ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯97 零の心

 嗤うのならば嗤え、と。自嘲気味に言ってのけた自分に、リックベイは言葉少なであった。

 

 トウジャを自分勝手に動かした挙句、目的も達成出来なかったでくの坊。このような半端な人間、居ても邪魔なだけだろう。

 

 そう問い質した桐哉に銀狼は冷静であった。

 

「君は自分に価値がないと思っているのか」

 

「そうとしか、思えないでしょう。今だって……」

 

 濁した桐哉は三日の昏睡の後に目覚めた自分の生態モニターにやはりというべきか、愕然とした。

 

 依然として示されるのは死の値。バイタルゼロ、脳波ゼロ。生ける屍を前にしてC連合のエースとは言え、どう扱う事も出来ないはずだ。

 

 ここで捨てるのならば捨てて欲しい。

 

 その思いが胸にあった。《プライドトウジャ》は自分が搭乗した事で恐らく解析が始まっているに違いない。

 

 あれを完全に模倣するのに、C連合ほどの適任もなかった。祖国では《プライドトウジャ》は異端の人機。比してC連合では完全に新型として製造出来る。血塊炉の安定供給も約束されている大型国家だからこそ、恥も外聞も捨ててただ単に利益に走れる事だろう。

 

 だから、もういいだろうと言いたかったのだ。

 

 もう自分などの存在にこだわらなくとも、いくらでも替えが利くだろうと。《プライドトウジャ》だってそうだ。やり辛いハードウェアの機体は分かりやすいソフトウェアに還元される。

 

 トウジャタイプの量産は時間の問題であろう。自分が一線を引いてきた事で保たれてきた均衡が破られようとしている。

 

 だが、それでもいい、と桐哉は諦観していた。

 

 祖国の、ゾル国のため。身内は売れないと考えていたが、祖国は自分の信じたものをこの世から証明さえも消し去った。

 

 自分の目の前でリーザ達がプレスガンの高熱を前に蒸発したのだ。

 

 全てを失った。何もかも、守るべきものさえも。だから、もう何も要らない。名誉も、栄光も。これから先の未来も。

 

 誰かを守る事さえも出来ない英雄など誰が呼んでいるものか。ここで命を散らす事、許して欲しいというのが本音であった。

 

 しかし運命は死という名の安息を許さない。

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の呪縛は健在である。《プライドトウジャ》さえ破壊されれば途切れるであろう因縁。解析の始まった今ならば《プライドトウジャ》というオリジナルを破壊したところで何も痛くはないはずだ。

 

 桐哉はリックベイの面持ちを窺う。

 

 彼は真剣そのものの眼差しで桐哉を見つめ返していた。

 

 やめて欲しい。もう、自分に価値などないのだ。

 

「死に損ないがどれだけ吼えたって同じでしょう。俺を、死なせてください」

 

 介錯を頼む、と言いたかった。しかし、C連合のエースはその申請に否と首を横に振る。

 

「いや、まだやってもらう事がある」

 

「こんな状態の俺に、何をやれって言うんだ、あんたらは……!」

 

 何も出来やしない。誰かを守る事も、何かを壊す事も。

 

 あの場で、仇である白い《バーゴイル》相手にとどめを刺す事さえも出来なかった。それどころかモリビトに遅れを取った。

 

 どれを取っても半端者だ。何者にもなれやしない。

 

 骨が浮くほど拳を握り締めた桐哉にリックベイは言いやっていた。

 

「動きは? 問題はないのだろう?」

 

「……動けても、何もしたくない」

 

「その精神では、確かにそうかもしれない。だが、これは命令だ。捕虜への、な」

 

 リックベイの言葉振りに桐哉はハッとする。先ほどから彼の注ぐ眼差しには自分への期待が見て取れた。

 

 英雄と謳われていたころと同じような瞳――。

 

 しかし、今さら何だと言うのだ。どうしろと……どう生きて行けというのだろう。

 

「……俺は、死ぬ事も出来ない死に損ない」

 

「そう思っているのならば否定はしない」

 

「《プライドトウジャ》があっても駄目だった。俺に何かを守る資格なんてない」

 

「守るという意思が、どこから来るのか、君は知っての事なのか?」

 

 面を上げた桐哉はリックベイの声音に気圧される。

 

「守るという事の本質を、守り抜くという事の真の意味を、分かっての事なのか?」

 

 どうしてだか、その言葉だけで喉元に刃を突きつけられたかのような迫力がある。リックベイの射るような眼に桐哉は言葉尻を弱めた。

 

「……でも、どうしろって」

 

「来い。君に相応しいものがある」

 

 身を翻したリックベイに桐哉は反抗も出来た。だが、敵しかいないC連合の只中で、彼に逆らっても何もいい事はない。本当に死ぬまで動物実験に晒されるか、あるいはハイアルファーの臨界実験に巻き込まれるかだ。

 

 どうせモルモットになるのならば、少しばかり潔いほうがいい。

 

 立ち上がった身体には思っていたよりもずっと実感がなかった。《プライドトウジャ》にのっている間はほとんど同調するからだろう。

 

 死んでいる肉体がまるで遊離しているように感じる。

 

 そのまま、リックベイの後ろに続いた。すれ違う兵士達が鋭く見据えてくる。

 

「おい、あいつ……」、「ゾル国の捕虜だろ。何だって少佐と」、「死に損ない、だとよ」

 

 囁かれる言葉に、桐哉は諦めていた。どう言い繕ったところで、自分は敵性国家の敗北者。

 

 それ以上の装飾はない。

 

 訪れたのは以前と同じく、彼の剣の道を極めるための道場であった。

 

 確か、前は《プライドトウジャ》で出撃するために必死になって一本を取ろうとしたか。

 

 しかし今となっては何も意味はなかった。リックベイから一本を取ったところで、何も変えられなかった。

 

 彼は立てかけられた竹刀に手を伸ばし、片方を桐哉へと投げる。

 

 桐哉はそれを受け取らなかった。床に虚しく竹刀が転がる。

 

「何故、剣を取らない?」

 

「……この期に及んで、どうしろって言うんだ」

 

 リックベイは歩み寄り、竹刀を拾い上げた。そのまま自分へと突き出す。

 

「剣を取って戦え。わたしが言えるのはそれだけだ」

 

 守るものもないのに、どうして剣を取らなければならないのだろう。何のために剣を振るえというのだろう。

 

「……意味なんてない」

 

「何だと?」

 

「こんな事に、意味なんてないでしょう。俺が剣を振るって誰かが幸せになれたか? 誰かを守る事が出来たか? 出来やしない、何一つ! こんな俺には、もう何も――」

 

 そこから先の言葉を遮ったのはリックベイの竹刀の剣筋であった。胸元へと突きつけられた切っ先に言葉を呑む。

 

「君は、誰かに褒められたくって、それで英雄を演じていたのか? そのためだけに、あれほどの危険な機体に乗り込み、味方に撃たれるかもしれない戦場に舞い降りたというのか?」

 

 その問いに飲み下した言葉も一瞬。桐哉は首肯していた。

 

 そうだ。自分でも見ないようにしていただけの話。自分はこれほどまでに意地汚い。

 

「そう、です……俺は、誰かに褒められたかっただけ。誰かの誇りになりたかっただけなんだ。燐華のため、祖国のため……全部戯れ言だ! 俺の欲望を正当化するための! 俺は誰よりも、強く誇り高い存在でありたかった、英雄だと謳われたかっただけ! 本心では誰よりも傲慢で、誰よりも醜い……ただの、弱者だ」

 

 吐いた言葉はあまりにも情けなかった。ここまで来た自分の原動力は欲望の産物であった。それを肯定した途端、身体から力が抜けていく。

 

 もうこの身体を支えるものは何一つないと思われた。

 

 しかし、その言葉を聞き届けたリックベイは薄く微笑んでいた。

 

「ようやく、君の心の底の声を聞けた気がするな」

 

 唖然とした桐哉にリックベイが竹刀を返す。持ち手を差し出され、狼狽した。

 

「もう、俺に剣術なんて……」

 

「いや、必要だ。《プライドトウジャ》は改修され、新たなる君の機体となるであろう。確かに解析は行わせてもらっている。しかしそれは、君を殺すために使うのではない。生かすために使わせてもらう」

 

「生かすため……生きていたってどうせ」

 

「どうせ、先細っていくだけ。衰えていくだけだと思っているのならば言っておこう。人はいずれその道を辿る。どれほどの栄冠に身を浸そうと。どれほど崇高な理念を振り翳そうと、それは変わらない。人である限りは、その呪縛からは抜け出せんのだ。しかし認めた時、人は強くなれる。弱さを認め新しい道を模索したその瞬間から、人は生まれ変われる。君は、守り人であろうとした。傲慢であっても、それが欲望から生まれた醜悪な部分であっても、君は貫こうとした。それは美しいのだ。守り人であるのならば、貫け。死ぬまで、その身体が本当に朽ち果てるその瞬間まで。最後の最後まで抗い、戦い抜け。それだけが君に出来る、唯一の抵抗だ。人らしさを失わない、たった一つの道でもある」

 

「俺に出来る、唯一の抵抗……」

 

「運命は、君を堕落させた。英雄の座から引き摺り下ろし、その上で地獄を見せた。だが、真の英雄ならばそこから這い上がるまでが英雄譚だ。這い上がれるのだとわたしは思っている。君にその資格があるのだと」

 

 竹刀の持ち手を桐哉は目に留める。この刀を取るか取らないか。戦うのかそうでないのか。

 

「……でも、俺はどれだけ力に頼ったところで」

 

「今までは飼い慣らされていたのかもしれんな。だがこれからは違う。君が飼い慣らせ。君の力だ」

 

「俺の……」

 

《プライドトウジャ》も、守り人としての矜持も後付けだった。だが今は、どちらも己の力。前に進むために、自分が貫くための武士道。

 

 桐哉はそっと竹刀の柄を握り締める。ずしっとした重さに、まだ生きているのだと思い知った。

 

 まだ、この身体は朽ちていない。

 

 ならば抵抗するのに、何一つ問題はない。

 

「桐哉・クサカベ。君に授けるのにはまだ足りていなかったようだ。あれだけの時間ではな。しかし、君が真に心の奥底から願うのならば、授けよう。零式への道を」

 

 それを授かるかどうかも己の選択次第。桐哉は竹刀を握る手に力を込めた。

 

 リックベイの瞳は本気だ。ありありと窺えるのは戦士の炎。自分の眼には何が映っている? 虚栄か? それとも、これから辿るであろう修羅の道か?

 

 いずれにせよ、このようなところで燻り損なっている場合ではない。やるのならば最後の最後まで。

 

 燃え尽きるまで命を燃やせ。

 

 血潮に火を点けろ。

 

 桐哉はリックベイと向かい合う。お互いに竹刀を握り締めた姿勢のまま、リックベイが体勢を沈めた。

 

「零式抜刀術、参る!」

 

 


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