アポイントメントは相手に合わせる、とは言った。
だが、まさかこのタイミングだとは。軍部が《プライドトウジャ》の改修とトウジャタイプの量産に乗り出した今、出来るだけ席を空けたくはなかったが、相手のたっての希望と言われれば従うしかない。
リックベイは面会室に訪れていた。防音設備がしっかりと成された一室に歳若い男が座り込んでいる。
こちらを認めるなり相手は立ち上がり、会釈してきた。
「すいません。時間が取れなかったもので、随分と後回しになってしまいました」
「いや……こちらも驚きだったのはまさかあの高名なタチバナ博士の助手だとは」
思いもしなかった、という声音に男は微笑んだ。
「いえ、あまり大っぴらにしていないだけですよ。この一室も研究室の一つです。博士が人を招く時にはここにしろ、とのお達しで」
当の主人であるタチバナ博士はいない。面会室に佇む男がすっと手を差し出す。
「渡良瀬です、よろしく」
「リックベイ・サカグチです。話は……」
「どうぞ。おいしいコーヒーを用意しておりますから」
渡良瀬がコーヒーメーカーに歩み寄る。リックベイは面会室に張り巡らされた三次元マップを見やった。
赤く塗られている地点は全てモリビトの襲撃地点と一致する。
「博士は、モリビトの追跡に興味がおありで?」
「なにぶん、01と遭遇した人間ですから。因縁を感じているようです」
緑のモリビトの事か。参式の品評会に招かれた人間のリストには目を通していたのでリックベイはすぐさま切り返していた。
「しかし、博士はここには……」
「現在はゾル国に。開発担当として向かっているそうで」
仮想敵国に、か。リックベイは今こそ、タチバナ博士に意見を仰ぐべきだと感じていたが、やはりそう容易くはいかないようだ。
マグカップを手に渡良瀬がソファを勧める。リックベイは芳しく立ち昇るコーヒーの香りに僅かに緊張を解いた。
「博士はモリビトの事をなんだと?」
「興味ある存在だとは仰っていましたね」
座った渡良瀬が人のいい笑みを浮かべる。興味ある、か。どうにも探らせてくれる気はないようだ。
「わたしは青いモリビトと交戦した事があります」
「存じていますよ。《ナナツー》でモリビトと肉薄するとは、さすがは銀狼、先読みのサカグチ、と言われるだけあります」
「《ナナツー》タイプは決して不自由な機体ではありません。敵も狼狽していた。勝てる見込みもあった戦いでした」
「しかし、勝てる見込みと、勝利出来るかは違ってくる」
渡良瀬の引き継いだ言葉にリックベイは首肯する。
「どうにも性能面で優位を打たれている気がしてならない」
「話には。ゾル国の《バーゴイル》部隊が大挙として作戦行動を実施したとか」
耳聡い事だ。リックベイはその事実に関しても私見を挟む。
「それでも、追い詰められはしなかった。モリビトは相当に強力な兵器だと考えられる」
「しかし、所詮は人機です」
そう返してきた渡良瀬の瞳にはどこか余裕すら窺える。所詮は人機。その言葉がどのような意味を持つのかはこの先にかかってくるだろう。
「人機が最初に開発されてもう二百年。人は、黎明期の人機に何を見たのか……。ともすれば現在のような戦闘兵器としての運用は考えられていなかったのかもしれない」
「人型特殊才能機。最初の人機の呼び名だそうです。元々は人の才能を拡張する機体として想定されていた。それが今のように、兵器の代表格になるとは……皮肉としか言いようがありません」
「だが現状、人機開発は日進月歩。かつてのような人機の構造は解析され、百五十年前の禁忌ですら、人は手を出そうとする。それがどれほどまでに間違いに塗れているのかも知らずに」
鎌をかけたつもりであった。しかし、渡良瀬は涼しくいなす。
「自分はただの研究助手です。博士の思惑にはついていけない。凡人ですよ」
彼には研究の部分開示は行われていないのか。勘繰る眼差しを向けていると、渡良瀬は、そういえば、と切り込んできた。
「きな臭い話を耳にしました。三大禁忌……モリビトを筆頭とする三つの人機のうち、一つが解析され量産体制に入ったのだと。トウジャ、でしたか」
やはり知っているか。リックベイは動じる事もなく、その言葉に応じていた。
「トウジャに関しては博士のご意見は」
「遠いですからね、ゾル国は。お話は聞けず仕舞いです」
今の状況ではタチバナ博士はゾル国に幽閉されているも同じ。C連合にとっての優位は少しばかり損なわれていると言ってもいいだろう。
だが、眼前にいる彼だけでも充分な利益にはなる。リックベイは早速言葉を継いでいた。
「エホバ、なる人物に関してお聞きしたい」
どこまで相手が準備をしてきたのか、初見で分かるつもりであったが、渡良瀬は何も感じさせない瞳で応じる。
「共同著者です。人機開発の宇宙部門に関しての」
「それにしたところで、エホバ……神の名を騙るのはいささか傲慢が過ぎないか」
「いけませんか?」
微笑みつつ応じた声音には何のてらいもない。心底、その名前には意味がないとでも言いたげだ。
「……確かに現在、信仰は死んだも同然です。しかしそれでも一レポートに、神の名前の共同著者というのはあまりにも」
出来過ぎている。そう結んだリックベイに渡良瀬は顎に手を添えた。
「そちらの仰っているのはエホバという著者名に関する由来ですか? それとも、共同著者が誰か、ですか」
「両方ですよ。何を思ってこの著者名にしたのか。それを詳らかにしなければ意味がない。それに、宇宙での人機開発は結局、頓挫した部門です。理由は様々にありますが、一番の理由は血塊炉の安定供給。その問題ですが、それに関してのご意見は」
「一研究者です。博士ほど頭脳が長けているわけでもない」
「それでもあなたは世界の頭脳の助手だ。何か、一つでもいい。分かる事があるのでは?」
その言葉に渡良瀬は呼吸を挟み、フッと口元を綻ばせる。
「サカグチ様。あなたは思っていたよりもずっと……真実に到達するのがお早い様子だ」
「軍人ですよ。真実というものがあるのならばお聞かせ願いたい。この門外漢のわたしに」
「門外漢を気取るにしては、あまりに頭が回る。上はいい顔をしないでしょうね」
「それも含めて、自分だと思っております」
渡良瀬は指を鳴らし、三次元マップの惑星を見やった。自然とそちらに視線をやると、惑星が縮小され、外延軌道にあるいくつかの採掘コロニーが映し出された。
「ブルブラッドキャリアが来たとすれば、まさしく宇宙の枯れ野」
「廃棄コロニーですか、だが稼動しているとしても人機クラスの機体製造には及ばない。どう足掻いても、現状の開発規模には」
「しかし、これはご存知ないと思いますが、人機の開発には無重力下が最も適しているのですよ。この事実は百五十年前に実証されている。血塊炉の特性は理解されていますか?」
リックベイは頭を振る。
「生憎、軍人には開発部門までは」
「血塊炉は集積すると反重力を生み出します。重力下では六分の一まで重力を軽減するのです。このデータは反証するまでもなく、飛翔能力を生み出す《バーゴイル》や、実験段階の装備であるR兵装の能力を知れば明らかでしょう」
《バーゴイル》は推進剤以前に反重力磁場で浮いている。それは分かってはいたが、血塊炉が集積すれば重力を軽減する、という話は初めてであった。
「R兵装にそこまでの力があろうとは」
「ですが、戦場で何度も目にされているはずです。R兵装とそうでない武器では埋めようのない溝がある事を」
リックベイは白兵戦術の刃と青のモリビトの刃がぶつかり合った瞬間を思い返す。弾かれたかのように白兵の刃はその攻撃力を打ち消された。
「反重力……ですか。にわかには信じ難い」
「開発部門とは言っても、現時点での人機開発ではそれほどの無数に渡る血塊炉を同時処理する事はない。どうしてだか分かりますか?」
「ブルーガーデンが血塊炉産出に関しては牛耳っている。その現状で血塊炉を国が定めた以上の規模で開発ルーティンに回す事は不可能」
「正解です。だから血塊炉の特性に誰も気づけない」
だからモリビトは惑星圏では開発出来ない、と言いたいのか。リックベイは問い質していた。
「血塊炉の産出、それに伴う反重力磁場の解析……どれもオーバーテクノロジーの域を出ない。三国の冷戦状態が解かれない限りは」
「そのために、モリビトは遣わされたのかもしれませんね。国家という枠組みを解体し、人類を一つに導くために」
その過程がモリビトによる襲撃だと言うのか。人類をあるべきステージに引き上げるために、モリビトは破壊活動を行っているとでも。
「国家と言うものは……偉そうな事は言えませんがそう容易くはない。百五十年、いや国家の規模から鑑みれば百年程度の溝でも、それは永遠のように横たわる。小国コミューン、オラクルの独立に際してもそうです。あの国家一つに世界が踊らされたとは言え、もう沈静化しようとしている。それはやはり三国による一強を生み出さない政策が意味を成しているのでしょう」
「《バーゴイル》、《ナナツー》、ロンド。この三つの人機の開発形態そのものが、現在の緊張状態を維持している。ですが、ここに一石が投じられれば? 例えばそう、新型人機」
やはりトウジャの事実に関してここである程度はオープンにする必要があるか。しかしリックベイはあえて伏せたままどこまで相手から情報を開示出来るかを試そうとしていた。
「新型など、ここ百年存在し得ない。それが急激なブレイクスルーを生み出すとすれば、その人機がどこからか採掘でもされない限り不可能」
そちらは採掘されたと言う事実を知っているのか、という逆質問。答えるのならば、相手はただの助手ではなく、国家規模の機密に肉薄している事になる。どう応じても渡良瀬からしてみれば手札を切る事になるのだ。
どう出る、と息を詰めたリックベイに渡良瀬は失笑した。
「……食えないですね。軍人、というラベルは一度剥がしたほうがいいのでは? 政でも先読みが出来る有能なお方だ」
「目下のところ、政治に口を出すつもりはございません。ただ、真実のみを知りたいだけの事」
「真実……ですか」
ここに来てようやく、リックベイはマグカップのコーヒーを口に含んだ。僅かではあるがこちらに優位が転がりつつある。話すのは相手だ。自分は待てばいい。
苦み走ったコーヒーの味にリックベイは良質な豆から抽出されたものである事を窺い知った。
「人機はただの兵器。それを言えば人は過ちを繰り返しているだけの代物となる。わたしは、人が善性に向かって進んでいるのだと信じたい」
「それでこそ、ブルブラッドキャリアの思想とは相反する、というわけですか」
首肯すると渡良瀬は三次元の惑星に視線を投じた。
「人は、地から足を離して生きていられるようには出来ているとは思えない。宇宙で開発された人機があるとすれば、それは破壊せねばならないでしょう。我々人類の威信をかけてでも」
「それがたとえ百五十年前、星で製造されていたモリビトであったとしても……。いいでしょう。お話しましょうか。トウジャ、という人機に関するこちらの意見を」
渡良瀬は腕時計型の端末から投射映像を発生させた。構築されたフレームは確かにトウジャのそれである。
だが《プライドトウジャ》を意識した形状ではない。《プライドトウジャ》よりも随分とプレーンな印象だ。
「これが、トウジャ、ですか」
「我が方にあるのはこのトウジャのデータのみ。何故だか分かりますか」
「百五十年前のデータを参照しているから、ですか」
「実物は……さしものタチバナ博士でも見た事すらないそうです。しかし、人機開発の第一人者である博士にはトウジャのデータを閲覧する事が許されている。これは博士の最新のデータをこちらで抜き取ったものです」
なんと助手自らタチバナ博士のデータをハッキングしている事を告げたのである。だが、それほどの事はしてなくては説明がつかない。自分のような一軍人と話す事ですらタチバナ博士からしてみればイレギュラーだろう。
「博士は……」
「無論、知らないでしょうね。いえ、知っていて黙っている可能性もありますが、そうだとすればトウジャの量産体制に異議を唱えているはず。ゾル国から出国出来ないという状態そのものが、博士が追い込まれている事を示しています。ゾル国も馬鹿ではない。トウジャの量産、新型の開発に踏み込めるのならば踏み込みたいでしょう。こっぴどく《バーゴイル》がやられた今となっては、新型こそが頼みの綱でしょうからね」
モリビト相手に《バーゴイル》が大部隊を率いても勝利出来なかった。その事実は現時点での人機ではモリビトを追い詰める事さえも出来ないという帰結に繋がる。
「しかし、物量戦が意味がなかった、というわけではありますまい」
「それはその通りのようです。《バーゴイル》部隊とて無駄死にのはずもありません。結論として、三機を分散させ、なおかつ一機ごとに対処方を編み出せば難しい敵ではない事が証明されました」
ブルブラッドキャリア側もどこまでこちらを軽んじているのかは不明だが、この事実を受けて策を練ってくるのだとすれば、次に来るのは恐らく……。
「牽制を超えた、破壊活動が実行される。今までのように前線基地への攻撃という形ではなく、人機の開発基地に絞っての攻撃さえも加味しなければ」
渡良瀬はリックベイの発言を肯定する。
「それはそうでしょうね。拠点制圧を今まで以上に重視してくるブルブラッドキャリアの機体のために、世界は策を巡らせなければならない。人機開発のプランをしかし、一網打尽にするのには一国を滅ぼす勢いでなければ難しいでしょう」
その一国の共通認識はお互いにあった。リックベイは結論を口にする。
「血塊炉の産出国への破壊工作。ブルーガーデンへと仕掛ける、というのが最も安直に人機開発に歯止めをかけられる」
「しかしそれが現実的なプランではないのは、ブルーガーデンがどのような国なのか、我々さえも理解していないからでしょう」
ブルーガーデンの国家姿勢を世界は批判するでもない。それも一つの在り方だと認めている。むしろ濃紺の霧に囲われた国の中で人が生きていけるのか。それそのものでさえも不明であった。
「独裁国家に仕掛けると言うのはそれだけでリスクを伴う。如何にモリビトであろうとも単騎戦力で向かうにしては無鉄砲でしょう」
「三機が同時に仕掛けてもブルーガーデンには隠し玉がある。そう思ったほうがいいでしょうね」
兵力差など畢竟は計算上の話でしかない。ブルーガーデンがどのような人機を開発していてもおかしくはないのだ。世界で有数の血塊炉の産出国。何をどのようにして、兵器がまかなわれているのか。国土は? そこに生きている人は? 全てが青い闇の中に包まれたブルーガーデンには誰も立ち入れない。
だが逆にモリビトとブルブラッドキャリアが仕掛けるのだとすればそれは好機である。
地上の誰も知れなかったブルーガーデンの兵力を見る試金石になるのだ。
ある意味では怖いもの知らずのブルブラッドキャリアに全世界が期待している。独裁国家に仕掛けるのは彼らのような無頼の輩が相応しい。
「ブルーガーデンの兵力が我々には開示されていない以上、血塊炉産出国だというだけで仕掛けるのは随分と早計にも思えるが、それを仕出かすのがモリビトなのでしょう。なにせ、彼らは惑星への報復を謳った」
「そう、ですね。その謳い文句通りならばブルーガーデンにも攻撃をして然るべき。問題なのは全く対応策の見えないブルーガーデンにモリビトが食われてしまうのではないか、という事」
ブルブラッドキャリアであったとしても独裁国家に仕掛けるのはリスクがある。それも承知で戦うのだとすれば無謀を通り越して無策と言えよう。
だが、自分の掴んでいる情報筋が正しいのならば、次はブルーガーデンでなければおかしいのだ。
《プライドトウジャ》のレコードに残っていた謎のトウジャタイプ。ゾル国の機体ではない事からブルーガーデンにあれほどまでの兵力があると考えるのは当然の帰結。ならば、やられる前に叩くのがブルブラッドキャリアのやり口だろう。
軽く見積もっただけでも《プライドトウジャ》と同等、あるいはそれ以上の不明人機と矛を交えるのは自分やゾル国ではない。モリビトと言うイレギュラーこそが相手取るのにちょうどいいはずだ。
渡良瀬はリックベイの冗談に頬を緩ませた。
「食われる、ですか……。そうであったのならば随分とかわいいものですが、相手は独裁国家と目的の知れぬ反逆者。その喰い合いに国家が巻き込まれない事を願うばかりです」
「他国コミューンは静観を貫けばいい。問題なのは飛び火してくる可能性です。モリビトは三機編成。同時に仕掛けられればともすればあの独裁国家でも」
そこから先を濁す。ブルーガーデンを傾国させるほどの力。それがモリビトに秘められているのだとすれば、あのモリビトは本当の脅威となる。その時こそ、並行して進んでいる新型人機の開発が意味を成すというもの。
畢竟、モリビトの行動がどうであれ、開発部門はトウジャの新型機を通すつもりであろう。お歴々も然り、だ。
自分達軍人は、ただただ突風の中の木の葉のように煽られ、行き着く先を待つしかない。それが破滅への道標であろうとも。
「……トウジャタイプを投入すれば、戦局は変わるのでしょうか」
「難しいところでしょう。戦場は水物です。どう転がるかなど、一軍人の身ではとてもとても」
「ですがあなたは先読みのサカグチの異名を取っている」
「所詮は経験則の上に成り立つ戦法です。ただ、他人よりも戦場を多く知っているだけの、場数の差に過ぎません」
話はここまでだろうか。トウジャタイプの開発を気取られてはいないだろうが、トウジャを開発するためにタチバナ博士がゾル国に軟禁状態であるのは初耳であった。
この情報を持ち帰るだけでも本国では成果となるだろう。
「しかし、宇宙で開発されているのが何もモリビトだけだとは限らないのではないですか?」
だからか、不意打ち気味の言葉にリックベイはうろたえた。宇宙で開発されているのがモリビトだけではない――。その言葉に浮かしかけた腰を落ち着かせる。
「……どういう意味か」
「意味も何も、宇宙空間で人機開発が可能となれば、モリビトだけでは留まりません。もっと多くの人機が宇宙でも戦えるようになる。今のように《バーゴイル》のみが空間戦闘に秀でている時代は終わるでしょうね。もし、人機開発が宇宙でも可能となれば、ですが」
何を言わせたいのだ。リックベイは注意深く観察し、言葉を次ぐ。
「……つまりあなたはこう言いたいのか。モリビトだけを脅威として掲げるのは間違っている、と。モリビト三機が開発可能であった実情を鑑みれば、他の人機も投入されて然るべき、とも」
「我々のようなノウハウが宇宙でも適応されれば何も不可能ではありません。問題なのは資源のみ。宇宙に追放されたブルブラッドキャリアに協力する人間がいれば、その資源問題も突破出来る。つまり、数値や計算上は不可能ではないのですよ」
惑星とその圏外が三次元投射された映像を視界の端に留める。もし、惑星圏外で人機製造が可能ならば、宇宙からの脅威、という形で惑星に降り注ぐ。だが、今のところその危険性を誰も説いていないのはある事実に起因する、というのか。
――惑星で何者かが、ブルブラッドキャリア相手に交渉している、とでも。
あり得ない話ではない。だがモリビトレベルの人機を惑星に放てばどうなるのかは推し測れるべきだ。
「……仮にその話が通ったとしても、あまりに向こう見ずです。先刻のブルブラッド大気汚染テロのようにモリビト一機がコミューンの人々を何百人も一方的に殺す事が可能だと言う事を知れば」
「モリビトだけとも、限らないのではないですか。人機ならばあの犯行、どのような国家でも可能です」
不明人機の信号が打たれていたから、世界はモリビトの凶行だと判断したまで。もしあれがモリビトを装った他国の人機による代物であったのならば。
だとすれば、どの国家も疑いに挙がる。そうなった場合、国家規模の魔女狩りに発展するだろう。
「……それはあり得てはならない」
「あり得ないわけではないでしょう? 誰もその可能性を見ないのは、明らかに異常です。いや、信心深いと言ってもいい。惑星に棲む人間がそのような争いを生むだけの行為に手を貸すはずがないと」
地上の人々は百五十年もの間、ずっとブルブラッド大気に怯え続けている。そのような同じ苦しみを分かち合った者達が卑劣な蛮行に手を染めるはずがない、という先入観。
確かに不明人機の信号さえ模倣出来ればあの犯行は誰でも可能。しかし、もう後戻りは出来ないのだ。
「一度でもモリビトの犯罪だと決め付けたものを、今一度疑い直すなど現状の人類には出来やしない。出来たとして、では敵がモリビトから同朋に挿げ替わるだけの事。歩みを止められないのです。人は、過ちを悔やむ事は出来てもやり直す事は出来ない」
一度決めてしまった事、一度そうと結論したものから逃げ出す事は出来ないのだ。それがたとえ真実と違った事であっても。
「ブルブラッドキャリアというのは分かりやすい悪です。ですが考えられませんか? この惑星で、その悪を断罪する正義を謳い、人々を扇動する存在がいる、とは」
「もし、そのような存在がいるとすれば、純粋悪を超えて、邪悪である、としか言いようがない。人は、そこまで邪悪だとは、わたしは考えたくないのです」
リックベイの言葉振りに渡良瀬は首肯する。
「仰る通り。人間がそこまで愚かしく、人を迷いなく殺せるのだとすればもう人類は滅びている。いや、滅びていなければおかしい」
渡良瀬の言い分では滅びこそが人間に与えられた罰だとでも結論付けたいようだ。
その滅びの象徴がモリビトとブルブラッドキャリアだというのか。人は滅ぼされるために生きているとでもいうのか。
「……渡良瀬さん、わたしはそこまで悲観はしていない。人にはまだ救いがあるのだと思いたい」
「ですが、救いの手などいつ差し伸べられますか? それは滅びの本当の最後の最後かもしれません」
人を救う事など同じ人に生まれたのならば不可能かもしれない。それでも、人を信じたいのはいけない事なのだろうか。
善性に賭けたいのは、何も罪悪ではないのではないか。
「滅ぼされるべきだとしても、最期まで足掻くのが人だとわたしは思っております」
「たとえ世界から爪弾きにされても、ですか。有意義な時間を過ごさせてもらいました。何よりも、前線を行く軍人さんから話を聞けてよかったです」
自分の中には迷いが生まれていた。モリビトを悪だと断じ、ただ闇雲に排除するのが正しいのだろうか。それとも、人を疑ってかかるのが正しいのだろうか。
審問は未だに保留である。罪を罪として認識出来る人間ばかりではない。地獄の上に浮かんでいるのがこの世界だと知る必要はないのかもしれない。
だがモリビトはそれを浮き彫りにする。ブルブラッドキャリアの思想はともすると些細なすれ違いなのかもしれない。惑星の中でさえも人はすれ違う。それを惑星外という分かりやすい形にしただけの、ただの同じ人間である事は……。
渡良瀬はトウジャの技術をどう使うのだろう。不意に恐怖が這い登ってくる。彼がタチバナ博士にトウジャを造らせようと思えば簡単だ。本人の許諾なしでも、彼ほどのポストならば代役の返事は出来るだろう。
トウジャが生産ラインに乗る。いつしかその未来はやってくるのかもしれない。しかし、その未来は明るいのだろうか。
人と機械を繋ぐ未来となり得るのだろうか。
人機はただの兵器だ。それは間違いようのない事実。だが人の造りしものであるのならば、人の意思に最終的には関わってくる。
人間か人機か、どちらに最終的な結論を求めればいいのか。今はまだ保留するしかない。
「こちらも、有意義な時間となりました」
決定的な事はぼかされたままであったが、宇宙空間で人機を建造するのは何も不可能ではない。それが分かっただけでも御の字だ。
やはり屹立するのは血塊炉の問題。だが、それさえ超えればモリビトの製造に何ら不備はない。
現実的だと分かれば何もモリビトは正体の分からぬ敵ではないのだ。
本国のトウジャの量産体制確立にもよるが、これから先、モリビトを相手取るのに苦戦する事は少なくなるかもしれない。
それが正しいのかそうでないのかは別として。
立ち去り間際、リックベイは言い置いていた。
「時に……渡良瀬さん、人に未来はあると思われますか」
モリビトによって滅びの極地に立っているかもしれない人間に。渡良瀬はすぐに応じていた。
「優秀な人間が大衆を導けば、あるいは、でしょうね」
優秀な人間。それがまるで自分のような言い草である。
今のままでは人類は逼塞していくのだろう。その行方を誰もが悲観の中に置いているわけではない。
――自分は信じたい。
その信念を胸に、リックベイは歩み出ていた。