子に言うべきことじゃない。

こんな小さい子が、1人で決められることじゃない。

そんなこと、私にだって分かっていた。

だから。

私も向き合うと決めた。

仁奈に、幸せになってほしいから。

逃げ続けるままの私が、言うことが許されるものじゃないから。

仁奈と一緒に、向き合うと決めた。

 

「会いに行こう。

会って、1回くらい、我が儘を言おう。」

 

1人で失敗するのは怖いけど。

一緒に失敗するなら、少しだけ安心する。

そんな、後ろ向きな前の向き方。

そして仁奈は、向き合うことを決めた。

 

 

 

「1つだけ、条件があります。」

 

彼女がどんな選択をするか。それを強制することはできない。

それを強制したとして、それは仁奈ちゃんの望むものではない。

 

「仁奈ちゃんに、会ってあげてください。」

 

だから。これが最後である可能性も、十分にあった。

もう二度と触れられない。

もう二度と会えない。

そんな可能性が、確かに存在していた。

 

「会って、我が儘を聞いてあげてください。」

 

だからこそ、仁奈ちゃんの面倒を見る交換条件として提示した。

怒られて。傷付けられて。そんなのが最後だなんて。

そんなのは、嫌だから。

 

 

 

 

 

「……ママ。」

 

下を向き、小さい声で。

それでも、キグルミを着ていない。

ウサギを脱いだ市原仁奈は、ぽつりと呟いた。


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