「少佐、大規模改修が必要です。こんなんじゃ……よく帰還したと言うしかないですよ」
整備班の小言を聞きつつ、リックベイは装甲に亀裂を走らせている漆黒の人機を見据えていた。
収容艦が大破確認した《プライドトウジャ》を回収して数時間後。C連合の領海に入った艦から引き継がれた《プライドトウジャ》の機体を一番に見たいとリックベイは進言していた。
腹腔に穴が空いている。銃撃によるものであるのは見て取れたが、その傷痕はほとんど血塊炉寸前まで達している。
よくもこれで稼動したものだ、と感嘆するしかない。
「操主は?」
「収容完了しています。ハイアルファーのシステムフィードバックが強く、昏睡状態ですが恐らくは……」
「恐らくはまた目覚める、か。死人、というのは辛いな」
死ねないのだから、とリックベイは結んだ。《プライドトウジャ》はそこらかしこが破壊されており、このまま修復するのは絶望的に思えた。
「どうします? このまま元の状態に戻しても、時間がかかりますが」
「いや、これは元の状態に戻す必要はない。……して、量産型の進捗状況は」
声を潜めたリックベイに整備班のスタッフが応じる。
「例のトウジャ部隊ですか。データに関しては上を通してあります。量産体制も《ナナツー参式》の量産案よりも通りやすかったのは正直不気味としか言いようがありませんでしたよ。上は何を考えているんですか」
「やんごとなき人々の考える事は下々には分からぬものだ」
《ナナツー参式》よりもトウジャの量産体制が敷かれつつあるのはリックベイからしてみても意外であったが当然と言えば当然。モリビトに確実な手段で匹敵するのだ。
ナナツーを量産するよりかは勝てる見込みの高いほうに賭けるのは軍としては想定された帰結だろう。
「トウジャ部隊、なんてものが実現するんでしょうか?」
「ハイアルファーさえ廃する事が出来ればこれもただの人機。操縦システム自体は既存のものを使えればいい。ガワだけ真似たものに仕上がるかもしれないな」
「しかし、想定されるのは新型を量産するためのコストですよ。参式の血塊炉をただ単に回しただけでは足りるかどうか」
「十機編隊が関の山、か。余った血塊炉で参式を量産出来れば御の字、というところか」
顎に手を添えるリックベイに整備スタッフがため息を漏らす。
「正直、こんな人機が戦場を席巻するのは考えたくないですね。あまりにオーバースペックですよ。ナナツーをいじっていた頃のほうがどれほど平和か」
「軍人が恩義を使われる時代になれば、それは国家が荒れ野になる前兆とも言われている。軍人など、暇だと言っているくらいがちょうどいいものだ。参式の量産も、予算食いの代物だと国会で論議されていたほうがまだマシかもしれんな」
「その参式すらもう時代の波からしてみれば遅れているんですからね。どうなってしまうんでしょう、世界は……」
不安げな声を漏らした整備スタッフにリックベイは頭を振った。
「分からんよ。何もかも、世界がどうなるのかなど」
「先読みの少佐でも、分かりませんか」
「先読みが全て当たれば、わたしは軍の英雄どころではないな。預言者か、それとも死神か」
「もう充分に、ゾル国からしてみれば死神ですよ」
そのゾル国もモリビト相手に苦戦したと聞く。いや、苦戦の元はそもそも《プライドトウジャ》の存在ともう一機の不明人機か。
「情報は見た。《プライドトウジャ》のレコーダーに入っていたあれは」
あれ、と濁した存在を整備スタッフは端末に呼び出した。
異様に長い四肢を持つ機体である。頭部形状が《プライドトウジャ》に似通っていなければ完全な新型人機だと目されていた事だろう。
その挙動は人機のそれというよりも獣に近い。四肢で跳躍し、モリビトを圧倒する機動を持っている。
「何なんですかね、この人機」
「トウジャを知らなければブルブラッドキャリアの新型を疑っていたが、トウジャを知っている今、これをブルブラッドキャリアの尖兵とは言えんな」
「ではどこの国の……ゾル国ですかね」
「あり得なくはないが、そうなるとあの国は二機のトウジャを隠し持っていた事になる。我々の予定しているトウジャ部隊にいち早く取りかからなくてはおかしい」
「その分野で遅れている、という事は、このトウジャらしき不明人機はゾル国のものではない、と?」
疑問を浮かべた整備スタッフにリックベイは憶測を並べた。
「あるいは、独裁国家の代物か」
「ブルーガーデンの? あの国が介入したって言うんですか?」
「推測だ。何も決定事項ではない。ただ……あの国には妙な噂がついて回る」
「オラクル武装蜂起の際に出現したというロンド部隊ですか。あれも加味して、今回の不明人機があるとでも?」
「可能性だよ。どれも決定事項ではない」
そう言い置きつつも、リックベイはブルーガーデンの仕業を念頭に置いていた。あの国の秘密主義は度を過ぎている。もしトウジャタイプの安定した強化体制が敷けると言うのならば、C連合に比肩するのはゾル国ではなくブルーガーデンだ。
そうなった場合の想定くらいはしておかなくてはならない。
「もし、ブルーガーデンがトウジャを運用していた場合、制裁措置が取られるのでしょうか」
「血塊炉の安定供給を任せているんだ。制裁を取れるのはどの国か、と問われれば難しいだろうな」
特にC連合はブルーガーデンとは蜜月の関係にある。今日のナナツーの量産体制はブルーガーデンとの協定関係が大きいのだ。その協定に溝があるとすれば、あの国の独断専行が過ぎる点であったが、それも暗黙の了解に伏すのが軍隊というもの。
「制裁措置は他国からも期待されているところでしょうが、あの国がポカでもやらない限り大っぴらには出来ない、ですか……。国家というものはいつになっても」
「どの時代でも身動き一つ出来ないものさ。その動き次第では国家が滅びかねない」
リックベイは端末を、と促す。整備スタッフの手渡した愛機の運用状況にリックベイは顎に手を添えた。
「《ナナツーゼクウ》における戦場のデータはまだ乏しい。参式以上の量産を敷くのはまだ待ったがかかるか」
「上から聞いた話だと、開発コードはナナツー是式だとか」
色即是空、空即是色から取ったのか。リックベイは己の機体に装備されている零式抜刀術の体現する刀のデータを参照する。
「零式は今まで通りに?」
「今まで通りどころか今まで以上ですよ。零式抜刀術を用いた格闘戦術においては群を抜いています。そもそも、《ナナツーゼクウ》は少佐専用機の面持ちが強いですから」
「わたしがやりやすいように、か」
それもこれも、量産機の体制が整うまでのお膳立てだ。リックベイは端末を返して身を翻す。
「どちらへ?」
「桐哉・クサカベに会わなくてはならない」
「面会したところで、まだ意識は……」
「それでも、だ。守り抜いた男の面持ちくらいは見ておかないとな」
リックベイが医務室に向かう途中、タカフミが鉢合わせた。
ばつが悪そうにその視線を背ける。
「桐哉・クサカベの容態は?」
「その……あんまり見てやらないでください。あいつ、多分……」
「分かっている。基地が奪還出来なかった、という事実から鑑みて、恐らく彼の目的は果たせなかったのだろうな」
「少佐は、分かっていて……」
「分かっていても、利用せざるを得なかった。それが軍隊というものだ」
《プライドトウジャ》の起動と大破はある程度予見出来た。その上での機体解析。量産化を急がせる国家の策謀に乗った形となる。
「うなされていますよ……死んでいるはずの数値なのに」
「死人は、現実にも、夢でさえも逃げ場がないか」
救いがないな、とリックベイは独りごちる。タカフミは首を横に振った。
「おれ、あいつの立場だったらどうなっていたか……。狂っていてもおかしくはないです」
「だが彼は狂わずに帰ってきた。それは賞賛すべきだ」
「国家にとっての利益でしょう?」
「不満かね?」
問うまでもなかった。タカフミの眼差しにはその答えがありありと浮かんでいる。
「……いつもの先読みで読めばいいじゃないですか」
「いや、読むまでもないよ。桐哉・クサカベに会う」
「どのツラ下げて……」
「相手からしてみれば、そうだろうな。だがこれでお役御免というほど、世界は甘くないんだ」
まだ彼にはやってもらう事がある。そのために自分は守り人であろうとした男の顔を見ておかなくてはならない。
「トウジャも見ました。あんな状態でよく……。モリビト相手に帰ってきただけでも御の字ですよ。それにゾル国の大軍勢を相手取って」
「機体のデータには《バーゴイル》を数機撃墜したとあった。彼は母国に剣を向けた」
「そうさせたのは……おれ達ですよ」
タカフミには心の底からの懺悔があるようであった。しかし、それはまだ早いのだ。
リックベイはタカフミの肩に手を置く。
「まだだ、アイザワ少尉。まだ、彼の境遇に同情してやるのは早い」
「これ以上に何を」
「彼はわたしとの信念を貫き通し、あえて帰ってきた。その意味を問い質す。そうでなければ、彼は武士ではない」
「でも、戦士としては充分でしょう?」
そう、戦士としてならばこれ以上要らないほどに。桐哉はだが、死人として生きて帰る事を選択した。それは覚悟の表れだと見える。
「彼は選択出来る。その上で、どうするのかを見届けなければならない」
「……おれにはもう、酷としか言いようがありませんよ」
「残酷でも現実と向き合い続けるのが、軍人だとわたしは思うがね」
タカフミが離れていく。リックベイは医務室に入るなり、全てのバイタルサインの消え失せた桐哉の横たわるベッドを見やった。
医師がこちらに視線をくれる。
「状況は?」
「芳しくはありませんが、信じられないのはこれでも生きている、という事実です」
「死ねない、というのはハイアルファーを介したシステム上の代物だろう。《プライドトウジャ》を破壊した場合はどうなる?」
「専門家ではありませんが、ハイアルファーの効力は一時的なものではなく、恒久的なものであると推測されます。彼はデータ上では死んでいますが、恐らくはこの身体を八つ裂きにでもされない限り、死は訪れないかと」
皮肉なものだ。死ねない身体というのはここまで人間を苦しめるのか。人は死を超越するために技術を躍進させてきたというのに、いざ死に囚われれば、それは未来永劫の呪縛と化す。
「ではハイアルファー【ライフ・エラーズ】で不死の軍団を作り上げる事も可能なのか?」
「ハイアルファーはハードウェアの代物ですから、医者としての見地以外では申し上げられません。ただ、そのような都合のいい存在だとは思えないのです」
「わたしも同意見だ。もしそうなっていれば今頃地上は死人の楽園だよ」
ハイアルファーの洗礼を受けられるのは一人だけ、か。
彼はそのたった一人の栄光を手に入れた。ともすれば世界が滅びても、彼だけは生き延びるかもしれない。
「そうなっていないのがある種、救いですよ。人は変わらず死にますし、濃紺の大気のお陰でまだ人らしくいられます」
全てのサインが消え去っているのに彼の顔に白い布がかけられないのはいずれ生き返るのだと分かっているからだ。
何とおぞましく、そして残酷な事実であろう。
「桐哉・クサカベ。その生き方、意志を貫く強さよ。わたしはしかと見届けよう。そして可能であるのならば、君に捧げたいものがある。わたしの、零式を……」
その言葉に桐哉は無言を返した。