洞窟を出て森の中を進むこと十数分。
先ほどの雨が嘘だったかのように、木の間からは日が漏れていた。
森は鬱蒼と生い茂るジャングルの様ではなく、人が十分に歩けるほどの足場も確保されていた。
『こんな状況』でなければ、写真家もハイキング気分で足を進めるだろう。
しかし現状が把握できない彼にとっては、これから起こるであろう出来事が不安材料で、自覚もないままに顔をしかめる。
「主人様、顔怖いよ? お腹痛い?」
レグは心配そうな表情で写真家の顔を見つめている。
彼女は写真家のことを慕っている。
主人がそんな顔を見せれば、心配するのも無理はなかった。
犬は本来、群れで活動する動物だ。
コミュニケーションをとり、互いの体調などの状態を把握することで、群れの安全は保たれる。
逆を言えば群れに一つでも欠点が出た時点で、その群れは危険に晒される可能性がある。
レグが心配性に見える理由はそこにあるとも言えた。
「写真家さん……? 疲れちゃいました……?」
そしてもう一匹。写真家の事を気にかける動物がいた。
アードウルフ。彼女も家族単位の群れで生活する動物だ。
彼女はレグとは違い心配性というより、おどおどとした話し方から臆病という印象を受ける。
「いや、大丈夫だ。心配させちゃったか」
写真家は頬を両手でパンと叩き、二匹を心配させない様にぎこちない笑顔を見せる。
表情を変えるが、それでも彼の内心は晴れる事ない。
あの襲ってきたセルリアンはどこに行ったのか。そして、記憶媒体が無事なのか。
いくつもの不安材料に、彼の表情はすぐに曇る。
「あらら、こりゃ重症だね」
「写真家さん……」
心配する二人をよそに、写真家はまた深い思考に沈んでいく。
彼が意識を手放す前に撮った写真に写っていたのは、翼竜のような翼を持った謎の存在。
アドの発言から、彼はその存在が『セルリアン』だという事を理解した。
「アド? あれ飛ぶんだよな?」
「あれって……、セルリアンのことですか……?」
アドは突然の質問に、少し驚いたように質問に答える。
「そう、その反応は肯定ってことだよな……」
「あんなに大型のセルリアン……。初めて見ました……」
「そうか……」
そして写真家はまた思考に戻る。
彼は手に持っているカメラを操作すると、データの中からまた件の写真を確認した。
写真には周りの物も写り込んでいたため、完全な対比はできないがセルリアンの大きさを測ることはできた。
周りの木の、端に写っているテントの大きさから考えて、その大きさは7.8メートルにもなることがわかる。
「翼開長がケツァルコアトルス並みか。襲われたらひとたまりもないな」
「けつぁ? 主人様何言ってるの? 考えすぎておかしくなった?」
「レグさん……。その言い方ちょっとひどいですよ……?」
「おかしくなってはないが……。正直な話、驚いてるよ」
写真家はセルリアンの写真が写っているディスプレイを二匹に見せる。
「白亜紀……。えっと、今からずっと昔にいた動物に、翼竜ってのがいるんだ」
写真家は言葉を選びつつ、二匹にもわかるように説明を始める。
「そいつは羽の長さ。広げると10m近くにもなって、まぁそいつは人を襲うかはわかんないが……」
二匹は写真家の説明を食い入るように聞いている。
少し考えた後、写真家は話を続けた。
「少なくともあいつは襲ってきた。セルリアンお前たちフレンズを襲う。それで間違い無いよな?」
写真家はアドの顔を見つめて質問する
アドはそれに頷いて答えた。
「そうです……。だからハンターみたいにフレンズを守るフレンズがいるんです……」
「自警団的なポジションか。今から行くところはそいつが居たところだ」
「だからボクも危険って言ってるでしょ?」
レグは今からでも写真家を引き止める気があるような言い方をする。
それに写真家は苦笑いをした。
「だから気をつけていこうって話だ。アドはハンターだし、いざとなったら頼れるんだろ?」
「えっ!? あっ、その……。はぃ……」
突然振られた期待の言葉に、アドは尻すぼみの言葉を発した。
いつもより一層おどおどした話し方に、写真家もレグも首をかしげた。
「とにかく、あの場所にあいつが居たら諦めよう。居なかったら物資を持って撤退だ。アド、引き続き道案内頼むぞ」
「はっ、はぃ……」
写真家は二匹に軽く行う事を説明すると、再び道案内を始めるアドの後ろをついて行く。
それからまた十数分足を進めると、徐々に木々の本数も減っていき、地面の土の様子も変わっていく。
粒子が細かく、砂と呼べるような形状に変わって行った。
同時に、あたりに漂う潮の香りは、目的地が近づいてきていることを全員に知らせるようだった。
「んっ……」
暗い森を抜けると、明るさに幻惑されたように写真家は瞳を細めた。
その一瞬後、視線の先にどこまでも続く青が広がっていた。
写真家は辺りを見回す。
そしてすぐにその場所を見つけた。
「やっぱ壊されてんな……」
「写真家さんの巣ですか……?」
「巣か。ふふっ、まぁそんなもんだな」
アドの動物的表現に、写真家は思わず口から笑いをこぼす。
そしてテントの残骸へと近づくと、その周辺を漁り始めた。
無残にも壊されたテントの中を確認する写真家。
しかし中には荷物は残っておらず、あたりに散らばったいくつかの物品が確認できるだけだった。
「食料は一つも残ってないな……」
「主人様! これこれ!」
「おぉ! バックパックは無事だった……って、口が開いてるな」
「写真家さん……? それなんですか……?」
「あぁ、背負って物を運ぶ……袋だな」
アドへの説明を手早く終わらせて、写真家は中身を確認し始める。
中のものを一つずつ外に出して確認を始める。
懐中電灯、小型のナイフがついたマルチツール、カメラの予備バッテリーと充電器、フリスビー、そして水筒。
中に残っていたのはそれだけで、他の小物を入れる場所を必死に探すが、写真家は目当ての物を見つけられなかった。
「ない……マジか……。てかレグ、これお前が入れたんだろ……?」
呆れたような、そして気力がないような表情でレグにそのフリスビーを見せつける。
「フリスビーぐらいいいじゃん……」
レグは怒られている事を気にしないと言わんばかりに、顔を背けてみせた。
「はぁ、しかし参ったな……。記録媒体はどこに行った? 足が生えて走って行く訳ないし……」
「それ開いてたよね? もしかしてセルリアンが?」
「まさか……。食料ならまだしも、興味ないだろ。こんなもん」
「あの……写真家さん? あれも写真家さんの巣ですか……?」
何かに気づいたように、アドは立ち上がって目を細めてある一点を指差した。
「いや、他には……」
写真家はその指さにの指す方向を、瞳を細めて凝視する。
「……あれ?」
そして、それが何かを理解するまでに、数秒の沈黙。
彼は小さく一言をつぶやくと、立ち上がって驚愕の表情を見せた。
「おい、おい! 嘘だろ!?」
写真家はアドが指差している方向へと突然猛ダッシュを始めた。
二匹はいきなりのことに、目を見開いて走って行く写真家の背中を見つめる。
「しゃ! 写真家さんっ……!」
「主人様っ!?」
次にアドが走り出す。
レグはバックパックの中から取り出した物を乱暴に詰め込むと、アドに続く。
「おい! 冗談だろ!?」
写真家は息をあげながらその物をただ呆然と見つめる。
全体は白く、胴体を吊り下げる形に翼がついている。
その翼も、一部が折れており、内部の構造材が見えている。
胴体は後ろ半分が脱落したように見えた。
胴体の先頭部分は原型がわからないほどに潰れていて、内部には何か割れたような破片も飛び散っている。
「写真家さん……?」
呆然とする写真家に、写真家の元にたどり着いたアドは心配そうに声をかけた。
「なんですか……? これは……?」
今まで見た事がない物に、アドは思わすそんな声を上げた。
「飛行機だ……。飛行機。正確には飛行艇……。海に降りれて……」
反射的にだろうか、感情のこもって居ない声で、写真家はアドの質問に答える。
そしてトボトボとその『飛行艇』に近づくと、中を確認する。
誰も乗っていない。
波際に流れ着いたような状況に、海に墜落してここまで流れ着いた事が理解できる。
写真家は無理を言って飛行艇を出してもらい、沖に停泊させてボートでここまでたどり着いたのだ。
それが墜落してここにあると言うことは、写真家を絶望させるには十分な光景だった。
「主人様! これって!?」
そして遅れてやってきたレグは、その場にバックパックを落とすと、写真家と同じように驚きの声を上げる。
レグはそれが何かを覚えていた。
「これ、ひこーきだよね……?」
「死体はないから……。パイロットは逃げられたと信じたいが……これじゃ……」
「えっ、どういうことなんですか……?」
二人のやりとりに、アドは困惑したように二人を交互に見た。
「アド、俺たちはパークの外から来たんだ。この『飛行艇』に乗って」
その様子を見た写真家は、アドにわかるように説明を始めた。
「パークの外……? 外にも『ちほー』があるんですか……?」
写真家の説明にも、アドは信じられない。といった表情を浮かべる。
「俺はある目的があったここに来たんだが、一週間。七日経ったらお前が言うところの外の『ちほー』に帰る予定だったんだ」
深刻そうな表情で、再び『飛行艇』の残骸を見ながら言葉を続けた。
「これが迎えに来る予定だったんだが、どうやらそれも無理らしい……」
「これって生きてるんですか……? 死んじゃったんですか……?」
「生きてはないが……、動かなくなったということは死んだって表現も正しいか……」
深くため息をついて、写真家はもう一を飛行機の残骸を確認した。
「くそ……、記憶媒体も! 帰りの足もなくなった!」
写真家は込み上げて来る感情を抑えきれずに、膝をつくと地面を強く殴りつける。
全く弾力もない砂の感触に、彼の胸に虚しさすら込み上げて来た。
「えっと、えっと……。写真家さん……。落ち着いて……くださぃ……」
写真家の行為に怯えながらも、アドは写真家の横にしゃがみ込んで、彼の背中をさすっている。
背中から伝わる感覚に、写真家はすぐにハッと我に返った。
「アド……。すまん、ありがとうな」
写真家は感情的になったことを後悔した。
そして怯えながらも、自分のことを心配するアドに勇気付けられたのか、表情を正す。
「ちょっと驚いただけだ。怖かったか?」
「いっ、いえ、大丈夫……です……」
「そうか、よかった」
写真家はいつもレグにしているように、軽くアドの頭を軽く撫でる。
アドはその行為に驚いたような表情を見せると、恥ずかしそうな笑みを見せた。
写真家はアドが落ち着いたことを確認すると、レグが落としたバックパックを背負う。
「主人様! これっ!」
いつのまにか写真家の視界から消えていたレグが声を上げる。
「どうしたっ! 何かあったのか?」
レグの声は飛行機の反対側から聞こえた。
写真家とアドは、急いで飛行機の反対側へと回ると、すぐにレグが呼んだ理由を理解した。
「これ爪痕じゃないのか……?」
機体を大きく裂かんばかりの巨大な爪痕が胴体についている。
胴体が折れていない事が不思議なぐらいに深く裂かれていた。
機体の反対側の折れた翼にも、同じように深く爪痕が残っている。
これらを見るだけでも、墜落の十分な原因になり得る物だった。
「この傷は……。もしかして……」
「アド? もしかしてだが……」
写真家の脳裏に浮かぶ言葉は、口から発したくもない物だったが、すでに考えには達していた。
「あのセルリアンがやったものかと……」
そして、アドは写真家が考えた言葉を代わりに口にした。
いくら大型の翼竜だったとしても、飛行機に使われている金属を割くほどの爪は持っていないだろう。
しかし、アドの言うように、この裂かれた傷がセルリアンのやったものだとすれば、翼竜以上の戦闘能力を持っていることは明白だった。
その事実に、写真家の心は穏やかではなくなる。
「主人様。早くここから離れたほうがいいよ」
「写真家さん……。あの、私も……そう思います……」
二匹はソワソワと急かすように写真家へと告げる。
この傷を見たことによって、野性的感から危険を察知したのだろう。
「しかし、媒体が見つかってないし……」
「そんなの! 死んじゃったらどっちにしろ意味ないよ!」
「そうですよ……。長く同じところにいるのは……。危険……です」
二人の必死そうな説得に、若干の沈黙を見せた写真家。
そして何かを決心したかのように、二、三度頷いた。
「わかった、今見つかった物資を集めたら、とりあえずここから離れ——」
——その瞬間。
写真家の目前に降りて来る影に言葉を詰まらせた。
大きく羽ばたく巨大な翼。その羽音は悪魔の叫びにも聞こえる。
胴体は太陽の光に不自然に煌めき、半透明に体の向こうを写していた。
その姿を確認した一瞬後。
「グギャーーーーーー!」
咆哮のような、辺りに響き渡る声を上げるそれは、明らかに写真家たちへの敵意を伝えるものだった。
「セルリアンっ!? 逃げるぞっ!! レグっ! アドっ!」
「うっ、うんっ!」
「あっ、はいっ!」
まともに戦っても勝ち目はない。
写真家はあっけにとられた二匹に、我を取り戻させるように叫ぶと、そのまま砂浜を離れるように走り始める。
しかし敵は空を自在に飛べる翼を持っている。
セルリアンは逃げる獲物たちを、逃すまいと大きく羽ばたく。
そして、巨大な体とは思えない機敏な動きで、いともたやすく写真家たちの前へと回り込んだ。
「くそっ、デカイ割によく動くやつだ……!」
「写真家さんっ、レグさんっ! ここは私に任せてっ……、くださいっ……!」
「そんなことできるかよっ!」
写真家とレグの前に出て、構えるアド。
しかしその脚は震えていた。
これだけ巨大なものを眼の前にしては、誰だとしても同じ反応を見せるだろう。
「わっ、私はっ……ハンターですから……」
その言葉は誰かに聞かせるようなものではなく、アドが自分に言い聞かせているように聞こえた。
「主人様! このままじゃ……!」
「あぁ、わかってる! わかってるって!」
絶体絶命。
空も制す事ができるような強敵に、写真家は最善の策を導き出そうと必死に考える。
しかし敵もそう長くは待ってくれないだろう。
太陽が沈みかかっている砂浜で、戦いは始まったばかりだった。
需要があれば続けていくかなぁと。
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