ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯89 逃れられぬ過ち

 流され行く日常というものはいつだって忙しない。

 

 リニアの特等席に座り込んだタチバナは眼前に佇む政府高官を目にしていた。撫で付けた髪にどこか威風堂々とした立ち振る舞い。名は明かされていないが政府中枢の人間に違いない。男は自分と向き合う形でリニアの窓から望める景色を視野に入れている。

 

 コミューン外周を流れるように行き来するリニアは赤く塗装されていた。これは非常時、つまりブルブラッド大気濃度が異常値を示した場合でも救護をしやすくするためだ。青の景色の中で赤は映える。

 

「大分荒れましたな」

 

 先に口火を切ったのはタチバナのほうであった。男は首肯する。

 

「これでも三十サイクル前よりかは浄化が進んでいるそうです。一説には古代人機が浄化を助けているんだとか」

 

「しかし、その浄化も遅々として進まぬのは、我々人類が絶えぬ争いをしているから。人機を造り続ければ国家は荒れ、大地は痩せ細る」

 

「百五十年前にも同じ警句を紡げる人間がいれば、また未来は違った結果になったでしょうな」

 

 タブーを口にする。それだけで彼がこのゾル国コミューンでも異質な存在であるのが窺えた。

 

「失礼ながら、それを口にする、という事は」

 

「原罪の果実は甘んじて受けるべきです。過激派のつもりはありませんが、この口を封じようとする輩は多い。分からなくもないですがな」

 

 要は彼も暗殺を加味した重要人物であるという事。こうして自分とリニアに乗り合わせているだけでも奇跡だと言いたげだ。

 

「人機開発以外の事に関しては門外漢ですぞ」

 

「その門外漢でも、分かる事くらいはあるでしょう。時間はあまりありません。モリビトの事です」

 

 突きつけてきたな、とタチバナは緊張を走らせた。事ここに至って最早モリビトに対してのタブー視など逆に論点を遅滞させるだけか。彼はそれが分かっている。剣を呑む覚悟くらいはあるように思われた。

 

「モリビト三機、ゾル国が押した、と聞いておりますが」

 

「一般にはそうですが、報道されない事が二、三。一つ、モリビトには我々が関知出来ないほどの強大な兵装がある」

 

 その映像は既にユヤマを通してリーク済みだ。リバウンドを一時的に固形化させる技術。限定的でありながらあれは惑星を覆うプラネットシェルの大元――リバウンドフィールドと同じだ。

 

 星を覆い尽くすほどのエネルギー皮膜にはほど遠いが、人機サイズでそれを実現せしめた事は大きな飛躍である。

 

 もっとも、それが惑星外で建造されたモリビトとなれば誰一人として誉れは受けられないのであるが。

 

「R兵装、それに現行人機を遥かに超える戦闘力。どれを取ってもモリビトは規格外です。あれ一機を建造するのに何十年かかる事か」

 

「しかし、その溝は間もなく埋まるでしょう」

 

 その発言の意味を問い質すほど間抜けでもない。タチバナはこちらの手札はほとんど割れているものとして話を続けた。

 

「トウジャ、ですか」

 

 男は腕時計型の端末に三次元データを呼び出す。トウジャタイプの雛形たるフレームワークが構築されていた。

 

「C連合の極秘情報回線から抜き取りました。これが最新鋭の機体の建造予定データです」

 

「危ない事をしますな」

 

「危険な橋を渡るのは若者だけ、と思ってられるようでしたらこう言っておきましょう。我々ゾル国とて、本国の若者を死地に送り込むだけが能ではない、と」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。どこまでも、見通したような言い草をするものだ。

 

「トウジャタイプの量産計画ですか。まさかワシに止めてくれ、とも」

 

「いえ、転がり始めた石です。それに、止めにかかれば、ではこの情報をどこで、という事になる。まだ、生きていなくてはいけないのですからね。私もあなたも」

 

 案外、この男は狡猾に生きているつもりなのだろうか。リニアの特等席とは言えどこに耳があるのか分かったものではない。

 

「軽率な発言は控えるべきでは?」

 

「トウジャの量産計画を頓挫させる事は可能です。コミューンに爆弾を落とせばいい」

 

 信じ難い事を安易に口にするものだ。コミューンへの爆撃は条約違反である。

 

「共倒れです」

 

「その通り。だからこそ、あなたに指示を仰ぎたい。トウジャタイプ、この叡智、あなたならば模倣出来るはずです」

 

 ここに呼んだ意味はそれか。ゾル国における自分の立場の擁立は結局のところ、新型人機の開発。他国より抜きん出て開発計画を進めるのには、自分のようなオブザーバーは必要不可欠。

 

「ですが、トウジャは過去の叡智。そう簡単に模倣出来るのでは百五十年もの間、秘匿されなかった」

 

「それも含めて、モリビトは楔を打ち込んだと考えています。この惑星に亀裂を走らせる一撃を」

 

「支配特権層への打撃、ですかな?」

 

 都市伝説レベルの噂だ。支配特権層がこの惑星を牛耳っている、という。

 

 紳士は微笑んだ。

 

「信じられませんか?」

 

「いや、最近そういう輩が多くって困ります。終末思想と言い換えてもいい」

 

「誰しも終わりを予感したくもなるのですよ。モリビトという分かりやすい力の象徴が現れた事で」

 

「あれも込みで、陰謀だと騒ぎ出す人間が出てきそうなものですが」

 

「オオカミ少年は駆逐されます。殊、情報化が進んだ現在に至っては」

 

 手は打っているという事か。暴動の一つも起きないわけだ。

 

「ですが、市民の無意識下の不満だけは押し留めようがありませんぞ」

 

「市民の人々には健やかな生活を送ってもらわなければならない。それこそ、ストレスに苛まれず、人らしく生きられるような」

 

「人らしく、ですか」

 

 あまりに浮いていたからだろう。どこか嘲笑めいた返しになってしまっていた。紳士は気を悪くした様子もない。それどころか、この会合がうまくいっている証だとでもいうように続けてみせた。

 

「人間が人間らしくあるために、必要不可欠なものがあります。何だと思われますか?」

 

「支配と抑圧」

 

 よどみなくタチバナは応じている。支配と抑圧のバランスこそが人を人足らしめる要因である。それはユヤマが時折漏らしている巧言と同じだ。

 

 ――この世界にはしこりのようなものが存在する。腫瘍は切らなければならない。それが良性であれ悪性であれ。そうして初めて、人は病理を理解出来るのだと。

 

 タチバナから言わせて見れば、その在り方も充分に病的であったが。

 

 紳士は乾いた拍手をこちらに送った。

 

「人機開発の希望の徒からそのような言葉が聞けるとは思っていませんでした」

 

「自分は主義者ではありません。ただのもうろくした、老人の戯れ言と切っていただいて結構」

 

「いえ、あなたの言葉には力がある」

 

 その力でトウジャを造れというのか。タチバナは切り返す。

 

「言説だけで人機は造れません」

 

「ですが根拠も展望もなしに、人機開発という浪漫を推し進められるものですか」

 

「……何か勘違いをなさっているようですな。人機は兵器です。浪漫などない」

 

 言い捨てたタチバナに紳士は呟く。

 

「それも込みで、あなたを買っている」

 

「トウジャを造りたいのならば優秀な人間を雇えばいい。ワシのような偏屈なジジィをこんな国防の矢面に連れてくる事もない」

 

「あなたの発言はあなたの想像以上なのですよ、タチバナ博士。従え、などと傲慢な事は言いますまい。トウジャを、造りたくはないですか?」

 

 魅力的な提案に思えた。トウジャ建造計画。その発端に立ち会えるなど。だが、タチバナにも譲れぬ一線がある。

 

「生憎ですが、悪魔の研究に名を連ねるつもりはありません」

 

「悪魔と来ましたか」

 

 紳士はほくそ笑む。現状、悪魔の建造計画に耳を貸すつもりはないとするタチバナの動きでさえも、心底可笑しいとでも言うように。

 

「ワシは人殺しの道具を造ってきました。その道具が如何に優れているかの評価も、出来るつもりです。ですが、トウジャに至っては、ワシのような人間の一家言でどうこう出来る領域を超えている。人々が三大禁忌として封印したのが分かるはずですよ、それを調べれば調べるほどに。どうして人はモリビトとトウジャ、それにもう一機を封印しなければならなかったのか。どうして、その三機だけは造ってはならぬと厳しく百五十年も、技術を停滞させなければならなかったのか。ただの伊達や酔狂ではなく、それは人が、人の良心に従った結果だからです。惑星を滅ぼしかけた罪悪を、皆が潜在意識で学んでいるのですよ。だから、人は罪の果実を摘まずに済んだ」

 

「しかしそれも今日までです。タチバナ博士。どれほどまでにトウジャタイプが優れているのか、あなたの眼で分からないはずがない」

 

 理解しているとも。トウジャならばモリビトに匹敵するという事も。現状の三国における技術的均衡状態を破る切り札になる事も。

 

 だからこそ、容易く首を縦に振ってはならないのだ。これは慎重なる議論を重ねるべきである。

 

 その眼差しを紳士は風と受け流す。

 

「トウジャは造ってはならない」

 

「ですがC連合は造ります。あなたの母国ですよね? 生まれた土地がブルブラッドの青い錆びに覆われていくのは見たくないでしょう」

 

 外交もへったくれもあるものか。ここに来て脅迫とは。ゾル国も堕ちたものである。

 

「ワシが一言、イエスと言えばそれだけで数千もの人命が失われます。モリビトとの戦いだけでもう後戻りの出来ないところまで来ている。これ以上、一人の言葉だけで民草をいたずらに損なわせるのは間違っているというしかない」

 

「私のやり方に不満がありますかな」

 

「不満……というよりも理解出来かねますな。軍部の事にも聡い人種が、ワシのような人間の一言に頼らざるを得ないとなると」

 

「人機開発におけるあなたの一言は絶対者の言葉です。軽んじていられるようですから言っておくと、開発責任者の言葉というのは想定外に重いものなのですよ」

 

 それが仮想敵国の人間であっても、か。タチバナは歯噛みして紳士を睨み据える。

 

「……あなた方は、ただ見ているだけで」

 

「見ている事が仕事なのです。仕方がないでしょう。軍部の決定に従い、まさか戦地に赴けとでも? それこそ政と鉛弾が入れ替わる瞬間ですよ。政治は政治、戦いとは無縁のところにいなければならない」

 

「軍国主義に走らないだけマシと思えばいいとでも?」

 

「そうは言っていません。ですが……そうですね、人機開発はもう歯止めの利かない場所まで来ている。ブレーキとアクセルの加減一つで、人は生死の狭間を行き交う事でしょうね」

 

 これ以上、命を散らせるなと言ったのは自分だ。だが相手の言い方はそれ以上に卑怯である。自分一人にトウジャタイプ製造の責を負わせていざとなれば放逐する。これでは旧世代のブルブラッドキャリアがやられてきた事と同じである。

 

「……失礼を承知で申し上げますが、そんな物言いだから、ブルブラッドキャリアが生まれた」

 

「ならば輪をかけて失礼なのは理解していますが、あなたのような偏屈で強情な人間が、モリビトを造った」

 

 これでは水掛け論だ。タチバナは突破口を見出そうとする。

 

「過去の叡智にすがり、人である事の責からも逃れ、ではあなた方は何をしたい? モリビトに勝利する、ブルブラッドキャリアとの生存競争に打ち勝つ、ならばまだ、首を縦に振る余地もありましょう。しかし、そうではない。あなた方の見ている先は、そんな生易しい理論では決してない。もし、モリビト三機を破壊出来たとしてではその先は? その先は、と思索を巡らせている。世界に放り込まれたトウジャタイプは新たなる火種を生み出す事でしょう。それこそ、現状の三機のような対立関係に集約されない、生き地獄を」

 

「生き地獄はここにあります。モリビトのような不明人機が跳梁跋扈する事こそ、我々人類にとっての不利益ではありませんか」

 

「言葉を変えましょうか。戦争を、起こしたくはないと言っているのです」

 

 直截的な物言いに紳士は冷笑を浴びせる。

 

「……ロマンチストですな。もう少し現実を見ているものかと思いました」

 

「兵器開発に携わった人間が皆、銃器の前に倒れる人間を想像出来てはおりません。ですが、ワシはまだマシなほうだと言いたい」

 

 その言葉に紳士は煙草の箱を手に取った。吸っても、という視線にタチバナは頷く。どうにも自分でも熱くなっている。

 

 どちらかが冷静にならなければ平行線の話し合いが続くだけだ。

 

 紫煙をたゆたわせた紳士が落ち着きを取り戻した様子であった。

 

「しかし、タチバナ博士。人機は戦闘兵器であるのと同時に、芸術品だと思いませんか?」

 

「芸術品に硝煙は似合いません」

 

 フッと紳士が笑みを浮かべる。こちらの返しにまだウイットに飛んだジョークがあると感じたのだろう。

 

「ですが、元々人型兵器など、浪漫の産物です。人は人同士で争いたいから、ああいう兵器を望んだ。古代人機の形状はとてつもなくシンプルです。継ぎ目一つない、大自然の生み出した自然美の結晶。しかしながら人機には穴がある。どこかに構造的弱点、能力的な限界値を発生させ、その挙動、兵器としての信頼度をあえて下げている。これは、人間が人間に似せて造ったからです」

 

「神は自分に似せて泥人形を作った……」

 

「ゴーレムですね。真理の名前を紡がれた泥人形は額の印を剥がされ、土に還る。しかし、我々人類には常にゴーレムは頭を垂れている。いつでも死に還せます」

 

「傲慢な」

 

 眉をひそめた声音に紳士は煙い吐息を吹いた。リニアの空調設備がその甘いにおいを掻き消していく。

 

「傲慢で何が悪いのです。私達は神ではありません。人間なのですよ。欲を求め、人であるがゆえに惑う。それの何が悪いと言うのです」

 

「性悪説を唱えるつもりはありませんが、人の善性を否定するつもりもございません」

 

 何よりも、この論調では人は悪を成すからこそ、罪は想定されるべきだという結論に導かれかねない。

 

 悪だと分かっているから弾丸は人殺しのためだけにある。悪だと分かっているから刃は人の首筋を掻っ切るためだけにある。

 

 その帰結は素直に悲しいだけだ。全ての人の造りしものが、お互いを滅ぼすためだけにあるなど。

 

 紳士はその言葉に肩をすくめた。

 

「博士、思いのほかあなたは想定していた人間ではありませんね。トウジャという駒、それに現状を鑑みれば、すぐに首を縦に振ると思いましたよ」

 

「軽蔑しましたか」

 

「いえ、尊敬を」

 

 一欠けらも思ってないような口振りだ。タチバナはこの三文芝居を無用に続けるつもりはなかった。

 

 リニアは終点に向かいつつある。

 

「ワシにトウジャを造れと、素直に言いたいのならば言えばいい。ただ、ノーと言い続けますがね」

 

「分からないな。あなたほどの頭脳ならばどうして否定するのです。トウジャは革新ですよ。モリビトに追いつける可能性の塊です」

 

「言っておきますが、それは過去の遺物です。先人達の封じた過ちにすがってまで生き永らえるつもりはありません」

 

「トウジャはどこまでも飛躍出来る……現状の三すくみの関係性しかない人機の理論から飛び抜けられるんです。魅力しかないと思いますが」

 

「それは悪魔の囁きです。失礼を」

 

 リニアが停車する。特等席は慣性を感じる事もない。現れたスタッフが時間だと告げた。

 

 紳士は煙草を揉み消し、会釈する。

 

「有益な時間でしたよ、タチバナ博士」

 

 形ばかりの言葉にタチバナは返す。

 

「わざわざ時間をもらって申し訳ないが、ワシの結論は変わりません」

 

「そのようですな。ならば、あなたよりもっと前途ある人間に任せましょう」

 

 代わりはいくらでもいる。そのような論調にタチバナは座ったまま、言い返していた。

 

「地獄への道連れの名前を変えたところで、それが人類の原罪である事は変わりませんぞ」

 

 紳士は立ち去り間際、こちらに振り返った。

 

「そうかもしれません。ですが、賢明な人間は地獄でありながら、それを天国だと思い込む事が出来るのですよ。人は、他の生物と違うのは思い込める事です。思い込み程度で自らを欺ける生物は、惑星を探しても人間だけです」

 

「それを、ご子息にも言ってやったらどうなんですか。シーザー議長」

 

 タブー視された名前を紡ぐと紳士は柔らかく微笑んだ。

 

「我が子ながら、あれは理想主義が過ぎましてね。あなたくらいリアリストならばまだいいのですが、うまくいかないのは人機よりも子育てですな」

 

「親の背中を見て子は育つのです。そんな当たり前の事をお忘れか」

 

 こちらの挑発に相手は乗らなかった。

 

 リニアが音もなく滑るように走り出していく。次の停車駅までのアナウンスが響く中、タチバナは呟いていた。

 

「……人間であるがゆえに、逃れられないのか。過ちからは」

 

 


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