市原仁奈の寵愛法   作:maron5650

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0.寂しいウサギと捻くれうさぎ

親とは、神様だ。

 

大袈裟と言う人も居るだろう。皮肉と言う人も居るだろう。

だが、この少女にとって。

この言葉は、大袈裟でも皮肉でもなく。

ただの、真実だった。

 

当然、親は神様ではない。

だから、例え見放されても、死ぬことはない。

世界が滅亡するようなことは、有り得る筈がない。

 

そんなこと、少女は知り得ない。

 

神様は自分よりも上位に位置する存在であり、気分1つで自分をどうすることもできる。

だから、少女は考える。

神様に嫌われない方法を。

だから、少女は懇願する。

神様の寵愛を手にするために。

だから、少女は歪んでいく。

それが悪いことと気付きもせずに。

 

それは神様が望んだ姿ではなかったのに。

 

まだ少女は、それに気付かない。

だから今日も、神様の言いつけに従っていた。

真夏の炎天下、とあるビルの入り口で。

キグルミに閉じこもったまま。

市原仁奈は、待ち続けていた。

 

 

 

暑さで頭がやられたんだろう。

私はそう思い込むことにした。

だって、考えてみて欲しい。

忘れ物を取りに夏休み中の事務所に来たら、自分と同じ背丈のウサギが居た。

そんなこと、あるわけがないじゃないか。

予想外過ぎるあまりに思わず後ろを向いてしまったぞ。

 

きっと、ニートにこの日差しはきつ過ぎたんだ。

片手で握ったぬいぐるみで乱雑に額の汗を拭い、深呼吸を1つ。

気持ちを落ち着け、ゆっくりと振り返る。

そうすればほら、あの不可解な幻覚も消え……

 

「……。」

 

「……。」

 

ない。まずい。目が合った。

えっ、何、なんでこっちを見るんだ。

というか何故事務所の前にぽつんと立っているんだ。中に入らないのか。

入られたらそれはそれで怖いが。

 

「うさぎ……。」

 

ウサギがぽつりとそう言った。

はいそうですね、あなたはウサギです。見紛うはずもありません。

……と、思っていたが。

どうやらウサギは私ではなく、私が持っているものを見ていた。

 

「……これ?」

 

試しに差し出してみたところ、ウサギはこくこくと頷いた。

自ら扮するあたり、好きなのだろうか。ウサギ。

 

『……ウサギさんウサギさん、あなたはどうしてそこに居るのです?』

 

私よりも少しだけ低い背丈。

私が小学4年生の平均程度だから、きっとそれ以下。

そして、キグルミを着て外出する程度の年齢。

小学1.2年か、あるいは幼稚園の年長……これは言い過ぎか?

ともかく、その程度には幼いと判断し、ぬいぐるみを私の顔の前に。

ぴょこぴょこと耳を揺らし、声色を変えて尋ねてみる。

これで、警戒心は多少薄まるだろう。

 

「ママが、ここでアイドルにしてもらうって、言ってたので……。

だから、来たですよ。」

 

アイドルに、してもらう?

ということは、面接に来たということだろうか。

しかしそれなら、とっくに中に入っているはずだ。

いや、そもそも。

 

『ママはどこに居るのです?』

 

これだけ幼い少女だ。たった一人で事務所まで来ることは無いだろう。

と、思っていたのだが。

 

「ママは、忙しいので、もう仕事に行っちまったです……。

仁奈しかいねーです……。」

 

……これは。まさか。

1つの、良くない予感が脳裏によぎる。

それは、私の経験と深く結びついていたからでもあった。

ひょっとしたら、この子は。

 

ウサギの横に立ち、事務所のドアノブに手をかける。

……ガチャン、と、拒絶の音が響いた。

プロデューサーが、居ない。ということは。

事務所に連絡が来ていないということだ。

こちらに何も言わず、ただ、ここに子供を置いただけということだ。

真夏の日差しの中に、キグルミを着た子供を。

 

「……いつから、ここに居るの?」

 

ぬいぐるみを使うのも忘れて、私はウサギに問いかける。

ウサギは少し驚きながら、「ずっと」とだけ答えた。

 

「とにかく、中に入ろう。」

 

ポケットから合鍵を取り出し、ドアを開ける。

即座に冷房をつけ、ウサギを座らせる。

フード部分を脱がし、タオルで顔の汗を拭った。

 

「ちょっとだけ、待っててね。」

 

グラスに氷と麦茶を放り入れて手渡す。

自分用にも同じものを作り、一気に飲み干す。

さて、どうするか。

数秒の思考の末、ひとまずプロデューサーに確認を取ることにした。

 

 

 

 

『……いや、そんな話は来てないぞ。』

 

やっぱりか、という声を、麦茶と共に流し込んだ。

 

「ねえ、プロデューサー。これって……。」

 

『身分証明。銀行口座。その辺りのものを持たせていれば、ほぼ確実だろう。』

 

そう言われて、再びウサギに視線を向ける。

始めて来た場所に不安げな表情を浮かべながら、クリアファイルを大事そうに両手で抱えていた。

 

「それ、ちょっと見せてもらっていい?」

 

中身を確認すべく、ウサギに問いかける。

しかし。

 

「……建物の中の大人の人以外に渡しちゃダメって言われたですよ。」

 

と、更にぎゅっと抱きしめられてしまった。

……こんなことをする癖に、そういうところはしっかりしているのが癪に障る。

 

大人の人、か。

あの明るい親友くらい大きかったら、そう見られていたのかな。

きっとこの子は、私を同年代だと思っているだろうから。

 

「……大人の人以外に渡しちゃダメ、だってさ。」

 

再び受話器に顔を近づけ、溜息混じりに告げる。

直接確認はできなかったが、その反応を見れば十分だった。

 

『なら、双葉の考える通りだろうな。』

 

長く深い溜息をついて、彼はそう答えた。

 

「今から来られる? 大人の人。」

 

「そうするしかなさそうだ」と残して、彼は通話を切った。

 

 

 

程なくして、彼がやってきた。

彼がウサギに声をかけると、ウサギは素直にファイルを手渡した。

 

「……何が入ってたの?」

 

中に入っていた紙の束を取り出し、一枚ずつ目を通していく。

読み進める度に険しくなっていく彼の表情を見て、私は若干察しつつもそう尋ねる。

 

「自分の子供を使って荒稼ぎしたいから後はよろしく、だとさ。」

 

吐き捨てた要約には、彼の感情がこれ以上なく詰まっていた。

 

「……家の住所は?」

 

「あると思うか?」

 

苛立ちを隠すこともせずに冷たく返す。

 

「……ねえ。ここからお家に帰る道って、分かる?」

 

事務所と契約をするにあたって、通常は記載するであろう住所。

それが書かれていないことの意味は。

 

「わからねーです……。

家からタクシーに乗って、ずっと走って来やがりましたから……。」

 

彼女が帰るべき暖かい家は、最早存在しない。

 

彼の眉間の皺が、更に深くなる。

事務的なやり取りが殆どとはいえ、もう短くない付き合いだ。

彼の気持ちは、よく分かる。

何故こんな小さい子を。

何故こんな目に。

しかも、よりによって。

 

何故、双葉杏がこれを見なければならない。

 

彼は、私の過去の全てを知っている唯一の人。

この小さなウサギの姿に何を重ねてしまうのか、容易に想像がつくのだろう。

それに苛立ちを覚えてしまえる程度には彼が優しいことも、今ではよく分かる。

 

「この子の寝床、すぐには用意できないでしょ?」

 

そして、だからこそ。

 

「ああ。だからひとまず……」

 

放っておけるわけがない。

 

「いいよ。私の家で。」

 

このまま見なかったことになんて、できるわけがない。

 

「……大丈夫なのか? この子は、」

 

どうしようもなく重ねてしまう。

寂しくて、寒くて、だから必死に笑っていた。

誰でもいいから側にいてほしかった。

 

「うん。だから、先人の杏の方がいいでしょ。……何かと、さ。」

 

一緒にご飯を食べて。一緒に他愛もない話をして。

それにどれだけ救われたか。

それがどれだけ嬉しいか。

 

「……分かった。」

 

きっとこの子も、それを求めているはずだから。

 

「……うさぎさんのお家に行くですか?」

 

私達の不穏な雰囲気を察したのだろう、不安げに眉を八の字にしたウサギは、私の服の裾を控えめに掴んだ。

 

「……うん。お家に帰れないのは嫌だと思うけど、ちょっとの間だけだから……、」

 

この年頃の子供が、見知らぬ場所、見知らぬ人の中に一人残される。それはきっと、とても怖い。

だから私は、その恐怖を少しでも軽減させようと明るい声を作る。

しかしウサギは、力なくかぶりを振った。

 

「家に帰っても、誰もいねーです……。

ママは忙しいですし、パパも、お仕事で海外に……。」

 

甘かった。

この子に対する認識が、甘かった。

家に帰れば、親が居て。

……どんなことをされてるか分からないけれど、親が居て。

どんなことをされていても、それは親だから。

だから帰りたい。

そんな状態ですらなかった。

 

「……そっ、か。」

 

母親も父親も家に居ない。

ずっと一人で。

一人だけで。

それならば、家に居たくない。

帰りたくなんてない。

 

家に帰る意味がない。

 

例え見知らぬ場所であろうと。会ったことのない人だとしても。

誰かが居るのなら。

誰かが居てくれるのなら。

その方が、ずっといい。

そう思えてしまえるまでに、この子は。

 

「……うさぎさん。」

 

フードを目深にかぶり、ウサギはぽつりと呟いた。

 

「うさぎさんのお家に行ったら、仁奈は寂しくねーですか?」

 

それは、その年頃の少女が抱くには、あまりに不釣り合いな不安。

自分の家では寂しさは埋まらない。

私の家に行けば、欲しいものが手に入るかもしれない。

 

「……大丈夫だよ。」

 

でも、期待するのが怖い。

だって、母親ですら与えられなかったのだ。

自分を最も愛して然るべき、母親ですら。

 

「忙しくても、ちゃんと仁奈のそばにいてくだせー……約束してほしーです。」

 

だから。

期待して、それでも手に入れられなかったとき。

その時に襲いかかる喪失感。

それを味わうのが、怖いのだ。

 

「うん。」

 

それを少女は知っている。

期待を裏切られる痛みを。

この幼さで、知っている。

期待するのを恐れるほどに。

欲しいものが手に入るかもしれないとしても。

それでも一歩、立ち止まってしまうほどに。

 

「約束……ゆびきりげんまん、です。」

 

どれだけ繰り返したのだろう。

期待して。裏切られて。傷付いて。それでも期待してしまう。

その繰り返しを、どれだけ経験したのだろう。

 

私に出来ることなんて、きっと数えるほどしかない。

でも。一緒に居るだけでいいのなら。

一人にしないだけでも、この子が喜んでくれるなら。

 

「うん、約束。」

 

決して離してしまわぬように。

差し出された小指に、しっかりと指を絡ませた。

 

 

 

「じゃあ俺は、この不備だらけの書類を何とかするよ。」

 

話がついたことを察したプロデューサーが、空気を変えるようにそう言った。

この口座に生活費が振り込まれるとも限らないからな。

そう続けて、クリアファイルをひらひらと揺らしながらPCへと向かう。

 

「じゃ、帰ろっか。」

 

忘れ物も回収したことだし。

片手で紙袋を持ち、ぬいぐるみを抱える。

それとは反対の手で仁奈の手を取り、笑いかける。

 

「……はいです。」

 

仁奈は、まだ、不安げな表情のまま。

それでも、しっかりと手を握り返してくれた。

 

 

 

 

「もしもし、きらり? 今から帰るよ。あと、食事の準備お願い。……3人分。」


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