どうにもきな臭い通信だ、と彩芽は傍受していた電波領域に耳を澄ます。
《シルヴァリンク》につけておいた枝の一つが機能していた。どうやら鉄菜との通話にはアルファーが用いられている様子だ。いちいちモリビトを介するようにしたのは鉄菜の独断であろう。血続でない人間にアルファーの能力を厳密に制限する事は出来ない。絞ったとすればそれは鉄菜のほうに違いないからだ。
彩芽は息をつき、《ノエルカルテット》に繋いだ。
「聴いてた?」
『胡散臭い会話ね。その水無瀬っての信用出来ないんじゃない?』
「鉄菜もその感じだから、《シルヴァリンク》をわざわざ介するようにしたんだろうけれどね」
モリビトに組み込まれているアルファーに通信履歴を記録させる。それそのものが鉄菜の離反が彼女の意図していないものだという事が理解出来た。
だが、それでも裏切りは裏切り。
癒えない傷を桃に与えたのは真実だ。
自分とて鉄菜が何故裏切ったのか、明確な事は何一つ言えないのだから。
『彩芽、二号機の操主に肩入れし過ぎじゃない?』
ルイの忠言に彩芽は操縦桿を引く。
「かもね。でも……あの子危なっかしいから。誰か見ていてあげないとすぐに崖下に転げ落ちそうだし」
『心配し過ぎ。彩芽の……マスターの考える事じゃないでしょう』
ルイは自分も慮っているのだ。他人の事が考えられるシステムAIに恵まれて彩芽は心底よかったと感じる。
「それもそう……騙し騙され合いが当たり前だって思っていたもの。でも、実際に会ってみたら違うってのが分かった。わたくしはもう、あの日々に戻りたくない。鉄菜と桃と……偽りでもいい、仲間なんだって思えたらって、前向き過ぎるかな?」
『マスターは昔からそうなんだから。初めて会った時から変わらない。ただのシステム相手に……本気になって相手してくれる』
「頼りにしてるわよ、ルイ」
掲げた手にルイがぷいと顔を背ける。可愛げのなさも一つの愛嬌だ。
『《ノエルカルテット》の操主、信用していいの?』
「どうして?」
『一番に情報を持っている。もしかしたら、こっちの情報網を掻い潜って二号機と結託している恐れも』
「それはないわ」
断言した声音にルイは声を詰まらせる。
『でも、最初はそうだったんじゃ――』
「最初は、ね。桃も誰も信じられなかったんでしょう。でも、今の桃は違う。少しずつ変わろうとしている。それがブルブラッドキャリアのモリビト操主としていいか悪いかは別として」
『……マスターも、なの?』
自分も変化の只中にあるのだろうか。偽装を施した《インぺルべイン》は静かに機動し、静止衛星を欺き続けている。
「さぁね。でも、変わる事が悪ってわけでもないんじゃない?」
『……楽天主義。いつか足元すくわれる』
「でも、いいんじゃない。すくう側になるよりかは、さ」
鉄菜は逡巡があった。そう思わなければアルファーによる通話を傍受させるなどという醜態を犯すはずがない。どこかで自分達に止めて欲しいのかもしれない。
『アヤ姉。クロから連絡はあった?』
「まだ何も。でも、《ノエルカルテット》のほうがその辺は詳しいんじゃないの?」
ルイの懸念を口にすると桃は憔悴したような声を返す。
『……バベルで検索すると、何でも出てくる』
「うん」
『この世界が隠したがっている事、モリビトの事も、青い大気の元凶も、トウジャの事は、共有した以上は知らないけれど……でもバベルとグランマは何でも知っている。モモの全て。それでも分からない事があるの。クロの気持ちが、どこを検索しても出てこない。どんな手段を使ってもクロの気持ちだけは分からないの。これって変なのかな……』
彩芽は頭を振る。やはり桃も変化しようとしている。
「変じゃないわ。それって当たり前の事よ。他人の事を理解は出来ない。どれだけ信頼していても一回の裏切りで分からなくなる事はある」
『アヤ姉も……今までそういう事はあったの?』
今まで。銃を手にし、前に立つ人間は全て敵だと引き金を引き続けたこれまで。そんな自分と決別したかったのに、トウジャとの戦いでは弱い頃の自分に戻ってしまった。ある意味ではケジメもつかない。
だからこそ、鉄菜の裏切りは相応の罰と言えた。戻ってはいけない場所に舞い戻りかけた自分への罰。
罪深いとすれば、それは己自身。
「鉄菜は、戦っている」
『それは、モモ達は戦い続ける存在だけれど……』
「違うわ。鉄菜は、多分、自分自身と戦っているはずよ。このままでいいのか、ってね」
『……モモにもそれは分かんない』
桃はまだ幼い。考え直せる、やり直せる機会はいくらでもあるだろう。その時、立ち止まって熟考出来ればいいのだ。
「鉄菜の事、応援したいわよね、桃」
『そりゃ……クロは分からず屋だけれど、でも守ってあげないと……どこかに行っちゃいそうだよ』
その危うさの綱渡りをしているのだ。自分達モリビトの操主は、危うい均衡の上で成り立っている。
自我や信じるもの。積み上げてきた罪から逃れようともがく。この星で一番に喚いてしまいたいのは自分達なのだ。
モリビトは原罪の象徴。それを示す事がどれほどの意味なのか、鉄菜も桃もまだ知らないだろう。知らないほうがいいのかもしれない。だが、知ってしまえばもう戻れない。戻る事は、卑怯なのだ。
「戦い続ける覚悟があるのか、か。あの時、引き金を引いたわたくしには覚悟なんて、とても……」
拳を握り締める。だからこそ、強くあろうと決めた。弱さに流されて引き金を引くくらいならば強く、誰よりも強くあってこそ、その真価を問い質せるのだと。
「破滅への引き金」を引くのは何も恐れだけではない。自分の信じるもののために引かなければならない時もあるのだ。
『アヤ姉? モモも、ね、たまに怖くなる時があるの。ロデムもロプロスもポセイドンも、きっちりここにいるのに、たまにどうしようもなく、独りのような気がしちゃう。《ノエルカルテット》の調べは優しいのに……グランマのよく聴かせてくれた、あの旋律……』
桃も鉄菜の帰りを待っている。彩芽はアルファーの発信位置を突き止めようとして、はたと手を止めた。
「《シルヴァリンク》が移動している?」
それはあり得ないはずだ。国境を抜けて検問を行く《シルヴァリンク》が移動など。しかもその航路は鉄菜の発信位置とまるでずれている。このままでは鉄菜は《シルヴァリンク》と合流など出来ない。
『アヤ姉? 二号機がどうかしたの?』
「鉄菜の通信と矛盾するわ。だって二号機と合流させて破壊工作を行わせるはずなんじゃ……? これじゃ《シルヴァリンク》と合同作戦なんて出来るわけ――」
その段になって気づく。まさか最初からその気はないのか。鉄菜をブルーガーデンに孤立させて、二号機をブルーガーデンに移送する。それそのものが協力者を名乗る水無瀬の目的だとすれば……。
彩芽はフットペダルを踏み込んでいた。推進剤を焚いた《インぺルべイン》が偽装を解除する。
『何かあったの?』
「急がないといけないかもしれない。このままじゃ、鉄菜は単独のまま、ブルーガーデンで暗殺される」
急いた物言いに桃が狼狽する。
『暗殺って……ブルブラッドキャリアの操主を殺して何の得があるって言うの?』
「分からない、けれど、今のままじゃ絶対に、まずい」
主語を紡がないまま、《インぺルべイン》が跳ね上がる。ブルブラッドの針葉樹が並び立つ密林を抜け、《インぺルべイン》が向かったのは青い大気の逆巻く場所であった。
『C連合の領海に入る……狙い撃ちにされちゃう、アヤ姉!』
レーザー網にC連合の巡洋艦の情報が入ってくる。彩芽は戦闘神経を走らせ、操縦桿を握り締めた。こんなところで足止めを食らっている場合ではない。全身の循環パイプに負荷をかけ、鋼鉄の巨躯を軋ませる。
「ファントム!」
直後、黄金の流星となって《インぺルべイン》が警戒網を抜けていた。おっとり刀でこちらに照準した巡洋艦の射程は既に外れている。
『……すごい』
覚えず漏れたらしい感嘆の息にも意を介さず、彩芽は桃に告げていた。
「桃、鉄菜に連絡する方法、ないの?」
『そんな事言われたって……、クロが一応、協力者って言う人間の事を怪しんでいるのだけがまだ救いなくらいで……』
「バベルとやらを全展開して。この合流時間から鑑みて、残り十七時間。その間に何かが起こるのは間違いない」
『何か……何が起こるって言うの?』
まだ分からない。しかしその時、運命を悔いるのでは遅いのだ。
「ランデブーポイントを指示するわ。そこにポセイドンを」
『海底から行くって言うの?』
「他にない。コミューンの対空迎撃システムを探れないブルーガーデン相手では無闇に空からも仕掛けられないし、地上なんて問題外。海から行くしかないわ。桃、覚悟を決めて。わたくしはやる」
そうと決めた声を振り向けると、桃は及び腰ながら頷いた。
『……モモだって、クロの事助けたいし』
「決まりね。鉄菜がどこまで分かっているのかは不明だけれど、今はあの子を叱ってやれるのはわたくし達だけなのよ」
だからこそ、悔いのない選択をしたい。《インぺルべイン》が海上を疾走し、紺碧の大気を駆け抜けた。