市原仁奈の寵愛法   作:maron5650

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11.緊急事態

どうやって家を後にしたか、覚えていない。

私の意識は、踏切の音に叩き起こされた。

 

 

 

市原仁奈の母親は、孤児だった。

日記にあった「施設」……恐らくは児童養護施設にて生活し。

高校を卒業と同時に就職、そして施設を卒業した。

これからは、自分1人で生きていく。

そんな期待と不安の同居した新生活は、たったの2ヶ月で終わりを告げた。

 

襲われたのだ。

5月1日。

仁奈の誕生日の、284日前に。

妊娠40周目。出産予定日とされる日から、たったの4日しかズレが無い。

 

両親の居ない彼女にとって、相談できる相手は施設の人間だけだった。

そして彼女はそれを拒んだ。

彼女は施設の人達に深く感謝し、同時に負い目を感じていた。

独り立ちできるまで面倒を見てくれた。それだけでも十分過ぎた。

これ以上迷惑をかけたくはなかった。

音沙汰が無いことを心配して様子を見に来た友人も、同じ理由で遠ざけたのだろう。

同時に、知られたくなかった。

自分が汚されたことを。最早全く幸せなどではないことを。

自らの旅立ちに、備品であるはずの机を贈ってくれるような優しい人々を、悲しませたくなかった。

 

彼女は産むことを決意した。

何故なら彼女は、親の身勝手で捨てられた。

腹に宿った生命を殺すことは、彼女がかつてされたことと同義だった。

両親を深く恨んだ彼女は、それと同じ存在になることを拒絶した。

 

そして彼女は仁奈を出産した。

 

全てが記されていた。

何故仁奈を傷付けたのかも。

何故仁奈の口調がああなったのかも。

何故キグルミを着るのかも。

何故アイドル事務所に仁奈を託したのかも。

何故仁奈の口から、父親の話が殆ど出てこないのかも。

それら全ての解答が、震える文字で記されていた。

 

愛そうとしていないのではなかった。

彼女は仁奈をまっとうに育てようとした。

しかし、どうしようもなく失敗した。

当然だ。

高校を卒業したばかりの、しかも望まぬ出産だ。

頼る相手だって1人も居ない。

そして育てば育つほど、憎い相手が重なって見える。

これ以上ない袋小路だった。

生命を育てる重圧を背負うには、その肩はあまりにも小さかった。

 

アイドル事務所に子供を預けるなんて、およそまともな判断ではない。

確かにそうすれば、仁奈は親に捨てられた子だというレッテルを、一応は回避できる。

だが事務所側が拒絶すればそれで終わるし、むしろあの状況で受け入れる彼が異常だ。

それでも彼女は、それに縋り付くしか無かった。

かつて憧れて、境遇を鑑みて諦めた自らの夢。

正常な思考が出来ないほど追い詰められた彼女は、それを我が子に託した。

 

「……どうしろってんだよ……!」

 

誰にでもなく悪態をつく。

こんなこと、知りたくなかった。

自分の子供を虐待した、人として最低のクソ野郎。

そんな短絡的な帰結のままで居てもらった方が、余程マシだった。

 

どうすればいい。

彼女もまた被害者だ。

どうすればいい。

彼女を罰して、それで終わりではなくなった。

どうすればいい。

仁奈を救う道は絶たれていなかった。

しかし、どうすればいい。

この状況から親子2人が救われるには、どんな奇跡が起きればいい。

 

分からない。

親子のあるべき姿なんて、私には分からない。

親が子に、子が親にどう接するべきかなんて、私が知るはずがない。

この異常な関係性を正常に戻す手段なんて、思いつくわけがない。

 

「……でも。」

 

でも、きらりなら。

私とお父さんとの関係を正してくれた彼女なら。

この状況を打破する方法を、何か思いつくかもしれない。

私は携帯を取り出し、連絡帳からきらりの項目を呼び出す。

電話番号をタッチしようとしたところで、画面が勝手に切り替わった。

 

「……もしもしプロデューサー? 悪いけど今……、」

 

彼だった。

どんなタイミングの悪さだ。苛立ちすら覚えた。

早口にまくし立て、さっさと通話を切ろうとする。

 

『市原が1人で帰った!』

 

焦りの色に染まった声がスピーカーから漏れる。

画面に触れようとした人差し指が、空中で静止した。

 

「……何やってんのさ、仁奈は……!」

 

『目を離した隙にやられた。迷惑をかけたくないと置き手紙まで残して!

もう日が暮れる、1人で帰らせるのは……!』

 

「違う!! あの子今鍵持ってないんだよ!!!」

 

焦燥のままに叫ぶ。

仁奈の鍵は、市原家に忍び込むために私が持っている。

1つだけ外すなんて悠長なことをしていたら気付かれる可能性があった。

だからキーホルダーごと拝借した。

そして仁奈はまだ、そのことに気付いていない。

 

「仮に無事に家に着いて! 鍵が無かったら落としたと考える!!

だったら来た道を辿って探すに決まってる!!」

 

彼の言った通り、もうすぐ日が暮れる。

最近誘拐が発生したとも言っていたはずだ。

年齢以上に幼く見えるあの子だ。1人で出歩かせるのは危ない。

家に帰るだけでそれだ。ましてや家から事務所までの間を歩き回るなんて……!

 

『何で鍵を……!

……とにかく、諸星にも連絡はした!

だが様子が変だった! 彼女1人に任せるのも危険だ!!』

 

きらりの様子が変……!? 任せるのも危ないって!?

どういうこと!? どうしたんだよ、きらりは!!

 

「……ああもう! 急ぐから、プロデューサーも急いで!!」

 

『もう走ってる!!』

 

通話を切り、走り出す。

何が何だか分からなかった。

分からないけれど、とにかく仁奈を見付けなければ。

それだけを考えて、私は短い手足をがむしゃらに振り続ける。

 

 

 

 

 

仁奈を最初に見つけたのが、きらりでなかったなら。

ここまで事態が悪化することは、きっと無かった。


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