ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯83 【ベイルハルコン】の果て

 ハイアルファー【ベイルハルコン】はもう限界に近い。

 

 システムがレッドゾーンに達していたが、それでも瑞葉は食らいついていた。灰色と緑のモリビトの銃撃とこちらのトマホークは相性が悪い。接近さえも許してくれないモリビトへと何度目か分からない猪突を見舞う。

 

「第二の関節」がフル稼働してモリビトへと攻撃を浴びせかけていた。長く伸長するこの装備のお陰で遥かに射程では勝っているはずだ。

 

 だというのにモリビトを狩れないのは自身の技量不足であった。

 

 精神点滴が成され、鎮静剤が投与される。今は、しかし一つでも昂らなければ。

 

【ベイルハルコン】の発動キーは怒りと憎悪だ。黒く濁ったその感情こそがハイアルファーを最大出力まで高める。

 

 赤く染まった視界の中、瑞葉は《ラーストウジャ》を走らせた。至近に迫ったモリビトが銃撃を見舞おうとする。その弾道を見切り、トマホークが肩口へと入ろうとした。

 

 だが、その一閃さえも読んでいるかのようにモリビトは後退し様に銃弾で粉塵の煙幕を張る。

 

「ちょこざいな! 煙幕ごとき!」

 

 引き裂いた先に佇んでいたのは照準を浴びせかけるモリビトの姿であった。瑞葉の《ラーストウジャ》へと全砲門が一斉に開く。

 

《ラーストウジャ》の装甲は弾丸一発でも通れば致命的。

 

 瑞葉はその瞬間、死を覚悟した。

 

 刹那、降り立った影が《ラーストウジャ》の前に張り付き、弾丸の雨を防御する。背面スラスターを全開にしたその機影に瑞葉は声を浴びせかけた。

 

「鴫葉……何をしている!」

 

『瑞葉小隊長、お下がりください。この機体には《ラーストウジャ》の強みが消されてしまいます』

 

「駄目だ……、最後の一滴になってでも……」

 

『《ラーストウジャ》は奥の手です。それを晒しただけでもこちらからしてみれば不利。どうかお退きください』

 

 鴫葉の落ち着き払った声に憤懣をぶつけかけて精神点滴が怒りの感情を凪いでいった。こちらも限界らしい。

 

 舌打ちし、《ラーストウジャ》を帰還軌道に入らせる。

 

 上空で待ち構えていた輸送機からガイドビーコンが発し、《ラーストウジャ》を収容した。

 

 援護射撃を数度交わし、鴫葉の《ブルーロンド》も上がってくる。

 

 どうやらモリビトは撒いたらしい。

 

 瑞葉はコックピットから投げ出されるなり、強烈な虚脱感に見舞われた。投薬の量がいつもより多かったらしい。指先が痙攣し、呼吸さえも儘ならなかった。

 

「至急、医療班へ」

 

 鴫葉の放った声に瑞葉は拳を握り締める。どうしてこの部下がまるで自分の事のように振る舞うのか理解出来ない。

 

 全ては自分の因縁なのだ。枯葉達の犠牲を無駄にしないためにも自分がこの国家を転覆させ、全てを破壊しなければならないのに。

 

 他人など当てに出来ないというのに。

 

 鴫葉はベッドに縛り付けられた瑞葉を読めない視線で見つめ返してくる。

 

 その灰色の瞳の奥にある思考を読もうとして、やはり駄目だと感じた。

 

 人機に乗っていなければ、自分など赤子よりも弱々しい。

 

 整備モジュールと精神点滴なしでは生きられない身体。この国を排除すると息巻いておきながら、この国家の技術なしではもう生きていけないように出来ている。

 

 ああ、と瑞葉は目をきつく瞑った。

 

 全てが夢ならばどれほどいいか。

 

 泡沫の夢に消えていくだけならばどれほど救われるのか。そのような都合のいい理想郷などこの世には存在しないのだ。

 

 あの日、虹の空の向こうに描いた遥かなる蒼穹を望む事さえも届かない。

 

 この身は永遠に青い花園に抱かれたまま、眠るのみであった。

 

「瑞葉小隊長のバイタル、脳波安定域に達しました。整備モジュールによる自然治癒を申請します」

 

「申請許諾。これより四十八時間は、鴫葉伍長による判断に従う」

 

 自分の与り知らぬところで交わされた判断に声の一つも上げる事が出来ない。

 

 瑞葉はベッドに横たわったまま、近くにいる鴫葉の気配を悟った。既に医療区画に入っているはずだ。

 

 どうしてこの部下は出て行かないのだろう。

 

 そう感じていると、不意に鴫葉がこちらの手を握ってきた。

 

「感覚はありますか?」

 

 声は出ないが首肯する。鴫葉は抑揚のない声で続ける。

 

「では瑞葉小隊長、改まって申し上げますが……あなたの計画はすぐに露見します」

 

 その言葉に目を開く。鴫葉が瞳を覗き込んでいた。奈落へと続いているのかと思われるほどの灰色。

 

「あなたがどのように判断し、どのように国家へと貢献するのかのシミュレーションは既に数百回と成されているのです。その結果、あなたはあの時、モリビトとの会敵時にイレギュラー、つまり自我に目覚めたと発覚しました。これが三十時間前のシミュレーション結果による判定です。自我に目覚めた強化兵は廃棄される。それはこの国が幾度となく行ってきた政策の一つでした。整備モジュールによって感情を制御し、血塊炉の安定供給と強化兵で兵力を固め、他国の侵攻の一切存在しない鉄の国家を作り上げる事。それがブルーガーデンの真髄です」

 

 何を言っているのだ。鴫葉はおかしくなってしまったのだろうか。訝しげな眼差しが届いたのだろう。鴫葉は首を横に振る。

 

「こちらがおかしくなったのではなく、瑞葉小隊長、あなたのほうが既に国家にとっての障害なのです。そのため、最も生存率の低い見通しである国家の切り札、《ラーストウジャ》の操主へと任命。二度の戦闘で確率論的には死んでくるかと思われましたが、二度とも生還するとは、さすがです」

 

 淡々と話し続ける鴫葉は奈落へと通じている瞳で瑞葉へと語りかける。

 

「ですが、もう決定済みなのです。あなたは廃棄されます。これは七十二時間以内に遂行されます。ゆえに、この部屋の通信は全てシャットアウトされているのです。廃棄兵に、もう用はないのですから」

 

 何を言いたいのだ。瑞葉の窺う眼差しに鴫葉は応じていた。

 

「瑞葉小隊長、運命に、抗う事の出来ない子羊のまま、終わる気持ちは如何ですか?」

 

 ――どういう……。

 

 口元だけを動かした瑞葉の困惑に鴫葉は落ち着いて応えていた。

 

「失礼、結論を急ぎ過ぎました。はっきりと申し上げますと、自我に目覚めた兵隊はあなただけではないのです。既に三十名近くの同胞が自我に目覚め、その上で上層部の検知や検閲から完全に自我の存在を隠し通し、上は最大三サイクルまで反逆の芽を育て上げた者達がいます」

 

 まさか、と瑞葉は声を枯らす。三サイクルもブルーガーデンのチェックを逃れるなどあり得ない。そもそも自我の目覚めた兵隊など自分以外にいる事が信じられなかった。

 

「信じられない、という顔をしていますね。かくいう、この鴫葉もそうです。鴫葉は一サイクル前に自我に目覚め、上層部の検査から逃れ続けています。あなたより前に、覚醒した兵士なのです」

 

 鴫葉の思わぬ告白に驚愕するよりも、瑞葉はここまで淡々としていながら自分と同じく自我に目覚めた事が信じ難い事実であった。鴫葉はどこも変わった様子はない。他の強化兵と同じに映る。それでも自分よりも早く、この国家の歪に気づいたというのか。馬鹿な、と戦慄く神経を他所に、鴫葉は驚くほどに冷静であった。

 

「覚醒した強化兵達は雌伏の時を遂げ、ようやく反逆の牙を剥く事が許されたのです。他でもない、あなたの存在によって。瑞葉小隊長」

 

 どういう意味だ、と目線だけで問い返すと鴫葉は応じていた。

 

「あなたが……国家を嘗めて反骨精神を丸出しにして噛み付いたお陰で隙が生まれました。あなた一人が生み出した好機にしては上出来です。《ラーストウジャ》という鋼鉄の棺おけで生き残り、それでも未だに折れぬ事のない反逆者であるところのあなたこそが、我々の希望となったのです」

 

 自分一人の反逆が、ブルーガーデンを瓦解させる切り札になったとでも言うのか。瑞葉は喜びよりも怒りに支配された。

 

 鴫葉を含む数人はろくな苦労もせず、国家に忠実な天使のふりをして今の今まで不利益に見舞われずに生きてきたという現実。それが枯葉を失ってまで生き永らえた己の境遇をより浮き彫りにする。

 

 ――どうして、自分だけが失わなくてはならない? どうしてこいつらには審判は訪れないのだ?

 

 声をひねり出そうとして、鴫葉は首を横に振った。

 

「もう声帯も駄目になっている事でしょう。あなたは生態部品としてはもう完全に消耗品なのです。強化兵のプランは次に持ち越され、新たなる強化兵がブルーガーデンを支配する。そのロールアウトの間際に我々覚醒者達が国家に異を唱える。《ブルーロンド》の第三大隊までを統括する責務についている者達が味方です。絶対に勝利出来るでしょう」

 

 その戦いに自分は参加出来ないような言い草であった。

 

 瑞葉は拳を握り締めて抵抗を示そうとしたが、力は入ってくれなかった。

 

「《ラーストウジャ》への限界搭乗数を超えています。あれには一回でも廃人になる仕様が取られている代物。それに二度、三度も乗ってくるとはあなたは化け物だと判断せざるを得ませんが、鴫葉はあなたを味方として迎え入れる判断を保留にし続けました。あなたを一番近くで観察し、冷静に物事を対処出来るかどうかを試していたのです。しかし、あなたは強化兵のふりをし続ける事さえも苦渋なように感じられました。決断として、瑞葉小隊長。あなたは不適格です。我々と共に戦う事は、残念ながらないでしょう」

 

 鴫葉が立ち上がる。その背中に呼び止めようとして声の一つも出ない事に気づく。

 

「わたしの権限でこの部屋は完全に通信途絶状態に晒される事でしょう。国家が転覆した頃には、ここも廃棄です。さようならです、瑞葉小隊長。あなたはとても人間らしかったですが、そのせいで戦う機会を失うのです。永遠に」

 

 鴫葉がエアロックを出て行く。瑞葉は怒声を上げようとしても力一つ入らないこの身体に憎悪した。

 

 どうして戦いたい時に戦えない? どうしてこうも無力なのだ?

 

 噛み締めた感情に瑞葉の頬を一滴の水が伝う。

 

 これは、と瑞葉は驚嘆した。

 

 ――涙? どうして?

 

 今まで出そうと思っても出なかったもの。人間のみが流す感情の証。それが、こんな今際の際に発露するなど。

 

 皮肉でしかない。最後の最後に人間に戻れた天使は、誰に聞き止められる事もなく、白亜の部屋で咽び泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵の部隊が撤退を始めた。……やったのか?」

 

 鉄菜の疑問に同じように防衛線を張っていた桃が首を傾げていた。

 

『どうかしらね……アヤ姉がうまくやってくれたのか。それとも敵も退き際を心得ているのか……』

 

 基地が防衛出来たのかさえも情報として入ってこない。鉄菜と《シルヴァリンク》は何機目になるのか分からない《バーゴイル》を両断し、その骸を蹴りつけて離脱していた。

 

 直近で爆発されると血塊炉に仕組まれたブルブラッドが一時的に眩惑作用を誘発し、レーザー網が駄目になる。

 

 一時として同じ場所には留まらず、四基のRクナイを疾走させ、鉄菜は《バーゴイル》を粉々に砕く。

 

《シルヴァリンク》の損耗率が三割を超えようとしていた。

 

『鉄菜、これ以上はマズイマジ。《シルヴァリンク》は耐久戦には秀でていないマジよ』

 

「それでも……私達はやらなければならない。これが、反抗になるのならば」

 

『同意ね、クロ。モモ達の戦いに意味がなかったなんて思いたくないもの』

 

《ノエルカルテット》が翼を折り畳ませた砲塔で飛翔する《バーゴイル》を狙い撃つも、そろそろエネルギー消耗が激しいはずだ。四基のブルブラッドを所有する機体であってもこれだけの耐久戦は想定していないだろう。

 

 こちらが二機のみなのに対して敵《バーゴイル》部隊の総数はほとんど無限。《バーゴイル》が安価で量産される機体であるのも所以してか、プレスガンを装備した第一隊はもう出てこないものの、型落ちの翼を持つ後衛部隊は実包弾を用い、こちらへとじりじりと消耗させる戦いを強いる。

 

「こいつら、撃墜しても意味がない連中だろうな」

 

『そうね。倒されても数に含まれない……二軍、三軍ってところかしら。補欠にしては攻撃の手だけは必死だけれど』

 

 それでも射線に入るような馬鹿はいないようだ。《シルヴァリンク》と《ノエルカルテット》の射程外から命中してもしなくとも関係がない攻撃を見舞ってくる。

 

 敵に必死さがないのもある種、この攻防に終わりがない事を告げていた。

 

 必死に追いすがる敵には後先がない。後々の事を考えていない敵は簡単に撃墜出来るのだが、細く長くと考えている敵はやり辛い。ここでモリビトを足止めする事以外の命令は与えられていないのだろう。

 

 火線が開き、バルカン砲をリバウンドの盾で受け止める。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射させた銃撃網を敵は簡単に回避してみせる。もうこちらの手も尽き始めているのだ。

 

 敵は《ノエルカルテット》に集中し、時折思い出したように《シルヴァリンク》を襲うが、ほとんど意味を成していない。

 

 十機近い《バーゴイル》の編隊はモリビト二機を相手取っていてもその実は戦ってすらいないのだ。同じ土俵に上がる事の無意味さを完全に理解している。

 

 こうなった雑兵の面倒さは桃が痛いほどに分かっているのだろう。高出力R兵装をそう容易く撃てなくなった《ノエルカルテット》へと《バーゴイル》部隊が肉薄してくる。

 

《ノエルカルテット》に近接武装は少ない。当然の事ながら《シルヴァリンク》が援護に向かおうとするが、それを阻んだのは三機の《バーゴイル》であった。

 

 ミサイルとロングレンジバレルで固めた長距離支援用の《バーゴイル》が弾幕を張った。いつもならば突破してすぐにでも三機をスクラップにするのだが、今は長期戦の構えだ。

 

 損耗を無視して突撃するわけにはいかない。

 

 鉄菜は舌打ち混じりに盾で受け止めた。リバウンドフォールを使う頃には射線から相手は逃れている。

 

 リバウンドフォール使用時にはこちらが硬直する事ももう露見しているのだろう。

 

 動きを止めた《シルヴァリンク》の背筋にバルカン砲と滑空砲の打撃が飛び込んでくる。

 

 反転した頃にはまた同じ戦闘スタイルだ。距離を取って射程外から砲撃。この繰り返しに鉄菜は苛立ちを募らせていた。

 

「どうすれば……彩芽・サギサカからの連絡は?」

 

『まだない。クロ、敵が押してきている。《シルヴァリンク》をこっちに回せないの?』

 

「やれるのならそうしている。敵の守りが堅い。……連中、こちらの射程を理解している。《シルヴァリンク》の手の届かない距離から絶え間なく砲撃、《ノエルカルテット》には近距離に迫って銃撃しつつヒットアンドウェイ戦法……分かってきている」

 

『敵を褒めている場合? クロ、もう出し惜しみしている場合じゃ』

 

「分かっている。だが超えられないんだ」

 

 Rクナイを全力稼動させても十機全てを落とすのには時間がかかる。その間にまた距離を取られれば同じ事。

 

 畢竟、手詰まりなのだ。

 

 モリビト二機のオペレーションでは取れる戦術にも限りがある。

 

 歯噛みした鉄菜はRソードを発振させ《バーゴイル》へと切りつけた。当たり前のように敵は散開し、バルカン砲でチクチクと装甲を突いてくる。

 

 一発ごとの威力はさして怖くないとは言え、こうも連続で食らい続けると消耗は数値として出てくるのだ。

 

『鉄菜、損耗率が三割を超えて、四割に行くマジ。このままじゃ作戦行動の続行に支障を来たすマジよ!』

 

 ジロウの悲鳴のような声に鉄菜は悔恨を握り締める。

 

 アンシーリーコートを封じた代わりの光学迷彩の外套とRクナイによる全包囲攻撃だ。今、外套を取り去るのは得策ではない。

 

 かといってアンシーリーコートに転じたとしても撃墜出来るのは一機や二機止まり。十機編隊を全滅させるのは手数が足りない。

 

《ノエルカルテット》が翼を展開し、点在していた場所を移動する。《ノエルカルテット》の移動はイレギュラーの証であった。

 

 拠点制圧に長けた《ノエルカルテット》が動くという事がどういう意味なのかを理解していない鉄菜ではない。

 

「……モリビトが、押し負けるだって」

 

 こんなところで……。しかし数値上では撤退を提言されてもおかしくはない。鉄菜は厳しい判断に迫られていた。

 

 ここで退けば、惑星側に大きな優位を譲る事になる。だが、ここで退き際を間違えればそもそもモリビトが戦闘不能に陥るのだ。

 

 二者択一の設問に、鉄菜は判断を下そうとした。その時である。

 

 銃撃網の雨が《バーゴイル》へと降り注いだ。その攻撃に晒された《バーゴイル》二機がもつれるように撃墜される。

 

『何が!』

 

 振り仰いだ先にいたのは水色の眼窩を煌かせる《インペルベイン》であった。片方の連装ガトリングを破損しているが、全身の砲門を開き、《バーゴイル》へと火線を咲かせる。

 

『アルベリッヒレイン!』

 

 銃弾の嵐に《バーゴイル》がおっとり刀で撤退しようとするもその時には射程に三機が入っていた。

 

《インペルベイン》が溶断クローに変形させた両腕で挟み込むように二機を巻き込みつつ、きりもみながら反転しその血塊炉を抉り取った。

 

 今までの彩芽の戦闘スタイルとは異なったように感じられたのは鉄菜の気のせいだったのだろうか。

 

 どこか自暴自棄になったかのような戦い方に暫時言葉を失っていた。

 

『アヤ姉! 基地は……』

 

 桃の通信に彩芽は《バーゴイル》を蹴散らしつつ連装ガトリングを掃射して応じていた。

 

『今は待って。十機編隊に囲まれている状態なんて、いつからだったの?』

 

『もう、四十分ほどはこの状態……。さすがに《ノエルカルテット》でも』

 

 弱音を漏らした桃に比して彩芽の声には憔悴はない。やはり取り越し苦労であったのか、と鉄菜が感じた直後に《バーゴイル》部隊は一斉に離脱軌道に入る。

 

 ようやく諦めたらしい。息をついた鉄菜に彩芽が通信を繋ぐ。

 

『お疲れ様、鉄菜、桃。役目をこなしてくれたみたいね』

 

 その声の張りに鉄菜は作戦成功を予感したが、やはりどこかいつもの彩芽とは違う。疲弊はないが、その声に違和感を覚えた。

 

 まるで、初めて会うかのような感覚である。

 

「彩芽・サギサカ。何があった?」

 

 思わず尋ねていた。彩芽は何か隠し立てをしているようであったからだ。

 

『アヤ姉? 基地は、守り通せたんだよね……?』

 

 不安を重ねた桃の声に彩芽は通信ウィンドウを開き、首を横に振った。

 

『ゴメン。貴女達が必死に戦ってくれたのに……わたくしは……』

 

 その言葉に全てが集約されていた。

 

 ――守れなかった。

 

 鉄菜は基地の人々の顔を思い返す。不安と緊張がない交ぜになったような表情ばかりであったが悪人がいたわけではなかった。

 

 あの場所にいた人間達は少なくともこのような形で死んでいい人間ではなかったのだ。

 

 それは客観性を欠いた判断であったのかもしれない。自分らしくない感慨であったのかもしれない。

 

 だが、見知った人間が死んでいくというのは、心にぽっかりと穴が空いたような感覚を伴わせた。

 

 今までは一度も感じた事のなかった空白である。虚無の中に堕ちていくかのような虚脱感に鉄菜は操縦桿を握り締めた。

 

「私達の……負けだ」

 

 そう判断するしかない。惑星に降り立って初めて、自分達三人が束になったのに負けた。その事実に鉄菜だけではない。桃や彩芽も痛みを押し殺しているようであった。

 

『でも……《ノエルカルテット》のバベルに、情報が撒き散らされた様子はない。あの基地の人達はアヤ姉との誓いを最期まで守ったのね』

 

 それが余計に悔やまれる。相手は義理を通したのに、自分達が不義理であったのなど。

 

『鉄菜、桃、わたくし達はまだまだ弱い。少なくとも、このままじゃ駄目なんだと思う』

 

 モリビトの性能にすがっただけの戦い方ではこの先、勝ち残ってはいけないだろう。

 

 自分達は強くならなくてはならない。それこそ、世界を敵に回すのに相応しいほどに。

 

《バーゴイル》の飛び去っていく濃紺の空は、どこまでも自分達を突き放すかのように青く、無感情に見下ろしていた。

 

 


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