バード形態への可変が不可能である事、フルスペックモードを維持して第四フェイズに移るべきであるのかどうかの審議を待っている間、鉄菜は自動航行モードに設定させた《シルヴァリンク》のリニアシートに背中を預けていた。
全天候周モニターにはリアルタイムのニュースが飛び込み、世界では今日も血で血を洗う戦闘が行われている事を窺い知る。
トウジャタイプのデータを検索したが白兵戦闘用の二号機では閲覧レベルが許可されていない。こういう時に《ノエルカルテット》がいれば……あるいは桃・リップバーンがいれば、と考えてしまう辺り、脆くなったと感じる。
単独でも任務遂行が当たり前だと思っていた。他のモリビトの力に頼らなくとも《シルヴァリンク》一機で世界と渡り合えるのだと。
だが、その見せ掛けの自信は今となっては随分とあやふやだ。
《インペルベイン》と共に駆け抜けた戦場。《ノエルカルテット》に活路を見出してもらった戦いもあった。
彩芽にも桃にも、一度として言っていない言葉がある。それを言わずして別れてよかったのか。脳裏に浮かんだのはただそれだけであった。
『鉄菜。やっぱりこんな選択肢、間違っていたんじゃないマジか?』
顔を覗き込んでくるジロウの頭を手で押さえてやる。じたばたするジロウに鉄菜は言いやっていた。
「ブルブラッドキャリアの命令に、ノーは言えない」
『でも、鉄菜は戦ってきたマジ。誰よりも危ない戦場で。その経験を分かってもいない相手に判断を委ねるのはおかしいマジよ』
「ジロウ、いつから組織への反抗が口に出来るようになった。お前はただのシステムAIだ」
『システムAIでも、おかしいって思えるマジ』
おかしいと「思える」か。鉄菜は冷笑を浮かべる。その思考の部分が自分には全く判らない。
システムAIに学習機能はあるものの、それは所持者を越えて学習するものではない。所詮は機械なのだ。だというのに、自分は機械よりも何かに乏しい。欠けているのだ。しかしその欠落が分からない。欠落を欠落だと理解出来るまでの思考回路が完全に抜け落ちているせいでこの致命的なミスを誰かに説明する事でさえも容易ではない。
自分はおかしいのか? 自分は何か違うのか?
だとすれば、それはこの身に流れる血潮の色か。鉄菜はRスーツを身に纏った身体を見やる。
彩芽の血の色は赤かった。桃は確かめていないが赤いのだろうと思う。
――あの時、別れた燐華も赤い血の持ち主であっただろう。
だが自分は。自分は本当に、人間なのか。分からなくなってしまう。
本当にこの身に流れる血潮は赤いのか。人のそれであるのか、判断出来ない。掌を透かせば分かるのだろうか、と額に手をやったところで通信が入った。
『二号機操主、鉄菜・ノヴァリス。現在の航行状況を述べよ』
その言葉に鉄菜は現在地のマッピングと座標軸、地軸を返した。
『結構。フルスペックモードでの戦闘を加味するべきか、との質問であったが、今回、モリビトと操主は別個に行動してもらう』
放たれた言葉に鉄菜は目を見開く。
「それはどういう事か。《モリビトシルヴァリンク》と合同の任務だからこそ、私が充てられたのではないのか」
そうでなければ、何のための離反か。ただ単に反感を買っただけだ。そう言いたげであったのだろう。鉄菜の言葉振りに相手は意外そうであった。
『データと違うな。こちらのコード認証には素直に応じるように設計した、とあったが……』
ここで勘繰られればせっかくの第四フェイズもお釈迦だ。鉄菜は口を噤み、言い直した。
「《モリビトシルヴァリンク》、それに専属操主、鉄菜・ノヴァリスは説明責任を求める」
これでいいのだろう、という目線を音声のみの回線に送る。相手は納得したようであった。
『よろしい。執行者に余計な感情は必要ないとして造られたセカンドステージの操主としての模範解答だ。こちらも質疑に応じよう。モリビトとの別個の行動と前置いたのは、モリビトクラスの機体、つまり人機による制圧戦は最終局面まで伏せておくべきだと判断したからだ。それまでの哨戒任務こそ、本懐である』
「哨戒任務? 作戦命令書にはブルーガーデンへの潜入とある。あの国家に潜入など容易ではないと考えるが」
『左様。ブルーガーデン国土は青く汚染され、通常の人間の活動を極端に妨げる。マスクと浄化装置を装備していても外気を浴びれば一時間と持たないとの検証結果が出ている。……表向きは』
「表向き?」
その段になってようやく相手が手札を晒してきたのが窺えた。
『ブルブラッド大気汚染レベルは高いが、このデータを参照して欲しい』
送られてきたのは青い霧に包まれたブルーガーデン国土を別の解析カメラで見た結果である。汚染濃度の高い部分は赤く染まっているのだが、中央に行くにつれて汚染レベルはほぼ無害の域まで達しているのが分かった。
「これは……汚染されていないのか」
『汚染域はダミーというわけだ。実際にはブルーガーデンは他国よりも簡単に血塊炉が産出出来るわけだから浄化装置を発明したのも遥かに早かったはず。だが、それを外部にもたらしてはならなかった。汚染された最初の原罪を抱えた土地……テーブルダストポイントゼロの中枢地点にほど近い事を利用する必要があった』
ブルーガーデンの北方に位置するのはかつてこの星を青く染め上げた人類の功罪の証が位置している。テーブルダストポイントゼロ。この百五十年余り、人智を妨げてきた大自然の罰の象徴は今も汚染を撒き散らしているのか。
ブルーガーデン国土と比べて見てもその差は歴然。国土はダミーの汚染で騙せてもさすがに最初の場所だけは騙せないようだ。
ポイントゼロ地点の汚染は最高濃度。汚染領域九割以上という規格外の数値を弾き出している。
「こんなの、人間は生きていけない」
そこではたと気づく。ではどうやって血塊炉の安定供給が成されているのか。テーブルダストを支配しているからブルーガーデンは安泰なのではないのか。
その疑問点にようやく至った事に相手も悟ったらしい。
『どうしてブルーガーデンはそれほどの汚染の場所から血塊炉を安定供給するのか、だろうな。これを見て欲しい。もう百五十年は経っているはずだが確かに稼動している』
映し出されたのはブルーガーデンの内部に潜んだ諜報員が映し出した動画であった。機械が組み合わさり、ケーブルで引き上げられてくるのは巨大な青い光を放つ石であった。その石を映した途端に映像が激しく乱れる。ブロックノイズばかりの映像であったが、その稼動している機械はまさしく……。
「血塊産出のための、プラント設備……?」
『同じようなものを君は宇宙で見ているはずだ。そうとも。このプラントは百五十年前のものだが、あまりに強固に造られていたのだろう、人類が踏み込まなくなった数十年間、絶えず血塊炉を安定して汲み取り、設計し、構造解析を行い、血塊炉として人類にもたらし続けた。ブルーガーデンの恩恵は全て、過去の機械群の偶然の積み重ねによるものだ』
理解出来なかった。否、してはいけないような気がしていた。ブルーガーデン国土だけの問題ではない。これは人類全体の問題だ。
血塊炉に頼る兵器や機械が全て、百五十年以上前に製造されたプラントが、壊れずに今日まで稼動し続けた結果だと。それではあまりにも……。
「人類は……愚かしい」
『そうだとも。だから壊す』
応じた声音に鉄菜はハッと頭を振る。
「壊す? プラント設備をか?」
『他に何の意味がある? 我々ブルブラッドキャリアが宇宙へと広げた手をみすみす相手に晒していない以上、これが最も惑星に打撃を与えられる作戦となるだろう。相手の拠点を制圧し、血塊炉の産出設備を破壊、これによって敵の人機供給を完全に絶つ』
大筋は理解出来る。有効なのも頷けた。だが、どこかでそれを拒んでいる。自分の中の何かが歯止めをかけようとしていた。
「……待って欲しい。そうなれば人類はどうなる? 浄化装置でさえも血塊炉の恩恵だ。血塊炉が完全に途絶える、という事はコミューンの生活も立ち行かない。惑星に棲む六十億人以上が死の瀬戸際に立つ事に――」
『二号機操主、それ以上を考える必要はない。君はただ任務実行に際し、イエスと答えればいいのみだ。《シルヴァリンク》と共にブルーガーデンプラント設備を破壊し、人機による敵の迎撃装置を奪う。無論、容易ではないであろうがルートは確保している。この任務に当たっての不安要素は存在しない。ただただ首を縦に振ればいい。それだけの明確なものだ』
明確。果たしてそうなのだろうか。自分がただ単に頷けばこれまで通りの。しかし鉄菜の胸中には一滴の迷いがあった。
ここで首肯していいのか、という逡巡。それを読み取ったのか相手は尋ねてくる。
『どうした? 二号機操主。この命令に異論でもあるのか』
異論はある。ここで自分が破壊工作を実行すればブルブラッドの汚染域を広げる事になってしまう。また人が大勢死ぬのだ。
自分のやろうとしている事は戦争屋を自称したあの男の実行した大気汚染テロと何ら変わらない。
だが、最初から変わりもしなかったのだろう。
自分達執行者はブルブラッドキャリアの剣。その事実に間違いはないのだから。
「いや……実行させていただく」
『それでいい。ブルーガーデンへの入国だが、C連合を介する必要がある。マッピングされた場所まで向かって欲しい』
またしても直前に集合場所が変更される。ほとんど踊らされているようなものだ。鉄菜は《シルヴァリンク》の操縦桿を引いて合流地点へと走らせる。
『鉄菜、やっぱりおかしいマジよ。どうして鉄菜一人でこんな事をしないといけないマジ?』
「ブルブラッドキャリアの目的は惑星圏への報復だ。だから必要な事なのだと理解出来る」
『でも理解と実際にやるのとは雲泥の差マジ。鉄菜はどこかで、この任務に異議を唱えているように思えるマジよ』
「だとすれば私はまだ半端だ。実行するのに何の疑問もない。戦い抜くだけだ」
新たにした決意にジロウはうぅむと呻った。
『鉄菜がそう言うのなら止めないマジが……それにしたって相手の手札の見せなさは異常マジ』
ブルブラッドキャリアの協力者。今まで通信すら繋いでこなかった相手に自分が踊らされるなど。しかし立場は相手のほうが上なのだ。執行者は従うしかない。
「機密が守られている。それだけで充分だろう。私は余計な詮索を挟まないだけマシだと思っている」
『……彩芽や桃の事を言っているマジか? でも鉄菜は二人といる時より無理をしているみたいマジ』
「無理? 私のどこに無理がある?」
返答した鉄菜にジロウは丸まって言いやった。
『それが分からないから、無理だって言っているマジよ』
わけが分からない。ジロウに諭される理由も、こうして己の中で堂々巡りを繰り返す疑問の数々も。
何が正解で何が間違っているのかも。分かるのならば当に理解出来ているはずだ。それが見えないのはどうしてなのか、心底、理解に苦しむ。
「……ジロウ。水無瀬、なる人物に関しての情報を」
『探る気になったマジか?』
「こちらも手札が必要だ。そう考えたまで」
『……素直じゃないマジねぇ』
《シルヴァリンク》のシステムが協力者の素性を調べようとする。鉄菜は流れ行く紺碧の大気に抱かれながら、この一手の意味を探っていた。